書籍・雑誌

教えて!子供の反抗期

2009・11・10

 「三つ子の魂百までも」である。もう子供を育て上げた(ある程度育て上げた人は少々ショックかもしれない)、おちゃんもショックである。しかし脳の発達から現実を語っているから受け入れるしかない。現実に起こってる事が事実であるという言葉は説得力がある。

 今の親は子供が反抗することを恐れ、子供に対して厳しすぎたり、甘すぎる。子供は反抗するのが当たり前。その当たり前のことが今の親にとって恐怖となっている。しかし正常な反抗と異常な反抗があること、親としてはそれを知る必要がある。現代のキレやすくなった子供の根っこがどのあたりにあるのか、歴史的に検証している。子供中心主義、ゆとり教育等。

 正常な反抗は心配ないが、異常な反抗の原因として脳の前頭前野の障害、特に眼窩前頭皮質の重要性破興味深い。眼窩前頭前皮質がき弱性を示すと反社会的行動を示すと言う(性格異常、衝動抑制障害、行為障害、学習障害)。しかも眼窩前頭皮質の発達は2歳から3歳くらいまでで(臨界期)、人間としての基本システムが出来上がると言う。ならばどうすればいいか。一番良くないのが虐待、ストレスホルモンによって、眼窩前頭皮質の発達が阻害されると言う。十分な愛情(充足欲求型の愛情だけでなく、自己抑制型愛情も)。ここでおちゃんはハッと思った、果たしてボヘミアンをどうやって育ててきただろうと。たぶん充足欲求型に近い、自己抑制は自信がない。著者の考えは自我の発達を基本とする欧米型である。しかし「甘え」が心底しみついた日本人は自然甘やかしてしまう、自己抑制とは難しいと思う。

 つまり、自己抑制と充足欲求型の中間で子育てができれば良い、どちらかにぶれながら。昔の親はそれがうまくできたが、現代は厳しすぎるか。甘すぎるかのどっちかである。結論、眼窩前頭前皮質の臨界期を考えれば、「三つ子の魂百までも」は本当だろう。子育てとは親子で壁にぶつかりながら行う作業であると考える。綱引きでもあるが、子供が大きくなるほど、親は子供に引きずられる。そのピークが思春期である、この時言う事はお子さんの成長力に期待しましょうである。ありのままを見るである(正常な反抗であるとみた場合)。著者はこの辺りを懐疑的に見てる。つまり、年齢が増すほど、まともに戻すには時間の手間がかかるから。

 ありのままを見ることは丸投げではない、見守りである、そして何より忍耐力である親の。子供に忍耐力をつけるなら、親も忍耐力が必要か。親が我慢できないから、厳しくしたり、甘やかすということか(親自身が安心したいのだ)

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「甘え」の構造]

2009・11・4

 初版昭和46年、著者は今年亡くなった。たぶん今後も多くの人に読まれると感じた。38年前に書かれた本であるが、今の時代背景と変わらない、もともと日本は甘えを許す、受け入れる国なので、今も昔も変わらないのかもしれない。学生運動も甘えの一つかなと考えれば、いたずらに社会を混乱させただけで、何も残らなかった。一体なんだったのだろう。ただ社会に対して不満をぶつけただけで、要求が通らないのが分かると止める、まるで駄々子である。校内暴力の影響はまだどこに残っている、まだどこかで起こっている、こちらの方が傷が大きい人格が完成された大学生と違い、まだ人格完成の途上の中学生だからその傷がいえないまま成人した人もいる。、いろいろな原因もあるだろうがこれも甘えが原因かもしれない。

 心理、精神を表現する日本語には「甘え」と言う意味が多く含まれている。その言葉一つ一つに精神、心理的意味を発見した労作であるし、われわれが日常意識することもなく使っている言葉に、こんな意味があるのかと改めて感じた。読んでいると精神科医が書いた本と言うより、国語学者が書いた感じがする。門外漢とは言いながらよくぞここまで、丁寧に調べ解説しているなと驚く。

 しかしこの本を読むとき、多少精神、心理の知識もないと戸惑うかなと思ったが、各章の終わりの部分に解説がある。読み進んでいくうちに感じたのは日本人の感覚の中に十分甘えたい、甘えさせるものがあり、十分甘えることができなかったものが後年精神疾患になりやすいという指摘はなるほどと思った。また内と外、本音と建て前と言う日本人独特の思考も、身内に甘いが、他者には厳しいという指摘もなるほどと感じた。しかしこれが存在するから、簡単に甘えを許す、受け入れると言う事にはならない。バランスが取れている。笑ったのは家族では日常の挨拶はしないが外では挨拶をする、家族では甘えがあるからしないが、外面で外では挨拶をするなるほどと思った。おちゃんもボヘミアンには内と外を使い分けろと言ってるが。

 欧米では、自律、自我、自由の社会である。甘えと言う事が許されない(だから、個の自律性、自由が重要視される)と言う訳ではないが、甘えに相当する言葉が少ないらしい。甘えとは依存であるが、病的にならない程度では日本では許される。しかし欧米では良く思われないから、甘えたいという心理状態になった時、人は苦しむらしい。著者が留学中に治療者と患者の治療の様子を観察した時、治療者のそっけない態度にびっくりしたという。これはおちゃん的考えかもしれないが、同じ治療者でも欧米では症状を良く見、分析、原因、診断である。しかし日本の場合どうしても(DNAでもう甘えがしみ込んでる民族)、患者の現象でとらえるつもりでも心の中に介入してしまうから素っ気ないと感じるのかなと思う。

 甘えと自立・自由のバランスで生きていければ良いが難しい。欧米では個として生きていくことが要求され、すがることは好まれないから、すがりたい時は苦しむ。日本では自立して、自由に生きなさいと言われればどうしていいか悩む。アー難しい。しかし甘えと言う現象をここまで追求すると(良い悪いは別として)、悪ものではない、逆にうまく利用するかと思う。また日本人の特性なんだから、何でもかんでも自立、自我と強制することもない。

 結論、内と外、本音と建前の使い分けが一番。ハッキリ、クッキリ区別するのは良いけど角が立つ。これって結構苦しい。やたらセンテンスが長い文章で、ちょっと苦しいけどいい本です。

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大作家”ろくでなし”列伝

2009・10・28

 題名が面白いんで買ったが、ギャフン面白くねー。嵐山孝三郎の「追悼の達人」の様な物と期待していたが?裏切られた。列伝と言うより、作家の文章を引用しながら(おちゃんに言わせると引用が多すぎる)、単なる履歴で終わってしまっている。これだったら全集でも読んで、最後の年譜を読めばいい。

 ろくでなしという題名の割には、ろくでなし的内容を感じさせない。あまりにも文章が淡々と進んでいるので、カックン、過激な文章表現ではないので、ろくでなしと言う感じをつかめない(おちゃんの頭がわるいのか)。あまりにも平板すぎて、立体感がなさ過ぎて、田んぼの中をただ歩いたという感じの読後感。

 唯一過激な表現?川端康成の項、川端康成は舞妓を20人呼んで、何もさせずに舞妓の顔をじっと眺めたという。舞妓二人を並べて対比するように、著者は舞妓たちにとって屈辱だという、レイプされた方がまだましだと書いている。著者は川端康成の無神経さ、図太さを言うが、おちゃんに言わせるとレイプされる方がまだましだろうという表現は許されるだろうかと思う。無神経すぎる。映画「祇園姉妹」、「祇園囃子」の時代だったらこの表現でも良いかもしれないが、その映画から50年以上もたってる、おかしくない?川端康成はリアルタイムで「祇園姉妹」、「祇園囃子」の世界だから、お金を出せば何しても良いと言う感覚あったかもしれないけど。現代人が書く文章ではない。

 載っている作家

ドストエフスキー、川端康成、バルザック、志賀直哉、ゲーテ、ディケンズ、高浜虚子、チェホフ、島崎藤村、ヘミングウェイ、深沢七郎、スタンダール、徳田秋声、D・H  ・ロレンス永井荷風、ヘンリー・ミラー、色川武大、スコット・フィッツジェラルド、金子光春、レイモンド・チャンドラー、梅崎春生、ヘンリー・ジェイムズ、三島由紀夫。

 志賀直哉のキレまくりは笑ってしまった。機嫌を損ねまいと家族が緊張したのはごくろうさまである。永井荷風は日記で弟子の事を罵っているが、荷風は弟子と思っていたのだろうか?荷風が弟子を持つとは考え難い。弟子が勝手に思ってるだけかなと思う。荷風は終生森鴎外を敬愛し続けたが、荷風が日記で弟子を罵ったことを知った鴎外の遺児はどう思っただろうか? >

 

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新型インフルエンザ はなぜ恐ろしいか

2009・10・24

 この本の初版は2009・9・10である。一読の感想。インフルエンザの恐ろしさもあるが各国の国益のからんでいるという事。たとえばフェーズの発表、国益が絡んでること。フェーズ4と言って発表されても本当にそうなのか、もしかしたらフェーズ5かもしれない、レベルが危険域に近くなると、物流、人的移動、経済が混乱したり、国際的に大きな問題になる場合政治的な思惑が働く時もある。また感染国に指定されると経済的不利益になるので、自国内で感染が起きていても報告しない例もあると。

 またインフルエンザワクチンが現段階で一番有効である。しかしワクチン接種は日本の場合強制ではなく任意、副反応が怖いと言って接種を拒んだ場合、もし感染率が上がる兆候が出たとき、感染者を少なくしなければならない時、拒否されたらどうするか。二番目目はタミフル、リレンザ、これも副反応の問題である。拒否されたらどうしようもない。しかし何もしないわけにはいかない。もし副反応を恐れていた人が新型インフルエンザだったら。

 また新型インフルエンザはウィルス性肺炎を起こす可能性がたかい。季節性のインフルエンザに比べて、新型はウィルスは肺で増殖する力が強い。感染の拡大にしても拡大の様子をモニタリングしなければならない。実態は感染が拡大するにつれて見えてくると言う。死亡のリスクにしても乳幼児が多い。もっと衝撃を受けたのは、若い人がインフルエンザで1000人死亡するのと、高齢者が10000人死亡する場合のインパクトである。新型の場合若い人が重症化している、その事がインフルエンザワクチンの優先順位にも反映されているかなと勘繰りたくなる。しかし国の将来と言う事を考えると無べなるかなとも感じる。

 ICUは使えるのか(重篤な場合は、手術を延期してインフルエンザの患者が優先する、メキシコではそんな事例がある)、人工呼吸器は足りてるのか、現場のスタッフは足りてるのか。産科、小児科の数が減っている日本で、もし妊産婦、乳幼児が重篤化した場合どのようにするのか。今の日本の医療の問題が深く関わってくる。もし日本で感染が拡大すた場合、今の医療の問題が足を引っ張りはしないか?

 インフルエンザその物のの怖さよりも、治療環境、医療環境、国際環境が怖いともった。、国レベルの経済格差による患者の増加、死亡増加、これは如何ともし難いと思った。

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どんとこい貧困

009・10・21

 今日の読売新聞を読んでいたら、ユニクロの会長兼社長の柳井正氏記事が出ていた。柳井氏から聞いたという記事で書かれていたから、柳井氏が直接話したのか、記者が感じ取ったのか定かではないが、「安定を求めれば衰退に向かう」、という一文があった。気になった。この対極にあるのが「どんとこい高貧困」の中の、「今まで活力あっての安心だったが、これからは安心あっての活力」と言う一文である。しかしこの一文は経済財政諮問会議の文書から出たことになっている。

 ここに経営者の考えと労働者と言うか勤労者の違いが出ている。昭和元録、一億中流化の時代は終わった、ちょっと我慢して頑張れば報われる時代は終わった(人はエンドレスの我慢できない)、現代は先に何が起こるか分からない。だから安心、安定があればどうにかこうにか、働いて暮らせるだろうし、何があってもどんとこいである。勤労者という立場に立てば。しかし経営者が安定何ぞ求めたら、そこで止まってしまう、経営は常に競争、止まることは許されない。止まったら衰退である。

 しかし昨今は企業が生き残るために、どれだけの勤労者がボロボロになったかを考えると安定を求めることは当たり前のような気がする。ぼちぼちでんなーと言う感覚も大事な気がする。しかしほどほどの競争も必要である。なぜか既得権益考えるようになるから(逆に衰退へと向かう)。マー安定成長と言う事かな、少々無責任な発言でもあるが。

 枕が長くなった。「どんとこい貧困」は大人から中高生まで読んでほしい、少なくともこれから社会に向かう人には。湯浅氏は貧困問題を社会問題として捉えているから、今貧困でいる人たちのありのままを話してる。だからありのまま読めばいい、しかし他人事ではなく、いつ自分がそうなるかもしれない(リストラ、倒産、自分の責任ではない)、ならば国は面倒見てくれるか、残念ながら思ったほど見てくれません。元々この国は自助努力、家庭内福祉が好きで、福利厚生は企業にお任せだったから、そしてこんなどえれー時代なんて来るとは考えていないから、セフティーネットも元からボロボロ。湯浅さんはそこのとこを何とかしなくてはと考えている。

 頑張り世代は甘やかしとか、自己責任とか言うけど、湯浅さんはいろんな人と話した経験から分かりますけどねと、やんわりかわして今の貧困問題を書いてます。いろんな意見があっていいという事でいろんな意見にこたえる形で文章は進んでいきます。それと湯浅さんがよく言う「溜め」という考え方(理解の仕方)も「反貧困」の本よりも多く書かれています。「溜め」の多い人は今まで自助努力、家庭内福祉で何とかなったけれど、「溜め」の少ない人はどうしようもなくあがいて落ちるんです。落ちていくんです。おちゃんは昭和30年、40年の家族関係の本を意識して読んでるけど、結局「溜」めの少ない人はいつの時代でもどうしようもないところまで行ってしまう。戦前も同じ。国もセーフティーネットを強くしなければいけないけど、個人としても「溜」めをつく手いけるようにしないとね。

 

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リハビリテーションという幻想

2009・10・19

 ミスター整骨院から面白いからと言われ借りたが、まず題名で思い切り笑った。著者があのカリスマ理学療法士三好春樹氏である。三好春樹氏から幻想と言う言葉が発せられた驚き、あんたいったい何なのよである。だから腹を抱えて笑った。ミスター整骨院から三好春樹氏なる人を知ったが、ミスター整骨院は三好春樹氏の考え方から、現在距離を置いているらしい。

 一読の感想は現在のリハについての、三好春樹氏と高口光子氏のため口である。しかし理論、理念先行の現状のリハにあっては「生活即リハビリ」という考え方は正しいと思うし、それでなければならないと思う。何のためのリハか、目的もなくリハをすることは老人に難行苦行を強いるばかりで、空念仏ではあるまいか。自立した生活を送るためならば、もっと生活者の目線でと考える。ここら辺はリハ自体が医療という側面があるから、生活者の目線が足りないのかもしれない。

 介護の現場では医療の現場ではありえないことも起こるらしい、おちゃんにとってはびっくりした。歩けない老人が歩いたり(その逆もある、本人が歩けないと思い込んでるだけの時もある)、一読して感じた事は、医療の現場が介護の現場を知らないなと感じた。それとともにおちゃんが1番に来るのは医療、2番が介護という考え方を変えさせたことである。医療と介護は一体のものであると思うし、それが理想ではないかと考える。

 確かに歩けなくなるのは介護する側、される側にとって一番の問題である(歩けるだけでトイレ介助、入浴介助の手間が数段違う)。最低限自分の身の回りで出来ることは重要である。それでリハに励むが、ある程度自立(最低限身の回りができるようになる)とりハはやらない。家の中で好きなように動く、しかし家族にすれば歩けなくなれば困るから、リハを促す。しかし当の老人はリハに興味を示さない。家族は寝たきりになるという恐怖感からそうなってほしくないからリハを促す。何を隠そう今のおちゃんがこの心境である。婆っちゃは先生の前では「はい、はい」とリハの話を聞いても家では全然やらない。婆っちゃ曰く動いてます。現実はばっちゃのほうが正しいのかもしれない。おちゃんがリハの幻想に取りつかれていたと、この本で気づいた。

 逆に三好、高口両氏が死ぬ時は死ぬ、リハが効果がある人、ない人があるという開き直りに近い感覚が良い。老いとは自然に心身が低下していく、それが自然の摂理であろう。ところがアンチエイジングなど自然に逆らう事をしてる。年をとる事は罪なのか、手間がかかることは罪なのかと思わせんばかりにアンチエイジングに走っている。おかしくないか?廃用症候群になってもリハするの?ここまで考えさしてくれた本だから、ため口と書いたがいい本なんだ。介護、医療、リハを斜め目線で見た本音で語った面白い本である。

 「リハビリ即生活」と言う言葉から、柴田学園の創立者柴田やすを思い出した。「教育即生活」である。何となく柴田安の理念が分かった気がする。

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精神科医になる

2009・10・12

 本の題名から著者がなぜ精神科医になったか、その道程を書いてるのかと思った。しかし副題に「患者を分かること」とついてる通り精神科の医師がいかにして、患者を分かるかという事が書かれている。

 身体科の医者と違って具体的なデータ、典型的な症状が出るわけではない、患者の様子と自分の臨床経験、精神科の先輩医師から意見を聞きながら、成長していく。身体科の医師とは違う、曖昧模糊とした,精神と言う例え様もないもの、症状の変化する患者を治療していく姿は職人芸のようである。

 また著者は言語を通しては分かりえない、医者と患者との身体感覚を通して分かり合えるコミニュケーションを著者は「生体との会話」と呼んで、精神科医は様々な角度から会話できるように、そして自分の経験(臨床経験、精神科の医者にとっては自分の財産のような感じがするとおちゃんは見た)と重ねて治療へと進む。

 春日武彦の精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書)を読んでも、薬の調合にしても精神科医によって職人芸的なものがある言う、また著者も精神療法も医者によって様々な組み合わせがあると言う。ここではキャンパスに自由に絵を描く絵描きのようでもある。臨床の初心者が先輩医師について臨床をする記述は、徒弟関係のようにも見える。

 分かった事は身体科の医者と、精神科の医者の違いが分かった事、収穫は大きいなと感じた。また精神鑑定において、医者の見解が一致しないこともわかるような気がする。また何冊か今まで精神科医の書いた本を読んだが、医者同士の批判が多いのも精神科医の特徴のような気がする。ここでもDSMに対する批判が出ていた、DSMは役に立つ参考になるという意見は多い。しかし頼りすぎないこと、自分の経験で見ることが大事であるという意見が多い。

 おちゃんは何人かの精神科医に会ったことがあるが、共通してる事がある、顔を見ないのであるなぜか。ただ女の先生ははっきり顔を見て話す、カルテを書く。男の先生は顔を見ないで背を向けるようにして話を聞き、カルテを書く。何冊の精神科医の本を読んで分かった事は、患者と適切な距離を置くことができなくなる時があるらしい。患者に取り込まれる時があるらしい。その医者と患者の微妙な距離感、その距離感を保ちながらの診察、患者の語る物語を聞きつつ、カルテを書く。まるで通訳者のようでもある。そして自分を保つという事も脇で考えながら。

 カウンセリングでも介護者の場合でも、よく言われるのは相手にのめりこまないようにである。何も見えなくなる、相手と同じ土俵に立ってしまうので、ど壺にはまる。だから適正な距離感を持つように指導される。こんなことがあった、カウンセリングをしてるが理解されないと言う、クライアントに。答えはクライアントの相談に一生懸命になり過ぎるからそうなるのではと。クライアントと同じ立場になってしまう、何とかせねばという焦りがそうさせるのかもしれない。ちょっと変わった本である。 

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犯罪心理学入門

200910・7

 事例が豊富である、しかし何らかの病理を抱えた事例が多く、これだから事件が起こるたびに精神障害者はとか、精神科に通院歴があるとか言われてしまう、あらぬ偏見がまかり通る。しかし我々は正常と異常の中間地帯で、どちらかに揺れながら生きている、犯罪起こしますと言いながら、瞬時に犯罪を起こすわけではなく、成育歴、環境、様々なプロセスを経て、犯罪を起こすかもしれない、しないかもしれない、そんな危うい中を我々は生きている。そのどこかでスイッチが入った時起きると思う。

 成育歴、家族関係が事例によって詳細に書かれてる、子育て中の親はもしかして、ひょとしてと不安になるだろう。おちゃんもそうである、しかし犯罪者になる条件をそろえたからと言って必ずなるものでもないし、全然問題のないように見える人が犯罪者になったり(しかしよく考えてみると問題のない人、問題のない家庭はないと思う)。犯罪へ走る方向へスイッチが入るか、幸運にもスイッチが入らずに過ごすかである。著者も偏見、誤解を持つことを無いようにと文中では書いているし、特に未成年の場合は再犯率は低いという。つまり未成年の場合通過儀礼的なものであれば、その時限りと言う事。しかし未成年自身が背負い切れない病理を抱えたとき、更生の道も遠く、また再犯と言う事になるらしい。

 読んでいるうちあまりにも精神的な病理を抱えた事例が多いので、精神的な病理を抱えた人だけという印象を持つと思う。しかし犯罪を起こす時正常な精神ではない、つまり犯罪に手を染めるという段階でもう精神が病んでいる。たとえば万引き、倫理観は欠如してるが、後は正常ですと言って精神的病理はないと言えないだろう。倫理観がないこと自体が病理である。読み進んでいくうちにおちゃんは、犯罪に手を出した段階でもう精神病理の世界に入ると考えた。だから犯罪は異常なのである。なぜこの点をくどく書くかと言うと、ほとんどが精神病理というより精神疾患を抱えた事例が多いので、精神疾患を持った人がひとhしぞん偏見を持たれるのではという気がするから。

 おちゃんのブログを読んでくれた人は分かると思うが、最近のおちゃんの本のレビューは家庭が崩壊すればいかに子供に悪影響を与えるか、いかにして家庭を維持していくことが子供にとって大事か、そんな本が多いことに気付いたと思う。当たり前のことだが、子供のために家庭を崩壊させないよう、何のかんのと家庭の文句を言っても、なくなったらどれだけ大事なものを失ったかわかる、しかしわかった時には遅い、壊れた家庭は戻らない。

 最後に著者は日本的犯罪の特徴として、幼少年期甘えたくても甘えられないため、その怒り、恨み、憤りが社会、他者に依存、甘えを求めた行為が日本の犯罪の特徴であり、今後は攻撃性と依存性が犯罪心理学のテーマになると言う。人は依存しながら生きている、完全に自立して行ける訳ではない、しかし依存は間違った方向に行けば恐ろしいものである。おちゃんが今一番怖いと思う病気は共依存症である・ >

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親とはなにか

2009・9・23

 初版昭和47年12月、最近古い本を読み返す。この本は2009年の中公新書の目録にはない。古本屋で探すか、図書館、後はネットの古本屋である。おちゃんがいつも行く古本屋は、岩波新書、岩波文庫、中公新書などを(とくに新書を意識して)置いている。

 この本を読むのは2度目、最初読んだ時は里親とは大変だ、親権を盾に実親が返してと言われると、里親は里子を手放さざるを得ない。里親に馴染んでよくなったのに、実親のところに戻るとまた余されたり、実親がまた育てられないと言って里親の戻される、いったりきたりする子供の不安定さ、実親の理不尽さに腹が立った。

 しかし今回読み返してみると、おちゃんは貧困、教育、貧困家庭の負の連鎖という感覚で読んだ。昭和47年と言うと、モノ余り現象、日本全国都会と地方の差はない、マイカーは弘前あたりはまだ普及はしてないが自営業ならたいてい持っていた。家電製品の3種の神器はあって当たり前、電子レンジでも買うか、ラジカセでも買うか、テレビの買い替えはカラーテレビにするか、若者文化花盛り、校則自体も今より緩いかった。未来に対して、現代のように暗い影はなかった。将来はどうにかなるという楽観主義、不安はなかった。真面目にこつこつ生きてれば人生どうにかなるさと言う時代だった。しかし1年後の12月に第1次オイルショックが起こるとは、誰も考えなかった。就職より経済がどうなるのだろうという不安はあった。そんな時代に格差だ、貧困だ、家庭崩壊、貧困の連鎖だと書かれたこの本は大概の読者は里親って大変だくらいしか感じなかったと思う。親という仕事は困難だという意識しかないだろう。こんな親には成るまいが大概だろう。著者は見えてこない底辺の生活者としてとらえているが、今の時代では見ようとしなかっただけで、実は見えているという解釈である。

 国民の70~80%が中流意識だから書いてある事例がどこか他人事だったろう、おちゃんも最初に読んだ時はそんな感じ。1995年あたりに読んでるから、今ほど経済状況はひどくない。しかし今はいつ家だってこうなるか分からない、貧困というものが見えてきた今、自分の回りにもいる、非常に身近な感覚で読んだ。そしておちゃんが感じたことはこの国の福祉は昭和47年と余り変わってないなと。弱者の目線ではない、高いところ目線である。ただ国民感覚からいえば、今の時代、支援、ボランティア、NPOとか福祉の芽が育っていること。国は変わっていなくとも国民は変化している。

 親になるのは簡単SEXすればいい、しかし親になり子を育てるとは苦しいが楽しくもある。理由なく子供はかわいい、憎たらしい時もある。しかし現実に自分で子供を育てることが苦痛、困難な人もある。生物学的親が親になるのは良いが、親としての資質がなければ子供にとっては不幸である。その不幸は生涯ついて回るかもしれない、付かないかもしれない。おちゃん的親というものは、子供に対して最低限の人間性をつけて社会に送り出すこと。そこそこ社会人として生活できるようにすること。

 格差、格差と言うけれど昔からある。あって当たり前、今の時代の問題ではない。だからちょっと昔を知りたい人読んでほしい。ただ今と昔の違いは、昔は自業自得、自己責任、今はそれもあるかも知んないけど、社会のせいでもあるという事。 

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非行心理学入門

2009・9・22

 初版昭和60年、今の目から見ると少々古い気もするが、戦後の少年非行の特徴、傾向を細かく分析してるので、少年非行の時代ごとの特徴を見るためには良い本だと思う。現在は昭和に直すと84年になる。本文から少し抜粋してみよう。ただ日本の場合大きな波があり、これはアメリカにはない特徴だという。

第1波(ピーク昭和26年)

①年長少年(18,19歳)の非行率が高かった。

②貧困家庭出身者が多かった

③財産犯が多かった

④学生生徒が占める割合が低かった

第2波(ピーク昭和39年)

①暴行・傷害・恐喝・強姦などの粗暴非行・攻撃的非行が多い

②交通犯罪の増加

③性非行の増加

④低年齢化の傾向

⑤睡眠薬遊び、遅れてシンナー・ボンド吸引のような逃避型非行の増加

第3波(昭和44年を谷とし昭和57年まで増加)

初版が昭和60年なので著者は第1波、第2波のように結論は出していないが特徴として、低年齢化、遊び型非行、初発型非行(占有物離脱横領、万引き、オートバイ盗み、自転車盗等)、非社会的非行(薬物乱用、怠学、怠業、登校拒否、社会と現実に背を向ける)。

 著者は昭和60年の時点で将来は予測できないと言いながら、薬物乱用(非社会的非行)、遊び型非行の増加をあげている。カプセル型人間(自己中心的、自閉的パーソナリテー)の増加。そして遊び型の非行の次に、非社会的非行が来るのではと推測してる。しかし現実として著者の指摘通りだし、おちゃんも最近の非行に関してはもともと神経症的なパーソナリテーを持った子どもの非行、犯罪が多くなった気がしてならない。20年以上前からNHKのラジオ教育相談を聞いてるが昨今、相談内容が精神的なものが多くなった。聞き始めたころは単純な非行、学校問題だった記憶がある。相談内容が変化したなと感じてる。最近の特徴として、何でもかんでもメンタル的なものとして考えるのもどうかと思う。もっとシンプルに考えてもいいと思う反面、やはりメンタル的なものとして考えた方が理解しやすい。説得力もある。

 今日のNHKのラジオで経済的にひっ迫している家庭に、子供の虐待が多いと流れた。親の不安定さが子供の虐待に向かっている、おちゃん的に考えると第1波の非行が今後多くなる気がする。親の不安定さの不満が子供に波及し、将来の非行に繋がるとすれば(今現在の社会構造・社会問題を考えれば)、もし何かあった時、親を責めたり、子供を責めても仕方がないと思う。貧困だから仕方がないという時代は終わった。貧困でも何とかなる社会ができれば良い、もっと、教育、福祉を実態に合ったものにしなければ。

 ところで最近一人の馬鹿がいて、戦後の貧乏と今の貧乏を比べた時、今の貧乏のほうが良いという。いつの時代でも貧乏が良いわけない。だから焼け野原の時代と今を一緒にされても困ると言い返した。自分の苦労話を美談のごとくしゃべる馬鹿がいるから、しなくてもいい辛抱までしてしまう人もいて、それで悩んでる人もいる。世の中してもいい辛抱としなくていい辛抱もある。話がそれた、ボヘミアンが大嫌いな話し方である。

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新日本朝鮮戦争

2009.9.17

 手に取った瞬間、昭和48年にタイムスリップした感じ、そう小松左京の「日本沈没」を思い出した。一気に読んだ面白い。わくわくドキドキ久々読んだという感じ。知ってる人は結構おっさんかもしれないが、日本沈没 上 小学館文庫 こ 11-1地球0年復活の日 (ハルキ文庫)戦国自衛隊 (角川文庫)霊長類 南へ (角川文庫) をかきまぜた内容。おちゃんは本当はこのような小説だいすき。

 非常に今の日本を書いてる小説、鳥インフルエンザ、朝鮮社会主義人民共和国のクーデター、工作船、日本近海での核爆発、民主党が政権をとる、もう今がてんこ盛り、ものすごい現実感を持って読んだ。インフルエンザに関しては脳天気でいたが、この小説で急に現実感を感じた、そして感染が拡大した時の恐ろしさを感じた。絶対インフルには罹るまいと決心、ボヘミアンは絶対ならないと決意表明をしてる。おちゃんとボヘミアンはインフルにならないが(多分)、ちゃんは分からない(考えたくはないが罹るかもしれない)。現実のインフルは弱毒性だが、この小説では強毒性で感染力の怖さがよくわかるし、現実に起きたらこうなるのだろうと思う。またワクチンの優先順位をだれにするか、とにかく今インフルで起きてる問題もがそのまま小説になってる。

 しかし細菌テロの恐ろしさ、核兵器を積んで日本近海での自爆テロ、クーデターは物語としても、自爆テロ、細菌テロはいつ起きても不思議ではない世の中である。しかしもっと怖いと感じたのは、朝鮮社会主義人民共和国がミサイルで電離層を破壊し、日米韓の通信を断たれた時(ハイテクに頼りすぎた日米韓は肉弾戦になると弱い)、その時が朝鮮社会主義人民共和国の兵士は強い。つまりあまりにもハイテクに頼りすぎてると先手必勝で勝たない限り、無理だという事。これが怖い、勝った。勝ったと騒いですきを作るとバッサリである。もし現実で考えると接近戦になった場合、ハイテク軍隊は負ける。接近戦になると精神的に持たないだろう、たぶん接近戦になる前に負けるだろう。まして日帝、米帝憎し、死ぬのは怖くないである、想像するだけでぞっとする。もし現実に起きて、先手必勝にならない場合、おぞましい光景が繰り広げられると思う。この小説の中で電離層を破壊して、日米韓がパニックになってるときに、朝鮮社会主義人民共和国が総攻撃をかけるという作戦が書かれてる場面ではぞっとした。

 「戦国自衛隊」でも最後負けるのは、ハイテクに頼りすぎ武器弾薬が底をついたときである。最後は接近戦でなぶり殺し(千葉真一主演の「戦国自衛隊」ではそんなシーンがあった気する)、何もかもなくなれば肉体同士、生身の接近戦、それがどれだけ恐怖か、恐ろしいか(ハイテクの戦争の恐ろしさは、ゲーム感覚で肉体のぶつかり合いの恐怖感がない、恐怖感覚がないまま戦争をするのでどれだけ残酷な事をしてるかという感覚がない。大東亜戦争で大本営が現実離れの作戦を立案したのは、前線の経験が少ないため、机上の空論と極端な精神主義で立案したことが無謀な戦争の原因でもある)。

 30年前「日本沈没」、「復活の日」、「地球0年」を読んだ時はまずあり得ないだろうと考えていたが、今は現実のものとして社会全体で考える時代になった。しかしもし災害、戦争で社会が破壊された時、最初に壊れていく人間はハイテク文化の恩恵を受けた人間である。とにかく面白い、本の大きさも「日本沈没」を思い出す大きさである(多分カッパ出版と記憶してるが)

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ビスタ

2009・9・11

 7月にパソコンがとうとう調子が悪くなって新しくした。XPで年内頑張るつもりが。XPを使いこなせるまではいろいろな本を使ったが、やはり実教出版の本が、1冊でワード、エクセルをカバーし、見やすいのでお勧め。FOM出版を使ったこともあるが、基本編、応用編と本が多くなるので。ビスタの機能面からの説明もあるので、XPからビスタに代わった人はこれ1冊でも間に合う気がする。

 また演習問題も付いてるのでいいと思う。しかしあくまでパソコン操作は一応できる人向け。初心者はFOMのほうが良いかもしれない。しかしおちゃんはいろいろテキストを使ったが実教出版のこのテキストは大変良くできてるので、1冊持っていてもいい気がする。

 おちゃんがまだパソコンもなく、介護保険請求事務の講義を受けて、パソコンの基本操作を習ったときに使ったテキストが「30時間でマスター」のXP用である。コピーされたものをテキストに使ったがどこの出版社分からずかなり探した。やっと「30時間でマスター」を見つけた時はうれしかった。結構基本操作、ワードの文書作成、エクセルでグラフ作成、ある程度演習問題を解けるようになるまで何回も使った。

 ワードでPTAの文書作成するならこの本程度のレベルで十分である。< /p>

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父が子に教える昭和史

2009・9・7

 題名にケチをつけるわけではないが、爺が孫に教える昭和史でもいいと思う。新しい発見があるかなと期待したが、そうでもなかった。

 しかし戦後生まれが戦後教育を受けた歴史と違うなとは感じた。戦前は本当に窮屈な時代で、自由はない、暗黒みたいな時代と教えられたが、それほどでもない。とにかく戦前は本当に不幸な時代と徹底的に教えたことで、この国は戦争絶対反対という空気ができたが、今になって冷静になって考えると戦前の日本(特に昭和)はそれほど窮屈ではなかった。また戦前の昭和という時代はそれほど、戦後生まれが思うほどひどくはないと言う、意見を言う事がためらわれたと思う。戦争賛美につながると思われるから。

 弘前学院でも戦争が始まっても、アメリカ人の女性教師がいたし、婆っちゃの話を聞いても普通に授業をしていたらしい。婆っちゃは昭和18年に学院に入学している。第一英語は敵性用語と言いながら、叔父が海軍兵学校で写した写真の裏に、たぶん上官が書いたのだろう、「ピント良し」と書いてある(笑ってしまった)。敵性用語が徹底していたら「焦点良し」だろう。つまりピントという言葉が一般的であり、馴染みがあるから、言い換えが徹底しなかったと考える。

 そこいら辺は池辺良氏が書いてる「戦前暗黒史観」を読むとはっきりする。戦前の社会全部は間違ってはいないし評価する点なども書かれているので、今までの感情的ではない、歴史を評価する視点で書かれている。冷静な視点が良い。

 おちゃんは戦争に勝ち、負けはないと思う。東京裁判は間違いだとは言わないが問題はあると思う。しかし考えが変化したからで、30年前は東京裁判は正しいと思っていた。しかし今になるとアメリカの強者の論理でしかない。フセインを処刑したことは正しかったのか、東京裁判を考えるとアメリカは同じことをしたと思う。結論は歴史が出すだろう。

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差別と日本人

2009・9・2

 話題のベストセラーである。おちゃんはほとんどベストセラーは読まない、理由は作られたベストセラーが多いこと、話題になるほど中身は濃くないものが多いこと。挙げればきりがないが、マーほとんどくだらないものが多い。しかしこれは本物のであるし、重版未定になって欲しくない当分売って欲しい。

 野中広務と辛淑玉は立場から行けば対極にあるが、同じ差別される側の出自とはおどろいたし、よくここまでお互いの出自その他諸々を忌憚なく述べたものと驚くとともに、恐れるものはなく、腹が据わってなければできないことであると感じた。またお互い家族を守るために活動してきたが、果たして家族を守り切れたか、逆に家族を犠牲にしてきたのではないだろうかと苦しんでるようにも読後感持った。おちゃんも家族を守る、家族はつぶさないという考えで、この半年踏ん張ってきた。余りありすぎてよく精神的に守ったと思う経験をした。経験から行くと守るとなったら、正面から突っ込んで現実をしかと見る、見ないふり、良いふりはしない、使えるものは使うである。

 差別とは支配する側にとって必要なものである、支配する側に不満が集まらないよう、差別を放置するだけでよい。差別はいわば暗黙の快楽、相手を劣ったものとして扱い、自分を保つための装置であるという、辛淑玉の分析にはハッとした。正しすぎる。腹の中をグッと掴まれた感覚。自分は他人より優位という感覚は享楽であり、一度味わうと何度でも味わいたくなる、人は自分より強いものにから存在価値を否定されたり、劣等感を持たされたとき、自分の劣等感を払しょくするために差別を受けやすい人に対して、差別することで心の安定を保つために差別をすると、辛淑玉は分析する。鋭い指摘であり、ここまで分析するのだから、大変つらい思い想像を超える経験があったのだろう。あとがきで野中広務は辛淑玉は泣きそうになったと書いてあるが、心の奥底を出したのだろう。というより出てしまった、辛淑玉からいけば野中広務は敵の親分みたいなもの、その敵の親分の前でつい心の内を見せた、見せてしまった。その所に野中広務の懐の深さを見た気がする。

 野中広務は残りの人生を戦後未処理の問題の解決に、辛淑玉は差別問題に取り組むだろう。お二人は自分の出自を包み隠さず天下に公言した、よくぞやった、こうなると怖いものはない。しかし困るのは家族である、自分は良いが家族が世間で被害を被る。親が変人すぎると子供まで誤解されるという事。人間隠し事があるから世間が怖い、隠し事をしなければいいが、隠さないといけないことは誰でもある。隠して生きることは苦しい、しかしすべて公言すれば楽ではあるが(精神的に)、生きづらい。しかし怖い物はない。

 この本に関する書評はいろいろ書かれているので細かくは書かないが、辛淑玉の差別に対する分析は一読に値するし、読む者には心の奥にしまってある、自分の差別する心、偏見に衝撃を与えると思う。それだけ鋭い。辛淑玉の差別の分析は、いじめの構造と同じである。人は誰でも他人寄り優位でありたいと思う。だから向上進歩するが、間違えば、その向上心、優位に立ちたいという心は、ともすれば差別する心にならないとも限らないと思った。両刃の刃である。

 話はそれるが津軽で「は自分の村では」と言うとき、「わの部落では」と表現する。その時おちゃんはその表現は問題だし、誤解されると話す。何それという顔をされる、部落問題を知らないのである。部落という言葉は津軽では単純に集落を指すらしい。もう42年前小学校の頃、四民平等のところで担任から新平民という言葉を聞いた。今だったら問題になるだろう、部落問題すれすれの内容である。戦前から教職にあった担任なので、言ったのかもしれない。昔は学校でも抵抗もなく授業で話せたのだろうかと、読後感小学校の頃の授業を思い出した。

 おちゃんはそれから部落問題に関して興味があった。この問題を取り上げた本はあるが結構難しい本が多い。それも歴史的な観点が多い。差別の今、歴史、差別される側の立場を理解するには良い本である。

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アメリカよ、美しく年をとれ

2009.8.30

 良い本である。著者がはじめてアメリカと接したのは陸軍飛行学校に入り戦闘機を(通商赤とんぼ、訓練用の飛行機)の空輸を命じられた時にグラマンと遭遇した時。それから60有余年のアメリカとの係り合いから、書かれた今後のアメリカの進むべき道をエッセイ風に、抑制のきいた文章でつづられた本である。

 アメリカを愛すればこそ抑制のきいた文章で書かれたからこそ、アメリカに対する著者の苛立ちを感じる。初版が2006年だから丁度ブッシュ政権に対する批判でもある。2008年のリーマンショック、オバマとアメリカ社会は変化してるが、著者は言うのは人口比率の中で白人が半数以下いなった場合どのようなに変化するか。しかし人種のるつぼと言われ、いろいろな事が起こりながら問題を解決しながら、、多種多様の民族、文化との共生をしてきた。だから、多文化共生を目指してる国のモデルになれrかもしれない。アメリカ風の生活様式が世界中に浸透している、自由と民主主義のこの文化こそアメリカ最大の遺産であるから、アメリカの文化の長所を広げた方が良い、、もう世界の警察であることを振る舞うことを止めるべきだという。

 アメリカは帝国を目指していたのだろうか?今の段階では言えないが後世の歴史が決めることだろう。この地上に国というものが出来てから領土が膨張し帝国が存在したが、最終的に滅びていった、オバマになってどんな変化をするのか。しかしブッシュの時代は帝国の末期的現象だった(この本でレーガンから始まったと初めて分かった)。

 しかしアメリカは開国以来、ネイティブアメリカンから領土を侵略し、スペインと戦争をしてメキシコの一部を分捕り、自由と平等という名のもとに他国に侵略した国である。世界中の国で他国から侵略されなければ、占領されたことのない国はアメリカくらいだろう。ベトナム戦争までは「世界の警察」という考えは通用しただろうが、ベトナム戦争後はどうだろう、通用しない、逆だろう批判されても歓迎されたことはない。今、アメリカの負の遺産を正面から見なければならない、日本人も自国の負の歴史を見ようとしない(どこも多くは見ようとしない、特にアメリカは)が、何でもアメリカと言うが、冷静に検証すべきである。国益というものを考えれば、自国と他国の負の歴史を知ることで、国の将来に対して示唆を与えるものと思う。

 アメリカの歴史を(負の歴史)を眺めつつ、現状を分かりやすく書いてあるので、良いと思う。今までもアメリカの負の歴史に関する本のついても書いたが、今のところこの本が一番いい。

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漱石の手紙

2009・8・26

 良い本である。絶版にしてほしくない本である。しかし明治の人の書く文体の種類の多さには、恐れ吉弥の鬼子母神である。漢文調、候文、口語文、べらんめー調と緩急自在に使い分けている。

 最近漱石の関する本は、精神疾患、男色的傾向とか、愛されぬ子とか、メンタル的なものに重きが置かれ、おちゃんのしては好きではなかった。しかしこの本は1999年に単行本としてだされているので、メンタル的傾向の本が出される少し前だろう。

 昔の本だと候文、漢文調の文体でも、読者も読めるだろうという前提で書いてあるから振り仮名がなかったので読みにくかったが、この本は読みにくい漢字には振り仮名がふってある。20年以上昔に出版された新書なんて、資料、出典として、候文、漢文調の文章が出ても読めない漢字が多く途中で投げた。読者を馬鹿にしてるか、自分の頭の良さを誇示してるのかと疑っていた(単におちゃんが頭が悪いだけなのだが)。文体自体なじみにくいが読みやすいので勝手に想像して読めばいい(おちゃん事態もはっきり内容が理解出来ない、古典の成績悪いので)。

 驚いたのは「吾輩は猫である」のモデルの猫は死ぬまで名前はなく、「ねこ、ねこ」と呼ばれていたこと。漱石を英国留学中から教師には戻らぬつもりでいた、文筆で食おうと考えていたこと。「吾輩は猫である」は何か書いてみたらと勧められて「ホトトギス」に連載したこと。

 しかし解せぬのは帰朝後教師はやらぬと言ったのに、帝国大学で講師になったことである。しかし妻鏡子に対して、留学中家庭に対する細かい指示、弟子に生活の面倒、就職の斡旋と、生活基盤の確保を大事さを説くのだから当面生活のためのと考えて講師をしたのだろう。だから朝日新聞に入社したのもわかる。帝国大学の教授と、流行作家どちらをとるか、作家をとった。俗物なら帝国大学教授をとっただろう。仮に教授になったとして二足の草鞋を履いたら、先達に小泉八雲がいるから二番煎じか。

 友人正岡子規の病状悪化の中での英国留学、弟子にお父さんになってください、留学中のホームシック、子規との友情、弟子の就職あっせん、留学の気遣い、ごくごく普通の面倒見のいいおじさんという印象を持った。それに比べて鴎外は堅い。しかたないか。

 夏目漱石、森鴎外どちらも文豪である。夏目の文豪は文豪と言う看板をテレビの上に置いて眺めてもいいが、鴎外の看板は床の間で眺めねばならない。思わぬ漱石さんに出会う事、畢竟。面白い。おちゃんの中では漱石さんになった。

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貧困

2009・8・22

 今日お勧めの本は、中高生、中高生のお子さんを持つ親、中高の学但及び大人の方々に読んでいただきたい。ぜひ読んでいただきたい。今までいろいろな貧困、労働に関する本を読んでブログで紹介してきたが、今回の本は対象年齢13歳以上、内容がコンパクトにまとめられており、現状の労働環境、雇用、労働に関する問題、今まで見えなかった、見ようとしなかった貧困について書かれている。

前に絶対貧困について書いたが、今の日本で問題になってる貧困は相対貧困にあること、ネットカフェ難民、ホームレスの問題にしても、個人の問題にしてきたが、もう個人の問題ではないこと今の日本ではいつ、だれでもがなってもおかしくない。最大の原因は個人にも問題はあるがこのお国の福祉、教育に対する予算、感覚の低さにある。また国民も一億総中流化の感覚でまだいる、その感覚から抜けてないからホームレス、ネットカフェ難民に対して偏見を持っている。多重債務者に似しても。貧困ビジネスにしても、ビジネスを起こす方も悪いが利用する方も悪いという他人感覚。しかし現状は貧困ゆえに貧困ビジネスを利用しないと生活できない矛盾である。

 子ども向けに書かれてるとは言え、リーマンショック、アメリカの金融のヨーロッパ諸国に比べての特殊性など大人も今まで知らなかったことも書かれてる。著者は貧困について子供たちに特別なものではないこと、特別な人がなるものではない、偏見を持たないこと、われわれは今の社会、現状を知ることの重要性などを説いている。また多重債務、サラ金問題を専門として弁護士活動を続けてきただけあって、安易にカードローン、サラ金ローンに手を出した時の恐ろしさも書いてある。

 まず現在の貧困問題に対して正しい知識を持ち、他人事ではない、その中で子供たちは自分の人生をどう考えるか、人生のスタートラインを切る前の子供たちには読んでほしい。親御さんも自分の子供がワーキングプアにならないという保証もないこと、個人の問題ではない、偏見を持たない正しい知識を持っていただきたい。簡単ではあるが救済機関、相談機関も巻末の載っている。

 もしおちゃんが中高の教師で学但なら課題図書にして感想文を書かせたい。社会の授業、道徳の授業に使ってもいい気がする。しかし文部科学省は良い顔しないだろう。

  

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子育て小児科医の助言

2009・8・18

 「子育て小児科医の助言」は良い本だが今、岩波書店の新書のHPを見たら重版未定になっていた。アマゾンであるが中古品。探すとすれば古本屋か図書館である。おちゃんも松田道雄の本探しはもっぱら古本屋である。

 やさしい本である、著者自身の幼い日の思い出、経験から説くので親の気持ち、子の気持ちに寄り添うように書かれている。おちゃんもボヘミアンが赤ちゃんの時何回も読んだ、親ならば子供のことで心配になることをやさしく、親を諭すように書いてある。参考になったのは離乳のところ。赤ちゃんが欲しがったら始めてよい、食べたそうな顔をする興味を持ち始めたら始め時、時期なんて限定する必要もない(早いより遅めが良い、あまり早いとアレルギーが心配、なんて情報、昭和書和31年の育児書に出てた)。ボヘミアンは一日2食から始めた。一日1食で食べてくれなくて腹をたてる位なら、2食なら1食は食べるだろうと思って2食から始めた。卒乳は自然に任せた方がいい。何歳とは限定してない。いつまでも母乳に吸いついて離れないのは心配だが、いずれ離れる、いくつとは言えないが離れる。ボヘミアンはなかなかおっぱいから離れなくて、山田先生も育児上いつまでもおっぱいにしがみついてるのは問題といったけど。周りから言われたが、ボヘミアン自体が離れないので、この本を信じて小学校までには離れるだろうと思ってたら、離れた。おっぱい小僧(ボヘミアン)の写真はたくさんあって、ボヘミアンは見たくない写真。

 赤ちゃんの発達に任せればいい、親から何カ月になったから、何歳になったからと決めるのではない。昨今は期間限定、いくつになったらアーしろ、コーしろと区切りすぎる。今ボヘミアンは思春期である、「性のめざめ」の項、父と息子の葛藤、著者も父親とすごい葛藤があった、うちの親父はひどい、他の親父と違うなんて一人合点。著者は1923年生まれ戦前の話、今の世の父と息子と変わらない。多少の葛藤は当たり前、ない方がおかしい。おねしょについても書かれてる。病院を渡り歩いてうちに自然に治ってしまうと。

 おちゃんはこの本のおかげで相当開き直って、あまりくよくよせず、ボヘミアンを育てた。確かに心配はある、しかし子の成長ととも心配はしなくなる、なぜだろうと考えても分からないが、たぶん余裕が出てくるからだろう。今の育児は重箱の隅をつつくようで、細かすぎる。もっとアバウトでいい、自然でいいと思うが。しかし今の親は両極だから、細かい方がちゃんと育児をしてると思いこみ、自然はネグレクトと勘違いするかもね。早い話が余裕がない、溜めがない。

 松田道雄の本とともに、お勧めできる本です。

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反貧困

2009・8・14

 いろいろ最近の労働関係の本を読んだが、やはり貧困の問題を真剣に考え、最低限の保障、食べることができない、寝ること場所がないことは人として生きる権利を奪う。法整備とか何とか悠長なことを言ってる場合ではない。今できることは何か、誰でも現代は野宿生活に短時間で入ってしまう。今の日本では食う事だけには困らないとか、戦前のようなひどい貧困はないとか良く言われたが、貧困が見ようとしない、見えなかったから分からないだけ、自分の生活の感覚で考えるから、真の意味での貧困を理解出来なかった。逆に貧困へ落ちて行く人を自己責任という捉え方しかしてこなかった。おちゃん的に去年の暮の派遣村の光景を見たとき、易々と路上生活者に転落していくのは、個人的に様々な問題を抱えているからこうなる。故郷に帰ればいいとか、友人を一時的にでも頼ればとか考えていた。しかしこの考え方は当事者を追い詰めるだけで、安全圏にいる人間の高みの見物的発想でしかないと今は思う。現代日本の真の貧困問題を教えてもらった、この本で。

 国のセイフティーネットを強くせねばと言うが時間がかかる、ならば今できること今後すべきこと優先順位をつける、小さな声でも、人が集まれば大きなものになる、それを著者はいろいろな分野の人々と結んで、2007年に反貧困ネットワークを結んだ。 将来的には真の意味での最低限の生活の保障である。現代の日本では真の意味での最低限の生活の保障はされていない、それどころか逆になっていく、最低限の生活補償の切り崩し、母子加算の廃止とか。生活水準の切り下げ、労働条件の切り下げ、もっと苦しい人がいるという発想。しかしそれは外から見てる人間が言う事で、渦中の人間は限界に近い状態、限界を超えた状態で生活、労働をしてる。内容が少しそれるが著者は貧困の背景に五重の排除をあげている。

1 教育課程からの排除

2 企業福祉からの排除

3 家族福祉からの排除

4 公的福祉からの排除

5 自分自身からの排除 何のために生きるのか、働くのか、当たり前のことが見えない

                            (岩波新書「反貧困」から抜粋)

 教育、福祉に関する知識のある人はなんとなくわかるだろう。ただ単に何も知らず真面目に生きてる人が、この五重の排除を持ってる人が貧困から抜けることができない、最大の被害者である。この中の1個か2個の排除は何とかなる、3個以上はどうしようもない自己責任で済む問題ではない。著者は「溜め」という言葉をこの本の中でよく使う。「溜め」とはゆとり、余裕と解した方が分かりやすい。たとえば今仕事がないけど雇用保険を申請する、貯金で暮らす。一人暮らしができないので実家に行く、子供を実家で見てもらう、この溜めをどれだけ持ってるかである。当然各人の性格、考え方もおちゃん的には溜めにいれたい。余裕をもって考えられる、物事を観察し、冷静に判断する能力である。経験値も溜めである。おちゃんは著者の「溜め」という考え方に大いに共感する。おちゃんは現代日本はゆとり、余裕がないと思ってる、著者もそれを言う。また著者は居場所の提供にも力を入れている、人は繋がっているという考え、感覚が大事である、繋がってるというだけでどれだけ救われるか。孤独、孤立してるという感覚はどれだけ人を精神的に追い詰めるか。誰もが路上生活者になる時代、昔に比べてなる確率が高くなってる社会構造、そうさせようとする国、他人事ではありません。

 もしならないようにするにはと言われれば、おちゃんは社会のこと勉強して、知識武装、精神的健康に力をいれてくださいとしか言えません。自己研鑽と真の意味での自助努力、自分のためにしてください。本当に勧める本です。

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続心療内科

2009・8・10

 著者は日本にはじめて交流分析を紹介、この本の初版は昭和48年、その約10年前に九州大学医学部に心療内科を発足させた。内容文章表現は少し古いが、自律神経のアンバランスによって様々な病気を引き起こすこと、薬に頼りすぎること、薬の大量投与など、現代でも問題になっていることを30数年間から述べていた。と言うよりこの国では30数年たった今でも、現状が変わっていないのかもしれない。この点については「こうすれば病気は治る」の著者が現代において、述べていることと同じである。

 この本の内容は交流分析(エゴグラムと言った方が理解が早い)、その他精神療法、カウンセリング、自律訓練法など、今は割と馴染みのあることが述べられている。今はメンタルヘルスの重要性をだれでも理解するが30数年前は専門家、一部の人しか興味を持たなかっただろう。今はどこにでも心療内科があるが、どのようにしてでき、本来の心療内科とはどんなものだったか、知ってもらいたいからである。

 「親のボケに気づいたら」の著者も、心療内科は心理的な影響を受けやすい身体の病気と言っている、しかし現代は精神、神経科と心療内科の区別があいまいになってる、というより患者自身は同一視してる、本来は区別があった、この本を読むとそのあたりがはっきりする。メンタルヘルスという言葉が誤解を生んだのかもしれない。精神、神経という言葉を嫌がるから、メンタルヘルスなる言葉でぼかされてるが同じなのだが。

 内容は自己コントロール、交流分析、自律訓練法と多岐にわたってる、おちゃん的には内容テンコ盛りすぎる感があるが(だから逆に分かりづらい)、30年以上前の書かれた、著者のいってることは現代にも通じるので温故知新で読んでいただきたい。

 著者は心身医学の立場から宗教的治癒も否定はしていない、可能性もあるという。しかし注意点を3つあげている。(続心療内科から抜粋)にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
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1 信仰によって治る病気の多くは、神経症や機能的な身体病変と思われる。信仰を万能と考えるところに危険が伴う。

2 教祖,教会に対して強い依存状態ができる。治癒したように見えても、教会、教祖から離れることの不安が伴ない、離れることのできない状態になる。

3 信仰による治癒の実態が見落とされ、教祖に霊能があるように思い込み患者の人間的成長が妨げられ、迷信のとりこになう。

 なるほどと思う。今でも精神疾患に対する偏見は強い、時代が昇るほど偏見という色は強くなる。30年以上前はもっとだろうそれより前はもっと。だから著者の文章からは現代の精神科医が書く文章よりも、ヒューマ二ズム、啓蒙しようという空気を感じる。

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ネイティブ・アメリカン

2009・8・8

 今までのインディアンに対する知識があまりにも少なすぎた、ステレオタイプの知識しかなかった、真の意味でネイティブ・アメリカンを知る良書である。われわれの頭にあるネイティブ・アメリカンのイメージが白人によって作られたものであること。

 読んで感じた事はアメリカは他国の人種差別、人権問題、同化政策、民族問題を批判できるかである。おちゃんでなくとも感じるのは、アメリカは自分たちがすることは正義であり、他国が同じことをすると悪なのであるなと感じた。

 読み進んでいくうちの同化政策は戦前の日本が朝鮮、台湾で行った同化政策を連想させる。 第二次世界大戦で忠誠心が試される時、1830年の「インディアン強制移住法」で住み慣れた大地を追われ環境の劣悪な辺境へ追われる時、第二次世界大戦で日系人が環境劣悪の地に収容されたこと、忠誠心を示すため日系人が軍隊に志願したことに重なる。インディアンも日本人も同じモンゴロイドであるが。同じシャーマニズムの文化圏でもある。

 劣悪な環境で伝染病によりインディアンの人口が減った。移住した土地は後年核開発の最前線になったり、産業廃棄物処分場、刑務所施設になるなど迷惑施設がくる、理由はインディアンの弱い立場を利用してる。居留地は放射能に汚染。連邦政府が1890年後半一定地域での狩猟を禁止し文化的伝統を奪い、結果飢えに苦しむインディアンには食糧の配給制度、しかしこれがインディアンの連邦政府への依存体質を作り、糖尿病高い疾病率につながる。

 この作られた依存体質がインディアンを弱い立場、差別される立場に追い込んだ原因である。それが連鎖されることによって、生きること、働くこと、すべての生きて行くという意欲、気力を奪ったとおちゃんは感じた。アメリカの人種差別は黒人だけだはないことを知るために読んでほしい。

 おちゃんが読んだ日系移民民の本も載せておく、学校の歴史の時間日系移民民のことを教えているのか分からないが、日系移民民のことを知ってほしい。排日の歴史を知ってほしい。戦前の日本では大きな社会問題になった。特にこの本でなくてもいいがぜひ知ってほしい。

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1945.8.6 広島原爆投下

2009・8・6

 今日で広島に原爆が投下されてから64年。朝NHKで中継を見る、今までなんとなく気にもせず見ていたが、今年はちょっとした思いがあって見た。記憶をたどれば小学校の時からテレビで放送してた。昔は民放も放送していたが、民放のどこも放送してなかった。変われば変わるものである。全然関係ないが、子供のころから原爆ドームを見るのは嫌い、なんかおどろおどろした物を感じて嫌だった。戦争の嫌な残酷なシーンが頭をよぎる、なんか頭に響いて見たくないと思う。ボヘミアンは今教育テレビの「アンネの日記」を見てるが、おちゃんは見たくない。親が戦争を経験したせいか、いろいろ聞いてるので実体験をダイレクトに聞いてるので、息苦しいさを感じて嫌だと感じる。夏になると思いだすのは小学1年の夏休みのドリルで、「広島に原爆が落とされて17年経ちました」という文章を読んだとき、婆さまが「もうそなるんかいな」といった言葉である。婆さまの中では昭和20年8月6日はどうだったんだろう。今になって考えると他人ごとではないと感じたと思う。青森の大空襲は弘前からみたし、見えたのである。この話は何人かの人からも聞いた。大阪大空襲では高見町の家も焼けた。

 そんなわけで「破壊者のトラウマ」を買っても何年も読まなかった。主人公は二人、広島原爆投下時起床偵察機のパイロット、マンハッタン計画に参加した科学者である。戦後二人は原爆投下というトラウマに取りつかれて、精神が破壊された。イーザリー(パイロット)は人生の歯車が狂った、本来は英雄なのに(アメリカにすれば)、原爆を落としその罪悪感に取りつかれ、刑務所と精神病院を繰り返して人生を終えた。現在存命中の1945年原爆投下人のパイロットはいるか分からないが、おちゃんの記憶では投下は正しかったという記事を新聞で読んだことがある。今日の広島の式典にもアメリカは出席してない。イーザリーは罰を受けることで、罰を受けて当然だと思う。軽微な犯罪を繰り返す、しかし精神障害なので、放免されるしかしそのこと自体イーザリーを苦しめる。結局はイーザリーのように自分も悪いといって苦しむか、あれは命令だ戦争なのだと言ってひらきなおるしかないのか、そのことで精神の安定を保つしかないのかと考えてしまった。

 科学者プライム、最初は原爆を投下したことでアメリカ兵の命を救ったとプライムは思う、しかしこの意見が夫婦の対立になり、離婚、プライムがジャーナリストになるが目も出ずいろいろあって、イギリスに渡り、徹底した無神論者から今度は原理主義的なくらいの聖書に忠実な信仰者になる。科学と宗教を徹底して付き合わせる、おちゃんはこのプライムは理解しがたい、プライムは原爆開発者だったことを隠さなかったという。核兵器に取りつかれた、しかし使えば地獄、どこで使わずに平和を求めるか、そのことを考えていたとこの本から読み取った。しかし読み取っただけで、イーザリーを理解できるようにプライムは理解出来なかった。原爆投下後のトラウマではなく(地獄のような場面ではなく)、原爆を平和の抑止力として使う恐ろしさというトラウマに取りつかれたとしか感じない。

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脳がめざめる食事

2009・8・5

 今までは健康といえば体のことであり、食事も体に良いことが多かった。しかし最近は頭の健康に良い食事ということも言われ始めている。しかし頭にしても体にしても、好き嫌いなく何でも食べることが基本であり、規則正しい生活。体調が悪くなると生活のリズムは乱れるが、精神的に病むと生活のリズムはなかなか普通に戻らない、戻りにくい。逆に元に戻れない自分に対して、情けなくなる時がある。

 頭の栄養源はブドウ糖であるが、ビタミン、ミネラル、微量金属なども重要である。頭に良い食事の本は体に良い食事の本に比べて、専門用語が多いので理解しにくい、難しいなと感じる。しかし五大栄養素、炭水化物、脂肪、たんぱく、ビタミン、ミネラルという単純な分類だけでは頭の栄養を理解出来ないからかもしれない。

 マー難しい専門用語、説明の図は適当に読んでもいいから、頭にはこれだけの栄養が大事だと知ってほしい。単にバランスよく食べるだけでなく、あまり意識しない、ビタミン、ミネラルの大事さも知ってほしい。頭の栄養バランス、頭の健康を考えることは、体にとっても良いことである。スーパーの青果、水産、畜産品売り場のポップでも「栄養豊富、ビタミン、ミネラル豊富」という漠然とした表記が多いが、DHA,、EPAなんて言葉も出てくるから消費者も勉強しなくちゃと思う。最近はビタミン、ミネラルの単独の栄養だけを取り上げる傾向があるが良くない。単独接種をすることはサプリメントでは可能、しかしビタミンの過剰摂取の害もある。栄養素というものはお互いが影響し合って(適切な表現ではないが)、理想的な比率で体内で消費される。

 栄養学と、医学はますます接近する、一般向けに読まれる栄養に関する本も専門用語が出てきてもう10数年、今後昔のような単純な内容はなくなると思う。丸元淑生の栄養、食事に関する本を読んだのは14,5年前、その時は一般向けにしては難しいなと感じたが、いまは丸元淑生風の本は当たり前。その時、トランス脂肪酸、サプリメント、イチョウ葉エキスなどについて丸元淑生はすでに書いていた。いまみんな知ってるが。おちゃんもそのころはサプリメントは何か知らなかった、「頭の栄養それ何、体の栄養だけでいいじゃない」という感じだった。しかし今後を考えると頭の栄養の重要さはますます広がると思う。そして今まであまり触れられることがなかった、ビタミン、ミネラル、アミノ酸についても知らないと本当の意味での栄養バランスの大事さは理解できないだろう。というのは余りにも単独の栄養素ばかり強調されるので、それだけで良くなると錯覚させる。そう言う事はないわけで必ず、いろいろな栄養素がお互い影響し合って機能してる。

 この手の本の先駆けとして参考に丸元淑生の本も上げておく(あくまでおちゃんの考え)、病気別に、頭、身体の病気について料理、栄養について書かれているので。

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「住みにくい県」には理由がある

2009・8・4

 結構面白くて暇つぶしにはいい本。どこから読んでもいい。右側に文、左側にグラフ、ランキングが載っており、左右2ページで一括りなので、ちょっと読み出来て時間がなくても読める。都道府県のランキングを見ながら、うーん、ふんふんと思いながら、やっぱりなとか、一人で想像するには楽しい。

 青森県と沖縄県は、失業率、最低賃金の最下位を争うが(最近青森県の最低賃金は少しランキングが上がったが)、世帯収入に占める税金の割合は沖縄県が11.3%で全国で一番低い、青森県は17.1%で25位(平成20年)、冬の暖房費を考えると自由に使えるお金は青森県は少ない。ところが貯蓄率から行けば青森県は35位、沖縄県は47位(平成20年7月から9月)、青森県民は少ない収入でも貯蓄する。なんて想像してる。

 あまり比較することばかり個人の意見として書くと、猛反撃を食らうので止めておくが、基礎学力(中学3年)が定着してない生徒の割合が低いのは秋田1位、青森8位。しかし進学率(大学)は秋田35位、青森37位。1か月の世帯収入は秋田38位、青森36位。ここまでは秋田と青森は大差がない、しかし大学の収容力指数は秋田は41位、青森は28位。ランキングも下位に行くと大差はないが考えてしまう。

 最後に重要犯罪発生数(平成16年から20年の平均)、秋田2位発生数6.7、青森13位発生数8.7、犯罪検挙率(平成20年)、秋田1位55.6%、青森27位36.7%。秋田と青森の犯罪件数は大差がないが、検挙率の大きな違いはなんだろう。なんて具合に考えてしまう。読み手によって話のタネにするか、まじめに比較検討とするかとにかく面白い本には間違いない。

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久々です

2009・8・3

 先月からパソコンの調子悪くなって、とうとう新しいのに変えた。そしたら次の日モデムの調子も悪くなる。もう6年も使うとこうなるのかな。それで本ばかり読む。

 久々に小説読む「金のゆりかご」、森村誠一の「魔少年」の数倍ワルナ少年の物語、少年が仕組んだシナリオに大人がまんまと引っかかるということが最後でわかるが、それまでだれが本当の犯人なのか分からない、犯人だなと思わせて真犯人じゃないというどんでん返しがある。それが子供とわかるが少し最後の筋立てとしては、強引過ぎるきらいもある。

 しかしこの小説で不気味なのは、英才教育で自分が天才だと思うと何でもできるという万能感、、また天才だと思っていたのに伸び悩んだ挙句唯の人という心理である。天才教育はいいのだろうかと改めて考えると同時に、ゆがんだ万能感、天才からただの人に落ちていくことの怖さ(天才だったら怖いだろうが、凡人にとっては当たり前の生き方だが)、天才という万能感からは、凡人になることは非常に恐怖であるらしい。このゆがんだ万能感は昨今の国内で起きた大量殺人にも通じるものである。今の自分はこんなものではない、もっと評価されなければならない、自分が今の理解されない、報われない立場にいるのは社会のせいだという理屈である(この心理状態事態がすでに病的なものであるが)。

 しかしもっと怖いのは天才を作ることに血道をあげることである。頭が良い事は良い事であるが、知能と人格はバランスが取れていなくてはいけない。発達途上にある子供はバランスがとれないが、頭を良くすることにばかりに行き過ぎるとありだなと思う。それ自体が悲劇である。天才を作ることに情熱をあげたが、人格を作ることをおろそかにされた少年たちは悲劇である。作った方は病に倒れ後は野となれ山となれの状態から、物語は始まり、昔は天才だった主人公の苦悩、今天才の少年たちの苦悩、天才ゆえの悲劇である。

 天才、英才教育、早期教育もいいが、発達段階に応じた教育、能力に見合った教育が一番。どこがお勧めかといえば、頭でっかちの子供の怖さ、天才から唯の人になった心理状態、天才を作ることが趣味の人間に道具として教育され、天才になれなければ捨てられるという非情さである。その心理描写が巧みである。小説ではあるが、早期教育、英才教育を考える上では一読の価値がある。ただし子どもの気持ちも考えないと、ただできれば良いそれでいいという考えは極力避けるべきであり、それができなければ英才教育はやめた方がいい気がする。

 

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こうすれば病気は治る

2009・6・30

 うーんと悩んでしまう。確かにいい本だとは思う。しかし納得が出来かねると思うところもある。まー医者だから正しいと思う、しかし何もかんも自律神経のバランスで説明されると、辻褄が合わなくなるのではと思う。紋切り型過ぎる気がする。たとえば便秘、消化機能を支配してるのは副交感神経、しかし交感神経優位になると(ストレスによって)便秘になるという、マー大概ストレスがたまると消化器系が悲鳴を上げるが、おちゃんの場合腸が長すぎるので便秘状態である。かなりいきむ。例外も書いてほしかった。解剖学的な例外も。一時期あんまり便に拘りすぎて、すごい便秘になって苦しんだこともあった。しかし気にしすぎだと思って、考えないようにしたら出た。マー今も毎日出ないが(腸が長い)、苦しまない便に拘らないから、バッチャは便に拘ったので出ない、精神科医に話したら暇だから拘る、体を動かせその通りでデーサービス、デーケアといやでも動くようになってから以前ほど便に拘らなくなった。

 しかし現在の医療は対症療法が多くなり、逆に病気を多くしてるというのはそうですねと納得。痛みに対して過剰に恐怖、不安を持つ人が多くなり薬に頼りすぎ、我慢を知らないという。確かにその通りだと感ずる、ボヘミアンでも痛みに対してはすぐ薬、それくらい我慢しろといいたくなるときもある。バッチャにしてもチャンにしてもすぐ薬である。痛みの苦しさが分からないからというが、よく観察してみると痛みをマックスまで我慢して薬を飲み助かるから、次の痛みも薬に頼ってしまう気がする。鎮痛剤は一時的に症状を抑えるだけで、解決策にはならず逆に依存性が高くなるという。

 人間の健康は自律神経のバランスを良くすればかなりの病気に対するリスクを下げることが出来るという。よく長寿の人に「長寿の秘訣は何ですか」と聞けば、「くよくよしない事」というが、たぶん自律神経のバランスを良くする事を指してるのだろうなとこの本を読んで感じた。体験的にくよくよという言葉を使ってるが、この本に添って考えると自律神経と解釈した方がいい。病も気からとか。なんてここまで書けば、この本はやはりいい本なのだ。

 人の健康は自律神経の適度なバランスによって、支えられている。ホメオスタシスか。東洋医学的な陰と陽。だから漢方、鍼灸もいいと、日本の伝統的な健康法の入浴とか、適度に奨めている。昔から洋の東西を問わずバランス感覚である。最近精神、身体に関する本を読んでみても、対症療法に関する治療法に関しては医者も懐疑的であり、多少の苦痛、困難に立ち向かう方が良い。つまり薬漬けを防いで、薬の使用は最小限に抑えるべきということ。長期服用による弊害をなくすこと。

 人間楽をするようになってから、なんでも依存する傾向が出てきた、しかしこの超ストレス社会において、楽に成るならばと手っ取り早い方法を取ってきた結果が今出てきたとおちゃんは見る。効率的に、無駄なく、確かに悪くはないが本来は徐々によい方へ向かうべきなのに、途中のプロセスを省いて行くから、楽から苦へその逆とコロコロ変わるから、進退、精神がおかしくなる。余裕がないから手っ取り早くという論も成り立つ。

 結論、この本はかなり紋切り型です。今心のバランス、健康のバランスを崩してる人は腹が立つかもしれないが、かなり本質的な部分を付いている。自律神経が崩れたとき人は健康ではなく、限りなく不健康に近づく。だから今健康でいる人は読んだ方がいい、バランスを崩すとどうなるか。バランスを取るとは、心の余裕である、これは残念ながら自分で作るしかない、出来るまで何年もかかるが性格にも因るが、無駄、失敗を恐れず、試行錯誤、その中から読み取っていくしかない。プロセスを大事に、自分を大事にする。

 人生常に100%の力を出す必要はない。しかし100%以上出すときもある、そのときに備えて余裕の貯金をした方が賢い気がする。そしてバランス感覚。

 おちゃんの性格、短気、わがまま、強引、頑固、結構偏見も強い。行動特性、物忘れ、人の話は良く聞かない。

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無差別殺人の精神分析

2009・6・24

 秋葉原無差別殺傷事件から1年経った。1年経過してからこのような形で本が出版されるとは、意外に早いと思った。ロバート・k・ケスラー元FBI心理捜査官の本を読んだときと似たような、読後感である。重大事件の場合、加害者の生育暦まで遡る、家庭環境など。そして結論が書かれるが、その内容たるや育児書のような感じである。親子関係、親の性格、親の育児態度、経済状態などから導き出され、だからこうなったであろうと言う言う推論が出される。親になる前に、ロバート・K・ケスラーの本を読んだときは、育児は単純に大事だと感じる程度、しかし親になって「無差別殺人の精神分析」を読むと怖くなる。自分の子育てが正しいのかと。

  著者は無差別・大量殺人の6要因を挙げている(アメリカの犯罪学者、レブィン、フォックスが『大量殺人の心理・社会的分析』の中より)。

1 長期にわたる欲求不満

2 他責的傾向

3 破滅的喪失

4 外部のきっかけ

5 社会的孤立

6 大量破壊のための武器の入手

 長期にわたる不満とは満たされない自分であり、今の自分を自分を自分で受け入れられず、他者に投影し、理解されない自分を他者のせいにし、自分で自分を追い込んでゆく。エリート教育を受けたのに、何故こんなつまらない仕事をするのか、自分の人生がうまくいかないのは社会のせいとか。本当の原因は自分にあるのに、それを認めようとしない、幼児が持つ万能感を大人になっても持っている、普通は成長過程で現実の自分を受け入れていく物である。理想の自分と現実の自分、自分で調整しながら折り合いをつけて、身の丈にあった自分になる。本当の自分になる。かなり荒っぽいが、これがおちゃんがこの本から分かったこと。

 著者はわが子を殺戮者にしないためにやってはいけない十か条をあげている(本文抜粋)

1 過度の期待

2 母子密着

3 過保護・過干渉

4 欲望のすべてを叶える

5 いい子・手のかからない子を放置する

6 子供の多様な人間関係を妨げる

7 『白か黒か』の二者択一的考えを教え込む

8 危険信号を見逃す

9 世間体・体裁を気にする

10 他の兄弟・姉妹と比較する

 これを見たとき愕然とした、大なり小なりどの家庭にも当てはまることばかり、怖くなった。つまり確率的に低いがどこの家庭でも起こらないという保証はないと。おチャン的には7は非常に大事、思考的にかなり狭い考え方になるので、幅を持った二者択一の考え方をした方がいい。プラス、希望は持たなくてもいいから、絶望はしない。9は度を越さない限りは認めてもいい気がする。良くも悪くも世間様、世間の目があるからある程度の抑止力にもなる。津軽弁で言えば、めぐせー事するな、風悪い事するなである。5は度を越すと8に繋がる。かなりの核心を突いてる。

 著者は精神医療の問題の中で、DSMの問題、精神科以外でもSSRIが投与されている事を挙げている。これにはおちゃんも大いに共感するところである。薬の量の調整は精神科の医者以外は出来ない事、他科から処方された薬でおかしいと感じたときは精神科を受診すべきだが、偏見があって行こうとしない、それでドンドン悪化する。おちゃんは他科で精神薬を出すことには反対である。他科で薬が出ることで精神科できちんと受診しない人、精神科に行かなくてもという考えがあるから、精神科に対する偏見がある。本来は精神的にかなり参ってる状態なのに、認めたくない、精神科に行くほどではない、行ったら終わりとか変な考えで事態を悪くしてる気がする。

 マスコミ当たりは何故こんな事件がおきるのか、心の闇というが、この本を読んで分かったこと、原因は案外身近なところにあること。ぜひ読んでいただきたい本である、親の立場で読めば怖いなと感じるのが実感である。しかし身近な問題として、きちんと捉えるべきなので、ぜひ読んでもらいたいし、分かりやすく書かれた良書である。逆に目をそらすことが問題に目をつぶることである。

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ビートたけし

2009・6・23

 久々たけちゃんの本を読む面白い。出る人全部たけちゃんによって丸裸。特に面白いのは、毛利衛さん、戸田奈津子さん、藤田紘一郎さん、岡野雅行さん。

 毛利さんでは月面着陸のとき、アームストロング船長が、船外に出たことが問題になったこと(バッチャの話だと、船長というものは船とともに責任を全うする。なるほど船外に出るのはいけない)、スペースシャトルの中は意外と臭い。

 戸田さんは、将来的に字幕スーパーの仕事は減るだろう。しかし字幕スーパーと吹き替えじゃ見方がぜんぜん違う。字幕だと全部見てやるぞーって力が入る。吹き替えだとテレビを見る感じで、見過ごしてしまう。それぞれの違いがあって良いのになと思う。

 藤田紘一郎さん体の中でサナダムシを飼ってるとは、しかしページの始めから検便の話にはまいった。昔の検便を懐かしく思ったし、藤田さんの話は今の清潔好きはいやだろうな。究極の汚いのはセックスには笑った。清潔好きが増えるとセックスは減る、今の日本はセックレスが多い、少子化は進んでる、清潔好きも多くなったなるほど。

 岡野雅行さんは、昨日{テレビタックル}を見てたら出てた。やたら威勢の良いおっさんがでてるので、もしかしてと思ったら岡野さん。本のイメージ通りおっさん。しかし婿さんを褒める、褒める、なかなか出来ないよ、偉い。しかも養子さんにしない、その微妙な距離感が良い、普通だったら養子にしてしまうけど。

 読んでるうちに汲み取り便所、昔の検便、アポロ11号の月面着陸のとき授業を中断して、体育館でテレビを見たことを思い出した。

 しかしたけちゃんは偉大だ、尊敬する人、今でもビートたけし、ツービートの時代の頃これほど偉大な人になるとは思わなかった。毒ガスシリーズを古本屋に売ったこと公開してる、今でも記憶に残ってる一説『共通一時で落ちる、共通馬鹿』。

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人は見た目が9割

2009.6.11

 最初この本のタイトルが気に入らなくて、素通りしてた。しかし何となく気になってとうとう買った。就職の面接に役に立つか立たないかは、分かりません。就職にと思って、読まないほうが良い。著者は、演劇、漫画と分野が広く、演技をする場合の性格の作り方、漫画を書くときの表現から、性格、感情の現れ方を書いてる。おちゃんに言わせれば、パッと見た瞬間に相手を見抜くプロ。かなり心理学的な、見方で書かれてるので、就職用と思って読んで合格と言う向きの本ではない。そうしたい人は就職用の面接の本を読んだ方が良いと思う。

 見た目が9割と信じ、外見だけを取り繕っても、所詮無駄。しぐさ、表情、声、目に映るすべてが、見た目として評価するとしたら、いくら内容の良いことを言っても、説得力を持たない。大体話す内容はたいてい忘れる、外見は印象に残る、印象に残りたいと思えば、外見に磨きをかけ、それにともなう内容を語り、その内容に即した身振りなどの表現しないといけないことになる。総合的な外見と理解した方が良い。きちんとした身だしなみ、清潔感、好感を持ってもらう態度。しかし内面で怠ってれば、いくら外見を良くしても、良い印象はでないと思う。やはり日ごろの訓練だろう。

 中身と外見が伴っていないと、チグハグな印象を与えてしまうかなとも思う、『氏より,育ち」、『掃き溜めに鶴』、どんな環境にあっても、品格、物腰の良さがあれば、評価は良いだろう。そして洗濯の行き届いたこざっぱりとした服装。たとえば興味のない話を向けられても、本人が興味のあるフリをしても相手に興味がないのが伝わる。逆に興味がある話だと、ポーズ、声のトーン、表情が変化して、あー興味があるんだなと相手に伝わる。ここまで外見かいと言う人もあるだろう。しかし著者はここまで外見としていると思う。目に見えるものすべてである。

 よく化けの皮がはがれる、ぼろが出ると言う、ホンのちょっとしたとき出る。落差がなければ良いが、落差が大きいと困る。評価が良くなれば良いが。なんてことを考えてるとビクビクして生きなくてはと考える。結論よりよき自分を自分で作り、後ろ暗いことはしないことである。自分で自分にウソは付かないことかな。

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絶対貧困

2009・6・9

 面白くて一気の読んだ、ただ胸が切なくなる。想像を絶する環境と貧困の中で生きていく、その中でも生きていこうとする、生きていこうなんて生チョロイ物ではない。今命があるから生きてる、だから生きてる、何でもやって生きていく。日本人の感覚は危ないとか、法律に触れるとか、正義じゃないとか、偽善だ、だましだと思うだろう。しかし生きるという力の前では、そんな理屈は逆に邪魔になる。

 ギリギリ状態の環境におかれて生きることは、そんな理屈は邪魔になる。理屈を捏ね回してると、死んでしまう、どうであろうと生きるというエネルギーだけになると人は、どうやっても生きル、生きるというパワーはすごい。正しいとか、正しくないとか関係ない。ただひたすら生きる、命の限り。

 だったら滅茶苦茶かというと、スラム、貧民街、その社会のルールがあってうまく機能してる。本では主に東南アジア、インド、アフリカを取材してるが、世界中のどの国でも、どの時代でも存在してるし、存在していた。いつのときも国の為政者は、スラム、貧民街を良しとせず、追い立てる、囲い込む、とにかく見えないようにしてきた。新しいところでは北京オリンピックの時の中国、ソウルオリンピックのときの韓国、明治の日本ではアジアの一等国になるべく、貧民、乞食、放浪芸人の囲い込みである。

 ただ許せないと感じたのは、ストリートチルドレンを使って、売春、物乞いをさせる、犯罪ビジネスが存在すること。この犯罪ビジネスがなくならない限りどうしようもないと思った。またゲリラ組織に兵士集めにストリートチルドレンが対象になってること。怖いのは、命が大事だとか言う理屈が通じないので、子供の兵士が一番怖いこと。簡単に人を殺すということ。しかしこのことは中国の文化大革命のときも、紅衛兵でも怖いのが10代、ポルポト時代のカンボジアでも怖いのは少年兵。おちゃん的に考えれば、思春期の子供って、二者択一の思考をしてしまうので、これが良いと言えばそこに突っ走って、知恵とか教育も中途半端だからあまり考えない、高々10何年の経験しかないから、良いと思えばどっぷりつかってしまう。おちゃんの経験から言っても、子供って残酷。というより子供時代って残酷。おちゃんの経験から言うと、中学3年くらいまでかな。中学3年まで、かえる、ニワトリの解剖平気だった。気味悪いより好奇心の方が先だった。

 非行問題にも関係するんだけど、思春期のある時期まで、きちんと教育しないと駄目、家庭環境もそこそこにしてないと。年端も行かないうちに、悪につかるとそれが当たり前だと考えるから。家庭環境が劣悪な子が非行に走ったとき、たまたま普通の子が非行に走ったとき、非行からの抜け方、その後の人生ぜんぜん違うから。

 確かに物乞いは人の同情心を引いて、それがひどければひどいほど同情を集める。同情心を利用してるからいけないとも言えない。世の中は同情する人、される人が入るから生きていられる、もしそれがなかったら、みんな死んでる。宗教じゃないけど、誰もが持ってる意識はしないけど、慈悲とか、喜捨の心があるから生と死のギリギリの際でも何とか生きてるのかなと思う。お互いを支えあうルールかな。

 正論を言う人はいるけど、それが正しいのかなと疑問に感じる。確かにこの本に書かれてる最貧困を一気になくしてしまおう言うのは分かる。大事なのは、この本の書かれてる人たちの目線で考えないと。子供だけに関して言えば、絡み合った糸みたいに複雑でどうしようもない。でも子供には未来がある。子供だけは何とかしたいなと思う。時間かかるなー。

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久々レース編

2009・6・7

 ボヘミアンのベストは卒業式までになんとか間に合わせた。しかしおちゃんのセーターはとうとう間に合わなかった。バッチャのことは一山超えたし、本も読みすぎで、頭がうに状態なので久々レース編。本の作品は二つ作ってみた。写真で言えば33ページ、35ページ、小物である。早く付く手見たくて作ってみた。出来上がりは思っていたよりゴージャス、結構使い勝手は良いだろう、持ち手つきなので物は入るが、持ち手の部分は鎖編なので、軽いものを入れたほうが良い。

 作品的には特にテクニックが高度なものはないがモチーフ自体が難しいものもある。一応初心者からもできるが、立体モチーフの場合、編図だけでは説明が足りない気がする。おちゃんも最初に立体モチーフを作ったとき、編図どおり作っても、立体的に成らずやっと作った。昔から立体モチーフに関しては編み図だけでは説明が足りないと感じてる。

 モチーフの最大の魅力は少ない量で作品が出来る、あまった糸の再利用、色、モチーフの組み合わせで個性的な作品が出来る。ドイリーは大きなモチーフであれば一枚でも良いし、小さめなら3枚、4枚組み合わせてできる。ただバッグの場合、編地で持ち手を作ると伸びてしまうので、多少高くても持ち手を手芸店で買ってつけたほうが良い。

 この本で一番気になったのは、手さげを作りまちの部分の寸法の段数が書いてないこと、ただ寸法だけ書いていても、初心者は分からないだろう。段数を数えながら、モチーフとまちの部分を編みつないでいくので、少々不親切な気がする。

 モチーフは壁掛けとか、発想法でいくらにも変化するので、初心者には打ってつけであると同時に、小さい作品ながら高度なテクニックを学べる。どうしても大作を作りたくなるが、基本テクニックだけで作っても面白くない。それなら高度なテクニックは小品から始めて、大作に挑戦した方が良い。小品でも高度なテクニックを使ったものは良いものである。またいろいろな色を組み合わせて、レース編をする時も、モチーフからはじめると、経済的。

  作品はどれも作ってすぐ使えるような作品も多い。これはすごく良い。よく作品的には良くても使いにくい、特に手さげは伸びたるするので、見た目は良くても結局使わないで終わるときもある。小品はプレゼント向きである。おちゃんも33ページ、35ページの作品はプレゼントに作った。

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生涯発達の心理学

2009・6・3

 良い本です。初版が1990年、古いと思うか、そうでないと思うかは別として、中高年の能力、知力は衰えるものではない、人は最後まで進化するということです。おちゃん的には20年前なのでデータ的に不足もあるという感がある。内容的には、ピアジェに始まる、発達心理学的な記述が多く、中高年及び老年期の記述は添え物の感があるが、現在ほど高齢者に対する関心は高くなかった時期(介護保険制度前)、高齢者は知的に衰えるものではない、滅び行くものではない事を一般向けに書いたものとして評価したい。この時期は高齢者の社会的入院が大きな社会の問題、高齢者の在宅介護の困難さなどから、介護保険を導入するかどうか検討されていた頃かな。

 まーその頃から今を比べると、老人に対する理解、精神的ケア、心理的なものが一般にも理解されるようになったが、まだまだと言う感じ。年齢が行くにつれて身体能力、体力は落ちるが、適応能力、知的能力が落ちるかと言えばそうではない。個人差もあるが人は最後まで知的好奇心はあるし、経験として培ってきた能力は衰えない。逆にそれを用いて次のステップに行くことが若いものより長けて入る。まして長い人生、エキスパートとしてやってきた分野は高齢になっても、衰えないこと。確かに経済的には、低くなるが自由に使える時間がある。エキスパートとして生きる。しかし誰でもがエキスパートになれるわけではないが、子供を含めた人のネットワークを多く持つこと、自尊心を持つこと、意欲を持つことが充実した老後を送られる。今だったら当たり前だろうがといわれるが。

 しかしまだまだ中高年老人に対する偏見は多い。体力、適応力はない、身体能力、知的能力はないと雇用の場面でも敬遠される。しかしそうだろうか、身体能力、体力は低下はするが、知的能力はそうでもない。まして人は本能的に知識を欲するものである。老人本人はそれほど年を取ってるという感覚はない。周りが思い込ませてるだけの気がする。周りが思い込んでるだけ。常軌を逸したがんばり方をする人は別として、意外と自分の能力を知って、自立した生活してる老人がほとんどだと思う。

 結論、長い人生で養った知識、技術はそう簡単に衰えない。知的能力も培ってきた分野のものならば若い者に負けない。興味のある分野、好きな物への知的好奇心は年に関係ない。しかし常軌を逸したがんばり方はストレスになる(心身上良くない)、加齢になる部分を認めつつ年だからと決め付けないことが良いのかもしれない。

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やっと見つけた

2009・6・1

 ボヘミアンと古本屋へ行ったとき偶然見つけた。松田道夫氏の本である、現在氏の本はネットで検索して著書名はでてくるが、入手は困難であるらしい。仮に入手してもほとんどただみたいな値段である(岩波新書がほとんど)。現状としては評価が高い割に、入手が困難、限られた本しか見ることが出来ない。手には入るが馬鹿みたいに安い値段で、良書がこんな値段で扱われていいのかと腹が立つ。

 おちゃんは300円で買った。1965年初版、1968年代5版である。今回読んでみて感じたことは、現在問題になってる、閉ざされ空間での母子密着型の育児、自分の子供にしか感心が行かない、他の子供は関係ないという親の考え方。保育所に預ける母親に対して、もっと医療機関がなすこと、子供が病気になったときでも、母親が心配なく働けるように、保育所と医療機関が連携すること連携するセンター構想の提唱は注目に値する。現代は当たり前だが、かなり革新的な意見だと思う。企業もそんな母親に理解を示すようにと。企業ももっと子を持つ母親に理解を持つこと。子供を保育所に預けて働く母親に理解を示すこと。企業はただ儲けるだけではいけない事。今は(昭和38,9年の時点で)、金儲け主義、消費だけに熱中してる。子供はいい教育を受けて、いいところに勤めさせると言うこと、戒めている。この時代の母は弧母1代目である。

 この辺りから孤母の問題が出始め、松田道夫氏は弧母の関係は注意して入る。松田道夫氏が指摘した問題は現在も続いており、この本の書かれた時代より悪化している。企業も最近ここ十年くらいから、育児に対して理解を示すが、現実としてはまだ不十分である。また松田道夫氏は子育てのため、母親が仕事を断念することは勿体無いことであり、子育てしやすい職場環境を作ることが良いという。45年も前から、小児科医の立場で指摘されていながら、なんら変わる事がなく最近になって改革しようしてる、この国の認識の遅さにびっくりするとともに、松田道夫氏の先見性の目にも驚く。

 保育所は単に子供を預かるだけでなく、集団保育でなければ出来ない教育をするべきで(家庭で出来る教育、保育所でなければ出来ない教育がある)、保育士ももっと誇りを持ってほしいと言う。若い人には理解できないと思うが、おちゃんが子供の頃(昭和37年頃)は、保育所は共稼ぎの子供が行くところ、共稼ぎの家庭は良く思われなかった。保育所はあまり教育しないところという印象があり、幼稚園より一段低いと言うイメージがあった。母親が家に入るのが当たり前で、親が家にいないことは変に思われた。幼稚園は教育の場であり、保育園は単に保育の場であるというイメージ。保育時間が長いこともイメージとしてよくなかったらしい。今とは全く逆で、幼稚園も保育時間を長くしてるし、保育所もいつの時点か分からないが、教育に力を入れるようになる。現在は幼稚園も保育園の差があるのは、夏休み、冬休みあるかないだけ。しかしこれも幼稚園が拘りすぎると幼稚園は存続していかない時代である。

 おチャン的には、昭和30年代は今言うほど良い時代ではない、今の子供と変わらないと感じた。おちゃんがまだ幼稚園か、小学校の低学年なので分からないだけ。おちゃん的には空き地なんかは結構あった気もするが、松田道夫氏に言わせると空き地は少ないという(ここら辺が世代の違いか)。この本が書かれた時代は政府の方針は幼児の教育は家庭でという方針で、集団保育と家庭保育の違いを子供に経験させるべきであるという、松田道夫氏にすれば、集団保育の後退を危惧したのかもしれない。また女性も子供だけに関わってしまうと身勝手子育てになるし(子育てにおける孤立、悩みの発生)、女性も社会に出て働いた方が良いから、女性を家庭に引き戻すことは良くない。

 今だったら、政府の方針はお金がほしいから女性に働いてもらわないと困るから、女性の保育の為にいろいろな施策を講じてる。早い話が、金儲けの手段として、教育方針をころころ帰ることに松田道夫氏は怒ってるのである。45年以上も前に書かれた本であるが、現代でも十分通用する内容である。しかし45年経った今もあまり変わっていないこの国の遅さにはあきれ返る。

 松田道夫氏は男尊女卑というこの国独特の思考に対して呆れてるわけで、今だに男尊女卑がまかり通ってる。国の方針をもっと子供、女性、老人寄りにするには、男尊女卑の政治家は引退してもらうしかない。しかし思想信条の自由があるから、男尊女卑の意見のある方は堂々と述べれば良い。当選したいからと、うそを言ってはいけない。

 できれば再版してもらいたい本、是非にと願うしだいである。

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THEBEGIN THEBIZIN

2009・5・27

 新人物往来社徒言えば無骨な歴史物(男性中心)と言うイメージですが、題名がいい。「美人帖」、帳がではなく帖と言うのが時代を感じさせていい。こんだけ美人がいたのかと驚きました。

 おちゃんの婆様(バッチャの母)の言っていたマーガレットと言う髪型、芸者の絵葉書、聞いていましたが、あったんですね、この本で分かりました。浮世絵を思わせる美人の方もあり、浮世絵もまんざら写実主義から遠く離れたものではないと実感。表紙は御高祖頭巾、婆様の話だと、明治、大正のある時点まで小学生も雪が降ると、御高祖頭巾をしたようです(婆様明治36年生まれ)。大阪でも今より、雪が降る日が多かったみたい。

 愛蔵版だともっと分かりやすいと思いますが、おちゃんが買ったのは文庫、絵的表現には限界がありますが、全体に楚々とした品のある人が多い。これが女郎クラスだとかなり下品です。こちらの方の女性を見たい方はエドワード・モース「百年前の日本」を

 写真自体かなり修正を加えてある気がします。肖像画と写真の中間のような印象のある写真もありますが、上位の美人だとあまり修正がないような気がします(当たり前か)。下位に行くほど修正臭い。しかし名妓と呼ばれた方たちは、深窓の令嬢風の姿で写真を写しても遜色がない。品と知性がそうさせるのでしょうか。

 モノクロの写真なので、着物、小物の素晴らしさは良く伝わらないと思いますが、おちゃんが見る限り、かなり高級な絹の着物を着てます。風合いがふんわり、軽く、、質感のしっかり生地です。今時のべたっとした、うすっぺらい気地とはぜんぜん違います。かんざしもかなり大胆なデザイン、色合いのものでしょう。半襟も。幕末、明治の女性は大半が男性に隷属してたと言うイメージですが、この本に出てくる女性は、自分と言うものを持っていた女性が多い。男性優位の時代の中で、どこかで自己実現をした女性たちです。

 おちゃんの婆様の着物(ほとんど戦前の品)を見ますが、品物は今より当然いいし、柄、色使いも今よりずっと大胆です、昔の女性は楚々とした、静かな女性は多い中、このような大胆な柄、派手な色を着こなすのかとびっくりする時があります。たぶん心の中は今の女性より大胆かもしれない、その心を着物、小物で表していたのかも。

 実物を見たことにない方は、分からないと思いますが、戦前の女性の小間物、人形、着物は今の物と違って、デザイン、品質、技術、どれも一級品です。ぜひ古布屋、古道具屋、博物館で見ていただきたい。本当に素晴らしいです。見たい方はエドワード・モース「モースの見た日本」を見てください。明治の日本の素晴らしい日常の製品が載っています。

 しかし、名妓の写真を見て感じるのは、二十歳に成るか成らないうちに、パトロン(富と名声が在ると言うが)が付いて、見受け、囲われ者になるときどんな気持ちがするのでしょうか。それが仕事と言えばそうかもしれないが、理解できません。またいい年こいた男が孫か、娘と同じくらいの女を囲う気も分かりません。名妓の写真を見ると複雑な気がします。

モースコレクションの写真集は、高いものですがおちゃんは大変良い本だと感じてます。本はある程度の量になると処分しますが、モースの写真集は、買ってから20年以上になるけど手元に置いてます。写真集は処分するときはかなり迷い、今は処分したことを後悔してます。今後全集物の写真集は出ない気もします。場所は取るし、読むときもないので、しかし時間旅行が出来る(歴史の)、また時々見る度の新しい発見もあります。モースコレクションの写真集は、浮世絵、文献の中の風俗が事実だったという事が写真という形で現れ、やはり事実、本物だと教えてくれます。この写真集が絶版されることがないように思います。

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福祉の歴史・リストラの歴史を考える

2009・5・24

 「貧民の帝都」をA.、「幕末下級武士のリストラ戦記」をBとする.。幕末の社会状況、日本の福祉の歴史を知りたい人には打ってつけの本。おちゃんが「心の電話」の公開講座で弘大の民法の教授から聞いた話しだと、今は歴史の転換、明治維新、終戦直後に匹敵するという。

 Bを読むときは幕府を会社と考え、倒産、リストラとすれば、主人公山本政恒の生き方は誠に立派であり、現代人は出来るだろうかと考えてしまう。彼は御従という身分の元幕臣。しかし生活を考えると、元幕臣に拘ると仕事はない。新政府で働くことは、難しいだろう、そんな思いを心に秘め、新政府で役人として働き、内職、商店経営、その傍らに自給自足のため農業、家庭にいれば良き父、夫である(明治の父は意外と優しく、子煩悩、福沢諭吉、石光真清、森鴎外、厳しくしかるということはなく諭す、子の自主性を重んじる。また福沢、石光、森、山本の子供の頃の両親も厳しく教育せず諭すタイプである。それが時代に柔軟に対応すると言う思考に結びつくかは分からないが、武士階級でありながら拘ることなく、新政府である程度の成功を収めている)。柔軟な思考、何でもやってみようと言う生きていくエネルギー。

 柔軟な思考に加え、人柄もよろしいらしく、人同士のネットワークも豊富でネットワークをうまく活用して、76歳まで生き、ある時点から自分史を書こうと思い、子孫のために書き、保管されていたものが本になったものである。武士と言う身分に拘らず時代の波に乗ると言う柔軟性、教養、生来の手先の器用さ、好奇心、これが山本政恒の人生を安定、平穏、堅実に送らせた原動力であろう。

 逆に武士と言うことに拘っていれば、安定した人生が送られただろうか。「幕府は大政奉還したので、明日から武士は廃業になります」なんて言われたら怒るだろう。武士の既得権に拘るから、佐賀の乱、マックス西南戦争であり、武士の商法の失敗。結局武士と言うこだわりをさらりと捨てたものが勝ち組、拘ったものが負け組み。

 Bは幕府が瓦解し、幕府軍と官軍が江戸で戦闘が始まるらしいと言うことで、武士階級、裕福な町人が逃げ出し、江戸の人口が半分になり、都市機能が麻痺,乞食、非人、棄民であふれた事から、日本の福祉の萌芽が始まる。各藩の武士、裕福な町民は逃げても、逃げそびれた、いく所のない、武士、町民は、倒産した社長が夜逃げしたようなもので、明日からの糧がなく、零落する。派遣切りにあって、帰るところのない人に通じる気がする。Bに関しては、おちゃんは時代が幕府瓦解ではあるが、現代に似た要素が多く、おおいに共感する。

 江戸時代にも、人足寄場と言う授産施設、自然災害のときのお救い小屋という救済、福祉の原型はあった。しかし幕府瓦解直後しばらくは、あまりの棄民の多さで、次から次施設を作った。空き屋敷になった元藩邸、廃仏毀釈で荒れた寺、用地には苦労しなっかたらしい。資金としては七分金積立を使ったらしいが、本来は民が使うもので公儀と言えども、口が挟めなかったらしい、江戸時代はそれが守られた。幕府瓦解のときも使われたらしいが、明治になると役人が廃止したり、復活したり、口は挟むが金は出さないである。

 著者は泥縄式とこの時代の施作を言うが、おちゃん的には日本の福祉の原型が出来つつあるなと見る。しかし時代が下るにつれて、用地の確保、近隣からの苦情、資金など、現代と似たような問題もでてくる。確かに帝都の恥部と言うことで、棄民の囲い込みのような施作ではあるが、現代のハローワーク、職業訓練の原型と思われるものが出来ている事に注目したい。

 結論、幕府瓦解後いつまでも前職に拘った者は(武士階級)、乱を起こし新政府に歯向かって朽ち果てるか、果ては棄民になるかである。認めたくはないが、現実をしかと見つめいこうと考えたものが勝ったと思う。勝ったという表現はきついかもしれない。時代の波に乗った者、乗ることが出来なかった者。それは果たして自己責任としてかたずけていいのだろうか。最近になってやっと、自己責任ではないという考え方もでてきたが、まだまだ自己責任で片付けられている気がする。国民の最低限度文化的生活が保証されない限り、中途半端な福祉が続く限り、明治も、現代も変化していない気がする。

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弧母社会

2009・5・19

 お勧め本なのか、お勧め本でないのかよく分かりません、と言うのが正直な感想。現在小中学生を育てて入る親は、弧母2世と言う考え方は、なるほど納得。弧母1世の年齢は60代から70代、日本国が高度成長期で、父のお金で、母専業主婦で、十分生活できた時代。しかし地域社会との絆が薄くなりかけ、ガンバレ、ガンバレノ時代、がんばる事が美徳の時代。父仕事、母一人で育児がんばるのが当たり前、まだ母は耐えるということが何ぼか当たり前みたいな時代。

 弧母1世の母から育ったから、当然のように弧母2世も1世の子育てを踏襲すると言う考察は新鮮である。愚痴も言わずもくもくと、弱音は吐かない。日本国高度成長のときは弱音を吐くことは負け組み、吐いてはいけないという暗黙のルールみたいなものがあった。

 現在は「あなたはあなたにままで良い、在るがままを認めよう、我慢しなくて良い、話してごらん」と言うやさしい時代(おちゃん的には認めない。額面どおりに受け取る馬鹿が多い時代、野に猛獣を放つものだと思う、よほど頭の良い理解力のある人でないと使えないメッセージ)。著者も現実離れした理想論を子供に説くと、とんでもないしっぺ返しがあることを憂いてる。子供立場を尊重して、延々と話す親である(子供は聞きたくない)。

 枕が長くなった。子育てで悩む。親自身が弱音を吐けない、相談しない、一人でがんばるもの思ってる。自分を一段高いところに上げてるもんだから(プライドが高い)、今困難な立場に入る自分を認めたくない。女として感じるのだが、女は大なり小なり弧母になる可能性がある。子供が出来る、だんななんてどうでも良い、全面的に可愛い、いつまでも側に起きたい、四六時中心配である。しかし邯鄲の歩みで子供は自立していく、母は孤独になる。コントロールするわけではないが心配のあまり手を出す。

 孤母ノ場合、、子育ての悩みもあるがプライドがあるから相談もしない、母ががんばって育てる。親自身がいい子なのである。いい子は弱音を吐けないという思い込み。おちゃん的に著者のモデルは専業主婦で、学歴が高い、チト現実離れしてる気がする。孤立するには専業主婦だから、いまどきほとんどとも稼ぎ、専業主婦と言うだけで浮いてしまう。専業主婦プラスいい子で入るから孤母になるとおちゃんは考える。

 母と子は一時期、父も入り込むことが出来ないほど密着する時期がある。しかし徐々に隙間が出来、父も入るが間が悪いとギクシャクする。父が孤独と言う時期、父の存在がない時期である。しかしいつかは必ず父出番のときがある。そのときまで待てばいい、それまで母の話を著者のいうとおり聞いてあげればいい。母の役割、父の役割はある。母は父になれないし、その逆もない。

 おちゃん的結論、孤母とは。いい子のがんばりすぎの母。悩んだときは電話相談でも利用できるものは利用しろ。納得いくまで利用しろ。PTA役員やれ。家に子供の友達を呼べ。学担と仲良くなろう。

 おちゃんも孤母の可能性はある。専業主婦なので。ボヘミアンべったりです。チャンは孤独です。しかしボヘミアン曰く、おちゃんはボヘミアンに対して投げっぱなしだそうで。チャンの方が細かいと。適当で、細かくないそうで。しつこくないと。

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モナ・リザは高脂血症だった

2009・5・18

 肖像が、写真から絵の主人公はどのような病気だったか推理する。面白い。大変面白い、頭が疲れたとき、目先の変わった物を読みたい人向け。ミロのビーナスの妊娠線には笑ってしまった。昔からミロのビーナスはどう見てもおばさん体型のような気がしてならない、おちゃん的には著者の見方に賛同する。

 ブィーナスの外反母趾も笑った、まさか後世の医者に病気の診断に使われるとは、画家は想像しなかっただろう。しかし徹底した写実主義のヨーロッパの作品だから、我々としても絵を見たときなるほどと、うなずける。しかし日本画からの解釈だと、本当かなと思うが、そこは昔の文献、日記から判断して、さらに絵からと推理してる。特に戦国武将の章では、ドレも強度の緊張とストレス、塩分の取りすぎ、酒で、高血圧、脳血管疾患で死んでいる。精神的にもかなり病んでるなと感じた。

 藤原道長の糖尿病は、現代にも通じるメタボの塊。実際平安貴族の装束では運動不足になっても、不思議はないなと思う。西行は絶対、精神的に屈折してる、西行のところを読んでみて感じたのは、虐待の連鎖ではないかと感じた。昔は天才、偉人は非の打ち所がないと思っていた。思わされていた。しかし人の子である、誰にでも人生における、不幸は等しくやってくるのだ。

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夏目漱石を読む

2009・5・10

 頭が疲れたので、本当に久々夏目漱石を読む。森鴎外、永井荷風に比べたら漱石の作品はあまり読んでない。しかし「永日小品」は何度読んでも、作品に味わいがある、好きな作品は「柿」、「火鉢」、「人間」、「山鳥」、「モナリサ」。特に「モナリサ」で、は明治の頃の日本ではどんな絵の状態で「モナリザ」の絵が一般に見られていたのだろうと想像した。主人公は最後に縁起の悪い絵として屑屋に売ってしまう。多分これが漱石の「モナリザ」に対する評価だろう、大体「モナリザ」の絵は不気味である、おちゃんもそう思う。主人公の細君も君が悪いと言う。明治の頃も現代も、いくら名画だと叫んでも、気味の悪い物は気味が悪い。まして古道具屋でホコリだらけで置かれていた、主人公は職場でモナリザ、ダ・ブィンチ、の事を問うても誰も知らぬという、これが明治の世間一般であろう。

 「永日小品」の面白さは漱石をライブ感覚で、楽しめる、ライフスタイルを見てるような気がするのでいい。漱石がそこら辺をうろうろ歩いてる気がする、家人としてはあまり何もせず、子供が泣けばうるさいと言う、この辺が森鴎外との違い、鴎外だったら子供をなだめるかも知れない。永井荷風と子供は想像したくない。

 「山鳥」は物悲しい、小説家を目指す青年のことだが、漱石は物にはならないと感じながら、青年がお金を貸してくださいと言えば貸し、作品を斡旋したり人の良さ、しかし漱石自身にすれば納得してはいないだろう、仕方なくだろう。

 「柿」は喜いちゃんと言う見掛けは可愛いが、ちょっと意地の悪い子である。関西弁で言う、いけずである。喜いちゃんの家庭は自分たちは上流と思ってる、長屋の少年与吉を貧乏人、はなたれ小僧とさげすむ、与吉は喜伊ちゃんのゴムマリを返さない。とうとうゴムマリは返ってこない。意趣返しに喜いちゃんは与吉に柿喰うかいといって、渋柿を食わす。子供とはいつの時代でも残酷である。

 現代人の感覚と100年前の人と感覚の違いを楽しんだり、結構同じジャンと感じたり出来る本である。

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ルポ高齢者医療

2009・5・6

 「ルポ高齢者医療」を読んで驚いたのは、在宅復帰率60%と言う数値である。2008年の診療報酬改定で明示されたこと、介護療養病床全廃である。自分で介護のことを書いていながら、現実に起きている介護の問題が分からなかった。おちゃんとしてはこの本も将来介護というものを自分の家庭の問題として、考えてる人に読んでもらいたい。将来の介護がどのように変化するのか、現在の介護の問題、介護を地域で支えてる姿(こんな地域で介護を受けたいと思うが、現実として少ない)を見てほしいし、将来のあるべき姿としてとらえてもいい。

 介護保険制度は原則在宅である。ここで在宅復帰率60%と言う数値が明示されたことで、ますます施設入所が難しく、いやおうなく在宅を選択せねばならないこと。介護療養病床全廃となればもっと難しい、介護療養病床全廃は厚生省としては、全廃にはせず削減にするらしいが、今後は在宅が今より増加するだろうと思う。

 しかし在宅には限界があること、家庭の事情によっては在宅が出来ない事、本で紹介された地域で介護医療を支えている病院、施設は在宅を視野に入れた活動であり、様態が変化しやすい高齢者に常に対応するべく活動している。施設、病院で生活するよりは家での生活、最後が理想である。具体化しようとすれば、介護、医療は切り離すものではないし、常にチームとしての各分野セクションの連携が必須となる。だが現実は本で紹介されて入るような地域は少ないこと、将来に向かっては紹介されたような病院、施設は増えるだろうが、今は介護保険制度をうまく利用することしか出来ないと考える。利用者、その家族が介護保険制度を勉強すること(メリット、デメリットを含めて、うまく利用すること)。高齢者の心理、痴呆について勉強すること。

 在宅介護をしてる人は、自分の老後を施設を希望する人が多い。介護度が高くなれば在宅では無理、介護者の負担が大きくなるだけ。在宅介護の大変さを知っているから、家族に負担をかけない、施設を選択するのだろう。また家族の形が急激に変化してる今、一律に在宅を推し進めていいのか考えてしまった。今、家族が介護をするという考えが美談でないと言う考えが無くなって来たことはいいことだし、何でも介護者が背負い込むこと自体が間違ってると言う考えも、今後の介護を考える上で重要である。在宅で出来ること、出来ないことをはっきりさせること、出来ない部分をどうやって在宅で可能にするかをやらないことには、在宅を進めることは出来ない。介護する者に対する支援があいまいなものではなく明確なものにならないと、在宅は難しい。特に夜間に関してはどうするのかである。

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新潟少女監禁事件

2009・5・3

 新潟少女監禁事件から9年も経つのか、最近のことのような気がしたのに。しかしこのような人格障害の事件が最近多すぎる。この事件は興味があったのでさっそく買って読んだ。しかし期待ほどではなかった、残念ながら。

 犯人であるS被告の生い立ち、つまり成育史の掘り下げが足りないこと、母親の人物像が薄すぎて、生煮えの感じがする。その割には裁判の公判記録のページが多すぎて読むのにしんどかった。しかし作者の裁判傍聴に対する意気込みがすごくて、そのエネルギーには圧倒されるから、中途半端の内容になったことは非常にもったいない。

 S被告のあまりに自己中心的な反抗、拷問同様のスタンガンを使った暴行には恐怖を感じる、少女が毛布をかんで痛みに耐えた場面では小学生である、大人でもおかしくなるだろうがよく9年間も正常な精神を保てたと驚嘆した。逆にいまだ納得できないのは、9年間少女が監禁されていたことを、母親が気が付かないこと、息子(S被告)の暴力がそれだけ恐怖だった、恐怖と言う神経だけが残って他の神経は麻痺していたのか。しかし9年間と言う長い時間、本当に気が付かなかったのか、疑問が残る。恐怖の親子間の依存関係とおちゃんは見る。公判中もS被告の反省が見られないのは、人格障害かもしれない。だが単に人格障害で終わらせずもう少し、成育史からでも追求できなかったのか。

 強迫神経症というが、もうこうなるとほとんど犯罪者に近い強迫神経症、人格障害の場合治療するにしても本人に自覚がないから治療の継続が望めない。だから治療も出来なかったのだろう。そして母親と息子の恐怖の依存関係が、この事件を長期化させた原因でもある(あくまでもおちゃんの分析)。もちろん、新潟県警の責任もあるが。母親と息子の依存関係から生ずる事件はいろいろあるし、事件でなくても母親と息子の依存関係は問題になる。おちゃんもボヘミアンとの関係を依存にならぬようにしてきたが、急に心配になった。ボヘミアンに言わせると、おちゃんは全く放り投げだそうだ。おちゃんはほどほど構って、ほどほど丸投げと思っていたが。だが、全く丸投げとは。

 このような悲劇を見ると親子とはどのようなものだろうか、どうすればいいとかいろいろ考えてしまった。

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親の「ボケ」に気づいたら

2009・4・27

 昨日バッチャ退院、早速喧嘩、つくづく親子だと思う。今日はケアマネ、通所リハの担当者が来る。バッチャの自力歩行の距離の長さにみんな驚く。たぶん前に出した状態より良くなったので驚いたのだろう。しかしミスター整骨院の話では良くなったと思うのは間違いで、見掛けの状態だと言う。いづれ介護度の段階は上がっていくだろう。安心は出来ないって事だろう。

 「親の「ボケ」に気づいたら」おちゃんが今まで読んだ介護関係の本で一番いい本です。ぜひ読んでほしい、介護をしてる家族はどうか分からないが、今、介護保険の申請に悩んでる人、ちょっと介護保険を勉強してみよか、打ってつけの本。

 非常に読み易い文章表現も魅力ですが、架空の家族のアルツハイマーの発症の始まりから、終末期まで書かれており、進行の段階に応じた解説は大変ためになります。介護保険の申請から始まってるのでいろいろな本を捜して読むより、この本を読んだほうがいいと思います。それからいろいろな本を読んだ方がいいです。またエピソードとして載っている事例は非常に参考になります。ほとんど無駄がない本なのでぜひ一読を。

 介護をどうしたらより楽のできるかは、情報をどれだけ集められるか、痴呆と言う物に対してきちんと向き合う事から始まると思います。また本書では早い段階のショートステイを勧めていますが、なるほど思います。在宅介護を楽にする人はショートステイを旨く利用しています。在宅での介護者はショートステイを利用することで休息するのですから旨く利用するべきだし、弘前あたりでも土、日の通所があるのでこれを利用しない手はないです。半日楽できるだけでもかなり違います。おちゃんがヘルパーの資格を取った頃は、通所はほとんど月曜日から金曜日。ショートステイのベッドも確保が難しいと聞いていましたが、今はどこもショートステイを売りにしてるので、入所は難しいので在宅とショートを両方利用してるみたいです。入所は待機が長いのでショートで乗り切るしかない、ショートをしながら待機のようです。

 何のかんのと言っても、介護保険はいい制度です。旨く利用すべきです。原則は在宅ですが、入所するか、在宅にするかは家族に委ねられるべきで、何が何でも在宅に持っていく方法はどうかと思います。著者もそういう考えです。在宅の辛さは介護技術ではありません、精神的な辛さです、その辛さを分け合う者がいるだけで違います。人のネットワークです。著者の言うとおり在宅の経験者の話が一番参考になります。おちゃんも今回のバッチャの介護は、在宅経験者の話が一番参考になりました。

 在宅は先の見えないトンネルと言います。まだ在宅を始めたばかりなので何とも言えないのですが、良い時もあれば、悪い時もある、天気予報みたいな物じゃないかと思います。ミスター整骨院(リハ専門の介護職も担当、おちゃんの介護の師匠で、おちゃんは夫婦で患者でもある)に言わせると甘いと言われるが。しかし脳血管性の痴呆の方が攻撃性が強いとは知りませんでした。この本にも書かれてる事例にもあるように、予想していたよりすんなり受け入れてくれるときがあります。心配した事があほみたいと思う場面にも遭遇するときもあるので、心配するよりは実行した方が良い時もあります。心配しすぎて時期を逃したかな思うけど、案外よい方に向かったり、やってみないと分からないですね。

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人格障害かもしれない

2009・4・15

 人格障害とは周りの困ったさんと理解したほうがいいかな。人格障害に関して丁寧に書かれている、理解すると言うよりこの様な事を言うのだと感じた。人格障害は精神疾患の範疇に入らないのは意外だと思った。しかし困ったさんで入る分には構わないが、周りの人を巻き込む場合はやはり精神科医の出番だろう。しかしどうして連れて行くのかと考えてしまった、痴呆の場合はだまくらかすという手もあるが。

 「精神科医は腹の中で何を考えているか」の作者も、「人格障害かもしれない」の作者もDSMに関しては懐疑的である。おちゃんもそう思う。確かに便利だが頼りすぎないのが肝要。表に表れた症状だけで判断されたら大変である。問診、行動、トータルで診断されるべきだと思っていたが、少なくともDSMに関して懐疑的であることは名医だなと思う。カウンセリングを重んじてるなと思う。何分も患者と向き合うことが医者には無理な現状を思うと、医者は診察に専念すべきであり、後細かいとこはカウンセリングで埋めても良いとこの頃思う。

 話はそれたが精神科としては精神病は統合失調症指し、A群人格障害は統合失調症の診断基準を満たさない、B群、C群人格障害は人格の歪み、逸脱、統合失調症ではないと言う。結論人格障害は精神疾患ではない。対症療法として薬は使うが、カウンセリングである(詳しくは本書で)。しかし本人は拒めばそれまで、困ったさんは周りを取り込んでゆく。境界性人格障害は精神科医でも取り込んでしまい場合もある、だから周りの人は大変。ボロボロになるまで付き合うか、見限るかである、悲しいと思う。

 読んでる時こんな時はこんな症状出るよなとか想像したり、自分でも思い当たるふしもあるが、一般的に視野が狭くなった状態(精神状態)で症状が出やすいなと感じる。ものすごい恋愛してるとか、子育てに熱中しすぎるとか、精神が何かに集中してる状態、周りが見えない、周りを理解できない、思考停状態、日常生活では多々ある。しかしすぐ普通の行動に戻るから問題ない訳で。しかし精神状態を理解できなくもない(想像してください)。

 精神、心理系の本を読みすぎたせいか、頭が疲れた。

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精神科医は腹のそこで何を考えているのか

2009・4・8

 笑ってしまうところもあれば、悲しくなるような、うんそーだよなと共感するところもある。著者の正直な気持ち、考え、懺悔録様な気がする。著者は自分のことをシニカルという、でもそんなところがなければ精神科医としてやっていけないんじゃないかと思う。読後感は著者の言わんとすることを、理解できればいくらかでも生き易くなるなと感じた。

 著者は精神科医の立場として言ってるが、おちゃん的には、医者全般結局は腹の底同じじゃないかって。「他人には検診を勧めても、自分が受けるのは断固とし嫌がる医者」は大いにそう感じた(脳ドッグの関してだが検診全体に言えると思う)。自分で進んでいくなら分かるが勧められていくもんじゃない。もし最悪の結果が出たとき、勧められていったときあなたならどうする?病気が完治すると言い切ることはハムレット的心境、100%は有り得ない、患者は100%を期待する(完治するのはあるが精神疾患に関しては有り得ないわけで、他の疾患に関しても同じ事が言える)。

 医者も結局人である以上、大いに悩むわけでもし医者に「あなたは癌でね、私は言いたくないんですよ。でも今は告知する時代だしね、治る確率は半々でね。私はうそ付きたくないし、でもあなたの気持ちを考えると言わない方がいい気もするし。大いに悩みながら話してるんですよ」なんて言われたらどうする?うそも方便で真実をぼかすか、馬鹿正直に真実を言うか。医者は悩む。こんなときはもううそを良くないとか、真実を言うべきという、一般論で済まない訳で。逆に一般論て物は邪魔になるわけで。

 書いてる自分でも分けが分からなくなってきた。病気(特に精神疾患)は患者本人、家族、本人の将来とにかく人生全般に関わるので、結果オーライのためには奇麗事を言ってられない、最終的にはほどほどの距離感をとりつつ、しかし冷たくはないのだが、そう思われるかもしれないと(様々な葛藤がありつつ)、とにかく複雑な心理を書いてる。医者と患者の微妙な駆け引き。自分の精神をコントロールしつつ。つつと書くのは心理状態が、変化してるわけで(医者も患者も)。

 ステレオタイプの医療に関する正論とか、真実を告知するべきという考えをお持ちの方読まないほうが良い。腹が立つだけである。マー、おちゃんに言わせると度量が狭いという方。清濁合わせを持つ、白黒はっきり付けない考え方を持ってる方は良いけど。マーイ一カという方なら理解できるだろう。この本読んで得したことは、医者も悩みながら説明してるわけで、患者も特に精神科医に対しては家族は人間観察をする余裕があれば良いと思う。赤ひげ的先生は期待しないほうが得かもしれない。

 ならばどうするんだと言えば、精神科、神経科に対して偏見を持たず受診する。他科の医者から精神科の受診を勧められたら、すぐ行きなさい。受診の第1歩から始まるので早く。どうして連れ出すか、勧めた医者に聞いてください。それでも駄目ならインターネットで検索しまくる。どうしても駄目から家族が先の言って症状を話す。諦めないこと、諦めの思考停止は破滅のスパイラル。同情、中途半端な優しさ、まだ良いは分かりますよね。家族、家庭を潰す潰さないはこれにかかってます。

 青森県の場合は病院その物が少ないこともあるので、病院の評判をあまり気にせず受診することですね。患者さんによって良いと言う人、駄目という人も歩けど選択の余地がないので受診優先で言ったら思います。病そのものはメンタル的に落ち込むので、本当はメンタル的なサポートも必要なんですけど、そんな診療体制はまだまだですが必要性は叫ばれています。その本も今読んでますが、今後書きます。

 アーシンド

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介護

2009・4・5

 良い本です。自分で読む本はいつもいいと書く、良い本だから書くので、勧めたくなるから書く、読んでみないと分からない。介護の現状が分かります、腰巻はかなり過激です、「長生きはするなということなのか」、しかし介護崩壊は進みつつあることはこの本で分かった。国が進めている介護予防はあまり効果は上げていない。しかし将来を考えてみると必要なことである。介護本番を迎えると思った以上にお金がかかる、精神的な負担もすごい。それを考えると、介護予防は重要である、しかし今のところ遅々として進んでない、2006年スタートだから仕方がない気がする、成果を急ぎすぎる気がする、もう少し様子を見てもいい気がする。今の高齢者には間に合わなくても、現在の重篤な高齢者、介護地獄を見て来た世代はなりたくないと思うので、介護予防には積極的になるだろう。今は遅々として進まないが火を消したくないと感じた。

 障害者年金で暮らしてる人が国民年金を貰うようになると、介護保険に切り替わるときに介護保険の認定度と障害者の認程度では差があり、結果として軽くなることの矛盾。「改正介護保険法」では利用者、介護職従事者に負担を強いることになった。おちゃんがヘルパー2級を取ったときに比べて介護度の基準が厳しくなった、身体よりも精神に重点が移ったから。実際身体よりも精神のほうが家族には負担を強いるもの。しかし身体の介護は楽だという事ではない。ある看護士の話だと現在要介護5、寝たきり状態は手間が掛からないので逆に介護度が低くなるという話もある。実際ヘルパーの経験者、介護家族の話を聞くと楽だという。直接聞いてるから事実だろう。

 コムスンの事件もあって介護保険事業は本来市町村の事業であるはずなのに、国の関与が大きくなってきてる事、事業者に対する連座制が正しいかとか。介護に関しての連座制はおちゃんは単純に正しいと思っていたが、この本でおかしいなと感じた。不正を行ったものが罰せられるだけでいい、真面目に仕事をしてる人までわりを食う事はない。それでなくても介護に従事する者が少ないのに、連座制で職を失ったり、介護難民を作ってはならない。

 介護保険制度はいろいろ問題があるが良い物であるし、今後介護予防が進み重篤な高齢者が減るようになればいいと思う。しかし長生きすればいずれ重篤になるだろうが、今より利用しやすい制度になれば良い。重篤な場合施設を利用できる(待機しないで)ようになれば。介護保険は在宅を基本としてる、しかし在宅には限界がある、在宅化を進める野はいいがやはり施設を利用できるようにしないと、なんでも在宅というのは問題である。国は何を考えてるのだろう。確かに在宅で暮らしたいのは分かるが限界がある(経済的に施設入所は無理なので、仕方なく在宅の場合もある)、家族介護の負担を考えると施設も重要である。国はいまだに日本的福祉、家族の負担を期待してるのか考えてしまう。

一律の介護サービスではなく利用者にあったサービス、介護保険は利用者がサービスを選択できる、利用者本位、自己決定が本来の姿であった、しかし現実は利用者不便、事業者本位のサービス(最もこれは介護度は低い場合で、結局はキーパーソンが選択するが)。介護従事者の待遇はもっと改善されるべきでもう8年前から、介護従事者には仕事に見合った報酬をという意見もあった。また介護従事者のメンタル的な支援、相談も充実しなければと、想像以上のストレスがたまる職種でもある。崇高な理念とか、人に奉仕するとか言うがそんな奇麗事ではない、生の人間とのぶつかり合いである、それで就労環境が悪ければ誰が仕事をするだろうか。超高齢化がやってくるのにもたもたしてられない。自分自身介護地獄のスパイラルに巻き込まれないようにするには、介護保険のシステムを理解し、介護予防に努めるしかない自己防衛である。

 介護保険の大きな誤りは競争原理を取りいれた事、儲けるなとは言わないが、儲けには走り過ぎないように。おちゃん的には「痴呆老人は何を見ているのか」のようなきれいきれいの文章より、「介護」のように現状を冷静に書かれた、感情を排した本が好きである。結構中身はボリュームがあって、でも読みやすい文章、来年読むより今年読む本ですね、旬のうちに読むべきです。来年だと古くなる。介護の現場は変化するので

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痴呆について

2009・4・2

 朝テレビをつけたら南田洋子さんが意識障害だという。夫君の長門裕之氏は「」私一人では出来ない、たくさんの人の支援を請けたから」大変正直である。そのとおり、一人でがんばる物ではないし、様々な人の支援を受けなければ出来ない。約3年前に認知症が発症したらしいが多分その前から発症していたと思う。チャンの母親も痴呆が入ったが今になって見るとおかしいな思う所があった。バッチャも認知が入ってるが家族は年のせいくらいと考えていたが、プロが見ると認知が入っていた。バッチャはまだ深刻な状態ではないが。

 「痴呆老人は何を見ているか」は読後感はずっしり重い感じがする、しかし痴呆、認知症のご老人を理解するうえでは良書だと思う。哲学書的な書き方、おちゃんにすれば少し奇麗事過ぎるなという感じもする。しかし良書なのである。外部観察でが(痴呆にならなければ分からないが)、成るほどと思わせ偏見、誤解への理解の糸口をつかめる様に感じた。

 生まれてすぐの赤ちゃんは精神が0の状態、しかし記憶、経験をつむことで神経、精神のネットワークをつないで行く。生まれてすぐの夜鳴きは不安の表れ、暗い所、親から離れた場所、とにかく不安と思うから泣く。しかし親との情愛の中で夜泣きはなくなる。ネットワークが作られることで安心、親との信頼を獲得していく。痴呆はこの逆で、精神、神経をつないでいるネットワークが失われていく、そこには不安がある、ストレスがある。だから問題行動として出てくる。夜間せん妄、若返り現象(現在おかれている状態に何らかのストレスを抱えているので、幸福だった時代に戻る)が起こるという具合にわかりやすく、丁寧に書かれている。夜鳴きにおちゃんも不安の一つと考えるし、メランコリック症候群というものがあり、夕方になるとぐずる赤ちゃんもいる。ご老人も夕方になると不安を訴える方もあるという。

 進行具合は個人によって違う、ゆるゆると進む方、一気に進む方、しかし我々が知らない精神世界に行く(死後の世界ではない)、著者は痴呆は病気とされる事を疑問に考えているようだ、おちゃんもそう思う、長寿という時代には避けては通れない人生の通過点かもしれない。しかし誰もそうなるわけでもないし、ならないとも言えない。生きてみないと分からない。

 しかし介護をしてる人にすればそうですかと簡単に理解は出来ないと思う。介護は育児の逆と考えればいいが、エンドレスだし、プライドとかいろいろな個人の歴史が絡んでくるので大変。しかしこの本は問題行動をおこすご老人は何らかのストレス、不安、を抱えていること、家族からのご老人に関する情報が少ないこと(介護者に情報量が少ないため適切な介護が出来ない)を上げている。夜間せん妄もストレスからというものもこの本で知った。

 ならばこの本のとおりを理解してご老人に接しても、ことごとく裏切られるだろう。伊達に長生きはしてない、人生の達人である。怒るかもしれないが認知、痴呆を逆手にとって、介護は狸と狸の化かしあいみたいなとこがある。結局は深刻になる過ぎず、冷静に現実を受け止めることが大事。入らないのは、中途半端なやさしさ、現実無視の自己犠牲的介護である。介護者は崇高な使命に燃えてるかも知れないが、崇高すぎて倒れてしまう。だからがんばらない介護(しかし難しい、ガンバラナイ、ほどほど手抜きという境地に至るまでは。おちゃんが今そう、いかにして手を抜くか、バッチャを理解しつつ、可哀想だなと言う思いとも対立しつつ)。

 何度も言います、理解するには分かりやすく、読みやすく(良書の条件備えてる)、多少崇高過ぎますが良い本です。

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シップ怒涛の中で読んだ本

2009・3・28

 「ありのままで愛されたかった」は卒業式の朝役員のお母さんから戴いた本、アマゾンでは取り扱ってないのでどうかと感じたが良い本なので。非常に読みやすく共依存ついてかかれたものである。特に興味を引かれたのは、認知症と引きこもりの関係。バッチャを見ても今まで隠れていた部分が面に出てきた、ストレス、性格など、知人のお母さんも子供の頃からのお母さんとは違う人格が出てびっくりしたという。多くの認知症の発症前の人は本来の自分と向き合ってない人が多いらしい(ここら辺の解釈はおちゃんの解釈で、本とは若干違う)。

 作者は日本の社会そのものが共依存社会、共依存の家庭を生みやすいと言う。おちゃんは日本人の好きな美談、自己犠牲は共依存を歓迎しているようにも考える。「本心を言わない文化」の項では我々が何気なく行ってる行動にも鋭いメスが入る。しかし精神風土として日本が持っているので、おちゃんは共依存的なものは否定はしない。理由は共依存的なものが社会で機能してきた、共依存的傾向の人が善き人として好まれたからである。共依存的傾向の人が社会的に評価されてきたことも事実である。この場合、ギャンブル依存症、買い物依存症など具体的なものではなく、何となく雰囲気としての共依存的なものをおちゃんは言う。

 しかし日本の社会、日本人の考え方に変化が生じてきた。だから共依存を好んできた社会そのものに軋みが生じてきたと思う。作者は共依存を敵視しすぎる様に感じる。読み手によっては混乱を来たすのではないかと心配もしたくなる。しかし近年共依存が注目されてきて、どんな物?と言う方は一読することを進める。親はある時期まで子どもを支配し、子どもは親に絶対依存の時期がある、その次の段階をどのように旨く親子で生きていくか、今おちゃんが言えることは親子の関係において依存はある。しかし期間限定、いつまでもダラダラだから良くない。

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海苔弁月光仮面を歌う・ボヘミアンますます昭和にはまる

2009.2.21

 ボヘミアンとうとう海苔弁と「月光仮面」について語る時を得た。海苔弁が歩いてるとき、そばに行って「月光仮面、月光仮面」と言ったらしい。「月光仮面知ってるの?」から、多いに盛り上がり、月光仮面の映画、漫画を見たと海苔弁が話し、「月光仮面」の歌も歌ったと言う。

 ついでに「怪傑ハリマ王」でも大いに盛り上がったらしい。「ハリマ王」で盛り上がるのは、学校でも海苔弁と技能主事くらいだ、他の先生は分からないだろう。当然ボヘミアン以外の子供は「何、それ?」だったらしい。しかし「仮面ライダー1号、2号」に関してボヘミアンは知識はかなり自信があったが、ライバルが現れたらしい。しかし子供のヒーローは昭和が一番という者が現れ、同志を得たらしく、ボヘミアンはそいつとかなり語ったらしい。

 ただ今ボヘミアンのねんねのときの読み聞かせの本は「月光仮面」、よほどおちゃんが眠いと言わない限り、毎晩読まされる。文章は「読者はもう知ってるだろう」と言う読者アプローチ、作者感情移入という独特の文体。ぐんぐん引き込まれるが内容はあまり面白いとは思わない。どくろ仮面と月光仮面の戦い、独特の文章に引き込まれて一気に読んだが、月光仮面が現れるとき、必ず歌を歌いながら、空を飛ぶ様に走るとか、荒唐無稽で思わず笑ってしまうが、その荒唐無稽さがいい。どこが正義で、赦しましょうか分からない。徹底してどくろ仮面と戦う、それでどこで赦しましょうなのだろうか。徹底し戦うなら赦しましょうはいらないと思うけど。

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批判

2009・2・12

 先週から司馬遼太郎の本が読みたくなった。「殉死」を読む短編なので楽に書けると思った。おちゃんは司馬遼太郎の小説は読んだことがない。アメリカ素描 (新潮文庫) 、「街道を行く」、ロシアについて―北方の原形 (文春文庫) など随筆がほとんど。今回始めて「殉死」は司馬作品の中でも暗く重い作品と言う評価であることを知った。乃木の殉死を扱ったものだが、司馬遼太郎は乃木は無能だと評価し、司馬遼太郎自身批判されてること(司馬遼太郎の歴史観も批判されている)、乃木は乃木で有能か無能かで批判されてること、乃木を尊敬した森鴎外はどうだろうと調べてみると、森鴎外も脚気の原因を最後まで細菌説に固執したことが批判されている。

 早い話が批判だらけで、どこをどう繋いでいいか分からなくなった。しかし今の段階では乃木は軍人になったときから不幸が始まったと感じる。軍人には向かない性格だし、「殉死」を読んでみてあまりの自殺願望の強さにびっくりした。メンタル的にほとんど病気である。良くこんな人を休職させながらも使ったものだとあきれる。また乃木自身も自分と言うものを受け入れていないのか、また戦争に行く。乃木に手を焼くなら使うなよと言いたくなるが、それを知ってて使う、使う方も使うほう、使われるほうも使われるほうである。しかし「殉死」は暗いと言うが、おちゃんは笑ってしまった。乃木のあまりにも常軌を逸した行動がおかしいから。寝るまで軍服、戦時でなくとも戦時と想定して暮らす。乃木式と言われライフスタイルらしい。最終的に黙殺されたというが当たり前だろう。森鴎外も家に帰ると軍服で執筆してると、永井荷風が何かに書いていた(永井荷風は森鴎外を尊敬していた)。

 明治天皇の前で戦闘経過の復命書を読むときも、自分で書いて自分で読んで、感動して泣く、お前馬鹿って、突っ込みいれたくなる。元来の性格が、感受性が高く、過敏に反応するらしい。おちゃんは子供のとき「乃木将軍」と言う絵本を読んだことがある(当然戦前の版である)、乃木少年はお墓での肝試しで、こんにゃくが顔に当たりびっくりした絵が描いてある記憶がある。後は乃木将軍になって、戦の後(多分旅順の要塞)を見ている絵の記憶がある(気の弱い少年が軍神になった、刻苦勉励、粉骨砕身を勧めたいのか?)。子供心に暗いなと感じた。

 乃木自身は陽明学を学び(と言うより学ぶべき環境にあった、学ばされたと言う方が正しいかも知れないが非常に影響を受けた)。陽明学を学んだ人は劇的な最期を遂げる人がある、これも体質があるらしいと司馬遼太郎は言う。すべてが劇的に生涯を終えるわけではない。西郷隆盛、河井継之介、山田方谷、乃木と同時代の人で。「殉死」から抜粋すると「おのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上、精神に火を転じねばならず、行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである。行動が思想の属性か思想が行動の属性かはべつとして行動をともなわぬ思想を極度に卑しめるものであった」、簡単に言うと自分が正しいと感じれば正しく、その思うように行動する、結果は考えない、考えることは嫌らしい、自分で絶対真理と思うから端の事は考えない、行動自体が美なのである。個人ならまだ許せるが、こんな思想の持ち主をリーダーに戴くのは迷惑千万である。おちゃんが思うに、司馬遼太郎の言う体質とは共依存症とみる。

 人に尽くすことに喜びを感じる、それも自分の勝手な思い込みで、尽くされる方は苦痛に感じる(自分の生き方を他人に重ねてしまう、極端な場合はコントロールしてしまう)。相手が苦痛と感じてるのは分からない。相手に拒否されたと感じれば、自分は理解されないとか、必要とされてないとか思い、落ち込んだり怒ったりする。その時は丸投げをしてしまう。原因としては幼少期に家庭に問題がある。乃木が旅順で自殺行為のような行動をとるのは、児玉源太郎に叱責されてから、共依存症の人は必要とされないと感じるととんでもない行動に出る。乃木は必要とされないと感じていたように思う。心理分析はここまで。

 石光真清「望郷の歌」の最後に「乃木将軍夫婦自刃の報が伝わったのはその翌日である。「息子さんを二人とも喪われたからのう」母はそういって合掌した。新聞に配所が発表され、多くの名詞たちの談話が掲載されて、天皇への殉死が讃えられていたが、私は母の言葉が心に浸みて忘れられない」とある。子をもつ親の身上として理解した、乃木は先の事はどうでも良い、子供を失い虚脱状態、疲れたのかもしれない。後世の人はいろいろ言うが本人でなければ分からない。

 乃木の殉死後、森鴎外は触発されて「興津弥五右衛門の遺書」を五日で脱稿、しかし松本清張は違うと突っ込んでいる(詳しくは両像・森鴎外 (文春文庫) 」)。松本成長自身の歴史観もまた独特であり、批判されてもいる。しかし小説家であるから、司馬遼太郎、松本清張、小説家固有の歴史観はあってもいい。批判するほうがおかしくないか。しかし本当に突っ込みいれて読んだ。罰当たりもいいとこである、しかし現代人に感覚ってこんなものだと思う。人間死んだら終わり、自分から死ぬことないって

 

 

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タイムスリップした頭で司馬遼太郎を考える

2009・2・4

 頭タイムスリップしてから三日、昭和45年の紅白のテープを聴いてたらフォーリーブスが出ていた青山孝が歌ってる、澄んだ透明感のある声。この年コンサートで弘前に来たとき見に行った、コーちゃんがダンスが旨いのは記憶にある、友達が一番前で黄色い声出してたその方にびっくり、その友達も孫3人もいる。中学3年のときである。コンサートの後追っかけした友達もいてだれだれが行ったとか後から噂が出たり。

 ニュースでター坊が死んだと聞いたときはびっくりした。普段はテレビは見ないが今日は久々にワイドショーを見た。トシ坊、ター坊、コーちゃん3人とも老けたな、秀樹も五郎もひろみも。おちゃんも年取ったんだよなーって。昭和48年の紅白のテープを聴いてたら、特別ゲストの藤山一郎にひろみが花束渡してた、今の声からは想像付かない鼻にかかった甲高い声だ、そのとき確か紫の地のサイケ柄のブラウス着てた気がする。しかしフォーリーブスすごく人気あったもんな、「セブンティーン」には毎週何だかんだで載ってたな。

 森田公一の「青春時代」じゃないけど後からシミジミ思うものだよな。なんて柄にもなくセンチになってます。青春時代はいい思い出をたくさん作るときだと思う、その代わり親とは一戦交える時期でもある。ボヘミアンもそうなって来てますが。いい思いでたくさん作ってほしいと親として思う。

 司馬遼太郎が死んだとき少なからず衝撃を受けた、少なくとも最近の作家でおちゃん的に司馬遼太郎ほど日本の将来を憂いた作家はあるだろうかと、司馬遼太郎が死んだときもうこの国の形を考える作家はいなくなったと感じた記憶がある。「北のまほろば」を読むとおちゃんの個人的な記憶に繋がる。今東光今日出海の両親が弘前出身と書いてある、その話高校の時の担任から聞いた、担任曰く、両親は弘前のロミオとジュリエットと話してたな(担任の言ってた事はうそではないし、おちゃんの記憶も正しい)。石坂洋二郎は津軽人の類型から違う印象があると、司馬遼太郎は書いてるがそう思う。「津軽人」という表現も関西人らしくていい。婆様も事あるごとに「津軽人」と言う言葉を使っていた。

 もっと石坂洋二郎が評価されてもいい。津軽は暗い?なんてイメージがあるけど、石坂の文学の明るさ、さわやかさ、カラッとした小説良いんじゃないのでしょうか。青森県の古代から近世にかけて、司馬遼太郎節で書かれた郷土史、読んだ人もあると思うが郷土史を流し読みするにはお勧め。司馬遼太郎はよほど明治の人が好きなのだろう(特に軍人)、出てくる軍人の名は石光真清の本の中に出てくる人と重なる。おちゃんが知らない近世に出た郷土著名人が出てくる。しかし津軽人は郷土の出身の著名人を良く評価しない風土だろうか、司馬遼太郎はその点も指摘してる、「どうも屈折の多すぎる土地」と。

 司馬遼太郎は陸羯南を高く評価してるが、その研究者が故郷にいないことを嘆いている(1995年の時点で)、陸羯南は森鴎外の「渋江忠斎伝」にも出てくる。当然NHKの「坂の上の雲」にも出てくる。笹森儀助と同じ在府町の人である。と、おちゃんの頭の中では巡る。青森県はいつも下のランクだが、結構偉人出てます、がんばりましょう。

 ところでうそか本当か分かりませんが、青森県のいい男の半分は下北にいると聞いたことあるんです。松山ケンイチが出てるから満更でもないと思うし、バッチャに言わせると「うんだ、うんだ」、だれそれ下北出身でいい男だと言ってた。全然関係ないけど松山ケンイチとジェロ似てるなーと思うんです。ピュアで、変な手垢が付いてない、自分の美学と言うか仕事に拘り持ってる感じ、その点は絶対妥協しないような気がする、津軽弁で言うジョッパリ。典型淡谷のり子。そう言えば淡谷のり子さんはブルースの女王、ジェロが歌ってもいい気がする。ブルースと言えば黒人の文化、ジェロの幅広がる、ご本人もブルースについてはいろいろかだっておりますね。(かだる・・・津軽弁で話してると言う意味)

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タイムスリップしてる頭で歴史を考える

2009・2・3

 今日は節分、恵方巻きを食べ豆撒きをします。ボヘミアンが生まれてからの行事、しかしボヘミアンも今年は中学生なので興味がないようです。昨日から昔の曲を聞いて頭がタイムスリップ、今カーペンターズの東京公演(武道館)のテープ聞いてます。アルバム「ナウアンドゼム」を買ったのが昭和47年か、48年ですから、昭和49年か50年頃の来日でしょう。しかしこの時のカレンから数年後に拒食症で死ぬとは信じられません。しかし日本で拒食症が注目を浴びた時期は宮沢りえが激やせした頃からで、それ以前は注目されてないと思う。過激なダイエットでしか理解されていない。しかし友人が昭和49年に痩せるといって、ダイエットし始めてから、見る見る痩せて言って元に戻らない姿を見た時は痩せる恐怖を見ました。まだ拒食症、過激なダイエットと言うことが注目をされない時期です。

 だからおちゃんの思考では、拒食症、カーペンターズ、友人になる。どんどん痩せていく、食べる気がしない、生理が止まる、ちょっと気温が下がると、顔色が悪くなる、寒がる。短大1年の春からダイエット始めて、夏には40kgなくて卒業まで元に戻らなかった記憶がある。BMIが22が理想と言うけど、長生きの指数は27から30だそうです。今昭和48年の紅白聞いてますがフランク永井はこの時始めて「有楽町で会いましょう」を歌ってます。五木ひろしを聞いてびっくりしたのは、今とぜんぜん変わってないこと、他は今の声と比べると違ってますが、五木ひろしの変化がないのはびっくりしました。古い音を聞くのもいいもんです。

 今年は司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKで放送されますが、多分そのいくつかの部分を資料として占めると思う本です。作者の石光真清は露探(ロシアで諜報活動する日本人のスパイ)で帝国陸軍の軍人、家庭ではよき父、息子であり、軍人としては特に出世した人ではありません。この手記も国の極秘事項も含まれているため、長く出版されずにいたものらしいです。おちゃんは何度も読みましたが、面白いです。よく出版できたし家族も原稿を残してくれたと思います。手記と言うより、もう小説です。

 登場人物が森鴎外、二葉亭四迷、笹森儀輔(青森県人で伏字でSと言う人物で)、読み応えのある部分は明治天皇崩御(昭和天皇崩御の時この部分を思い出した)、旅順攻撃(ものすごい白聖戦)、からゆきさんと思われる女性、ロシア人との友情、スパイ活動、戦地で内地に残した家族を思う父として、息子として。軍人としては裏街道を歩いたと思います。弟の方が戦前の日露戦争関係の本に出たりしてます。ただの回顧録として読むかそれは自由ですが、明治の軍人、家庭、時代を理解するには良い本です。森鴎外もそうですが(妻と母親の間で悩み、子煩悩)、後世の人間が想像するようなコチコチの軍人ではないです。司馬遼太郎は明治の軍人をよき人として評価してます。(おちゃんはそう理解してます)

 かなりの部分が士族の乱、西南戦争で占められますが、おちゃんは今まで反乱を起こす士族を理解できなかったですけど、単純に(悪い奴と決めていた)。でもこれを今の派遣切りと重ね合わせると理解できます。今まで碌で食んできたものに、いきなりもう渡さないと言ったら根治気性と思う。派遣社員に対していきなり解雇と同格。謀反も起こすわな。士族の娘は女郎に売られるは、ここんとこは永井荷風の「夢の女」を読むと分かる。今も社会がどんどん変化してるけど、そんな半端なものではなく天地がひっくり返るくらいの変化だと想像するわけ、この本を読んでからもう20年以上たつけど、今まで気が付かなかった。昭和の頭で読んでたから、社会がひっくり返ると言う考えがなかった、しかし今変化してるその頭で読むと理解できるようになった。で徳川慶喜は偉いと思う。歴史の隅のやられた人のように思ってきたけど、歴史を読む鋭い洞察力、歴史の流れに身をおき、明治維新後は何も言わず一華族として人生を全うしたことは偉い。もしこれが血の気の多い将軍だったらどうなっていたか。

 変化してる時代だから、変化していた時代の本を読むことは良いと思う。いつまでも前時代的なものにしがみついても、不満だらけ。新しいモデルを作らないと。明治の前半がそうだった。今もまだ新しいモデルが必要と分かっていても暗中模索、しかし今を0として今後の新しいモデル(雇用、教育、介護、社会システム全般)を作らないいけないような気がする。

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タイムスリップしてる頭で歴史を考える

2009・2・3

 今日は節分、恵方巻きを食べ豆撒きをします。ボヘミアンが生まれてからの行事、しかしボヘミアンも今年は中学生なので興味がないようです。昨日から昔の曲を聞いて頭がタイムスリップ、今カーペンターズの東京公演(武道館)のテープ聞いてます。アルバム「ナウアンドゼム」を買ったのが昭和47年か、48年ですから、昭和49年か50年頃の来日でしょう。しかしこの時のカレンから数年後に拒食症で死ぬとは信じられません。しかし日本で拒食症が注目を浴びた時期は宮沢りえが激やせした頃からで、それ以前は注目されてないと思う。過激なダイエットでしか理解されていない。しかし友人が昭和49年に痩せるといって、ダイエットし始めてから、見る見る痩せて言って元に戻らない姿を見た時は痩せる恐怖を見ました。まだ拒食症、過激なダイエットと言うことが注目をされない時期です。

 だからおちゃんの思考では、拒食症、カーペンターズ、友人になる。どんどん痩せていく、食べる気がしない、生理が止まる、ちょっと気温が下がると、顔色が悪くなる、寒がる。短大1年の春からダイエット始めて、夏には40kgなくて卒業まで元に戻らなかった記憶がある。BMIが22が理想と言うけど、長生きの指数は27から30だそうです。今昭和48年の紅白聞いてますがフランク永井はこの時始めて「有楽町で会いましょう」を歌ってます。五木ひろしを聞いてびっくりしたのは、今とぜんぜん変わってないこと、他は今の声と比べると違ってますが、五木ひろしの変化がないのはびっくりしました。古い音を聞くのもいいもんです。

 今年は司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKで放送されますが、多分そのいくつかの部分を資料として占めると思う本です。作者の石光真清は露探(ロシアで諜報活動する日本人のスパイ)で帝国陸軍の軍人、家庭ではよき父、息子であり、軍人としては特に出世した人ではありません。この手記も国の極秘事項も含まれているため、長く出版されずにいたものらしいです。おちゃんは何度も読みましたが、面白いです。よく出版できたし家族も原稿を残してくれたと思います。手記と言うより、もう小説です。

 登場人物が森鴎外、二葉亭四迷、笹森儀輔(青森県人で伏字でSと言う人物で)、読み応えのある部分は明治天皇崩御(昭和天皇崩御の時この部分を思い出した)、旅順攻撃(ものすごい白聖戦)、からゆきさんと思われる女性、ロシア人との友情、スパイ活動、戦地で内地に残した家族を思う父として、息子として。軍人としては裏街道を歩いたと思います。弟の方が戦前の日露戦争関係の本に出たりしてます。ただの回顧録として読むかそれは自由ですが、明治の軍人、家庭、時代を理解するには良い本です。森鴎外もそうですが(妻と母親の間で悩み、子煩悩)、後世の人間が想像するようなコチコチの軍人ではないです。司馬遼太郎は明治の軍人をよき人として評価してます。(おちゃんはそう理解してます)

 かなりの部分が士族の乱、西南戦争で占められますが、おちゃんは今まで反乱を起こす士族を理解できなかったですけど、単純に(悪い奴と決めていた)。でもこれを今の派遣切りと重ね合わせると理解できます。今まで碌で食んできたものに、いきなりもう渡さないと言ったら根治気性と思う。派遣社員に対していきなり解雇と同格。謀反も起こすわな。士族の娘は女郎に売られるは、ここんとこは永井荷風の「夢の女」を読むと分かる。今も社会がどんどん変化してるけど、そんな半端なものではなく天地がひっくり返るくらいの変化だと想像するわけ、この本を読んでからもう20年以上たつけど、今まで気が付かなかった。昭和の頭で読んでたから、社会がひっくり返ると言う考えがなかった、しかし今変化してるその頭で読むと理解できるようになった。で徳川慶喜は偉いと思う。歴史の隅のやられた人のように思ってきたけど、歴史を読む鋭い洞察力、歴史の流れに身をおき、明治維新後は何も言わず一華族として人生を全うしたことは偉い。もしこれが血の気の多い将軍だったらどうなっていたか。

 変化してる時代だから、変化していた時代の本を読むことは良いと思う。いつまでも前時代的なものにしがみついても、不満だらけ。新しいモデルを作らないと。明治の前半がそうだった。今もまだ新しいモデルが必要と分かっていても暗中模索、しかし今を0として今後の新しいモデル(雇用、教育、介護、社会システム全般)を作らないいけないような気がする。

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編むぞ

2009・1・29

 ボヘミアンは今年中学校である。卒業式に着せるベストを編んでいる。思い出してみればボヘミアンに手作りで着せるもにはほとんど作ってやる事が出来なかった、おちゃんが子供の頃は母親が子供に着るものは作って着せるのが当たり前、おちゃんもほとんどばっちゃが作った服を着て、小学校、幼稚園に行った。それを考えるとボヘミアンには悪い事をしたなと思う。カボシャールN、チョイワルには結構作ったのに、肝心の自分の子供には、ベビードレス、七五三の時ベストを編んだだけ。共働きしてたから無理だった。だからなんとしても完成させる。ボヘミアンもセーターは要らないと言うので、重宝するベストに決定。

 編み物はしないが、時々「毛糸だま」は読んでいる。自分で持ってるだけで何十冊だろう。正確に数えたことは無い。しかしここ20年分は大概手放さず持ってる。この本のよさはデザイン、センスが大変よく編んでみたいと思わせること。その分技術的にはかなり高度である、年々鉤針編み(昨今はクロッシェレースというらしいが)の作品が増えることはうれしい、本の表紙のタイトルも「グレースフルウインターレース」と銘打ってあるとおり、見ごたえ、網応えのある作品である。おちゃんも編みたいなボヘミアンの卒業式に着る、ブラウス編みたいと思ってる。一番驚いたのは8ページのティディベアは一見すると鈎針で編んだとは思われない作品、思わずうなってしまった。いつもながら見てるだけで楽しい、創作意欲を刺激する。おちゃんは昔から「毛糸だま」の作品から良いとこ取りで、編み物をデザインして編んでる。

 40年前は編み物は機械編と鉤針編み、30年前は機械編と棒針編、鉤針編み好きのおちゃんとしては鉤針編みの作品がなくなったのは淋しかった。しかしここ10年位前から鉤針編みが増えてきてうれしい。特に年々「毛糸だま」では鉤針編みの作品が増えてきてるのはうれしい。また海外の手芸家の作品が昔から紹介されているが、これも編物好き、手芸好きにはたまらない。鉤針編みで凝りすぎた作品はくどい作品になるが、今回も棒針編みに鉤針編みで手芸的な味付けをして、女性らしさ、かわいらしさ、春らしさを表現した作品が多い。

 「毛糸だま」は他の作品の本と違って、デザインが個性的、編物好きには刺激を与える、丸ごと編み物に関する情報でイベント情報を見ると関東の人はいいなと思う。いろいろな作品に触れられるから。おちゃんも昔、「毛糸だま」でイベント情報を知り、東京に行ってケイフ・ファセットの作品を見た。感動した、舞台衣装を思わせた。今回の「毛糸だま」はいつもの「毛糸だま」より刺激する(編物好きの)本です。その時によってつまんないと感じるときもある、次は期待しないと思って買わないでいると良かったりして、だからついつい買ってしまう。編まずに買う、やはり編み物大好き人間としてみてるだけで幸福です。サー編むぞー、本棚をひっくり返して昔の「毛糸だま」読み直し。

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人間回復の経済学

2009.1.6

 この本を読んで感じたことは「子供の貧困」で示された、わが国の教育福祉に関する予算が先進国の中でも低く、その負の影響が将来出ると考えた時、今の経済システムを変えないといけないと思った。今現在派遣切りに対して、税金を使って国、地方公共団体が支援しているが、根本的に経済システム、発想を転換しない限り、同じことの繰り返しであり、穴の開いた壷に水を入れている様な物である。やはり生き甲斐のある社会にするには、会わなくなったシステムの見直しである、それをせず緊急避難的な事ばかりしてれば、それにばかり目がいき国全体、社会全体が成長しないと感じた。

 「人間回復の経済学」は2002年に出版、この本で危惧された事が今最悪の状態になったと思う(最悪の頂点かもしれない)、国もそれに振り回され、後手に回り、無駄に税金を使ってるなと感じる。派遣切りの報道を見てるととにかく働きたいと言う、仕事は何でもやるだろうが果たしてそれがいつまで持つだろうか、働けて生活出来ればと言うが、我慢できるだろうか。「人間回復の経済学」、「子供の貧困」を読むときアメリカの心理学者マズローの人間の欲求段階を理解したほうが分かりやすい、「人間回復の経済学」の著者はマズロー欲求段階説を紹介してる。

 1.生理的欲求→ 2.安全欲求→ 3.社会的欲求→ 4.自我欲求→ 5.自己実現欲求、人間の欲求は低次から高次へ段階的になっており、高次欲求の充足無しには生産性の向上は望めない。ところがケインズ的福祉国家は飢餓的貧困の解消には成功し、必要不可欠な欲求は満たされた。ケインズ的福祉国家で生産性向上を挙げたテイラー主義は必要不可欠な欲求を満たすことにより生産性を低下させた。市場がボーダレス化するとケインズ的福祉国家を支える財政が機能しない、競争原理で市場が拡大すると社会システムのバランスが崩れるという。生産性が低下すると賃金が抑制される、余分な人間は追放される。リストラ、非正規雇用である。人間社会から人間を追放する事はケインズ的福祉国家の行きづまりと著者は言う。もう一度言う、この本が出版されたのは2002年、2009年の今大きな社会問題は派遣切りに代表される雇用不安である。おちゃんは今年は雇用不安が頂点だと思う、著者が言うように完全にケインズの理論が完全に合わない様な気がする。前から合わないと分かっていた人も居るが、もう完全に合わないのでは。

 著者は構造改革(新自由主義)を選択せず(サッチャーの失敗を繰り返す)、スぇーデンに学べという。工業社会から知識社会への転換。知識社会とは、個人的な知識能力、知識を自由に分け合う、人間の絆であり、条件として低次の欲求が安定的に満たされてること。人は3,4,5、と欲求が高まる。ただ生きるのではなく、高次欲求の充足を求めるようになる。組織をピラミッド型からフラット型に再編。人間の創造力を高める、人材育成、教育である。いくつになっても自分の望む教育を受けられること。新自由主義の構造改革は人間性を喪失する方向に動いていると著者は言う、おちゃんもそう思う。

 おちゃんなりの考えを整理してみる。人間は所有欲求と同時に存在欲求がある。ある程度所有が満たされるともうどうでもいい。今の社会ある程度物は満たされている。しかし人である以上自分の存在を認めてもらいたい、人と関わりたい、もしこれが満たされないとすれば、何のために存在してるのか、人として危機的状態になる。生活が保障されてるから低次の欲求で我慢出来るだろうか。欲求が低から高に行く以上止める事は出来ない、逆に不満と喪失感が生じる。現状では働ける生活できる状態で我慢するが時間の問題、そんな家庭の子は教育も満足に受けられるだろうか。少なくとも子供に対しては、教育は家庭の経済レベルの影響を受けてはいけない。満足に受けられることを保障する。格差の連鎖を断ち切ることも出来る。今の大人世代は無理としても、これからの子供たちの未来を考えるとき、教育支援を充実させ知識社会への転換を希望する。

 ここまで書いておちゃんの頭はぼろぼろ、今までの中で一番難しかった、分かるんだけど分かるように書くのは難しい。しかし本当にいい本である、「子供の貧困」と一緒に読むことを進めます。「人間回復の経済学」、「子供の貧困」でも現金給付より現物給付のサービスを充実させるというが目からうろこである。現金で給付するから本来の使用目的から外れたことが起こる。現物給付だとそう言う事は起こらない。

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ルポ内部告発

2009.1.2

 あけましておめでとうございます。今年もよろしく。昨年の食品偽装などは内部告発によるものが多い。以前なら職場を去る覚悟が無ければ内部告発をすることは出来なかった。おちゃんは内部告発されるほうにも理由があるわけで、内部告発されないようにすればいいと単純に考えていた。しかし「公益通報者保護法」が制定されてから、内部告発のイメージが変わってきた。しかし「ルポ内部告発」を読んで感じたことは、内部告発をしたものが本当の意味で守られるかと疑問に感じた。これからはコンプライアンスを重視した企業活動が求められるのは当然だが、ただ時代の趨勢だからと安易に「当社は法律遵守、社員の声を聞きます」と言っても本当かと疑う、疑ってしまう。経営者が真に企業内部の声を聞くと言う気持ちにならない限り、内部通報をした社員を守ると言う考えない限り、問題が発覚したとき、社外的なポーズだけで言ってしまうと、言わない企業より始末が悪い。仏作って魂入れず、口先で良い事と言った分、ボコボコやられるだろう。

 なぜそう思うか、第5章検察裏金疑惑を読むと、法律を守る立場の人間が疑惑をもたれると保身術のためなら何でもするという印象を持ったからである。疑惑を追及する者が、逆の立場になると隠そうとする、告発しようと思われる人を潰しにかかるから。第4章の警察裏金で告発を続ける現職の警察官を読んでもそう感じた。人は保身のためなら自分の立場を考えないものだなと思うし、逆に民間より始末が悪いと感じた。通報先としては

①労務提供先

②行政機関

③労務提供先外(報道機関、消費者団体、労働組合)

①の場合派遣先と何らかのコネクションを考えると信用できない、②は問題外ミーとホープが後手に回ったのも行政が何もしなかったから。結局は③しかない、しかし話がでかくなり過ぎる、言う方もいずれバレル覚悟がいる。「公益通報者保護法」を企業が遵守して企業は守ってくれるか、企業は存続できるか、企業が存続したとして、その企業に残って仕事が適正に出来るか、かなり難しいと思う。ならばやめる覚悟で通報したほうがまだましである。

 おちゃんが共感したのはミートホープの赤羽さんである。社会的には確かに赤羽さんのとった行動は間違っていない。正しいことであり、賞賛されて当然である。しかしミートホープが潰れたお陰で、従業員は働く場が無くなった。赤羽さんは元従業員から親族から疎まれたことも事実であり、自分のとった行動が果たして良かったのかまだ逡巡している。雇用の場の少ない地域では必ずしも正しい事が通らない、雇用の場を失うからそれが怖いから、見て見ぬ振りをしてしまう。雇用の場の少ない青森県にいると赤羽さんの逡巡する気持ちが分かる。雇用者が偉いのである。働くものは働けるだけましと考えないと働いていられない。またミートホープのような潰れ方をすると再就職は若くても難しい、同じ事をするんじゃないかと疑われるかもしれないし、本人に問題が無くても。経歴を隠すしかないかもしれない。もし経歴査証と分かれば解雇されるかもしれない。

 通報する人もコンプライアンスを守る方もそれなりの覚悟が必要である、中途半端一番良くない。

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子供の貧困

2008.12.27

 今年になって読んだ本の衝撃を受けた本の一つである。もう一冊は「闇の子供たち」であるが。後は「青森県で生きる若者たち」、「下流食い」。毎日派遣切り、景気後退による経済の悪化のニュースである。もうこの国の今までの経済のシステム、家族のモデル、政策を根本的に変えないといけない時代になったなと感じるし、政策全体の軋みが出てきている。

 おちゃんが驚いたこと、「子供の貧困」から抜粋。

1.国民生活基礎調査では2004年のデータでは20歳未満の子供の貧困率14.7%。

2.15歳時点での生活状況がその後の人生に影響を与える。

15歳児の貧困→限られた教育機会→恵まれない職→低所得→低い生活水準

 著者は貧困状態で育つことは、学力、成長、生活の質に影響を与えるだけでなく、一生背負っていかなければならない不利としている。この循環は「青森県で生きる若者たち」の調査でも明らかである。(「青森県で生きる若者たち」では15歳と年齢は限定してないが、教育機会に恵まれないことは不利な条件としている)。

3.想像以上の母子家庭の貧困化、働けどわが暮らし楽にならず。長時間労働による子供と関わりが少なくなる、所得に伸び悩みによる将来への不安。

4.若い父親、年配の父親を持つ子供の貧困率のリスク。特に1990年代に入って10代、20代前半で父親になる傾向の微増化。そしてこの年代の男性の経済状態の悪化により、若い父親を持つ子供の貧困率の上昇。

5.イギリスの貧困研究家ピーター・タウンゼントが貧困の度合いを測る物差しとして「相対的剥奪」という概念を持ち込んだこと。

6.「親が子供に与えたいが、経済的な理由で与えることができない」状態を「剥奪」として、閾値として日本の世帯所得として400万円から500万円としている。この閾値は所得が落ち込むと急激に困窮に陥るという数である。しかしあくまでもその可能性があるだけで、常に例外が存在するのでこの所得、この所得以下でも十分な生活してる人もいる。

7.著者が「すべての子供が享受すべき最低限の生活と教育を社会が保障するべきである」と言っていること、様々なデータを上げて国の子供の施策が不十分なことが理解できた事。

 1と6に関してはかなりの衝撃である、2と3と4に関しては周りを見ても何となく分かるし、そんな傾向、時代の流れを感じる。ただ今まで漠然としていた事が数値化されたこと。5の考え方は貧困を客観的に図ること、あいまいな貧困というものを具体的に捉えられる。おちゃんが気になるのは、2,3,4である。今後の経済状況を考えればこの傾向が広がる、当分非正規は無くならだろう。一時的に増えるかもしれない。なので両親非正規という家庭のモデルが必要、若い世帯の貧困が多くなれば子供がその連鎖を受けるそれを断つため、今以上に教育、育児、医療に力を入れること、少なくとも人生のスタートラインだけは平等にすること、このことに関しては「格差が遺伝する」という本に詳しく書かれている。おちゃんこの本のレビュー書いてる。「格差が遺伝する」を読んだ時は認めたくなかったが、ここまでデータで示されると認めるしかない。しかし今の経済状態を考えると、生活のために働くのはいいが、親が働きすぎの為、子供が犠牲になり過ぎてる事。良い事ではない、この状態を放置しておけば、ますます貧困が多くなる、ある時点で食い止めるためには貧困だからと言って、子供を犠牲にしてはいけない。

 この本はぜひ読んでもらいたい本。現実に即した子供の施策が望まれる。今の経済状況が今後続くけば、子供の環境はよい状態からどんどん悪い方向へ行く。親の雇用形態が不安定であれば、割を食うのが子供である。ただ単に子供の問題だけでなく、雇用問題と一緒に考える必要がある。

 

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歴史のかげにグルメあり

2008.12.19

 面白いです。特に明治維新の近代史の裏面が良く分かるので、明治史を別な面で読みたい人にはお勧めです。一応グルメとはなっていますが、明治の元勲がかなり生っぽく出てくるので一気に読みました。ただ文章が言い切ではなく推定で書かれているのが気になるし、参考文献の多さに比べて内容の掘り下げが浅いので、なんか参考文献のパッチワークと言う印象があります。明治近代史お宅としてはもう少し骨太にならないかなと感じました。

 アーネスト・サトウにスポットが当たったのはうれしいですね、意外と歴史の表には出てこないですが、明治維新の裏面の部分で活躍した人で「一外交官]の見た明治維新」は明治維新の裏面史を知る上で格好のテキストであり、明治に活躍した有名人が生身の感じで書かれているのでいいです。徳川慶喜を高く評価してるところもいいです。もし最後の将軍が徳川慶喜ではなかったら違う展開になっただろうし、大政奉還した最後の将軍と言うイメージしかありませんが、大政奉還後歴史の奥に隠れ一趣味人として生きた姿には感動します。無私無欲です。アーネスト・サトウはそれを感じたのか非常に高く評価してる、見る目がありますね。

 皇室の宮中晩餐会はフランス料理になった理由も分かり、フランスが幕府に肩入れ、徳川慶喜が大阪城で各国大使に饗応した料理がフランス料理、それが維新後の宮内省大膳に繋がる。明治天皇のことも載っていますが、明治天皇になった瞬間から教育され天皇にさせられたと言う感じ、本当は和食党なのに好きではない、フランス料理を食べないといけないのにはかわいそうな気もします。しかしアジアの一等国にならんとするために西洋文明はジャンジャン取り入れる、それに従来の日本食と融合して明治期には今の食事の原型が出来るんですね。上からの押し付け方ですがそうでもしないと、不平等条約の改正なんて出来ませんから、とにかく国民も一等国の国民らしくするために、行け行けドンドンで次から次の改革ずいぶん忙しい時代だと思います。

 しかし広告塔として使われたのが明治天皇、天皇様が服を着るから、天皇様が肉を食うから、時代の先端を行くのに使われたんだから。明治天皇は写真嫌いと言いますけど、これ本当は小さな抵抗じゃないでしょうか。この本を読んで分かったことは、歴史的な事柄が起こりそこでの饗応が行われるごとに日本の西洋料理がレベルアップし、たべる側の舌も肥え、洗練されていくことです。

 この本は食物史ではなく文化史という位置づけがいいと思います。暦史好きの古い世代だったらありきたりの内容ですが(私も新しい発見があるかと期待したが)、若い人が近代史をざっと知るには非常にいい本ですね。開国から大逆事件まで書いてあるので。

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童謡

2008.11.13

 昨日NHKのラジオ「ラジオビタミン」を聞いてたら、頭がガツンと殴られた衝撃、アメリカ人グレッグ・アーウィンさんの歌う童謡に感動した。歌詞は英訳であるが、なんて懐かしい、暖かい声だろう、日本人が歌ってもこれだけ感動させることが出来るだろうか。そして大変聞きやすい発音、すごい。

 かたやジェロ、ジェロの演歌を聴いたとき、伸びる声、丁寧な日本語の発音、くせがない聞きやすい歌い方、聞きやすい声でびっくりした。癖がない分何を歌ってもいいし、「YouTube]を見るといろいろな歌を歌っている、演歌が多いが昔の歌謡曲も、大概の場合聞き劣りすがジェロの場合全然そうではない。フランク永井の「君恋し」も、ジェロの「君恋し」もレベル的に同列に感じる。ジャズっぽい感じが両者拮抗していい感じ。

 しかし今の日本人は童謡も演歌も歌わない、私個人的には演歌は滅びてもいいと思ってたがジェロを聞いてから変わった。とにかく癖のない歌い方がすごく聞きやすい、聞きやすいことは歌いやすく覚えやすい、個人的には演歌を主体にもっと違う分野の曲も歌って欲しい。童謡も然り、もう7年位前に若いお母さんが北原白秋の童謡「ゆりかごの歌」を知らないのにはびっくりした。自分のおぼろげな記憶をたどっていくと、何処かで聞いた童謡があり、題名は分からないが親、親を含めた大人が歌っていたのだろう。たしかに童謡の本も何冊かあった。確かに私が生まれた時代はラジオしかなかったが、今考えてみれば日本人の多くの親が想像以上に子供に童謡を歌っていたのではないかと考える。

 そうでなければ自然といろいろな童謡が出る訳はない。死んだ姑は小学校も碌に出てはいなかったが、かなり童謡を歌う、戦前はラジオ、レコードを持ってると子は非常に少ない、しかしその世代はかなり童謡を歌う、それだけ童謡が歌われていたのだろう。学校だってきちんといける子もいない時代、戦後生まれ特に昭和30年以後に生まれた世代は戦前は何もないと想像するが、どっこい想像以上に童謡が歌われていたと想像する。ここいら辺は文学史になるので私の得意分野ではないが。童謡歌手という言葉があるくらいだから、すごいと思う。

 私が童謡をよくボヘミアンに歌ったのは夜泣きである。次から次ぎ知ってる歌を歌って寝かせた、どこで覚えたんだろうと思いながら、おぼろげな記憶の中を彷徨いながら、それでチョコッと興味が出て「唱歌」という本を買った。題名が分からないまま歌っていた歌の題名が分かったり、歌詞を変に覚えていたんだと分かったり、結構面白く読んだ。よく歌ってるけどこれ何だっけと言うときに見たりする。

 絶滅危惧種の朱鷺みたいな、演歌と童謡唱歌は二人のアメリカ人に支えられている。今の日本人の歌い方は癖が多すぎて聞きにくい、だから素直に丁寧に綺麗な二人に聞きほれるてしまうのだ。昔井上ひさしだろうか日本語のスピードはどんどん速くなってると書いた文章を読んだ記憶がある、そして井上ひさしは覚えやすい歌詞は七五調だという。その通りだと感じる。今の歌は七五調を無視、速い、覚えにくく聞きにくい、だからヒットしてもすぐなきられる。同好会的な歌が多い、多すぎる。しかし今の歌は速すぎると感じる私の耳も老化してる。

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空想科学読本

2008.10.26

 久々腹がねじるくらい面白い本に出会いました、ボヘミアンとウルトラマンやゴジラが本当に現れたらどうなるか話すことあります。ビデオ見ながら「実際だったらビルは壊れる、道路壊れるのに、何も変わらない」なんていちゃもん付けながら。

 ところが本当に科学的に、実際にゴジラやウルトラマンが現れたら現実の世界はどうなるか本にした人がいて、よくやりましたねと言う気持ちと大変立派で尊敬します。例えば仮面ライダー「変身」とは言うものの肉体そのものが変化してしまう「変態」、変態を促進するホルモンは、老化を早めたり、変体を阻害してまだら人間になる可能性も。

 ウルトラマンも変身すると背が高くなるが体重は背の倍率の三乗、その体重を支えるため、足は太くなり、体は厚みが出て、相当なデブになる。マジンガーゼットに乗る兜甲児は車酔いするとか、もし現実に即した変身物を作れば大笑いだし、ヒーローなんて成り立たないでも、現実に即したヒーローものあっても良いかなと考える。しかし誰も憧れないし、笑われて終わり、しかしそれでもがんばるヒーローがいればものすごい人として尊敬されるかも。ウルトラマンがレッドキングを投げると、大地震が起こりウルトラマンがその衝撃波で倒れる、とにかく大笑いなんです。もし現実にゴジラの映画になった数だけゴジラが表れたら、今の日本はどうなってるかなと考えるとボロボロでしょうね。本の世界だから笑ってますけど、現実の世界では人間が世界を社会ボロボロにしてます。

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まちがい食品学

2008.10.20

 アマゾンでこの本を検索したらびっくりしました。古書扱いしかもプライスが高いのでまたびっくり、しかしこの本が良書であることの証かもしれません。初版が文庫のほうが1987年、ハードカバーは1982年と古いですが、内容的には今読んでも古いと思わないし、誤った食品の知識を正すためにも読んでおくことを進めます。河野知美さんの文章は読みやすく、栄養士の勉強をしてるとき河野知美さんの本にずいぶんお世話になりました。

 ちょうどこの本が書かれたときは加工食品の種類が増え始め、コピー食品が出始めたときだと記憶してます。まだ食品の見た目のよさに惹かれて買う人も今より多かったのでそれに対する警鐘の意味も込め書いたと私は感じながら読みました。この本を入手するなら古本屋を探すか、出版元に在庫があるかでしょうね。入手の難しい本を進めるのは無責任な感じもしますが、食品に関する本はセンセーショナルな本はあまり信用しません。丁寧に冷静に書かれた本が良いです。昔に比べてセンセーショナルなコピーで売る本が多くなり、今日明日にでも何かが起こるみたいな本はいかがかと思います。

 食品化学も日々新しいことが起こってる、今までの常識が覆されることもありますが、基本の部分では30年前の知識も決して古いものではありません。何でも新しければ良いと言う分けではない、女子栄養大学の栄養と料理デジタルアーカイブスは戦前の「栄養と料理」から戦後まで載ってますが、戦前の内容も参考になります。古本屋へ行ったとき思い切り古い料理、食品関係の本を見てみると新しい発見があるかもしれません。

 昭和50年前後の時代は食品公害が問題になって子供のおやつは手作りとよく言われましたが、今はそんなことが難しい時代、三度の食事でも手作りが難しいのにおやつまでは無理、だからせめて正しい基本的な食品の知識を知って欲しいと思います。

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ネグレクト

2008.9.21

 2000年に名古屋で起こった事件を書いたものですが、ネグレクトと虐待はほとんど同じで、なぜ起きるか、果たして事件を起こす当事者は本当に非情な親なのかです。読んでみて分かったことは事件を起こした両親の生育暦を見ると、虐待、ネグレクトを受けていた、しかし両親とも(ここでは事件を起こした当事者)子供が誕生したときは喜んだし、自分たちの育ったようには育てたくないと考えたこと、しかし起きてしまった。当事者の祖母たちもネグレクトに近い環境で育った、連鎖と言う根深さ、心の中では悪いと知りながら、ネグレクト、虐待と言うことを学習したがために同じことを繰り返すと言う悪循環です。

 子供を育てた経験のある人は虐待する心理は分かると言います、私もそうです。疲れてヘロヘロになってる時泣かれたり、言うことを聞いてくれないとき、夜鳴き、せっかく作った食事をしてくれないとき、とにかく親として一生懸命してるのに、思うようにならない時です。そのとき子供の年関係なく憎たらしくなる瞬間があります。また言うことを聞かせようと食事を抜くとか、叩くとか、外に出すとか昔からありましたが、違うのは以前ならお仕置き、お灸をすえる程度であり、日常的ではなかったこと。誰でも小さいときは叩かれた、外に出された、食事を抜かれた経験の一度や二度はあると思います。だんなと話すのですがあれは今で言う虐待だよなって。しかし今は本当に小さい子が犠牲になります。昔はまだ小さいから分からないと言って、ある程度大きくなってからお仕置きをされたしたような気がします。子供もされて仕方がないなと言うことが分かってましたから、大方がこんな具合で大人になって、親になって、初めて親にされた事が分かるようになります。

 残念なことに支援の手が差し出されようとしてるのに親が拒否したことです。何度か訪問、面接しようとしてもあえなかった。しかしこのような事例を見ると、通報を受けて訪問しても拒絶されて悲劇になること。多分親にすれば虐待をしてることは自覚してると思う(虐待してる最中は自覚が無いが、子供の状態が変化したとき)、躾をしてるのに子供が言うことを効かないと子供に転嫁しますが、世間に知られることの怖さ、子供をちゃんと育てられない親と思われる恥。適切なサポートを受けていれば防ぐことが出来たかもしれない、しかし親が拒否してる状態では、限界があります。さらって連れて来る訳にもいかない。

 親の性格もありますが、子育ては大変一人で出来るものではない、悩んで、相談して聞いてもらって、そんな人が側にいればいいのですが、一人のがんばりも限界があります。そんな時は思い切って公のサポートしてくれる機関に相談して見てください。相談員との相性、力量にもよりますが、気持ちの整理、解決の糸口が見つからないときは、何度でも自分の気持ち、解決の糸口が見つかるまでサポートを受けましょう。その中で余裕、自信が出てくると思います。一人で悩むから、追い詰められて、追い詰めて悲劇になる気がします。専業主婦でも大変なのに、働いてる母親はもっと大変です。自分では起こさないと考えても、時によっては起こすかもしれない、子供を叩いた時ハッとした事はありませんか?特に小さい子がオイタをしたとき。子供は悪気が無いのについ。そのときはお母さんは疲れてるからそうしてしまった、そのことに気づく余裕を持つ、作る、そうしないと潰れてしまいます。その時は思い切って手を抜いて休みましょう。私は子育ては綱引き、友人は戦争と言います、知人は子供が小さい時は怪獣を飼ってるものだと言います。子育ては楽でもないし、楽しいとは思いません、しかし子供が大きくなって離れていくと小さいときべたべたくっついてた時が懐かしく、もう一回小さくなってくれないかと考えるときがあります。大変だけど、べたべた付いてくるのもほんの数年です。後は一人で大きくなったような、憎たらしいことを平気で言ったり、平気でします。大方がそうではないでしょうか。

 

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闇の子どもたち

2008・9・16

 やはり良書に出会うとその魅力に疲れて一気に読んでしまいます。この作品の前半部分は気が重く、吐き気を感じながら読めるかなと言う感じで読みました。しかしこの世界で現実に起こっていること、それに日本人が加担してること、関係してる国は表ざたにしたくない、臭いものには蓋、出来れば闇に葬りたい、それでいいのでしょうか?

 子供と大人のおぞましいセックスの場面、子供に恐怖と絶望感を植え付け奴隷化する場面、役に立たなくなった子供をゴミのごとく捨てる場面、前半部分で出てくるチューンも子どもたちと同じ過去を持つ男、長じて調教される立場から調教する立場に変わって、幾分慈悲の心があるような男だが、慈悲の心を持つと闇の世界では生きていけない、いや闇の世界で無ければ生きていくことは出来ない、悲しい現実。しかしもっと恐ろしく、悲しいのは子どもたちは何も知らず調教され、客を取らせれ、自分たちがどうなるか分からない、自分の命を永らえるためにはひたすら大人たちに媚、命令に服従すること、感情を封じること。しかしこのような世界で暮らすと不思議と一見順応していくそれが当たり前のようになる、小さければ小さいほど刷り込みが早い。その世界しか知りませんから。

 これはどこでも言える事ですが、ポルポトの時代も子供の兵士が一番怖かったと言います。最初から残酷なことを教えるからでしょう、子供の非行、犯罪にしても、最初から劣悪な環境に育つとそれが当たり前と思うから中々更生しないか、同じ事を繰り返す。残酷な大人たちは要らない知恵の付いたものはいらない、必要最小限の知識すら持たない子どもたちは長じても同じ事をする、悪循環です。そんな子どもたちを助け出し、教育する仕事が、ナバポーン、音羽恵子の仕事、終盤は全国統一大行進の後暴動が起こり、ナバポーンたち現地スタッフが連行され、音羽恵子もタイに残るシーンで終わります。現地スタッフのシーラットが暴動の中殺されるシーンは、タイの暴動で殺された日本人のジャーナリストの事が過ぎりました。

 この作品で結論は出なかったが重い内容として、子供の臓器売買です。日本人の余命の短い子が、タイの子供からの臓器をもらい手術する、一人の子供の命を助けるために、もう一人の子供の命を奪ってもいいのか(タイ人の子供は誘拐されたか、売買された子供)、日本人の金に物を言わせたエゴイズムと考えるか、自分の子供だったら生きて欲しいから攻めることが出来ないと考えるかです。私だったらボヘミアンが余命が短いと考えて、しかし現実に法外なお金は無いので出来ませんがもしお金があって、現実を知らないとすればするかもしれない、しかし後で事実を知ったときは一生涯苦しむでしょう。気が狂うかもしれない。犯罪に問われないかもしれないが、完全に犯罪行為に近いものがあります。償うことが出来ませんから。この作品では音羽恵子が日本人の子供の母親にあって、手術をやめるように言うシーンがあって、母親に「親の気持ちが分かりますか」と言われるシーンがあります。そして親子でタイに来ますが手術はしたのかしないの分からないままになりますが、母親の姿を描写した文章を読むと現実を知っているような気もします。

 子供に対するレイプは難民キャンプで起こり、幼児売春、幼児売買の供給地は難民キャンプです。人間極限の環境におかれると倫理観とか無くなって本能にままに生きる、神経が麻痺する、それを欲深な連中に利用されるんですね。人間欲と儲けに目が眩むと碌な事を考えませんね。

 ただ知って欲しいことは日本でも昔、「あめゆきさん、からゆきさん」と言って日本人の女性を売り飛ばした事実、女衒を通して売られた人もいますが、神隠し(誘拐かな)で売り飛ばされた,醜業婦と呼ばれ外国に売り飛ばされ、娼婦を輸出してると外国から言われて人身売買を禁止しました。でもそれは表向きで影では売り飛ばしてましたから。こあたりはサンダカン八番娼館 新装版 (文春文庫 や 4-8)、五木博之朱鷺の墓 (中巻) (新潮文庫)が詳しいいです。娼婦が初めて客を取るシーンで大騒ぎになるシーンはあめりか物語 (岩波文庫)に載ってます(荷風先生、結構やばい多売場所に出入りしてたんですね)。

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再び昭和30年代について

2008・8・27

 昭和30年代はブームなのかどうか、それともただのノスタルジーなのかもう少し時間を掛けないと分かりません。ただいろいろな写真、雑誌の表紙を見たり、耐久消費財の普及を見ていくと、たかだか10年の間にものすごい変化で生活環境が変化した時代だったのは確かです。

 土門拳「腕白小僧がいた」は急激な変化をした昭和20年代後半から昭和30年代初期の写真が載った、文庫本の写真集です。写真集は好きなのでよく見ますが、大型の本が主です。写真の迫力を感じるためにはある程度大きさがないとだめだと思い込み、この文庫を買うとき余り迫力はないと思っていました。ところが十分期待をさせる圧倒的な迫力、文庫サイズという小ささを感じさせません。

 私が注目したのは子供の履物です、昭和30年までは下駄を履いた子が多い、しかし昭和30年代に入るとズックの子が増えてきます。私が子供で記憶にある時代は昭和35年頃から、その頃はもう下駄を履いた子はほとんどいません。「腕白小僧がいた」の本に載っている子供たちはほとんど団塊の世代、、まだ豊かさを感受していない世代、豊かさを感じるのは昭和30年代に入ってからでしょう。ところが昭和30年以降に生まれたのはそこそこ物があったので、馬鹿みたいに豊かではないけど物質的な貧しさを感じなかった。

 「筑豊のこどもたち」の写真を見たとき時代は昭和34年、35年ですが、こんなに貧しい子供たちが同じ時代日本にいたのかとびっくりしました。どう見ても戦後の焼け野原の子供たちです。この頃の私は幼稚園に行って、テレビ見て、漫画読んで、駄菓子屋通いの毎日。同時進行していたとは今で言う格差でしょうか?知らなかった、今になって気づくとは。個人ではどうしようもない、社会の作った貧しさでしょう。なんせエネルギーの転換政策の犠牲になった貧しさですから。思い出しました。昭和37,8年頃はもう石油ストーブ、電気コタツを使ってました。テレビのニュースでも炭鉱の落盤事故流してましたが、ほとんどが北海道でした。

 写真の写し方としては本当の近接撮影、この時代のカメラはファインダーを覗いてちょうど良いと思っても、プリントすると四隅に空間ができて間の抜けた写真になります。その空間を埋めるためにはもっと近くに寄らないとだめです。このカメラの癖は今もあります。ファインダーを覗いただけではいけません、覗いてからもう少し近くに寄らないと間の抜けた写真になります。古いカメラほどこの癖が強い気がします。土門拳が子供の中に入って映したのは感じられます。

 昨今のカメラの機能に頼った、知らないうちに撮る写真と違い、撮る側、撮られる側の交流が感じられる、土門拳が子供好きであり、撮るまで子供と遊んだりして、自然な姿を映していたというのが伝わってくる写真です。私は懐かしい感じがしません、こんな時代もあったという感じです。しかしいい写真集です。

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Always三丁目の夕日時代?がんばれ汲み取り便所世代

2008.8.22

 映画「Always三丁目の夕日」以来昭和30年代がブームになっています。しかしこの本はりアルタイムで体験した人にとって、掛け値無しで面白いです。「法務実務検定」投げて一気に読みました。「昭和33年 (ちくま新書)」の著者と違い「昭和三十年代の匂い」の著者は昭和32年で私と年が近いので、感覚的にすごく共感してページを繰りながら「そうそう、うんうん、分かるなー、確かそうだよ。」なんて思いながら、楽しみ、思い出に浸って読みました。

 昭和30年代は一番の遊び盛りで、覚めた目で大人の社会を見るまで育っていないから単純に楽しんでいたみたいな気がします。テレビの漫画は今よりずっと多かったし、テレビも何でもありで寄席番組,舞台中継、喜劇、映画も東宝の社長シリーズと喜劇はたくさん、歌番組も多くて本当にテレビが娯楽の時代。チャンネル戦争なんて言葉もありました。

 子供に見せたくない番組なんて発想はもう少し時代が後になるので、大人の昼メロも見てました。「ライオン奥様劇場」学校から帰ってくると親や婆様見ていたので、宿題しながらちらちら、子供に悪い影響与えるなんて誰も考えてないから、ご飯食べてみても注意はない、ただ目に悪いからとブラウン管にいつの間にか透明のビニール製の幕がぶら下がっていました。

 著者は大阪育ちなので若干違うかなと思いましたが、読んでみたら余り差が無いので、著者が「不二家」のレストランなら、弘前は「かくは」の食堂か工藤パンのレストラン、後はデパートの屋上の遊技場、おもちゃ売り場、都会も地方も家庭の娯楽は余り差が無い。確かに量と質から大阪には叶わないけど、そこまで頭が回らないので。子供なので。しかし親と婆さまは大阪育ちなので、弘前の田舎臭さ物の無さには文句を言ってました。「エレベーター」が「かくは」に設置されたときはニュースになった記憶があって、親も婆さまも珍しくもなんとも無いとシラットした顔してた記憶があります。

 なんて自分のことばかり書くことになるので止めますが、「昭和三十年代の匂い」、「くみとり便所の果たしたこと」の項を読むと現代のあまりにも清潔すぎる社会に疑問を感じる、これは多分おそらく、かなりの確立で汲み取り便所世代が感じてることだと思います。著者も言ってますが、もし何かあった時、水洗トイレが使えないときは、汲み取り便所世代は何とか対応できるが、汲み取り便所を経験してない世代は卒倒する。天変地異がおきて最低限度の生活に耐えられるのは汲み取り便所世代でしょう。昭和を知らない世代に言いたい便所の汲み取りが終わったあとの便所に行けと。それに耐えられたらすばらしい。しかし昭和30年代は汲み取りでもいい時代に入ったほうです。それ以前は、もう言わないい気絶します。家に中で用を足すくらいなら、外のほうがずっと良い。それとどこの家を訪問してもその家独特のにおいがありました。燻りくささ、水っぽい匂いとか、埃臭さとか、友人で結婚するとき「家の匂いになれねばの」と言っていた事を思い出しました。

 いちいち臭いを気にしてたら生活できない、思い出の漫画、テレビ番組の名前が出てくるので楽しい。特にテレビ番組「ちびっ子ギャング」に付いて書いてる事はすごい、すごくテレビを見ていたなと感じます。提供は不二家でした。昭和30年って貧乏みたいなイメージがあるけど、確かに今に比べると物は豊富ではないけど、みんなそこそこおもちゃ持っていたし、耐久消費財は余り無かったけど、1年か2年毎に買って少しづつ増やしていって30年代最後の頃は、結構そろってました。

 なんて自分の思い出もかなり書いてしまいましたが、それだけわくわくする本なんです。しかし著者の言うとおり、思い出してみればあちこち臭いだらけ、今も書いてるうちにいろんな臭いを思い出します。私が好きなのは新しい靴の臭い、靴の倉庫の臭いいいです。逆に嫌いなのは味噌の臭い、絵を描くのが好きで絵を書く紙に味噌を包んだ紙を親が持ってくるんだけど(大きくて良いんだけど)、あの臭いは嫌でした。

 よく昭和30年代は子供の天国といわれますが、戦前と今に比べたらという条件をつけないと。戦前に比べたら子供は圧倒的に自由で物もそこそこ豊富で、親は戦前の教育はよくないと感じてるからうるさくない、社会全体も今ほど細かいことにうるさくなかった。現代に比べたら清潔でもないし、社会全体ももっとアバウトだしそれがいいことなのか、逆に昭和30年代の自覚の無さのつけが昭和40年代に出てきた、単純によかったとは言えない気がします。

 なんて考えるのは過ぎた過去を分析するからで、この本は単純に楽しんで読む。しかし著者は相当テレビ見てますね。漫画も相当読んでる。益子かつみ「怪球Xあらわる!」が出てきたのはびっくりしました。年齢からすれば私は小学1年、著者は幼稚園、本当に読んでたのかな。ちょっと考え難い気がします。

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青森県で生きる若者たち

2008・8・19

 今日は敬体ではなく常体で書く。「青森県で生きる若者たち」昨日紀伊国屋で買って一気に読んだ。青森県の子供がいる親、教育関係者、雇用関係、キャリアカウンセラー、キャリアアドバイザーにぜひ読んで貰いたい。2008.3.31が初版である、いったい初版は何冊刷られたが分からないが、今現在初版である事は余り浸透はしていないのかと考えたりする。アマゾンでは取り扱ってないので画像は出ない。

 津軽、下北半島を除く20~34歳の若者1008名、その両親(いずれか)825名を調査したもので、一つの県で対象を絞り込んだ大掛かりな調査は珍しい気がする。首都圏を対称にした調査は多くあるが、それでもここまで絞り込み詳しく調査したものはみた事がない。(単に私が知らないだけかもしれない)私が注目したのは東京都男子正社員の年収100に対して青森県は72.9、支出は東京を100として青森県は77.9、支出が年収を圧迫している。それと青森県の平均賃金が限りなく最低賃金に近い。青森県の実労働時間は長い、長時間、低賃金、支出も多い、「働けど、働けど」の世界。

 調査結果のデータを細かく丁寧に解説されている。特に「いまどきの若い者は」と言う意識劣化論、「就業意識が低い」と言う意識原因論は一体化して考えられているが、別々に考えなければいけないと言う点は注目すべきである。ここでも問題は無職の若者である。社会的、地域社会から孤立しやすい、適切なサポート、支援が得にくいこと。特に中途退学は不安定な就業、無業者になりやすく、学校でのいじめ、不登校、経済的な問題などで退学することがその後働き方に影響する。

 適切なサポートを得よう思えば学校時代の友人(多くの場合高校の友人は一生涯の友人になる確率は高い、私も同じ意見)、地域活動での人間関係、多様な人間関係を持つこと。ここまで書いてふと思ったことは、親としては高校卒業するまでキッチリ育て、子供の友人で長く付き合えそうだなと感じたら子供の親も入れて、意識して長く付き合うように仕向ける(私は実践している、余程積極的にしないといけないが子供人生を考えると手抜きはできない)。就業、就労に関する考え方は親と子で違うが、現実に即した意見を親は言うべき、しかし親に価値観は押し付けない、決めるのは本人に任せるしかない。地元にこだわると就業の機会は狭くなり、地元から離れると交友関係の維持も難しいと言う。地元に拘れば就労の機会は難しいが、交友関係は個人レベルの問題なので余り心配することはないと感じる。個人的には近くにいる友人より、遠くにいる友人の方が相談しやすい。

 そして何よりも大事なことは孤立しそうになったとき、どうすればいいのか、それを教える必要性。孤立すれば碌な事がない、仕事があろうと無かろうと孤立したときは危機である。人的サポートも重要だがそこから自分でどう這い上がるか。その知恵が必要。やはり何事も積極的に動くように育てるしかないか、個人的にはボヘミアンは出切るだろうか。心配である。(他力本願なので)

 よく考えてみると子をもつ親はぜひ読んでほしい。目から鱗である。

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文人暴食

2008.8.11

 話のうまい人は文章もうまい、著者の話し振りはいつ聞いても面白い故にこの本も一気に読みました。「食」に惹かれて読んだのですが、そんなことより登場する作家の生き方の凄まじさの、すごさにびっくり、そっちのほうへ引き込まれた感じ。

 「追悼の達人」に比べると内容によっては面白味に欠ける所もありますが、良くぞここまで調べて書いた、最後の参考文献の膨大さにはびっくり。「追悼の達人」に出ていた鈴木三重吉はここでも出てきますが、酒癖の悪さは半端じゃない「赤い鳥」が北原白秋が去った後廃刊、当然だな。ほかに酒癖の悪さどころかほとんど病気は、和歌山牧水、稲垣足穂アルコール依存症状態、酒のために生きているか、生きるための酒なのか、夫婦関係も共依存状態、よくこれで家庭が破綻しないものである。

 田山花袋は読んだことがないが、著書は布団フェチと言ってるがほんとにそう感じるし、私小説はそこまで書くのかと、自分のことならいいが書かれる方は堪らない。ここまでフェチに徹するなら早く生まれすぎた感がある。いまどき向きの作家のような気がする。

 獅子文六の「食味歳時記」は読んで食通なことは知っていたが、片っ端に食べ歩くのはすごい。高級な物から家庭的お菜まで幅が広い。「食味歳時記」で記憶に残っているのは玉子焼きが甘すぎる、関東大震災後、砂糖を多く使って味をつけるが、品がないと。大磯はお手伝いのおばあさんの作る、鰯か鯵の煮付けがすこぶる旨く、誰が作ってもおばあさんには敵わないと書いてありました。しかし現代獅子文六が忘れ去られた存在なのは寂しい気がします。からりとした湿っぽさのない作風がいい。

 読後感は壮絶な人生、地を這うような生き方、貪欲なまでの食に対する欲、生き方は食い方である、健康を考えて食うんじゃない、食いたいから喰う本能のまま、だからすごい。しかしこれが健康的な(心理的に)食い方、健康を考えて喰うなんとなく病的な感じ。現代は食うことに対して病的、神経質。

 女流作家は平塚らいてう、坪井栄、平林たい子は地べたを這うようで余り好きではない、生活のにおいが強すぎる(と言うより思想的なものが強すぎる)、その点宇野千代の天真爛漫、軽やかな生き方は気持ちがいい。

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サンダーバード

2008.8.3

 ものすごく暑い毎日いくら水分を取っても足りない感じです。エアコンなしでも生活できるので感謝、物価高ですが、食用油、小麦粉、インスタント食品は余り使わないので、外食もほとんどしないので、余り関係ないと思ってました。物価高は。ところがとうとうテレビが映らなくなり、2011年の地デジまで粘ってテレビを買わないでつもりでいましたがとうとう買いました。だんなの給料で何とか生活してるので、テレビのローンでこれから生活少しきつくなります。物価高急に身近です。

 37インチを買ったのですが迫力あります。そこでさっそく「サンダーバード」のビデオを見たのですが、もう感動して映画見てるみたい、「サンダーバード」を見たのが40年前、それ以来の感動です。私の自慢の一つに「サンダーバード」の日本で最初の放映をリアルタイムで見たことです。親戚のカラーテレビで毎週カラー放送の迫力ある画面(モノクロの画面からカラーの画面では感じが待ったく違い迫力がある)、人形でもここまでできるのか、ストーリーの面白さ、近未来、でもこんな世界はまだ遠い先と感じてみてました。5年前NHKの教育で「サンダーバード」を放送しましたが、もうカラー放送は当たり前と思ってましたから、さほどすごいとは感じませんが、ストーリー、メカニックデザイン、人形の動きの良さはさすがと思いました。そして40年経った今、「サンダーバード」の中での技術が現実に実現している、国際救助と言うことも今では当たり前です。その先見性に改めて感動。

 「サンダーバード」の面白さはストーリーのよさもありますが、メカニックの細かい作り、ぺネロープ、ミンミンのドレス、小物の作りが丁寧なこと、トレーシー一家の食事のシーン、寛ぐシーンで日常生活用品もかなりのリアリテーを持って表現されていることです。この本では一話分の映像が小さいですがコマドリで、多数の写真が載ってるので細かい部分をじっくり楽しむことができます。私にとって謎だったトレイシーアイランドの中が分かって、資金源がどうなってるのか、家族の細かい点がわかって面白いです。

 子供のときは単にかっこよさ、面白さで見ていました。大人になるともっと細かい部分、映像全体の作りを見る。「サンダーバード」の世界は子供の時は有り得ないと感じて見て、大人になってからは「サンダーバード」の世界は現実の世界で起こっている、だから子供時より身近に感じて見ます。

 モノクロで見たときは単にかっこいい、面白いと感じ。(裏番組がシャボン玉ホリデーどちらにしようか悩んだ)、毎回2話分まとめて放送していたので見ごたえがあり、5年前の教育テレビでは毎回1話分しか放送しないので物足りませんでした。カラー放送で見たときは迫力に圧倒され(色が付いた分モノクロとは比べようがない迫力)、ワイドテレビではもっとすごい迫力のある映像、音に圧倒されブラウン管テレビと全く違う表現で一気に見ました。しかし同じ作品を異なった3種類のテレビで見る、子供のとき、大人になってから、見る。異なった感動があります。飽きないますます見たいと思わせる「サンダーバード」はすごいです。サンダーバード世代には内容がキッチリまとまっているので言いと感じます。コマドリの写真をじっくり眺めて子供のときの気分に浸る感じ?

 オープニングテーマは今もコマーシャルでよく使われますが、初期の放送ではオープニングは日本語版のコーラスでした。もう一度フルコーラスで聞きたい。最大の失敗は壊れたかけた「サンダーバード4号」のおもちゃを捨てたことです。まさかまたブームが来ると思ってなかったので。

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昭和30年代って良い?

2008.7.10

 昭和30年代が今ブームです。昭和30年代がよいと言いますが果たしてそうかと言うのが著者の考えです。現代と昭和30年代の共通項になる部分をとらえて分析を試みています。分析としては分かりやすいのでいいと感じました。結論から言えば「戦前の少年犯罪」と同じで、今現在が過去より悪いのではなく、昔も同じことがあった、昔がよくて今が悪いと言うノスタルジー、年寄りの言う「昔はよかった」の考え方、日本人の考え方にある「未来心配性」に異を唱えています。年寄りと話してカチンと来るのは未来に対してマイナスに考え、自分の生きてきた時代がよかったノスタルジーにすがることです。前向きではなく後ろ向きです。

 私は昭和30年生まれですが、毎年家で買う家電用品が増えて、少年少女向けの雑誌が発行され、テレビは今より子供の番組が多いなと言う記憶しかないですが、「昭和33年」を読むと今とたいして変らないんだと言う感じがしました。格差はある、経済状態も対してよくはないし、まだ戦争の影が何処かで残っていた、遊郭がなくなったのが昭和33年、シベリアからの最後の帰還はだいたいこの頃だし。しかし私なりの分析を言えば、昭和30年代は戦前の社会に別れを告げ、現代の向かって走ろうとした時代だと考えます。住居、公衆衛生の質は今よりかなりレベルが低い。食品に関しても保存料、着色料、調味料にしても今だったら考えられないくらい無頓着、消費は美徳と言う考え方も昭和30年代から始まり耐久消費財が増えて、物に囲まれて暮らすと言う時代に入ります。現代のライフスタイルの基礎が出来始めたときであり、現代と重なる部分もあると考える必要があります。でないと昭和30年代がすべてよいとなり、悪い部分が見えて来なくなります。

 よい面はがんばれば、がんばったなり、良くなって行くとい言う現実感があった(少なくとも身の丈にあった生活は可能であった)。それが昭和の終わりまで続き、バブルの頃はちょっと無理をすれば何でも手に入る、しかしバブルがはじけた瞬間、身の丈に合わない生活が破綻して、今身の丈にあった生活さえ出来ればよしとする傾向になってきましたが(無駄な物は持たない)、それすらままならない人も増えてきました。先が読めない時代に入った感があります。

 私は著者ほど未来には希望は持てません(個人レベルでは希望を持って生きてけるとして、社会全体として、地球全体として考えれば疑問です)。これからの社会を考えるとき個人の幸福は社会全体が幸福にならないと保障されないと考えるからです。個人の生活の質が下がりつつある今(自助努力は期待できない、自助努力するほどの余裕はない)、底上げするのは社会です。もし社会にその力がなくなれば、個人の生活の質は下がると考えます。絶望する必要もない、高望みをしない限り、コツコツ生きていければそれなりに報われるという社会の戻ればそれで良い。昭和30年代の良いところはそれなりに無割れたと言うことでしょうか。

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消費者金融下流喰い

2008.7.7

 序章を読んだとき青森県と全く同じだなと感じました。仕事がない、消費者金融の看板があちらこちら。テレビのコマーシャルは朝からパチンコ(相当多い)昔ならパチンコのコマーシャルは深夜に流してました。保険会社に勤めていた時、朝からパチンコに並んでいる光景を見た所長がびっくりしたと言ってました。全国転勤したけど朝から並ぶ姿は始めてみる、市の財政の20%が生活保護費に締められているのはびっくりしたと。

 仕事がない→暇→金がない→消費者金融→パチンコ

 これほどいいカモはない、しかし今は一番がギャンブルでなく、生活費のために借りるのが圧倒的に多い。「下流喰い」を読んでびっくりしたのは多重債務者は作られていると言う事実です。「押し貸し」融資額を広げる。そして上客とは元利金等払いではなく、月々の金利だけを払ってくれるベタ貸し状態を維持し末永くお付き合いの方、で月末の大手がやって来るときは「追い貸し」、利息だけ払い続けても元利均等でなければ借金は増えるだけ。まして利息が出資法(29.2%)利息制限法(18%)のグレイゾーンで取るわけでしょう。その差は10%以上あるし。大方は大手の消費者金融が融資しなくなった段階から借金の連鎖が始まると著者は書いています。

大手→準大手→中堅・中小→ヤミ金

 本書で怖いなと思ったのはヤミ金の世界、搾り上げるだけ搾って見切りをつけると、業者間での客の騙しあいだそうです。特に「レディスローン」と言われるものは、返すお金のなくなった女性は最後は売春をして返してもらう、「おんな市」呼ばれ裸になった女性が値踏みされて、買われれば業者から住まいを提供されて売春をして、借金を返すまで働かされる、奴隷市場と遊郭の世界が今の日本にあると言う現実。貸し手は返さない借り手が悪いと言うがこれが犯罪行為でなくてなんでしょうか。男も女も人間としての尊厳もむしり取られ、下流へ下流へ流されていく、これがビジネスモデルというのですから。(悪魔の)

 おまけにメガバンクが消費者金融が儲かるからと参入、大手の消費者金融を傘かに企業倫理も何もないという感じ、いいだけ貸し渋りをしといて、儲かるとなると消費者金融かいと言いたくなる。消費者金融のコマーシャル、軽い感じで、親切そうで、借金と言う重いくらい感じを払拭していますが、ゆめゆめ油断召されるな、やはり借金は借金なんだと考えないと。この本は社会人よりもこれから社会に出ようとする人に読んでもらいたいです。ぜひ読んでもらいたい、なぜなら消費者金融のターゲットは所得の低い若い世代をターゲットにしようとしてるからです。

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精神疾患

2008・7・3

 もし身内の中に精神疾患の患者が出たらどうしますか?多分信じられない、まさかでしょうね。本人に自覚があればいいですが、もしなければどうします?たいていの精神疾患に関する本は医療機関につれてきてください。これがそんな生易しいものではないのです。どうして連れて行けばいいんですか?と言う問いに答えられる人はまずいないでしょう。まず最初の第一歩でつまずきます。ならばどうすればいいか、身内の者が行く事です。症状を医療機関に言って話す、身内の者が病気について勉強して理解していくことです。そのうちいい時期が訪れたら精神疾患の本人を連れて行くしかないです。それはいつになるか分からない、無責任かもしれないが、それだけ医療機関での第一歩の受診が精神疾患の場合難しいです。

 もし最初の第一歩が出来て病名が統合失調症と付いたらこの本を読むことを進めます。私も身内に同じ病人が出ていろいろな本を読みましたが、この本が今のところ一番いいです。他の本はきれい事過ぎるし、ただ医療機関へつれて来い、薬を飲めです。確かに医療はそれでいいかもしれないし、身内は医者の言うことを聞いてその通りするでしょう。しかし病人の立場で考えれば、薬を飲むことの苦痛(精神疾患の薬はかなり苦痛を伴うらしい、精神疾患になった人は言う)、理解されない苦しみ、自分は病人と思ってないのに病人扱いされる、見放された状態に置かれる孤独。

 病人本人より家族が読むことを進めます。病気について丁寧にかかれいるし、何よりの救いは本の帯に書いてある、「闘わず、諦めず、必要なことはすべてやろう」(希望はもてなくても絶望と言うことはない)、家族の病人の接し方も書かれています。この本を読んで感じたのは家族の接し方で悪くもなれば、よくもなるです。ほとんどの場合精神疾患の家庭は壊れてます(もともと壊れるような原因があってそれが原因で精神疾患になったかもしれない)。だから、孤独、孤立でますます症状がひどくなる。家庭が壊れてしまったとこは仕方ないですが。

 もし幸いにも家庭が壊れていない家族の人は統合失調症を理解し、本人をサポートしてください。ほったらかしはだめです。私は著者の講義を聞いたことがありますが、よくなるまで10年くらい懸かるそうです。と言う著者もうつ病です。と言ってよくなるのは90%くらいだそうです。認知症及び精神疾患の場合病人に対して説得しようとか、訂正しようとかしてお互いストレスがたまっておかしくなる、また私がいなければと考えて共依存状態になったり、一緒にいることで感応性精神障害になったり、うまく距離感が取れないことで不幸になる場合があります。うまく距離感を持ちつつ接していくことです。100人に1人はなる病気と多くの本には書かれていますが(驚く程ではないと言いたいらしいが)、家族にすれば何でこんな病気になるんだと言うのが正直な気持ちだし、受け入れるまで大変です。しかし事実を受け入れること、本人を正しく理解することで少なくとも絶望と言う気持ちにならずにすむ。少なくとも今より悪くならないようにしよう、ほったらかしにしない、できることはして見ようです。

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食品偽装。コンプライアンス

2008.6.27

 「丸明」のひだ牛の偽装は社長の指示だということが分かりました。どうしてこうもコンプライアンスが守られないのでしょう。ただコンプライアンスを守る余り身動きが取れない、自由な企業活動が制限されるなど、指摘する人もいます。マニュアル化してしまうと、硬直化すると言う点も指摘されます。しかし企業に対してコンプライアンスが求められる今、勉強してもいいと思うし、コンプライアンスの基本はこういうものだと分かっていいです。それに法文にも慣れるので、別な資格を取るとき取り組みやすいなと感じました。合格確率が80%なのでじっくりやれば取れると思います。

 ビジネス実務法務検定(東京商工会議所)は私はコンプライアンスの基礎を勉強したいと思って検定を受けて合格しました。これからはこの程度の知識があってもいいと感じます。学習期間は約半年、テキストは法文の言葉が多いので最初は読むだけで大変、しかし直接法文を読むわけではないので多少楽でしょう。しかし聞いた言葉が無いので慣れるまで、文章自体も硬いですが、何度か読み込むうちに慣れてきます。後は演習問題を繰り返す、合格点は70点以上ですから、自学のときに70点以上を取ること。苦手な分野も出てくるので、それもやはり苦手な分野で70%以上の正解率を出すことです。

 個人的には不動産関係の問題が実践的で大変役に立ちました。不動産の仕事、保険の仕事をしている人は比較的取りやすい資格だと思います。実務法務3級の資格取得者は製造関係の割合が高いですが、個人的には足りない気がします。製造物に関してはPL法だけなので、できれば食品衛生法も少し入ってもいいと思います。

 比較的新しい資格なのでまだ合格率は高いです。しかし今後受験者が多くなり、現代のように法整備が昔に比べ早くなり、改正が多くなったり、新法が出来たりするともっと学習する内容も多くなると感じています。なぜならば販売士3級は合格率70%ですが、昔は簡単で取りやすい資格だったそうです。しかし今は難しくなって70%になっています。

 しかし食品の偽装問題、ブラック企業の問題にしても、コンプライアンスを持ち出す前に、倫理感の問題のような気がします。いつも気になるのは企業は廃業しても、雇用されていた人たちの再就職です。難しいきわめて難しい。問題のあった企業の従業員を雇用する企業はあるのか、ですから従業員の再就職にも責任を持って対応しないと。従業員にはなんら責任も無いのに、仕事を奪われるのですから。

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危機管理・食品偽造

2008.6.25

 またしても食品偽造である。現段階でははっきりしないので何とも言えません。しかしテレビ日を見ている限り、社長の体質を見てる限り、先回紹介した本「ブラック企業の闇」の企業に分類されるでしょう。去年の北海道の「ミートホープ」の事件にしても、企業の社会的責任(法律遵守を含めて)、食品安全.衛生とか考えているのかと頭を傾げたくなります。

 食品安全モニターをやってから食品にはリスクがつき物と分かりました、絶対安心は、本来食品にはありえません。限りなく0は可能でも絶対0はあり得ません。限りなく0にするために食品安全委員会ではリスク評価を行い、リスクの低減を行います。しかしこれはあくまでも食品その物に対してです。

 しかし「ミートホープ」、「丸明」では偽造と言うリスクのおまけをつけて販売していました。本来食品安全・衛生には真剣に考える人が、真逆のことをした訳です。儲け主義(悪いことではないが限度がある、何をしてもいいとは言わないだけ)は結構だが、行き過ぎて企業倫理はそっちのけ挙句会社をつぶすと言う最悪の結果になる、結果になるかもしれないのです。

 「企業こころの危機管理」は、心が病んだ社員を理解し、 「心のケア」を取り組むことで自殺、労災を防止するように努める。逆に放り投げておけば家族に訴えられて、企業の命取りになる、事件事故がおきたとき、消費者、被害者の気持ちが理解できないと怒らせて、マスコミに叩かれこれまた企業の命取りになる。企業、自分中心の考え方ではなく、相手中心で考えなさいと、本書は説いています。食品偽装、社員の労災、自殺、事件事故で被害者を怒らせる、すべて企業、自分中心からです。もっともっと相手中心で考えないと企業は危機に貧します。事件事故に対する危機管理も大事ですが、人材と言う財産を失うことが本当の危機のような気がします。企業は人の集まりですから、人を大事にしないと。

 ちょっと関係ないですが、「栄養と料理デジタルアーカイブス」で昭和10年第一巻2号を読んでいたら、栄養と料理の記者が明治製菓川崎工場の見学の記事があり、工場の中に「買う気で作れ」と言うスローガンがあったと書いてありました。考えてしまいました。

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声を出す

2008.6.23

 もともと宮沢賢治は好きではありません。しかしこの本を買おう思ったきっかけは挿絵に当たる版画のすばらしさです。右側が文章、左側半分全体が版画、結構迫力のある版画です。そして声に出して読んだときさすが宮沢賢治の文章、活き活きして来ます。

 宮沢賢治の童話の朗読をやられる方はありますが、自分でも経験してみるとやっぱりと感じます。特に擬音に関しては黙読しているだけでは分かりません。声に出して読むと宮沢賢治の擬音のすばらしさが分かります。

 ボヘミアンにせがまれて何度か読みましたが、声を出すことで、絵のほうも活きてくる感じがします。版画なので絵にはないボリューム感が出ていて、絵を見ながらの読み聞かせ向きのような気がします。

 宮沢賢治の童話はいくらか読みましたが、イマイチピンときません。西洋と東洋が融合した不思議な世界、ファンタジーと言ったらいいのでしょうか。私はファンタジーが苦手なもんで、そんな私でも読ませてしまう宮沢賢治は偉い。

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ブラック企業の闇。主に派遣労働について

2008・6・19

 昨日の読売新聞見ましたか?日本人材派遣協会の意見広告、全国紙には載ったと思いますが。もともと派遣に関しては風当たりが強かったのが、秋葉原の事件以来派遣労働の見直し、批判が強くなりました。それに答えるためかどうか分かりませんが、自主ルールとなっていますが、今後派遣会社を選ぶときの判断材料にはなりますね。

 昨日食品関係の本を買うつもりで紀伊国屋へ行きました。書棚の前を見たらあるはあるは、ワーキングプア、ニート、雇用不安に関連した本、格差に関するもろもろの本、で「ブラック企業の闇」を買ったんですが。面白いです。もともとインターネットではブラック企業のランキングがあり時々見てましたが、そのランキングが本になり、実態をレポートしたものですが、良くぞやったと思います。著者の勇気に拍手したいですね。インターネットを見ない人は分からないと思いますが、ぜひ読んでほしいですね。名前の知っている企業がバカバカ出てきます。びっくりする人もでるかな。

 必見は「第五章ブラック企業を見抜け!」、以前勤めていた企業で自分でブラックと思った方、見てください。結構当てはまるとこあります。私も何個か当てはまっていました。やっぱりそうかと納得しましたけど。あくまでも個人の意見なので参考までですが。インターネットの書き込みにもこのようなものがあります。表現はかなり過激ですが、この本を読んでからインターネットの書き込みを見ると、かなりマジ、本気なので、気持ち分かりますね。

 もともと派遣の労働体系は業種が限られていたのが、規制緩和で何でもありになったんです。もともとの業種はかなり専門分野性の高いものなので、限られた人しか出来ない労働体系なんです。かつ景気が安定してるという条件があって、コンスタントに派遣先が見つかるから、いい労働体系なのではと私は考えるのです。特に女性向(家庭を持ってる)だと思ってます。しかし景気の悪いときは無理な労働体系です。次の雇用先が見つかりにくいので。親も読んでほしいです。

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優秀な子って?

2008.6.18

 1978年に書かれた作品で私は20代のとき読んだときは何も感じなかったのですが、昨今の未青年の犯罪、特に一見よい子と見られる子供の犯罪が多くなってからもう一度読みたいと思ってやっと手に入れた本です。成績がよくて、何の非の打ち所の無い少年、親の自慢の息子、家庭でも両親がそろっていて、経済的にも何の不自由もない。母親はいい母親を演じていて実は不倫をしている、父親はいつも子供に一番になれという、子供は成績全体で見れば優秀ですが、学習の科目によっては2番か、3番の科目がある、それがくやしくて、一番の子に対して残酷ないたずらをする、邪魔者は消せの考え方です。

 困ったことにこの少年は自分でシナリオ(残酷ないたずらのシナリオ)を書いて別な子供に命令してやらせる、だから少年は陰に隠れて絶対分からなくて(表向きは最後までいい少年と思われますが、最後はどんでん返しで分かりますが)、命令された子供は犯人扱いされます。だったらなぜ命令された子はいうことを聞くのか、命令された子は少年の父親の会社に夜警として勤めていて(体が不自由)、少年の言うことを聞かないと父親を首にすると脅されて、命令された子は父親が解雇されると再就職が難しいことを知っているのでいうことを聞いて犯人扱いされことを引き受けるのです。

 子供の世界の勝ち組と負け組みたいな感じもします。母親はまだ子供だと思って高をくくっていたけど少年は母親の不倫に気づいていた(母親の少年に対する裏切り)、なんでも一番になれという父親のプレッシャー、二重の苦しみを少年は持っているのですが、その仕返しが逆らうことの出来ない子供を使うという残酷さ、最初読んだ時はこんなのありかよと感じてましたが、今読んでみると妙に現実感を覚えます。

 現実には両親のどちらかが原因となって子供が犯罪に走る可能性が高い、また親の力を利用して脅かすというのも現代はちょっと考えにくいですが。しかし子供をいつまでも子供だと思っても、大人が悪いことをしてるのを子供は見ている、そんな子供にしたのは大人、何がなんでも一番になること、自分で不倫していて子供に悪いことは付き合うな、大人の都合に振り回された犠牲者だなと解釈してます。

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マナー

2008・6・17

 レビューブログからの紹介です。冠婚葬祭があるたびに、どうするこうするとマナーと言うかしきたりに迷ってしまいます。それ以外にちょっとした事でどうしようと思うとき無いでしょうか。友達や親に聞いたり、経験から学ぶことか、マナーの本読むときもあるけど、イマイチピンときませんよね。聞いても年代によって微妙に違ったりして。この本は今の生活者同士の口コミから来るマナーも載っています。そんな、気になる!いまどきマナーはこちらから。

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ワーキングプア

2008.6.15

 私の考えは派遣という働き方は景気のいい時の働き方だと思っています。もともとは業種が限定されていたのが規制緩和のため業種はほとんど限定されていませんが(港湾労働、警備業は除く)、景気の悪いときは向かない労働体系だと考えます。なぜか?契約が終わった時点で次の勤務を探すとき、余り時間をかけずに見つけられるからです。

 今はどうでしょう、契約が終わればすぐ次があるでしょうか?そして男女平等の考え方から外れますが、女性向の労働の仕方で、男性には向きません。どちらにしても非正規雇用というのは景気のいいときの雇用体系であり、景気の悪いときには向きません。それがどういうわけか景気の悪い今やるのですからおかしいと思います。

 また枕が長くなりました、昔から格差はありますが、それでもちょっと前なら多少の格差もまじめにこつこつやっていればどうにか報われました。身の丈にあった暮らしは出来たのです。ところが今はどうでしょうか?

 この本は冒頭で著者が書いているように、具体的な統計が載っていますが、ただその数字を見るだけでなく「ワーキングプア」に陥った人を直視してほしいと書いています。私がこの本を評価するのは数字を挙げるだけでなく、ドキュメントととして事例を挙げていることです。どの人もがんばっているのに報われないが、それなりに働いていますが、私が心配するのはいつまで持つか、何処かでこの頑張りが報われてほしいという事です。

 何の本を読んだときか忘れましたが,「ガンバレ、希望を持てと言うけど、それって勝ち組の言葉だよ」言った青年がいました。本当にそう思います。あんまり嫌なことが続くと希望を持つのも疲れてきます。読後感は徹底したリアルさでガツンと来るものがあり、絶望しちゃう感じもあるような感じがしますが、私的には希望は持ってほしいです。とにかく著者の現状に対する抑えきれない怒りはガンガン感じました。

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持たない暮らし

2008・6・11

 下重暁子さんの本です。わたしがまだ小学校の低学年の頃はまだNHKのアナウンサーをしていらしたのでそのイメージが強かったです。しかしNHK退職後、民放に移られてから辛口の意見を言う方だな感じています。「持たない暮らし」を読んで感じたことは、本来のあるべき姿の生活だと感じました。今の生活で無駄物が如何に多いか、無くてもいいものばかりです。本当に必要なものはどれだけあるでしょうか?物を買うときその物が本当に自分に必要か、今自分の持っているもので対応できないか、自分が本当に気に入っているのかなど。周りに惑わされず自分の考えで決めて買う、その代わり飽きの来ない、長く使えるもの、著者は使い切るという表現をしていますが、徹底的に使うことは物を大事に使うことに通じます。

 しかし物を見る本当の目が無いと出来ないことであり、一種の技みたいな物です。生活の知恵が無ければ出来ないことです。今エコだ、もったいないとかいろいろいっていますが、もったいないからと言って例えば屑野菜の活用、余分なものをうまく利用できる人はどれだけいるでしょうか?私の考えは生活の知恵、無駄な物は用意しない、無駄な事はしないそれがエコに通じるものだと考えます。

 周りに左右されない「私流の生活の仕方」、いらないものを持たない暮らしシンプルではあるけれど、生活の技、物を見る目を作らないといけない、難しいことだな、そう簡単にはいかないなと感じました。もっと大事なことは主体性が無ければ実行出来ないことです。著者は主体性を持って、個というものをしっかり持って暮らしている、あこがれます。どうしても回りに流される自分は無駄なことばかりしてるなーと。

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大阪船場祖母の味

2008・5・23

 久々に極上の仕上がりの本にあった感じがします。献立の分類ごとに描かれている絵には温かみと優しさがあります。また料理の写真と下の料理の解説文がお互いの分をわきまえて、お互い支えあっているような気がします。写真に外枠をつけたことにより、写真が散漫にならぬようピシッと収まり、料理を際立たせている気がします。

 今の料理の本はごちゃごちゃしており、お互いの自己主張が多すぎる見にくい本が多いです。これでもかと言うくらい、ぎゅうぎゅう中身を詰め込んだ本が多い中、この本のように余裕のある作り方の料理の本があっても良いと思います。

 料理を見たとき祖母が良く作ってくれた料理が多く懐かしくなりました。こんにゃくのピリ辛煮、お揚げの甘煮、高野豆腐の旨煮、グリーンピースの卵とじ、だし巻き卵、若竹汁,水菜鍋、かやくご飯、ぜんざいなど。祖母は船場生まれで昭和14年に弘前に来ていますから、本に載っている料理は本当の昔からある関西の家庭料理でしょう。油揚げはお揚げさん、豆はお豆さんと言っていました。弘前に来たときは関西の食材がないので、大変だったようです。水菜(よくハリハリと言っていました)、ぶり、はまち、ゆりねなど。水菜鍋は水菜がなかったので、よくほうれん草を使っていました。若竹汁は澄まし汁仕立てで作るものと思っていたのですが、弘前ではたけのこの味噌汁と言って、たけのことわかめの味噌仕立てです。絶品はなんといってもだしまき卵です。これは母も叔母も作りません。と言うより作れないんです。普通の玉子焼きはどうしてもぱさぱさになり、おいしくないです。だしまき卵はやわらかくてフワーッとしてます。それをカンテキ(七輪)の上で火加減を見ながら作るんです。子供だったので何も感じることなく見ていましたが、今考えてみると火加減が大変なのに良く出来るなと感心します。

 そんな祖母の味で慣れていたせいか、弘前の味には馴染めません。玉子焼き、赤飯(甘納豆を使う)、海苔巻き、茶碗蒸し、たっぷり砂糖を入れるので甘くて食べられません。最近はさすが甘みを抑えていますが。県外出身の人も甘納豆を使った赤飯だけは食べられないと言います。

 どれも身近にある食材で作る料理ですが、このごろ作ってないな思う懐かしい料理ばかりです。日本人の体にあった体に優しい、外国風の料理も良いですが、体にあったおいしい料理を作りたい人にはぴったりの料理の本です。タイトルが「日本のおかず」ピッタリです。 それで早速だしまき卵を作ってみました。おいしかった。ただ本で書いてある分量だとなれない人は焼きにくいかもしれないと感じました。5CC位まで控えてもいいかもしれない。5CC以上控えるとぱさぱさになるかも。それとお揚げの甘煮、高野豆腐の旨煮、気が付けば祖母の作ってくれた運動会、遠足のお弁当になっていました。足りないのは蕗の煮付けだけ。今度また作ろう、蕗の煮付けも加えて。

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ハローワーク

2008.5.14

 ハローワークとは不思議な空間である。今週ハローワークに行ったら知り合い3人に会った。以前は仕事があり働いていた、しかし仕事がなくなりただの失業者になると、以前持っていた張り、力、緊張感もない。上司もただの人、同じ立場で仕事を探す。過去がどうであろうと、ただの失業者、上下関係もない、当たり前といえば当たり前だが。しかし以前の上司に会ってつい気を使ってしまう、おかしなもんである。ハローワークという空間にいて、その場所にいる人を見るとどんな過去があるのだろう。仕事では指導的立場にいた人、面接官の経験のある人、今度は逆の立場になる、どんな気持ちだろう。みんな同じ立場にありながら、みんなどこかで過去を引きずっているかもしれない。何で自分がここにいるのかきちんと仕事してきてなんで首になるんだ、また転職してしまった、倒産した私のせいじゃない。そう考えるといろんな人の思いが漂っている。そして思いは早くこの空間から出たい。それだけは共通項。

 「親より稼ぐネオニート」を読んだとき感想、こんな生き方もありだよなと思いました。大方は仕事を探してもなかなか決まらない、マイペースで生きてみたい、とにかく何らかの理由で家から出たくない、そんな若者は何で稼いだのがネットビジネスです。ネットビジネスで自己実現。それが今はネットで稼げるなんて事になっているけど。彼らは努力して稼げる用になった、単純にネットをやれば稼げるなんて物ではないはずです。そこにはあきらめない、こつこつとやり続ける根気です。ネットとの相性も良かったのかもしれない。何でも楽しくなければ続かない、楽しいから苦しくないでしょう。家と職場を往復するだけが仕事ではない、それを親は無職の子供に強いる、高じれば自殺か親殺しなんて本の腰巻に書いてますが。(極端すぎるし他にも原因があると思うのですが)著者は親世代に対して、新しい生き方を認めなさい、既成の概念にとらわれるなと。ほどほど暮らせる手段を持っているなら勤務形態にこだわらない事、親の価値観を子供に押し付けるなと。私も自分の好きなことを犠牲にする生き方好きじゃないんです。ライフアンドワークバランスなんです。

 ところがここじゃ生活のためにどれだけへばって仕事をしてるか、自分が壊れる手前まで働く、果たしてこれで良いのか疑問です。親のすねをかじってと言うより、親が子供の仕事が見つかるまで子供の生活を見ると言うおろかな行為をしなくて良い。親が死ぬに死ねないと言う状況を作らない事になる、この新しい生き方良いと思いますけど。

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自由・生きる

2008・4・18

 この本を手にした時、本の腰巻の「不自由社会をゆく術は、時代のパッションに学べ!」惹かれて買ったのですが。しかし少々カクンときました。時代ごとに分類されたからです。

1.連合国軍に学べ(敗戦直後の自由論)

2.ロビンソン・クルーソーに学べ(1940~60年代の自由論)

3.真っ白な灰に燃え尽きろ(1960年代後半の自由論)

4.この支配から卒業せよ(1970~80年代の自由論)

5.僕は僕を好きになれそうだ(1990年代の自由論)

6.最高のトレッキングシューズを買え(21世紀の自由論)

 こんな風に分類されたんだと、戦後も50年を過ぎると歴史の範疇に入ると考えますが、60年過ぎて時代ごとに分類されその中で50数年生きた自分も歴史に分類される年代になったのかと少なからずショックです。戦後のタガの外れた自由は別にして、日本人は常に自由に生きることを考え、しかし自由に生きているという感覚をはっきり持つ事もなく、その時代の中で自分たちのヒーローとか、生き方に自分を重ねてきた。借り物の自由のなかで生きているから、いつまで立っても自由になりたいと日本人は言うんだなと本を読んだ後感じました、本当の自由とは私はありえないし、仮にあったとしても非常に生き辛いでしょう。現実の社会と折り合って生きていく、その中でどれだけ自分の思うように生きるかが自由に生きることだと思います。

 しかし5章まではこれが自由というモデルがありましたが、6章を読んだときこれからは前例のない社会(多分今は次の時代の過渡期)になり、自由に生きてはいけるけどどのように自由に生きるのか少し難しい時代になると想像してしまいました。

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格差・教育

2008.4.13

 社会に格差があるのは当たり前だし、あって当然でしょう。しかし現在格差が問題にされるのは、格差が固定されつつある、現代版士農工商になっていくのではないかと言う事でしょう。私がこの本読んで感じたことは青森県に住む人間にとってピンと来ない、どちらかと言うと都会型のデータと感じました。著者は成績の良いこの条件を次のように述べています。(あくまでもデータから得られた条件)

1・父親の所得が高い

2.母親の結婚前の所得が高い

3.父親、母親の祖父の学歴が高い

4.母親が料理をするのが好きである。

5.父親が土日休みである。

6.成績の良いこの方が明るく、がんばりやで、スポーツが好き。

7.成績の悪い子は消極的で、だらしなく、友達が少ない。

 1から3までは著者は教育学者が明らかにしていると言いますが、昔からこの傾向はあります。4.5はちょっと以前なら共稼ぎが少なく専業主婦が多かったし、たいてい手作りが当たり前、私が小さいときはそんな時代でした。当然父親が休みのときは家族で過ごしていました。6.7は昔からの理想である文武両道に秀でた物という事でしょう。共稼ぎが多くなり、雇用の多様化により4.5の条件を満たす家庭が減っていく、本当は4.5の条件を満たす事が子どもにとっては良い事なのですが。

 著者は出来る事から始める、生活の質を高める努力をする、しかし個人だけではどうしようもない社会のシステムを変える必要があると言います。自分でも働いて一番困った事は土日が休めない事です。子どもが小学校の間は、親は子供のカレンダーに合わせた勤務体系が出来るシステムが出来ればと感じます。しかし今の社会で1から5までの条件を満たす家庭は少ない、だからこの本を読んだとき衝撃でした。私はせめて4.5の条件だけは可能な社会になればと思います。母親は仕事から疲れて帰って食事を作るのが嫌になる、その頻度が多くなれば料理をするのが面倒、だから料理の手抜きをしても良い思う、子どもと一緒に食事が出来ればいいと考えます。自分でも実感しますが今の社会の勤務体系は子どもの生活を無視したものが多く、それでも両親どちらかが子どもに合わせられれば良いですが、それも出来ない家庭もあります。子供に合わせられるそんな当たり前の社会になればと思います。

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後期高齢者医療保険

2008・4・11

 やっぱりね、混乱おきてる。保険証が小さすぎる、字が小さすぎる、老人は変化に対して弱い、この特性を理解していなかったと言うのが混乱の原因だと思うます。保険証は慣れ親しんだ大きさに戻す事、字を大きく、私も老眼ですが母の老眼鏡をかけるとくるくるします、それだけ高齢になるほど字が大きくないとだめです。老人に対してはなんで文字でも、用紙の大きさでも、大きすぎて困る事はないのです。老人保健と後期高齢者保険の窓口が別と言うのも問題な気がします。どちらかに統一すべきではと思います。でなければこの制度が定着するまで、同じように取り扱うべきではないかと。市町村の窓口でも、広域連合でも同じように取り扱ってくれればと思います。

 『暴走老人』を読んだときいずれ自分もこうなるかと感じたり、いやならないと感じたり複雑な感じがしました。待つ事が現代社会ではストレスであり、待たされるという感情に変わり、多分自尊心が許さないから怒る。時代が現代に近くなるにつれて時間を有効に使うと言う概念ができ、ボャーッとしている事に耐えられない。ならば現代の目まぐるしく変わるシステムについて行けるかといえば、付いていけないからそれもストレス。核家族から進んで今は独居老人になり、ものすごい孤独、構って欲しい気持ちが時としてトラブルを起こす。丁寧化する社会でお客様扱いされる事が当たり前、それがお客様扱いされないと感じたとき怒り爆発。自分の要望が通ると言う幻想。分からなくもないがそれが常軌を逸してる。しかし丁寧化する社会はお互いが感情をコントロールする事であり、仮に怒れようと笑顔で、これが当たり前の社会になりつつあると著者は言う、そこで面食らうのが老人であると言う。

 しかし年を取れば時代についていけないの自然な気がするし、人によっては感情的になる老人もいます。私も経験的に感じるには老人は待つということが苦手なようです。特に若い時からよく動く人ほど、老人になって動く事が出来なくなるとイライラする気がします。ただ昔と比べて違う点は孤立と言う事です。しかし孤立は老人でなくても人を狂わせる最大の原因です。自分以外とは繋がっていないことです。

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ワークライフバランス社会保障事典

2008.3.14

 国会中継を聞いている。誰でも願う事はワークライフバランス、しかし現実には有休は取りづらい環境、残業が多い、子育てのための環境。しかし子育ての環境に関しては昔に比べてよくなった。子供が出来てても働く事でき、延長保育も出来る、ただ個別にはいろいろ問題があるが環境面では整っててきたと感じる。

 私は41歳で子供を生んで、保育所に預けて働いたが、同じ年の友人たちは延長保育、児童手当、出産育児一時金等がまだ不十分なときに子供を出産しているのでうらやましいと言われた。しかし女性が働くのが当たり前になって、子育てとのバランスを考えるとまだ不十分。働く現場では法律遵守と言うわけではない、私が考えるに経済状態が悪い時代が長く続きすぎたためか、経営者は働けるだけありがたく思えと言わんばかりに、残業させるでも残業代不払い、有給休暇を要求すればいい顔しない、その時代に慣れすぎたようだ。交代要員もギリギリ、ワークライフバランスが取れていない。

 ワークライフバランスが取れなくなったとき、仕事を辞めなくてはならない時、個人ではどうしようもなくなった時、公的機関にすがるほうが良い。しかしそのシステムを知っている人はそんなにいないだろう。この本は今この国で受けられる公的サービスがすべて載っている。他に市町村独自のサービスもある。近年は法整備のほうが早いので、現実の方が対応するのが遅いような気がする。だから国民はイライラするが。平成18年度版の帯には「ライフサイクルに沿ってコンパクトに解説」と書いてある。いろいろな社会保障システムは知っていて損はない。

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戦前の少年犯罪

 この本を読んだとき戦前これだけ少年犯罪が多く、どれも現在の少年犯罪より猟奇的なものが多いのにびっくりした。著者は古い新聞を丹念に読みデータベース化している。現代の少年犯罪は現代と言う特別なものではない、過去にも同じような事件が数多くあり、今まで語られないだけであると言う。昔は今の時代と違って子供にとって良い時代、大人は今の人と違って立派だったと言う、都合のいい事に騙されてはいけないという。戦前は国が貧しく、人身売買、暗いと言うイメージがある。しかし国民は貧しくとも心豊かで、純朴、地域のまとまりは良くと、良いこと尽くめと言うイメージがあった。一部、経済的に豊かな人たちは「細雪」の世界、女性は華宵が描くごとくものばかりと思っていた。それが根底からひっくり返り、逆に良くここまで見過ごせたもんだとあきれる。もう少し早く問題解決していたら、ここまでひどくはなるまいと感じる事例もある。しかしこれは現代人の発想。なぜ少年犯罪が無かったように思われているか著者は、一部地域でしか取り上げなかった事、時代が戦争に向かう中で少年犯罪