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小説

みかづき

2017・4・8

 また3か月も更新してない。癖だなーと思う。「みかづき」結構話題になってるが、まず特徴、著者は昭和43年生まれ、うーん「みかづき」は昭和36年から始まる、時代感が伝わってこない、アーこんな時代ですかッて感じ。これは阿南アサ「水曜日の凱歌」でも感じた、時代の臭いが感じない。しかし著者が生まれる前の時代に、時代の臭いを求めるのが酷と言う物か?

 しかし「みかづき」の場合著者が生まれた後の時代は一気に時代臭がぷんぷん、筆の運びが違う、イキイキしてる、面白い。だから生まれる前の時代、生まれた後の時代の筆遣いの違い、著者の時代感覚がリアルになる感覚が伝わる気がする。

 著者が中学校に入った頃は英語の内容が、その前に比べて少なくなった世代であり、筆記体も学習しなくなった世代と記憶する。教育内容のレベルが下がり始めた時期だ。

 学校では塾に行くなと言われた時代もあり、学力テスト、ゆとり教育、学校完全二日制、口裂け女(時代的に著者はこの頃は小学校だ)、おちゃん的にはリアルタイムであり、学校完全二日制のスタートはバカが多い、学習意欲が低い子供が増えて問題になってる時期にスタートするのは、もっとバカを作るのかと腹が立った。案の定ますます学力が下がりゆとり教育は見直しとなった。ほら見たこっちゃないだ。

 主人公千明の夫吾郎は昭和12年か13年生まれとすると戦後教育の小学校の一番最初の世代、千明は学制の切替をもろ受けた世代である。五郎に比べて戦前の教育を長く受けた分戦後教育の余りの違いをもろ受け、コロコロ変わる学制で不信を持つ。吾郎は戦前の教育を受けてない分、戦後教育に特に批判はない。ここらあたりがこの夫婦の後に溝になる部分か。

 この小説の根底はどの子にも等しく教育をである。経済格差で学力格差を作ってはイケない、底上げをする、それを親子3代で追求していく゚、解決する。子供の学力にあったところからスタートし、学力をつける。後半部分は経済的な問題で学力不振児、シングルマザーの問題と時代、話題、問題を拾っている。

 いつの時代も教育は大事である、食べることと同じくらい大事。どの時代を通しても一番大事であり、丁寧にやることは学習の意欲を伸ばす、学力の低い子の底上げである。

永井荷風

2008.3.28

 今日の讀賣新聞を読んでいたら永井荷風の事が出ていた。何で今荷風なの?って感じ。記事の題は「荷風の生き方に共感」となっている。家風は独身生活を満喫した、老いの準備をキチンとし、お一人様の老後の公達として共感されているらしい。

 荷風は2度結婚している。大正元年1月本郷湯島材木商斉藤政吉の娘米、翌年2月離婚。大正3年8月市川左団次夫婦の媒酌で金子ヤイと結婚、翌年2月離婚。(講談社日本現代文学全集第33巻永井荷風集年譜より)、荷風の嫌いな女性は学問があって、嫉妬深い女性、「西瓜」と言う随筆に書いていた記憶がある。岩波文庫のような気がする。     終生尊敬していた人は森鴎外。私が荷風の本を読んだ限り、荷風が独身を貫いたのは世俗を嫌い本当の意味での個人主義、自由人であったからだと考える。そしてきちんと自己責任を取れたからだろう。(なかなか出来る事ではない、現代だから共感できるが戦前の社会を考えると変人だろう。最も小説家は世俗の感覚からかなりずれていたらしい)。

1 あめりか物語

 小説と言って良いのか分からないが非常に面白い。私は時代の記録物語とし読んだが。「牧場の道」、「長髪」、アメリカにいる日本人の様子、荷風はアメリカの夜の世界も探索している、「夜の女」、「雪のやどり」。またアメリカに住んでいる日本人の事も書いているが覚めた目で。「6月の夜の夢」では西洋の女性が好きと書いてあり、結婚を恐れると書いてある。恋はしたいが成就したくないと。荷風の考え、人となりを知る資料としても良い。明治に書かれた小説は荷風自身若いせいか、人を批判的に書いたものが多いが私はこの時代の荷風が好きである。

2 昭和ヂオラマ館

 大変面白くて、楽しくて、ヂオラマが好きな人、とにかく細かいものを作る人にはたまらない。すごいな、こうやって作るんだ、感心する。もー飽きずに眺めて、勝手に物語を作って遊んでいる、そんな自分にあきれるがそれだけ楽しい本。荷風先生が出ているヂオラマはもう映画の世界。昭和の子供たちが遊んでいるヂオラマは「たけしくん はい」の世界。ヂオラマの世界はストーリーがある、見る人によっていろんなストーリーがある。だから楽しい。字のない絵本も読む人によっていろんなストーリーがある。似ている、黙ってみているだけで良い。

 

春彼岸

2008.3.20

 今日は春のお彼岸。朝食後、彼岸団子をいただく。午後からはふきのとうの味噌和えでも作るか。ようやくこの津軽にも春が来たという感じ。公園の桜の枝切も終わった。朝NHKのラジオを聴いていたら「命の対話」である。 録音ではあるが嵐山孝三郎氏が出ていた。氏のおじい様が「死んだら仏間の仏壇に入る」と氏の小さいときおっしゃったそうだ。なるほどいい表現だ。だから死んでもいつも見ていると言う感じか。

 「追悼の達人」これは非常の面白い、私が感じたのは小説家と言うとまじめ、特に戦前の作家は精錬潔白、真面目というイメージだが。ところがどれも破天荒で、現代だったら生活破綻者かもしれないと感じたし。今の時代だったらマスコミに追い回されるだろう。

 鈴木三重吉が酒癖が悪いのは驚く、」赤い鳥」の創刊者、児童文学、実物はその真逆。川端康成が「葬儀の名人」、島崎藤村が文壇から嫌われていた事、後世の人は大小説家と言うイメージ、静かに仏壇に収まるイメージ。しかしこの本を読むと、仏壇に静かに入っているだろうかと考える。違う、黙って入っていない、仏壇から出てくるかもしれない。「追悼の達人」を読んでから、この本の納めらている作家の小説を読むと、あんたも大変だったねと言いたくなる

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細雪

2008.3.4

 「細雪」は小説の中で一番好きな作品。もう36年間飽きもせず折に触れ読んでいる。最初に読んだのが高校1年のときで、なかなか理解しがたいところもあったが、四姉妹の生き様が面白く一気に読んだ記憶がある。特に盛り上がる場面はない。ただ四姉妹の四女妙子がトラブルメーカーでハラハラさせられながらも(自立していく女性、しかし回りは理解しがたい行動に見えるらしい)、三女雪子のお見合いと未婚の妹たちに起こる事柄と四季折々の行事を絡ませた、家庭小説。長女鶴子はあまり登場しない、次女幸子の目を通して二人の妹が描かれている。だから雪子と、妙子の描き方は細かい。

 没落した旧家の姉妹の物語と書いてある解説もあるが、私は当人たちはその事はあまり頭にはないような気がする。本来は本家にいるべき妹たちが分家の幸子の家にいて、本家を気にしながらも妹たちの行く末を心配して孤軍奮闘幸子に力点を置いて書かれたものだと解釈している。時代的には70年位前だが、決して古さは感じない。今だって妙子のように結婚する前に妊娠されたら騒動だ。私はこの作品に妙子と言う女性がいるから時代を超えて読み次がれていると感じる。もし妙子がいなければ一時代前の古い小説になっていたかも

L チェンジザワールド

2008 2.19

 節分を過ぎて一時春らしくなったと思ったら、また真冬に逆戻り。昨日あたりから、また春らしくなったが硬くなった雪の片付け、嫌だな。ブログを始めてみるとなかなか難しい。次々に壁が出てくる、まだ慣れていないから、で今日も更新。

 先日映画「Lチェンジザワールド」を見る。その前に小説で読む。まったく印象が違った。

 「Lチェンジザワールド」 M著  小学館

 映画「デスノート」前編、後編を見てのLの印象は人との関わりを無視する、無機物的、喜怒哀楽のない人物として演じられている。小説の方は下手だけど何とか周りの人と関わっていこうとするL、Lの心の中が描かれているのできわめて人間臭い。Lなりの喜怒哀楽もありで、文章化すると映画とまったく違う印象になるので、表現する手段が違うとこんなに違うのかと感じた。

 映画は喜怒哀楽の無いLとして演じられると思っていたら、小説に近い人間臭いL、小説に比べたら内容が少し荒っぽいと感じたが、前作に比べてLがチャーミングになった。しかしこれも松山ケンイチの役者としての成長の一つかもしれない。前編のときは中性的な少年とも、青年とも着かない感じがした。今回は完全な大人になった(と言っても普通と比べると幼いが)。松山ケンイチもこの事を意識しているかどうか分からないが、「もうLはやりません。」と言う。松山ケンイチ自身ももう立派な青年になっているので、少年のようなLを演ずるのが無理な事に気付いているのかも知れない。

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