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児童書

母のない子と子のない母と

2011・9・18

 やっとブログを更新が可能になるだけの余裕ができた。今日はフリマに出る予定が、雨でジャンジャンである。久々児童文学なる物を読んだがいい物である。

 昔、叔母にの獅子文禄の「悅ちゃん」を買ってもらいいたく感動したが、出版社は偕成社で児童文学全集の中に、「母のない子と子のない母と」があり、題名が気になっていた。今回どんなもんじゃと思い、40数年ぶりに児童文学なる物を読んでみた。

 一郎と言う少年が父親の故郷小豆島に、母と弟と疎開、母が死に親戚のおとらおばさんと暮らす、小豆島を舞台に戦後すぐの子供たちの生活(子供たちも、父親、兄弟を戦争で失っている)、子供たちを見る大人、親の様子が描かれている。

 おとらおばさん(一郎の父方の親類)はほとんど聖母であり、これだけ子供を理解できれば苦労せん、一郎も最初は都会っ子で島の子供たちともなかなか打ちとけない、しかしうちとけるうちに島の子になる、おばさんを思い、弟を思う(ここら辺で嘘つけとか、理想的過ぎるとか思う、おちゃんのひねくれ根性が出る)、また喜十郎という兵庫から来た少年が同じ都会っ子の一郎と打ち解け、しかし島の子は都会っ子たちに対して、羨望、憧れをもつと言う設定も分かる。最所打ち溶けあうのが都会っ子同士、島の暮らしに慣れないうちは以前住んだところと比べる、それを島の子が慣れさせようとかする、一郎を思ってるのに、しかしなびかない一郎に不満を持ったり。

 またアンズ村の子供たちがミカン畑を通って、ミカンをいただく時「ミカン一ついただきます」と言うシーンは良い。ミカン畑のおじいさんはくれると言った、しかしいない時は?黙って持っていけば泥棒になる、「ミカン一ついただきます」といい考え。

 おとらおばさんは戦争で息子を失い、一郎は疎開先でお母さんをなくす、親類の子を育てるから、疑似親子の関係になるが、デやっぱり親子でない。一郎はおとらおばさんに気を使う、しかしおとらおばさんはあくまでオープン、一郎に死んだ息子の面影を見る、息子より苦労する一郎を不憫に思うが、ここが本当の親子でではないある種一定の距離感も感じる。押しつけがましくない。世話をしてやってると言う感じはなく、どこまでも一郎主体の接し方である。良き理解者である。

 最後のところで父親と再会する(戦争で生死不明の)、父親はおとらおばさんと結婚すると言う、一郎はおとらおばさんは好きだけど、やっぱりお母さんはどこまで行っても死んだお母さん、母親同様になりえても、生んだ母にはかなわない。ここらあたりの一郎の葛藤を想像するのは辛い。父親がおとらおばさんと再婚するのは、一郎自身とっても良い事は十分知ってるのに、お母さんがかわいそうだと言う思い。泣かせる。

 おとらおばさんはこどもの気持ちが良く分かる人である。これは作者坪井栄自身がそうなのであろう。「たまのお祭りくらい、むだ使いする方が良いのよ、大きくなってからさびしいからね、そのためにお祭りがあるようなものさ」、「お父さんに何でもかんでも話してあげるのよ、うんとしゃべってきなさい」、大人に変に気を使う子供になりなさんなと言う事である。子どもは子どもの時代を十分楽しめばいいであろう。

 ここで解説が必要な部分もある、一郎のお父さんはソ連で捕虜になり、日本に戻ってきても中々職が見つからない、「お父さんが捕虜になった場所にある」と話す。今の人はこのの理由はよく分からないと思う。ソ連つまりシベリアで捕虜になった人は、ソ連のスパイなのかもしれないという疑惑をもたれた時代でもあるから。レッドパージである。反共主義の時代でもあった。特にこの時代日本はアメリカに占領されていたから、アメリカはマッカーシズムの時代である。ここいらをちゃんと説明しないと、今の時代ではなんですか?である。

 最後の最後の所で父親の言う言葉、「こんなでたらめの中から、出なおしてゆくより道はないんだ。そんな人が日本中にいっぱいいる。わかるかい一郎。元気だしてやろうな。こんなぼろやでも住むところはあるし、おとらおばさんもいるし、当分ここで暮らそうじゃないか。うしろをむいちゃいかん、まえを見て暮らすんだ」、今の時代に必要、震災後の今に必要な事である。しかしある意味難しい。まーちょいと前なら素直に「うん」だろうが、現代人はある意味清く正しくないから、素直に「うん」とはいかないだろう。

 生活が苦しくとも、心は清く、今の時代は無理。今は生活は苦しく、心貧しく。今は生活が豊かで、心も豊か。格差社会だから。しかし昔から格差はあった、あって当たり前、なぜ清く生きられなくなったんだろう。物欲の権化となったからかもしれない。まだあるだろうが。

 ここまで来て思い出したのは「魂の流木」のマイケル・オヤマである。マイケル・オヤマ、一郎の共通項は親が教育熱心(よい意味での)、教養があり、子どもに対する深い理解である。子どもを親の付属物と見ず、一人の人格を持った人と接していることである。

 親は子供と共に育つである、しかし多くは親になった時点で、親になってしまう、子どもは親に従属物、親の言う事を聴いて当たり前。しかしついついやってしまう、おちゃんもボヘミアンに。なぜ?心配だから、しかし本当は不安だから。

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アゲハの消えた日

2011・8・14

 児童書に分類したが、中学生でも良い。この頃SFの小説が読みたい。しかし小松左京大先生が死んだのは少なからずショックである。SF界の大御所は筒井康隆先生だろう。しかし両巨匠も少年少女向けのSF小説も書いてる。しかしおちゃんは読んでいない。

 

 しかし昭和60年代に児童書のSFが書かれていたとは。知らないのはおちゃんでけか。昔は児童向けのSF小説、テレビでも子ど向けのドラマがあった。数年前もNHKの教育では児童向けのドラマがあったが、最近はとんとない、困ったものである。

 ストーリーは昭和60年代の大人の正が、昭和39年の小学6年生の自分にタイムスリップする。正が変調をきたす時アゲハが現れる。正が変調をきたす時、預言者めいた事を言う。リニアモーターカー、「カラーテレビを買うよ」祖母に話し、すぐ後にお父さんが買ってくる。

 まー未来から過去にタイムスリップしてるんだから、過去の人には預言者的に感じるだろう。しかしおちゃん的の面白いのは、昭和39年に小学生だった時に、タイムスリップ出来るから。放射能を含んだ雨を浴びるとハゲになる、昭和39年に中国が核実験をした後、雨が降れば、傘をさせ、帽子をかぶれと言われた。本当にはげになると思っていた。懐かしい。

 リニアモーターカーと言う言葉が出てきたのも、昭和40年代から、しかしいまだに実用化はしてない。また正と友人の忠の会話が子供の心理状態が良く出ていて面白い。教師に反抗心を持っていてもあからさまにしない。昔はそんな物、言ってもしようがない、親に行っても、「お前が悪い」で終わり。教師も今の教師みたいに優しくないから、結構今で考えることきつい事を言った。本の中の田中先生みたいに。今だったら田中先生、絶対問題教師だよなーとか。うん、大人が読んだ方が面白いかな?

 最後はおとなに戻った正が核戦争が始まった、日本に。忠と正が探偵みたいに学校で起きた不思議な事に興味を示して、行動、活躍するのも御愛嬌である。

 小学生までの頃は、なりきりの世界に遊んで楽しむもんである。今風に言えばバーチャルな世界。それを体験できるのが、昔は児童向けの推理小説、SF小説である。読んで自分もその面白さに浸り、主人公と同じ世界を共有する。だから、ワクワク、ドキドキである。

 遊びではごっこ遊び、ままごと、チャンバラ、など。なりきりで遊ぶ。この頃トンとなりきり遊びはない、せいぜい遊んでも小学校を入学する前で終わり。昔は小学校の中学年まではなりきりであった。その後は急に馬鹿馬鹿しいと分かって、遊ばなくなる。

 だからゲームだとバーチャルな世界で、現実と空想の世界が区別がつかなくなると心配するが、逆に心配し過ぎると裏目に出ると思う。もう少し児童期のなりきりの世界を大事にしても良い。土台大人になっても現実と空想の区別がつかなくなる割合はかなり低い、それを誰もがそうなるように思わせる方がよほど危険な気がする。

 親として心配な部分もあるが、もう少し時代に合わせた、子どものなりきりの世界を理解しても良い。しかし昔の児童向けの小説読んでみたい。

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とべたら本こ

2009・10・4

 書かれた時代背景が昭和33年、もう50年以上昔である。最初に読む方は後書きから読んだ方が時代背景がなんとなくわかると考える。この本を読むと何が昭和30年代が良い時代なんて言えるのか、まだ戦争が終わって13年しかたっていない、まだ戦後の残り香がプンプンする。それと戦後の新しい感覚も見え隠れする。

 カズオの本当の両親は本当の両親かと疑いたくなる、父は職もなく飲んだくれ、唯一の収入減は母の内職、カズオに非がなくても親の気分次第で親に殴られたり、可愛がられたり、学校の担任は本音と建前を使い分け、親だから、教師だからと大人の意見に子供を従わせようとする。そんな大人のずるさをカズオはかぎ分ける。学校も行ったり行かなかったり、引っ越しもあってとうとう本当の不登校になる。教師は教師という事で胡坐をかき、親は親と言う胡坐をかく。大人という権力の前には子供は非力である。

 出てくる大人はどれも大人とは言い難い亡者みたいな人である。カズオが電車の中で知り合った、ヒステリー気味の少々認知が入ったようなばあさん(人間不信で猫好き)、ばあさんの死亡保険金を狙う義理の息子、美談にしたがる新聞記者、大人の欲望のためなら子供は従うか、犠牲になるかである。(今はこんな事は許されないが戦後13年しかたっていないから戦前の価値観が残っているから、良くも悪くも子供は大人、親に従うのが当たり前、戦前にも人身売買禁止、児童の虐待は禁止という法律があった。しかし現実は娘を女郎に売り飛ばした親はあった、家族を救うという美談で片づけられる。、売春禁止法は昭和33年施行)。

 そんな大人の中をカズオは巧みに生きる、親に反抗したり、迎合したり(迎合しなくてはお金が貰えない、優しくしてもらえない、そんなところが悲しい)、教育上は宜しくないが狡猾で、少々残酷な知識を持つ、しかしこんな知識がなければカズオは生きていけない。カズオはよく嘘をつく(嘘をつかなくてはカズオは生きてけないし、嘘をつく自分にも罪悪感を持つ)、虚勢を張る、死にたいと思う、実際自殺未遂をおこすが。ヒーロー願望も出たりでカズオの心理描写も巧みである。

 しかしこんなカズオを誰が責められよう、しかしこの児童書は出版されることは内容からいって奇跡みたいなものらしい、悪い現実を見せたくない。、毒のな良い子の文学が喜ばれたから。おちゃんが感じるのはこの時代あたりから、悪い現実は見ないようになった、現実には家庭崩壊、貧困層もあったが、大多数ががんばればそこそこの生活ができる時代が始まり、いつの間にか国民の大多数が中流意識である。貧困、家庭崩壊は自己責任と見られる時代になった。しかし現在、貧困、家庭崩壊、児童虐待の原因、背景が明らかになりつつある中、自己責任とは言い難いこと分かってきた。自己責任で片づければ一番簡単であるが、今後ケースによっては自己責任では解決できないことも分かってきた。

 後半でカズオが空襲で行方不明になった子供ではないかと言われ、その親と思しき家庭に引き取られるが本当は全然血の繋がりがない、そこの家庭では空襲で子供が行方不明になった後、混血児を養子に迎えている、しかし魂と魂の触れ合いで、血の繋がりがなくとも本物の家族として過ごしていく。と言うより本物の家族になっていく。この辺りは「親になる」という本でも触れているが、果たして親とは血が繋がっているだけで親と言えるだろうかである。かなり古い本であるが、今の時代にピッタリである、現実の社会としてとらえれば今のほうがましかなとも感じる(子供の置かれた立場は)。

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インフルエンザ感染爆発

2009・5・21

 何ともはや物騒と言うか、今を代表する題名の本である。しかしこの本が出版されたのは、2005年。2005年時点では、パンデミックは起こるであろうとは考えていたと思うが、こんなに早く来るとは想像してなかっただろう。

 スペイン風邪が世界中に広まって、収束して。そのなぞの解明のための物語です。スペイン風邪つまりインフルエンザのウィルスはどこへ行ったのか、その解明の歴史について書かれた本です。驚いたのはインフルエンザのウィルスはもともと鳥の世界のウィルスだと言うこと。1976年2月にアメリカ、ニュージャー州フォート・ディックス陸軍基地で、インフルエンザで死んだ新兵が、豚インフルエンザ。1918年から1976年までは、豚インフルエンザは豚の間で広まり、人にうつったとしても、非常にまれだと言うこと。1918年のインフルエンザは1919年に消え去ったと考えられ、1976年のフォート・ディックスでの豚インフルエンザの小流行は、豚のインフルエンザがまた変化して、人のインフルエンザに戻ったことを意味するのかと書かれています。しかし1976年はパンデミックは起こらなかった。

 1997年、アラスカで1918年のインフルエンザで亡くなった犠牲者の遺体からサンプルを取り出し、2005年の10月に、1918年のインフルエンザの全遺伝子が解明され合成されたニュースが世界中に流されたところで終わっています。

 ボヘミアンが小学校のとき、教育図書として学校経由で買った本です。まさかそのときはこんな世の中になるとは思わず読んでみましたが。今読むと中々の迫力があります。児童書ですが、インフルエンザに対する知識、歴史など書かれていて、興味深い本です。今も昔も人類は感染症と闘ってきました。しかし、今また人類は感染症と闘わねばならない時期に来ています。今後どのようになるのか、分かりませんが、正しい知識を持たねば、病気に対する偏見を持たないようにすべきです。今の時代そんなことはありえ無いと人はいいますが、果たして人類は進歩したのでしょうか、知識ばかりの頭でっかちになっただけで、人そのものはあまり変化しない気がします。今大事なものは、正しい情報、知識、あわてないこと、それに尽きます。

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久々児童書

2009・3・30

 久々ボヘミアンと買い物、ボヘミアンと出かけるときは買い物の量は少ない。今日は親子で本買った。ボヘミアンと読書。帰ると絵本が届いていた。「かえりみち」不思議な、不気味な本、しかしこの絵には惹かれる。江戸川乱歩的オドロオドロした、しかし不思議と懐かしい、子供心の怖いもの見たさの心情が良く表現されてる。

 小学校の3年生くらいまで、「なくてあるごっこ」をして遊んだ。夕方おもちゃを出すと晩御飯まで時間が無いのに片付けられないので、夕方はおもちゃを出すのは禁止。だから外でダンボールを畳にしたり、空想でここが台所、玄関とかにして八甲田山(従姉妹)と遊んでいた。「かえりみち」の女の子には普通の帰り道がハラハラドキドキの世界に変わる。よく分かる、おちゃんも小さいとき敷石をトントン飛び越えるのが好きで、旨く敷石を飛ばないと谷底にまっしぐらと想像したような記憶がある。

 近所に大きな池があって、そこを海に想定したり、普通の石が宝石になったり、何でもかんでも自分の空想の世界のものにしていた気がする。時間設定も学校が終わる夕方近くと言うのが良い、これが朝学校へ行く途中となると、面白くもなんとも無いし、頭変じゃない?となる。学校の放課後、昼下がりから夕方は不思議な時間帯である。記憶を手繰るとどういうわけか面白い、ドキドキの時間帯だった気がする。

 大人になるといつの間にかこんな創造力も無くなる、しかし大人になってもこれでは危ない人になる。しかし創造力がなくなるのは寂しい気もする。アイスキャンデーのスティックが宝物、貝殻が鍋、食器ゴミみたいな物でも宝物だった。小さい頃の創造の世界を思い出すと妄想も理解できなくはない。相手が妄想を話し始めたときは、妄想として聞かないと、聞くほうがゴチャゴチャになって、頭がおかしくなる。だからバッチャの話を聞くときは疲れる、しかし妄想は単なる作り話ではなく、現実のどこかと繋がっている。本人の心情が入ってる、本人の今を理解するためにも聞くことは必要だが、しかし疲れる。

 雲がアイスクリーム、シュークリーム、ゴジラ、羊、ごろんと転がって、想像していた時間はいつも夕日が沈む頃。ジャングルジムが家になったり。

 子供の格好を見るとどう見ても昭和30年代、しかし車、家を見ると昭和40年初期の感じ。不思議な時代設定。

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ボヘミアン古書マニアになる

2008.11.21

 仮面ライダー1号、2号にはまった性か小さいときの本を探しています。この本もボヘミアンが4,5歳頃からゴジラを見出し、親も子供の頃を思い出して、ゴジラの映画は年末に2年続けて見たり、ビデオ、おもちゃと親子ではまった頃に買った本です。ゴジラ、仮面ライダー、ウルトラマンクラスになると親子で結構楽しめます。今のヒーローは説明役は子供ですが、仮面ライダー、ゴジラ、ウルトラマンの古いほうは親が説明役、この本は子共向けながら、歴代のゴジラについて書いてるので結構子供の頃に頭がタイムスリップして楽しいです。子供向けに編集されているので説明が単純明快でいいです。

 ところであの本がどこへいったと聞くし、ゴソゴソと子供の頃を探しています。本はたまるし興味がなくなったのか見向きもしないので従兄弟の子供にあげたんです。そしたら怒って「何故あげたそいつは誰だ」と聞くけどあんまり関係が複雑すぎて、説明できないしボヘミアン自体理解できないと思います。うちはすごく複雑なんです。人間関係がどろどろしてるとか家族関係が複雑とかではなく、血縁関係からいけばかなり遠いのに、ベタッと濃い付き合いするもんだから、単純に従兄弟と思っていてもそうではないのでその説明が複雑すぎて、このごろは面倒臭いのでみんな従兄弟にしてます。それに40年近く会ってない弟が突然現れて、ボヘミアンに本当の叔父さんと言ってもピンと来ないし、今まで従姉妹のだんなをおじさんだと思っていたのが,血の繋がった本当の叔父さんとは何だと考えてるみたいです。

 子供が見なくなったからといって本は処分できませんね。急に思い出したり、記憶の隅っこに残ってるもんだから。ボヘミアンも12歳、懐かしいという気持ちが分かって来たのか昔のビデオばかり見てます。温故知新の世界に浸っているようです。自分でも子どこの頃から絵本、漫画、文学全集と読んで来たので、急に思い出したり、小さい頃の本読みたくなります。絵本は特に絵が記憶に残るので。私はキンダーブックの柔らかい色使い、丁寧な柔らかい線、グロテスクではないがリアルに書かれた絵に影響された性か、特に小さい子供の本は極力写真が載っている本は選びません。特に図鑑は絵で書かれたもの、ボヘミアンの図鑑は写真は添え物、絵が中心です。ボヘミアンが本を読み出したときは文章のない本から、図鑑は絵で表現されたもの、ヒーローものから写真の載っている本です。子供は字が読めないので質の良い絵が書かれた本を選びたい、今は親が絵本読んでます。

 今日の分は止めにしようと思ったら絵本ナビさんのメールに「もうねんね」が載っていたので。これはボヘミアンにとって記念碑的本です。ボヘミアンが生まれて初めて読んだ本です。夜泣きがひどくて成長も芳しくなく入院したくらいで夜泣きで入院した子はいないと言われました。私も決まった分のミルクしかやらなっかたせいもあるし、夏に生まれたので暑かった、あの手この手いろいろ、それで本でもと考え「もうねんね」を買って毎晩読んで、子守唄それでも寝なくて、何回山田先生に電話したか、夜中も、挙句に憤怒痙攣、生後六ヶ月まではこんな調子、毎日夕食はカレーライスやシチューでした。とにかく抱っこ、だんなが抱っこしてる間私が食べて、食べ終われば私が抱っこ、睡眠不足で母親に預けて一日中寝た事もあります。でも山田先生に言われたんですよ、[大変だけど、三ヶ月までは覚悟それすぎたら楽になる]その通りで、4ヶ月目から少しづつ楽になりました。私も子育てになれた性もあるし。そのとき山田先生が言ってたんですけどあんまりひどいと睡眠薬使うみたいです。[僕は使いたくない」と言ってました。幸い使いませんでした。

 乳幼児の虐待の事件を聞くたびにひょっとして夜泣きと思ったりします。本当親にすれば精神的にボロボロになります。デモね何年も続かない、いろんな人に聞いたけど、それなりにそのときを乗り切っています。一生涯続くわけないのでいろんな事やって、子供も成長してくるから変化します。親が抱っこすれば泣き止むなら大変ですが抱っこ、親の側にいたいんだと思って、本当に子供が親の側にくっついてくれる時期は短いです。ボヘミアンは側において寝ましたが、三ヶ月目頃から夜泣きが少なくなって、朝急に泣くことが多くなり同じ布団で寝たら寝てくれてそれからです、一緒に寝るようになったのは。今は数秒で寝ます。それで今も一応本は読んでくれ、一体いつまで読ませるんだ、特に6年生になってから多くなった。それまで読んでやろうかというと「いらない」と言ったくせに。心の中で寝てくれ、寝てくれと言いながら読んでました。毎晩親も泣いて、今思い出しても泣きたくなります。夜泣きじゃなくて、本当親子泣きです。この本のクターっとした、柔らかい絵を見てると本当ねむたくます。文章もねんね尽くしで、アー眠くなった。今読み聞かせてる本は小泉八雲の[怪談]です。文庫版大人向けです。

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ボヘミアン仮面ライダーについて大いに語る

2008.11.3

 近頃ボヘミアンが古い仮面ライダーに関して非常に興味を持っている。ボヘミアンが仮面ライダーを見たのは「仮面ライダークウガ」である。オダギリジョーの主演。

1.今の仮面ライダーは武器に頼りすぎる

2.ストーリーが分かり難い、いきなり出てきた毎週毎週だらだら続くのがよろしくない

3.かっこよすぎる、仮面ライダー1号、2号のように手作り感が欲しい。あのださが良い。

4.ストーリが一話完結なので分かりやすい。何よりもストーリー上でどのような理由で仮面ライダーになったのか分かるので良い。

5・もし今昔の仮面ライダーが再放送されるのなら見たい。

6.仮面ライダーがおかしくなり始めたのは「仮面ライダーブラックRX」からではないだろうか。特に「仮面ライダー・シン」は仮面ライダーに入れるべきではない。

7・今「仮面ライダーブラック」に語らせると自分がクラスで一番だろうと言う。「仮面ライダーブラック」を知らない子もクラスにいると言う。(分かるわけねーだろ、お前が古すぎる。担任の前田飯店と「仮面ライダー」で盛り上がったらしい「ならば海苔弁に月光仮面の話をしろ喜ぶぞ」と突っ込んでおいた)。

 と言うように最近毎晩寝るときに小さいとき読んだ「仮面ライダー」の本を見ながら言う。しかしおかしいのは1から4まではボヘミアンが小さいとき「仮面ライダー」を見てたとき、私が言った事で洗脳した事、それを自分の考えだと思ってることである。しかし6に関する指摘は鋭いと思う。「仮面ライダー」が放送になったのは、昭和46年か47年だから私としてはあまり興味が無かった。しかし山本リンダ、島田洋子、林寛子が出ていたので時々は見てた。しかし高見エミリーがレギュラーで出ていたのが一番の理由。「週刊マーガレット」のモデルをしたり青春ドラマにも出ていた記憶がある。小学校の卒業式に着るスーツは高見エミリーが着ていた服をパクッた。鳩山邦夫婦人である。

 「仮面ライダーひみつ図鑑」を買ったのもボヘミアンに見せるつもりもあったが、「仮面ライダークウガ」の前までの歴代のライダーが載ってるので。親が読みたい、「仮面ライダー1号」からどれだけライダーがいるのか知りたくて、子供より大人の方が楽しいかもしれない。しかしいまだに分からないのは、「仮面ライダーJ」はなぜウルトラマンのようにでかくなるのか。映画で歴代のウルトラマンが出る映画がある。仮面ライダーで出来ないものかと思う。ボヘミアンに言わせると本郷武は今も仮面ライダーができると言う、還暦を過ぎたライダーかいいかも知んない。

 今日も「昔の人はお茶が飲めなかったらしいな」と言うから「そうだ飲まなかった、贅沢禁止令だろう、その通りだ」、社会で日本史を習ってる親としては歴史好きになって欲しいが。「脱脂粉乳はまずいか」と聞くから「まずい、アメリカじゃ家畜のえさだ、しかし戦争に負けた日本ではララ物資としてアメリカから来た脱脂粉乳とコッペパンで給食が始まった、しかし食える子は良い、給食費払えずに食べられない子もいた」新しい話はしないが古い話はする。もっと古いことを教えて洗脳してやる。

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かゆいかゆい

2008・10・12

 狸先生のホームページを発見、たぬき先生のお部屋です。写真も出てますけど絵本の先生とやはり似ています。この本は新米お母さんにお勧めですね。絵本とは言いながらけっこう子供がなりやすい皮膚病のことが、原因、治療の仕方が書かれています。蕁麻疹アトピーあせもあたまじらみとびひ等。

 アトピーのところなんかただの皮膚炎から、かずこちゃんのお母さんが食物アレルギーにならないかとか先のことまで心配する、親だったら子供の将来心配しますが、それから喘息にならないかとか、親としては次々心配するけど、今の親あんまり心配しすぎる、と言うより清潔にしてないから皮膚病になるとか、あーなってこうなるから病気になるって考えすぎると思う。

 たぬき先生はそんなことより元気に外で遊んで、いろんなものに触れて、いろんなものを食べて、ひどくなれば手当てすれば治るから、気にしなくてもいいそんな所が新米お母さんを勇気付けてくれる、安心させてくれる本です。子供が自分で読むなら小学校に入ってからのほうがいい気がしますが。いつもきれいきれいの肌じゃない、不潔にしてるから皮膚病になるモンでもない、なる時はなる。その時は治療すればいい。今の子供は変に清潔志向があって、ちょっと皮膚が赤くなったり変化すると心配するし、皮膚がおかしい子を変な目で見たりするので、皮膚病はありきたりと言うことを知るのにちょうどいい本です。

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腹の調子が悪い

2008.10.3

 二週間前から右側の腹が痛いので、いつもの内科に行ったら休診、休診かもなーと思ったらやっぱりでした。でボヘミアンが行ってる小児科に行ってきたんです。最近はボヘミアンはほとんど行かず親ばっかり風邪引けば行くんですけど。いつも先生、看護士さん、事務の人ボヘミアンにあいたいって言うんです、有難いけどボヘミアンほとんど風邪引かないし、でボヘミアンまだ二種混合してないって言うから、「月曜日連れて来ます」って言って、「それからおたふく風邪の予防接種はした方が良いですね、男の子だから。」結局ボヘミアンを二回病院に連れて行くことになったんです。

 診察室が「ゲーとピー」に描かれている診察室にそっくりで、先生の顔は「忍たま」に出てくる山田先生にそっくりなんです。この本は下痢、吐き気について原因、もしそうなったときどうすれば良いか、丁寧に書かれていて子供向けですが、親が読んでもなるほど思う所があり、心配した方がいい時、それほでもないときが書かれていて結構ためになります。それと朝の小児科の忙しい様子、共稼ぎの家庭で具合の悪くなった子供の夫婦のバトンタッチの様子、子供より親の方がうんうんと納得してしまいそうな感じ。最初のページでかずこちゃんが気分が悪くなって親のところに来て、親の布団でウェー分かる、不安だから親のとこに行く、分かるなー。子供を育てた人は分かるかも知んないけど、下痢の吐き気どっちが困るといえば吐き気ですよね。下痢だったらオムツ、パンツにしてくれるからまだ良いんだけど、いきなりだし臭いがいつまでも残る、おまけの夜具によくやってくれるから、冬にやられたら乾かすのに大変、それでうちでは乾燥機買ったんですけど、もう今じゃ乾燥機手放せないです。子供が小さい所は乾燥機あったほうが便利です。特に冬、体の調子が悪いとき結構連続ではいてくれますから。乾くまで待ってられない。ボヘミアンが乳幼児嘔吐下痢症やられたときはもう大変でした。

 今ボヘミアンが帰ってきたんだけど、「ゲーとピー」読みながら、「山田先生とこと同じじゃん、パクリだ」って。私の腹なんですけど山田先生「これ何かあるね、小児科だから言えないけど総合病院で診たほうが良いよ」聴診器のときも丁寧なんだけど触診も丁寧。この丁寧さ、見立ての良さで結構人気の小児科なんだけど。で今日総合病院に行ってきたんだけど,二時間待たされて二三秒の触診、「内視鏡入れます、エコーも、血液検査します。」「どこもなんとも無いですか?」って聞いたら、今のとこは別にだって。「予約してください。検査の同意書書いてください。」いざ予約となったら11月の初めまでいっぱいだって、この痛みどうしてくれるんだって頭に来たから、「診察しますか?」あほかと思った。内視鏡の検査と切り離して痛み何とかしてくれ言ったら、「エコー検査の日少し待っていただきますけど、診察しますね。」これだから総合病院は大嫌い。我慢できる痛みだからいいけど、そうじゃなかったらどうするんだって。開業医のほうはすぐエコー診察するし、痛いといえば対処してくれる、もう総合病院はいや。

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