とべたら本こ
2009・10・4
書かれた時代背景が昭和33年、もう50年以上昔である。最初に読む方は後書きから読んだ方が時代背景がなんとなくわかると考える。この本を読むと何が昭和30年代が良い時代なんて言えるのか、まだ戦争が終わって13年しかたっていない、まだ戦後の残り香がプンプンする。それと戦後の新しい感覚も見え隠れする。
カズオの本当の両親は本当の両親かと疑いたくなる、父は職もなく飲んだくれ、唯一の収入減は母の内職、カズオに非がなくても親の気分次第で親に殴られたり、可愛がられたり、学校の担任は本音と建前を使い分け、親だから、教師だからと大人の意見に子供を従わせようとする。そんな大人のずるさをカズオはかぎ分ける。学校も行ったり行かなかったり、引っ越しもあってとうとう本当の不登校になる。教師は教師という事で胡坐をかき、親は親と言う胡坐をかく。大人という権力の前には子供は非力である。
出てくる大人はどれも大人とは言い難い亡者みたいな人である。カズオが電車の中で知り合った、ヒステリー気味の少々認知が入ったようなばあさん(人間不信で猫好き)、ばあさんの死亡保険金を狙う義理の息子、美談にしたがる新聞記者、大人の欲望のためなら子供は従うか、犠牲になるかである。(今はこんな事は許されないが戦後13年しかたっていないから戦前の価値観が残っているから、良くも悪くも子供は大人、親に従うのが当たり前、戦前にも人身売買禁止、児童の虐待は禁止という法律があった。しかし現実は娘を女郎に売り飛ばした親はあった、家族を救うという美談で片づけられる。、売春禁止法は昭和33年施行)。
そんな大人の中をカズオは巧みに生きる、親に反抗したり、迎合したり(迎合しなくてはお金が貰えない、優しくしてもらえない、そんなところが悲しい)、教育上は宜しくないが狡猾で、少々残酷な知識を持つ、しかしこんな知識がなければカズオは生きていけない。カズオはよく嘘をつく(嘘をつかなくてはカズオは生きてけないし、嘘をつく自分にも罪悪感を持つ)、虚勢を張る、死にたいと思う、実際自殺未遂をおこすが。ヒーロー願望も出たりでカズオの心理描写も巧みである。
しかしこんなカズオを誰が責められよう、しかしこの児童書は出版されることは内容からいって奇跡みたいなものらしい、悪い現実を見せたくない。、毒のな良い子の文学が喜ばれたから。おちゃんが感じるのはこの時代あたりから、悪い現実は見ないようになった、現実には家庭崩壊、貧困層もあったが、大多数ががんばればそこそこの生活ができる時代が始まり、いつの間にか国民の大多数が中流意識である。貧困、家庭崩壊は自己責任と見られる時代になった。しかし現在、貧困、家庭崩壊、児童虐待の原因、背景が明らかになりつつある中、自己責任とは言い難いこと分かってきた。自己責任で片づければ一番簡単であるが、今後ケースによっては自己責任では解決できないことも分かってきた。
後半でカズオが空襲で行方不明になった子供ではないかと言われ、その親と思しき家庭に引き取られるが本当は全然血の繋がりがない、そこの家庭では空襲で子供が行方不明になった後、混血児を養子に迎えている、しかし魂と魂の触れ合いで、血の繋がりがなくとも本物の家族として過ごしていく。と言うより本物の家族になっていく。この辺りは「親になる」という本でも触れているが、果たして親とは血が繋がっているだけで親と言えるだろうかである。かなり古い本であるが、今の時代にピッタリである、現実の社会としてとらえれば今のほうがましかなとも感じる(子供の置かれた立場は)。
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