弘前カウンセリング協会

広報弘前

2009.11.3

 とうとう載りました。広報弘前11月1日号。ボランティア井戸端会議に弘前カウンセリング研究会出ます。一人でも弘前カウンセリング研究会の存在が知られること、それが一番の願いです。自分でもカウンセリングを経験するまでは、相談すること、話すこといろいろ躊躇したが、こういう事を話していいのか、まだ話すほどでもないとか、話すということをためらう事があった。

 大方の人はこのような悩みを持っている、なかなか決める事が出来ない。決めるのは本人だが、話すこと、話さないことも自由である、しかし経験から言うと思いきって話す事がどれだけ大事なことか、いろいろな悩みを持っている人がどれだけいるか、悩みを持っているのは自分だけではないという事。

 往々にして悩みを持っていて、愚痴る人、仕方がないと言う人は自分だけという思い込み、話しても解決にならないと考えている。そうでしょうか?人は誰でも悩みがある、あって当たり前、ごく自然に友人、家族、知人、同僚に話を聞いてもらっている、話を聞いているのだ。泣く、笑う、怒る、自然に腹の中に溜まっている事を発散させている。ただ内容がはばかれる物、身の回りの人には話したくない事にカウンセリングという手段を使うだけである。自分で何でも解決できる人はいらない。しかしどうしようもない時だってあるのだ。

 まだまだカウンセリングとは特別なものと感じてる人、カウンセリングを受けていると言えば特別視される。おちゃんもそうだった。どうしようもない悩みを抱えてる、どこかおかしいとか、そんな周りの目を気にしても自分のためには成らない。悩んでるのは自分だから、悩んでる自分に対して、自分が悩んでいる、悪循環である。

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居場所作り

2009・8・24

 8月22日、8月23日はワークだった。この頃読む本はほとんど貧困に関するものばかり。住むところ、働くところ、居場所(家族、仲間話し相手と理解してほしい)がなくなれば、精神科の外来である。失業者、精神障害者、ホームレスにしても居場所づくりは大事である。この大事さは「反貧困」に湯浅さんが書いている。外来に訪れる3条件は精神科医が言ってるから、本当だろう。

 その中で弘前カウンセリング研究会は何ができるだろうか。ただお話を聞く、来談者がお話しする、その場を提供することしかできないが、しかしそこでいい。悩み、不安という荷物を少しでも軽くできたらと思う。昨日そんな話が自然と出た。しゃべり場、居場所それでいいではないか。そこで共感できるもの、各自が経験したことが誰かの力になるのであればそれでいい。

 精神疾患になった方も積極的に居場所づくりをしてる(そのような方は元気で活動的)。活動してることで精神的な辛さを忘れることが出来るという。精神障害者への雇用も精神衛生上良いという。ただ黙っていることが大変良くない。高齢者が家の中ばかりにいると痴呆が進む。話す、体を動かす、外に出ることがいかに大事か。これは失ってみないと分からないと思う。

 貧困の話から現代人は、生活の知恵、生活の技術がなくなった。貧乏になっても常に消費しなければならないという話になった。これが30年以上昔だったら、お金が厳しい時は、母親が作った服、編んだセーター、父親が電気製品の修理、大工仕事。倹約という意味もあったが。技術がないから節約出来ない、当座の間親の技術の頑張りでしのぐという事が出来なくなった。出来るのな食費を減らすか、親が食事を減らすしかできない。悲しすぎる。

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カウンセリング受ける

2009・2・22

 2のれんちゃんで縁起がいい?昨日、久々にカウンセリングを受ける。いつもの事だが慣れるものではない。これを言った方が良いか、言わない方が良いか、止めようかな、それほどの事でもないし、なんていろいろ頭の中を駆け巡る。もう5回はカウンセリングを受けている。教育、人間関係、求職活動等。

 カウンセリング見たいな物とあえて言うが(相談と言うものも含めて)、カウンセラーを含めて理解してもらえないと嘆くのは本人の力量不足、クライアントを理解出来ないなら分かるが、カウンセラー本人が理解してもらえないと言うのは一段高いところから話してるからで、クライアントとの距離がよく取れていない、理解させようとか、指導、助言しようとか思ってるから。カウンセラーではなく、コンサルタントになってるから。と思う。

 自分の中に別な自分がいて、嫌いな自分、好きな自分がいることを分かるまで何年もかかった、ちょっと危ない人と思われるが(しかし冷静な目で自分を見ると言う観点から言えば大事なこと)、それが分かってから自分と言うものを、もう一度見て迷ったり、悩んだりする自分を見て、さほど深刻になることもない、思ったほどひどい状況でもない、感情的になって見ていた相手を冷静に見ることで、逆に理解できるときがある。いろいろな思いが心の中で巡り、考えが整理出来たり、新しい理解、物の見方、発見がある。しかしこの状態は悩みがさほど深くないときに起こると思う。何度も相談しようか、しまいかと悩んでるうちに、問題そのものが深刻になり、こんがらかった糸になり、解決するのに時間がかかり、専門の領域に入る場合が多いと感じる。

 たとえば極一般的な回答として。初期の段階で子供が学校を休みたいと言う(体の調子が良いけど)、休ませたほうが良い(無理にとは言わない、休ませられる環境にあれば、休ませたほうが良い)。親にだけそのようにアドバイスする。長い目で見たとき登校拒否、不登校になり難い、はじめは欠席が多いと思うが、最終的には心配したほど多く欠席はない。逆に欠席させたくない、休み癖を付けたくないと思って、無理に行かせると本当の不登校、登校拒否になったとき、相談だけではなくそれなりの専門領域が必要になる場合もある。ここまで至る間に親自身もこれでいいのだろうかと悩む、どうしようと思う、相談しようか悩む、時間がかかった分内容は深刻になる場合もある。

 初期の段階であれば親だけが考え方、子供の見方を変えれば良い、変えてみることで解決できるが、深刻になれば親子で問題解決に取り組む必要性が出てくる。早い話、相談できる機関があれば早めにうまく利用すること、カウンセラーと合わないと思えば変えるとか、別な似たような相談に乗ってくれ所を捜す。カウンセリングだって人対人、合う人、合わない人もある。合わない人と無理にカウンセリングする必要もない。クライアントはそこまで考える必要はない、考えるのはカウンセラー。

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あまりの変わり様

2009・1・18

 2ヶ月ぶりに例会に出る。Aさんが来てると思って、「Aさんは?」と聞いたら、「去年の11月死んだの」、エーうっそー信じられない。11月はちょっと寄ったけどAさん元気だった。確かに病気だけれど、すぐにどうこうという病気じゃないし、気を付けていればもっと長く生きることが出来ると思っていた。人の明日は分からないもの、明日も同じことが続くと思う、でも毎日変化してるそれを気が付かないだけ、小さい変化を気づく心があればいいが、大概が大きな変化にしか気付かない、小さな変化が貯まって大きな変化になる、大きな変化になった時は遅かりし由良の輔の時も、という自分ものんべんだらりと生きている。

 しかし急にコロッと死なれると実感がわかない、そんなものである経験上。気持ちとしてはAさんがリュックを背負ってドアから入ってきて、テーブルの真ん中いつもの席に座る気がした。しかし来ないそうだろう死んだんだ。しかし実感してないそうだろう急にだから心の準備無し。家族はもっと複雑だろう、いきなりだもの実感わかないうちにバタバタと進む、気持ちと現実が伴わない。

 「自分のための自分自身のカウンセラーの講座はこれで終了となります」とT会長から。Aさんが講師で自分で作った口座だから、Aさん亡き後は終了である。Aさんは弘前カウンセリング研究会に入ったころ「わの話聞いでけでよ、さっぱどした」とよく話していた。話す、聞いてもらう事がどれだけ、気持ちを楽に心地よくするか身を持って体験されたから、聴く事と、話す事には拘っていた気がする。いつも不思議に思うのは弘前カウンセリング研究会はどのようにして代替わりしてきたのだろうか、多分これと言うこともなく,一人欠け、人の出入りがあり、会員はある一定の数値であり、ある時点で誰かが会長になり続いてきたのだろう。よく考えてみれば不思議な会である。7年間いるが未だによく分からない。Aさんは相談を相談という言葉を嫌っていた気がする。しかし必要ならば相談活動はしてる地味ながら、私会員でありながら相談するときあります。

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今日は休みました。

200811.15

 今日はカウンセリング研究会は休みました。ボヘミアンが学習発表会で、午前中学校なので。座りっぱなしは疲れます。午後は疲れて家でゴロゴロ。最後の学習発表会、今までドラマ性のある作品なので期待してました。それが「縛られ地蔵」、最初はうんと思いましたが、結構面白かったし最後のダンスはよかった。ボヘミアンもドラマ性がある作品だと思ってたらしい、それが「縛られ地蔵」でガクンと来たみたいです。

 所でよく相談者で「得るものがない」という人があります。得るものとは何でしょうか。何かを期待してくるという気持ちは分かるのですが、仮にカウンセラーに答えを求めたり、カウンセラーの意見に従う、答えを出して欲しいとしたら、間違っていると思います。答えとか、意見を言うかもしれませんが、あくまでも提示であり、考えて決めるのは相談者個人です。

 相談者の人生は相談者の人生ですから、カウンセラーは人の生き方のお手伝い、相談者の話を聞いて、相談者は話を聞いてもらって、心の中の荷物を下ろしたい、気持ちを軽くするためそれでいいと思います。人は誰でも人生の中で誰かに話を聞いて欲しいときがあります。「いのちの電話」もそのひとつです。ぶっちゃケ、「いのちの電話」はかなり内容が深刻なものと聞いてます。弘前カウンセリング研究会はどの位置に立つかと言えばもっと早期の段階ですね、気持ちが楽になるだけでどれだけ暮らしやすくなるか、こじれればこじれるほど心の負担も大きくなります。

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年齢を0にする

2008.10.18

 チャンは仕事、ボヘミアンはやっぱり一人が嫌いになってきた、で弘前カウンセリング研究会は2時で帰るようにした。相澤先生の自分が自分のカウンセラーになるには、自分で自分を創るのか、自分で自分を成長させるのか、禅問答みたいだが、皆は創るより、成長させるほうが分かりやすいという意見。私もそのほうが分かりやすい。

 私はボヘミアンを生んでから自分の歳を0にした、子供を育てた分自分も成長、育つと言う考え方、意識したわけではなく自然にそうなった。私は53歳だが子育ては12年しかしてないから12歳、だから歳に関係なく子育ての先輩は尊敬の念、私より大人と言う感じになるので、つい甘えてしまう。だから歳の近い友達なんて悲惨なものである、大概子供は30歳前後、孫もいる、歳は近いけど私としては親戚のおばさん、友達のお母さんと言う感じで接してしまう。同じ歳と言う感覚はない、だから友達に依存したり、気を使わないと言う失礼なことをする。そこでボヘミアン生んでから年齢を0にしたからと逃げている。

 よく考えてみると年齢を0にする時期はいろいろある。親になったとき、ジジ、ババ、になった時。これは年齢では括られない。たしかに平均的な年齢から、この歳で親になる、孫が出来るはいえるけど、親になる歳は女性であれば20代から40代、男だと年齢関係ない、ジジ、ババは早ければ40代前半かな。実年齢で経験したことと関係ない未知の世界に入るから年齢は0になるわけよ。と勝手に考えてる。

 私が弘前カウンセリング研究会で覚えたこと、話を戻す、最初は自分のしゃべりに夢中で、相手の話を元に戻すことを忘れたり、無視したりした(故意ではなく、経験不足)、それが意識できるようになった。自分の中のもう一人の自分(自分を冷静に見てるもう一人の自分)、相手と距離感を保ちつつ相手の立場で考える(相手に共感しすぎて相手を理解するのはNG、入れ込みすぎはだめ)、6年かかってやっと意識できるようになったが、実践はまだ出来てません。

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弘前カウンセリング研究会、「不定期会報まどか」より

2009.9.3

 今日、「弘前カウンセリング研究会」の会長土田さんから「会報まどか」がきました。「弘前カウンセリング研究会」の考え方、方向性をご理解いただける良い内容なので一部抜粋いたします。私がブログで、「弘前カウンセリング研究会」について書くのは弘前にもカウンセリングを行っている会があることを知っていただきたくて、会長の了解のもと書いています。カウンセリングもいろいろなものがあり、医療、教育、キャリア、メンタルなもの様々です。しかし基本的な部分では同じだと思いま。(話す、聴く)。でもこの基本の部分が理解していない、疎かになるとクライアントにとって不幸なものだと思います。大概のクライアントがカウンセリングに対して不満、疑問を持つ部分はこの基本部分が出来てないからだと思います。時々「弘前カウンセリング研究会」の記事を読んでくれる方にお礼を申し上げます。

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 弘前カウンセリング研究会は、毎月第三土曜日、午後2時から5時まで、弘前市東長町の中弘教育会館2階学習室で学集会を開いています。中身は、話したい人が話し、ほかの人はそれを良く聴いています。話した人が、「よく話せた」「しっかり聴いてもらえた」という感じの話し合いになっています。

 話すことで心にあるものに気づき、また、はっきりします。話すことの効用を何度も確認することになります。どうかおいでになって、お話ください。このあたりの消息が、気持ち良いくらいはっきりするでしょう。新聞にも載ったので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今年の5月から、同じ教育会館2階学習室で、毎月第1、第3土曜日、正午から午後1時半まで、「自分のカウンセリングを創る会」を開いています。

 誰かを助けるでもなく、誰かに助けられるでもなく、まずは自分を整えようということです。自分の生長を図ろうというのです。

 5月から9月まで10回開きますが1回ずつの完結です。いつからでも出席できます。ただ、回数多く出席し、自分を見つめ、自分をわかって臨んだ方が、「自分を創るカウンセリング」を創りやすいと思います。

 9月に第1期10回が終わりますが、10月から第2期を始めるつもりです。「自分を創る会」は有料です。1回500円(当研究会会員は無料)。会費を払い、用意された時間を大事にお使いください。

 カウンセリングって何でしょう。誰かを助けることですか。誰かに助けられることですか。自分が上にいるという思いがあり、上から引っ張り上げてやろうなどというのは、なんとも鼻持ちならぬものです。

 元学校の先生があちらこちらで嫌われているのは(もちろん嫌われない人は嫌われない)、人にものを教えたがるからだそうです。カウンセリングが形を変えたお節介であってはならないと思います。              

                                       土田信子

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 カウンセリングは話すこと    相澤康夫

 カウンセリングの第一義は話すことです。決して、聴くことではありません。ロジャーズさんも、話すことが大事、といいました。

 カウンセリングが聴くことと思われたのはなぜでしょうか。カウンセラーの音の響きがカウンセリングに通い、カウンセラーがお話を聴くように、お話を聴くことと思われたのかもしれません。そうだとすればある種の誤解ですみます。誤解ではなく、カウンセラーがクライエント(話して・相談を持ちかける人)の上に位置すると思いたがり、自分を上においてしまっているとしたら、これは笑い話ですむでしょうか。

 元学校の先生が人にものを教えたがるのは、嫌われたとしてもある意味滑稽でありましょう。でもあるカウンセラーの、おれが上だぞ、おれが上だぞと言わんばかりの態度には腹が立ちました。まあ、ほっぽり出せばすむことでした。

 それにしても多くの人がカウンセリングを聞くことと捉え、自らを聴き手に位置づけるのはなぜなのでしょうか。 せっかくロジャーズさんがクライエント中心という表現を改め、話し手が大事、といっているのに、どうしてもカウンセラーが大事なのでしょうか。

 お話を聴くことはたしかに難しいです。でもそれを解明するのには、一生懸命聴くだけではなく、話しての心のありようを、自らが話してになって、そのときの心を見つめることで明らかになるように思います。カウンセリングはその人その人のありようを認めています。その意味では民主主義の世界のことといえます。

★★★★★

相澤康夫氏の分は一部抜粋ですが、会の方向性をご理解いただけたら幸いです。

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弘前カウンセリング研究会

2008・8・16

 今日は例会。どれだけ自分の中にある溜まった物を話したいか。聞いてもらいたいか、話すことによって気持ちが軽くなるか。聞いてもらうただそれだけのことで、至極単純なことではあるが、安心して話すこと、自分に正直に話すこと、案外難しい。人目を気にせず、有りのままの自分をさらけ出す、ただそれだけの事だが難しいのである、しかしそれができたとき、気持ちがどれだけ楽になるか、自分で自分に対して正直になり、その中で何かが変化していく。

 聞くほうもただひたすら聞く、聞くことで相手は何を言いたいのか、気づき始める。しかし聞くことはひとつ間違うととんでもない解釈の仕方になる。聞くほうはもっと難しい。聞いたつもりでも完全に、で案外聞き漏らしがある、誤解が生じる、日常生活に良くある。何が言いたいのかと言うと。

 人は黙ってひたすら言いたいことは我慢する事はできない。体に悪い。人は一人では生きていけない。話したい自分、聞いてもらいたい相手が必要なのだ。人をカードに例えるのは良くないが、できれば使えるカードを多く持ったほうが良い。それだけで生きていくことが楽になる。生きやすくなる。

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弘前カウンセリング研究会

2008.7.22

 7月19日例会テーマ「自分のために自分自身のカウンセリング」、次のようかキーワードが出ました。

1・聴く2.話す3.読む4.情報5.余裕、途中から出て、途中から帰ったのでよく分からないまま帰ってきました。私なりの解釈は、人の話を聞き、自分自身のことを話し、情報を読み取り、それらを知識として自分自身に余裕を持つことでしょうか。ところで今年も弘前カウンセリング研究会ではワークショップを開きます。

2008.8.23(土)、8.24(日)

中弘前教育会館 3階 和室 TEL35-7789

8.23 午前9:30から受付19:00まで

8.24 午前10:00から15:00終了

申込締切 8.9 ワーク参加費4,000円(当日持参)

           8.23 19:00から懇親会 別会計

申し込み問合せ先

036-8144 弘前市原ヶ平2-3-16 土田信子宛

TEL&FAX   87-4072

肩のこらないワークです。寝転がってもいいし、楽な格好で聞いたり話したり、ご自由に。

会のテーマは基本的に、「話して、聞いてもらって、さっぱどする」です。

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弘前カウンセリング研究会

2008.6.22

 今月は新しい来談者なし。来談者と会員(と言ってるだけで出入り自由なので何回か来ている人は会員扱いになるかな?)は一期一会の関係になるときが多い。自分の話したいこと、心の重荷になっていることを話して心が軽くなればそれで良い。私はそれを心の荷物と呼ぶ。また来たくなれば例会のとき来れば良い。

 心の悩みは重くなればなるほど厄介である、私は事態がそれほど深刻にならないうちに、人に話を聞いてもらいたいと思ったときは思い切って打ち明けることを進める。理由は悩んでいるうちに出口が見つからなくなってしまう、精神的に追い込まれてしまう。こんなことを話して良いのか、くだらない内容だからとか、話す前に自分で決めてしまって時期を逃すことが多い。しかし私が見た限り、もっと早く話せばよかったとか、話をしてよかったという人が多い。しかしこんな人は良いほうで、本当の辛い悩みは中々話せないものである。専門性を要する場合もある。いろいろ相談の窓口があるのに中々来談者が来ないのは、来談者が相談すべき内容かどうか迷っている、また来談者が経験的に相談して嫌な思いをしたかである。

 聞く方も聞いてやるとか、教えてやるという態度になるからいけない。五部と五部である。私も何度かカウンセリングをしてもらったり、相談してもらったことがあるが慣れない。これくらいのことで相談していいのだろうかと迷う。しかし思い切って話してみる、楽になる確率が話して損した確率より高い。人生、悩んで、迷って当たり前、人の悩みには重さは無い、本人が重いと思えば重い。しかし黙っていればだんだん重くなる。それを話すことでいくらかでも軽くすることが出来ることを知ってほしい。

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弘前カウンセリング研究会

20085.19

 5月17日、第三土曜日弘前カウンセリング研究会の例会に行く。今日は相澤康夫氏の「カウンセリング学習会」、第一土曜日も行っている(午後12時から)。先に弘前カウンセリング研究会の説明をしよう。

 1960年頃弘前学院短期大学教授・弘前学院聖愛中学高等学校宗教指導部主任山鹿素氏が、茨城キリスト教短期大学(当時)キリスト教研究所でローガン・ファックス氏からカウンセリングを学び、1962年小宅大典氏(弘前家庭裁判所調査官・当時)と共に本会を創立、青森県でのカウンセリングの実践・研究の草分け的存在。これまで、日本のカウンセリングの指導的立場にあった伊東博、友田不二男、三木恭平、佐治守夫、遠藤勉氏らを招き、カール・R・ロジャーズの「Person Centered Approach」(来談者中心・人間中心のカウンセリング)を主として学びその普及に努めてきた。

                         (弘前カウンセリング研究会のしおりより抜粋)

 この会で30年以上活動してきた相澤康夫氏が「自分のカウンセリングを作りましょう」と言う考えから9月まで、第一、第三土曜弘前教育会館で勉強会を行う。会費500円。しかしカウンセリングとは何と聞かれても一言で説明するのは難しい。相澤氏も同じ意見である。しかしその説明をしないのは不親切だし、赤ちゃんにとって人生最初のカウンセラーが父母、夫婦、兄弟、日常の生活の場面で話をする聞いてもらう、意識せずともカウンセリングをしている。そしてさっぱりする、分かる。カウンセリングなんて考えるから難しくなる、日常の生活に即してと考えると分かりやすい。だから相澤氏は「日常のカウンセリングのカウンセリングを広めたいが難しい」と言う。分かったような分からないような話をしてきたが。具体的に説明しろといわれれば難しい。本当に。

 早い話がカウンセリングの手法、いろいろあるがそれは置いておいて。相手の話を聞く、話を聞いてもらう、気持ちが良くなる、それで良い。だから日常生活に接点のあるカウンセリングか。でカール・R・ロジャーズ論を交えながら勉強会をする。で現在の弘前カウンセリング研究会は、「あなたのお話したい事を聞きます」で活動してます。

 だったら何でお前がそんな事を書くのだと突っ込まれそうなので書く。私も相澤康夫氏も同じ体験なのだが、自分が悶々としてるとき、話しを聞いてもらえる場があることはどれだけ大事か、心が軽くなることがどれで心地よいことか。あなたが日常誰かと話をして心が軽くなればそれがカウンセリングかもしれない。

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弘前カウンセリング研究会

 2008.4.19

 今日は1ヶ月に一度の例会、毎月第3土曜、この会と関わってからもう6年になる。多分弘前でカウンセリング活動を行っているグループはここしかないようだ。メンタルの世界に興味を持って本は何冊か読んでいたが、この会の例会に出るようになってからますます読むようになった。これから様々な本のレビューを書いていくが多いのは、食品、栄養、心理学系の一般書を書くことになるだろう。活動を通してわかったことは潜在的に悩みを持ち相談をしたい人が多いこと、しかしどこへ相談したらいいか分からない人が多いこと、相談したとして公的機関で嫌な思いをした人もいたりで、カウンセリングに対して不信を持つ人もいる。またカウンセリングは特別なものと考える人もいる。カウンセリングは何も特別な物ではない。問題が深刻かつ重大になれば専門家でなければ対処できないが、早期の段階では、話す、聞いてもらうだけで良い方へ向かう気がする。カウンセリングは答えを出すものではなく、話していくうちに自分の中で気づいていくもの。答えが出るのはコンサルタント。そこの所が理解されずにいるからカウンセリングに対して不信感を持つのかもしれない。

 確かに専門的な知識も大事だが、人の話を聞くという基本が確立されない限り、何の先入観もなく人を見るということが出来ないとカウンセリングは出来ない。だから難しい。でもこの会知らない人が多い。弘前にもあるですかと言われる。弘前にもあるですよ。

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