心と体

サイコパス

2009・11・19

 この本は読みにくい。なんせアルファベットの略語が多くて、何度索引を見て読みなおしたか。眼窩前頭前皮質を知りたい人にはお勧め。飽きる位出てくる。サイコパス、精神病質または反社会性人格障害。疾患ではないらしい。しかしこの本を読んでわかった事は、今まで本人の体質(適切な表現かな?)と環境が働いて、反社会性人格障害になるらしいとされたが、そうでもないらしい。

 眼窩前頭前皮質、扁桃体の損傷を受けた場合の関与もある。おちゃんがショックなのは出産時合併症を伴って生まれた乳児は将来行為障害、非行に繋がりやすいと言う。特に社会心理的要因が重なった時リスクが高くなるらしい。出産時合併症とは、低酸素、かんし分娩、妊娠中毒症で、脳損傷をおこしやすい環境因子となると言う(おこしやすいのである、なるとは言ってない、ごくごく当たり前の環境であればそうでもないらしい)。出産時合併症を経験したくはないが、悪阻、妊娠中毒症は程度の差はあれ、妊婦の多くは経験する。ストレスを避けるようにと言うが、精神的にも、肉体的にも妊娠中はしんどい。ここいら辺が原因でもあると、妊娠するのが怖い。丈夫な赤ちゃんを産みたい、難産はしたくない。異常分娩はしたくない。神のみぞ知ると言う感じ。

 つまり脳の器質損傷・障害である、しかしこれは誰のせいではない。一つの不幸である。しかし育児環境、家庭環境、広く言えば社会環境も劣悪であれば、もう一段リスクが上がる。しかしこれもサイコパス本人のせいかなと考えると、親を含めた大人の責任、たとえば虐待とか、ネグレクト。おちゃん的に考えれば、サイコパスは二重の意味で、不幸な星のもとに生まれ、不幸を背負って持って生まれたことになる。

 環境ストレスも脳の発達に影響を与える。脳のシステムに障害をおこす。環境とは、家庭環境、育児環境を含めた成育環境と考えれば、諺「氏より育ち」か?眼窩前頭皮質の発達は2,3歳までと考えれば諺「三つ子の魂百までも」か?「教えて?子供の反抗期」、「サイコパス」を読むと楽観主義ではいられないと感じる。

 ある程度育ててしまうと、後戻りが効かない、子育てにはやり直しがきかないである。異常な反抗ではない限り、子供のあるがままの姿に期待するしかない。しかし、あるがままを見ると言う事は非常に難しい。親が子供のあるがままを見る事は相当の辛抱である。ついつい言ってしまうのが親、手を出してしまうのも親。親も子供の頃は逆らってきたが、親になると逆らう子供に意見する。不思議な現象が代々続く。

 今まで子育てに関する本を読んだが、どこか楽観主義的な本もあった(きれいごとである)。しかし現実はそう簡単なものではない。子供の頃のトラウマを生涯ある程度引きずるものである。そのトラウマがマイナスに作用するか、本人しか分からない。トラウマは持ってる本人しか分からない。結論、極端な子育ては(事の善し悪しは別にして)、子育てしてる本人は気がつかない。気になってるうちはまだ良いにかもしれない。気にし過ぎるのもダメ、気にしさな過ぎるのもダメ、ほどほどが良い、ほどほども難しい。

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「甘え」の構造]

2009・11・4

 初版昭和46年、著者は今年亡くなった。たぶん今後も多くの人に読まれると感じた。38年前に書かれた本であるが、今の時代背景と変わらない、もともと日本は甘えを許す、受け入れる国なので、今も昔も変わらないのかもしれない。学生運動も甘えの一つかなと考えれば、いたずらに社会を混乱させただけで、何も残らなかった。一体なんだったのだろう。ただ社会に対して不満をぶつけただけで、要求が通らないのが分かると止める、まるで駄々子である。校内暴力の影響はまだどこに残っている、まだどこかで起こっている、こちらの方が傷が大きい人格が完成された大学生と違い、まだ人格完成の途上の中学生だからその傷がいえないまま成人した人もいる。、いろいろな原因もあるだろうがこれも甘えが原因かもしれない。

 心理、精神を表現する日本語には「甘え」と言う意味が多く含まれている。その言葉一つ一つに精神、心理的意味を発見した労作であるし、われわれが日常意識することもなく使っている言葉に、こんな意味があるのかと改めて感じた。読んでいると精神科医が書いた本と言うより、国語学者が書いた感じがする。門外漢とは言いながらよくぞここまで、丁寧に調べ解説しているなと驚く。

 しかしこの本を読むとき、多少精神、心理の知識もないと戸惑うかなと思ったが、各章の終わりの部分に解説がある。読み進んでいくうちに感じたのは日本人の感覚の中に十分甘えたい、甘えさせるものがあり、十分甘えることができなかったものが後年精神疾患になりやすいという指摘はなるほどと思った。また内と外、本音と建て前と言う日本人独特の思考も、身内に甘いが、他者には厳しいという指摘もなるほどと感じた。しかしこれが存在するから、簡単に甘えを許す、受け入れると言う事にはならない。バランスが取れている。笑ったのは家族では日常の挨拶はしないが外では挨拶をする、家族では甘えがあるからしないが、外面で外では挨拶をするなるほどと思った。おちゃんもボヘミアンには内と外を使い分けろと言ってるが。

 欧米では、自律、自我、自由の社会である。甘えと言う事が許されない(だから、個の自律性、自由が重要視される)と言う訳ではないが、甘えに相当する言葉が少ないらしい。甘えとは依存であるが、病的にならない程度では日本では許される。しかし欧米では良く思われないから、甘えたいという心理状態になった時、人は苦しむらしい。著者が留学中に治療者と患者の治療の様子を観察した時、治療者のそっけない態度にびっくりしたという。これはおちゃん的考えかもしれないが、同じ治療者でも欧米では症状を良く見、分析、原因、診断である。しかし日本の場合どうしても(DNAでもう甘えがしみ込んでる民族)、患者の現象でとらえるつもりでも心の中に介入してしまうから素っ気ないと感じるのかなと思う。

 甘えと自立・自由のバランスで生きていければ良いが難しい。欧米では個として生きていくことが要求され、すがることは好まれないから、すがりたい時は苦しむ。日本では自立して、自由に生きなさいと言われればどうしていいか悩む。アー難しい。しかし甘えと言う現象をここまで追求すると(良い悪いは別として)、悪ものではない、逆にうまく利用するかと思う。また日本人の特性なんだから、何でもかんでも自立、自我と強制することもない。

 結論、内と外、本音と建前の使い分けが一番。ハッキリ、クッキリ区別するのは良いけど角が立つ。これって結構苦しい。やたらセンテンスが長い文章で、ちょっと苦しいけどいい本です。

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精神科医になる

2009・10・12

 本の題名から著者がなぜ精神科医になったか、その道程を書いてるのかと思った。しかし副題に「患者を分かること」とついてる通り精神科の医師がいかにして、患者を分かるかという事が書かれている。

 身体科の医者と違って具体的なデータ、典型的な症状が出るわけではない、患者の様子と自分の臨床経験、精神科の先輩医師から意見を聞きながら、成長していく。身体科の医師とは違う、曖昧模糊とした,精神と言う例え様もないもの、症状の変化する患者を治療していく姿は職人芸のようである。

 また著者は言語を通しては分かりえない、医者と患者との身体感覚を通して分かり合えるコミニュケーションを著者は「生体との会話」と呼んで、精神科医は様々な角度から会話できるように、そして自分の経験(臨床経験、精神科の医者にとっては自分の財産のような感じがするとおちゃんは見た)と重ねて治療へと進む。

 春日武彦の精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書)を読んでも、薬の調合にしても精神科医によって職人芸的なものがある言う、また著者も精神療法も医者によって様々な組み合わせがあると言う。ここではキャンパスに自由に絵を描く絵描きのようでもある。臨床の初心者が先輩医師について臨床をする記述は、徒弟関係のようにも見える。

 分かった事は身体科の医者と、精神科の医者の違いが分かった事、収穫は大きいなと感じた。また精神鑑定において、医者の見解が一致しないこともわかるような気がする。また何冊か今まで精神科医の書いた本を読んだが、医者同士の批判が多いのも精神科医の特徴のような気がする。ここでもDSMに対する批判が出ていた、DSMは役に立つ参考になるという意見は多い。しかし頼りすぎないこと、自分の経験で見ることが大事であるという意見が多い。

 おちゃんは何人かの精神科医に会ったことがあるが、共通してる事がある、顔を見ないのであるなぜか。ただ女の先生ははっきり顔を見て話す、カルテを書く。男の先生は顔を見ないで背を向けるようにして話を聞き、カルテを書く。何冊の精神科医の本を読んで分かった事は、患者と適切な距離を置くことができなくなる時があるらしい。患者に取り込まれる時があるらしい。その医者と患者の微妙な距離感、その距離感を保ちながらの診察、患者の語る物語を聞きつつ、カルテを書く。まるで通訳者のようでもある。そして自分を保つという事も脇で考えながら。

 カウンセリングでも介護者の場合でも、よく言われるのは相手にのめりこまないようにである。何も見えなくなる、相手と同じ土俵に立ってしまうので、ど壺にはまる。だから適正な距離感を持つように指導される。こんなことがあった、カウンセリングをしてるが理解されないと言う、クライアントに。答えはクライアントの相談に一生懸命になり過ぎるからそうなるのではと。クライアントと同じ立場になってしまう、何とかせねばという焦りがそうさせるのかもしれない。ちょっと変わった本である。 

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犯罪心理学入門

200910・7

 事例が豊富である、しかし何らかの病理を抱えた事例が多く、これだから事件が起こるたびに精神障害者はとか、精神科に通院歴があるとか言われてしまう、あらぬ偏見がまかり通る。しかし我々は正常と異常の中間地帯で、どちらかに揺れながら生きている、犯罪起こしますと言いながら、瞬時に犯罪を起こすわけではなく、成育歴、環境、様々なプロセスを経て、犯罪を起こすかもしれない、しないかもしれない、そんな危うい中を我々は生きている。そのどこかでスイッチが入った時起きると思う。

 成育歴、家族関係が事例によって詳細に書かれてる、子育て中の親はもしかして、ひょとしてと不安になるだろう。おちゃんもそうである、しかし犯罪者になる条件をそろえたからと言って必ずなるものでもないし、全然問題のないように見える人が犯罪者になったり(しかしよく考えてみると問題のない人、問題のない家庭はないと思う)。犯罪へ走る方向へスイッチが入るか、幸運にもスイッチが入らずに過ごすかである。著者も偏見、誤解を持つことを無いようにと文中では書いているし、特に未成年の場合は再犯率は低いという。つまり未成年の場合通過儀礼的なものであれば、その時限りと言う事。しかし未成年自身が背負い切れない病理を抱えたとき、更生の道も遠く、また再犯と言う事になるらしい。

 読んでいるうちあまりにも精神的な病理を抱えた事例が多いので、精神的な病理を抱えた人だけという印象を持つと思う。しかし犯罪を起こす時正常な精神ではない、つまり犯罪に手を染めるという段階でもう精神が病んでいる。たとえば万引き、倫理観は欠如してるが、後は正常ですと言って精神的病理はないと言えないだろう。倫理観がないこと自体が病理である。読み進んでいくうちにおちゃんは、犯罪に手を出した段階でもう精神病理の世界に入ると考えた。だから犯罪は異常なのである。なぜこの点をくどく書くかと言うと、ほとんどが精神病理というより精神疾患を抱えた事例が多いので、精神疾患を持った人がひとhしぞん偏見を持たれるのではという気がするから。

 おちゃんのブログを読んでくれた人は分かると思うが、最近のおちゃんの本のレビューは家庭が崩壊すればいかに子供に悪影響を与えるか、いかにして家庭を維持していくことが子供にとって大事か、そんな本が多いことに気付いたと思う。当たり前のことだが、子供のために家庭を崩壊させないよう、何のかんのと家庭の文句を言っても、なくなったらどれだけ大事なものを失ったかわかる、しかしわかった時には遅い、壊れた家庭は戻らない。

 最後に著者は日本的犯罪の特徴として、幼少年期甘えたくても甘えられないため、その怒り、恨み、憤りが社会、他者に依存、甘えを求めた行為が日本の犯罪の特徴であり、今後は攻撃性と依存性が犯罪心理学のテーマになると言う。人は依存しながら生きている、完全に自立して行ける訳ではない、しかし依存は間違った方向に行けば恐ろしいものである。おちゃんが今一番怖いと思う病気は共依存症である・ >

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非行心理学入門

2009・9・22

 初版昭和60年、今の目から見ると少々古い気もするが、戦後の少年非行の特徴、傾向を細かく分析してるので、少年非行の時代ごとの特徴を見るためには良い本だと思う。現在は昭和に直すと84年になる。本文から少し抜粋してみよう。ただ日本の場合大きな波があり、これはアメリカにはない特徴だという。

第1波(ピーク昭和26年)

①年長少年(18,19歳)の非行率が高かった。

②貧困家庭出身者が多かった

③財産犯が多かった

④学生生徒が占める割合が低かった

第2波(ピーク昭和39年)

①暴行・傷害・恐喝・強姦などの粗暴非行・攻撃的非行が多い

②交通犯罪の増加

③性非行の増加

④低年齢化の傾向

⑤睡眠薬遊び、遅れてシンナー・ボンド吸引のような逃避型非行の増加

第3波(昭和44年を谷とし昭和57年まで増加)

初版が昭和60年なので著者は第1波、第2波のように結論は出していないが特徴として、低年齢化、遊び型非行、初発型非行(占有物離脱横領、万引き、オートバイ盗み、自転車盗等)、非社会的非行(薬物乱用、怠学、怠業、登校拒否、社会と現実に背を向ける)。

 著者は昭和60年の時点で将来は予測できないと言いながら、薬物乱用(非社会的非行)、遊び型非行の増加をあげている。カプセル型人間(自己中心的、自閉的パーソナリテー)の増加。そして遊び型の非行の次に、非社会的非行が来るのではと推測してる。しかし現実として著者の指摘通りだし、おちゃんも最近の非行に関してはもともと神経症的なパーソナリテーを持った子どもの非行、犯罪が多くなった気がしてならない。20年以上前からNHKのラジオ教育相談を聞いてるが昨今、相談内容が精神的なものが多くなった。聞き始めたころは単純な非行、学校問題だった記憶がある。相談内容が変化したなと感じてる。最近の特徴として、何でもかんでもメンタル的なものとして考えるのもどうかと思う。もっとシンプルに考えてもいいと思う反面、やはりメンタル的なものとして考えた方が理解しやすい。説得力もある。

 今日のNHKのラジオで経済的にひっ迫している家庭に、子供の虐待が多いと流れた。親の不安定さが子供の虐待に向かっている、おちゃん的に考えると第1波の非行が今後多くなる気がする。親の不安定さの不満が子供に波及し、将来の非行に繋がるとすれば(今現在の社会構造・社会問題を考えれば)、もし何かあった時、親を責めたり、子供を責めても仕方がないと思う。貧困だから仕方がないという時代は終わった。貧困でも何とかなる社会ができれば良い、もっと、教育、福祉を実態に合ったものにしなければ。

 ところで最近一人の馬鹿がいて、戦後の貧乏と今の貧乏を比べた時、今の貧乏のほうが良いという。いつの時代でも貧乏が良いわけない。だから焼け野原の時代と今を一緒にされても困ると言い返した。自分の苦労話を美談のごとくしゃべる馬鹿がいるから、しなくてもいい辛抱までしてしまう人もいて、それで悩んでる人もいる。世の中してもいい辛抱としなくていい辛抱もある。話がそれた、ボヘミアンが大嫌いな話し方である。

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続心療内科

2009・8・10

 著者は日本にはじめて交流分析を紹介、この本の初版は昭和48年、その約10年前に九州大学医学部に心療内科を発足させた。内容文章表現は少し古いが、自律神経のアンバランスによって様々な病気を引き起こすこと、薬に頼りすぎること、薬の大量投与など、現代でも問題になっていることを30数年間から述べていた。と言うよりこの国では30数年たった今でも、現状が変わっていないのかもしれない。この点については「こうすれば病気は治る」の著者が現代において、述べていることと同じである。

 この本の内容は交流分析(エゴグラムと言った方が理解が早い)、その他精神療法、カウンセリング、自律訓練法など、今は割と馴染みのあることが述べられている。今はメンタルヘルスの重要性をだれでも理解するが30数年前は専門家、一部の人しか興味を持たなかっただろう。今はどこにでも心療内科があるが、どのようにしてでき、本来の心療内科とはどんなものだったか、知ってもらいたいからである。

 「親のボケに気づいたら」の著者も、心療内科は心理的な影響を受けやすい身体の病気と言っている、しかし現代は精神、神経科と心療内科の区別があいまいになってる、というより患者自身は同一視してる、本来は区別があった、この本を読むとそのあたりがはっきりする。メンタルヘルスという言葉が誤解を生んだのかもしれない。精神、神経という言葉を嫌がるから、メンタルヘルスなる言葉でぼかされてるが同じなのだが。

 内容は自己コントロール、交流分析、自律訓練法と多岐にわたってる、おちゃん的には内容テンコ盛りすぎる感があるが(だから逆に分かりづらい)、30年以上前の書かれた、著者のいってることは現代にも通じるので温故知新で読んでいただきたい。

 著者は心身医学の立場から宗教的治癒も否定はしていない、可能性もあるという。しかし注意点を3つあげている。(続心療内科から抜粋)にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
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1 信仰によって治る病気の多くは、神経症や機能的な身体病変と思われる。信仰を万能と考えるところに危険が伴う。

2 教祖,教会に対して強い依存状態ができる。治癒したように見えても、教会、教祖から離れることの不安が伴ない、離れることのできない状態になる。

3 信仰による治癒の実態が見落とされ、教祖に霊能があるように思い込み患者の人間的成長が妨げられ、迷信のとりこになう。

 なるほどと思う。今でも精神疾患に対する偏見は強い、時代が昇るほど偏見という色は強くなる。30年以上前はもっとだろうそれより前はもっと。だから著者の文章からは現代の精神科医が書く文章よりも、ヒューマ二ズム、啓蒙しようという空気を感じる。

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脳がめざめる食事

2009・8・5

 今までは健康といえば体のことであり、食事も体に良いことが多かった。しかし最近は頭の健康に良い食事ということも言われ始めている。しかし頭にしても体にしても、好き嫌いなく何でも食べることが基本であり、規則正しい生活。体調が悪くなると生活のリズムは乱れるが、精神的に病むと生活のリズムはなかなか普通に戻らない、戻りにくい。逆に元に戻れない自分に対して、情けなくなる時がある。

 頭の栄養源はブドウ糖であるが、ビタミン、ミネラル、微量金属なども重要である。頭に良い食事の本は体に良い食事の本に比べて、専門用語が多いので理解しにくい、難しいなと感じる。しかし五大栄養素、炭水化物、脂肪、たんぱく、ビタミン、ミネラルという単純な分類だけでは頭の栄養を理解出来ないからかもしれない。

 マー難しい専門用語、説明の図は適当に読んでもいいから、頭にはこれだけの栄養が大事だと知ってほしい。単にバランスよく食べるだけでなく、あまり意識しない、ビタミン、ミネラルの大事さも知ってほしい。頭の栄養バランス、頭の健康を考えることは、体にとっても良いことである。スーパーの青果、水産、畜産品売り場のポップでも「栄養豊富、ビタミン、ミネラル豊富」という漠然とした表記が多いが、DHA,、EPAなんて言葉も出てくるから消費者も勉強しなくちゃと思う。最近はビタミン、ミネラルの単独の栄養だけを取り上げる傾向があるが良くない。単独接種をすることはサプリメントでは可能、しかしビタミンの過剰摂取の害もある。栄養素というものはお互いが影響し合って(適切な表現ではないが)、理想的な比率で体内で消費される。

 栄養学と、医学はますます接近する、一般向けに読まれる栄養に関する本も専門用語が出てきてもう10数年、今後昔のような単純な内容はなくなると思う。丸元淑生の栄養、食事に関する本を読んだのは14,5年前、その時は一般向けにしては難しいなと感じたが、いまは丸元淑生風の本は当たり前。その時、トランス脂肪酸、サプリメント、イチョウ葉エキスなどについて丸元淑生はすでに書いていた。いまみんな知ってるが。おちゃんもそのころはサプリメントは何か知らなかった、「頭の栄養それ何、体の栄養だけでいいじゃない」という感じだった。しかし今後を考えると頭の栄養の重要さはますます広がると思う。そして今まであまり触れられることがなかった、ビタミン、ミネラル、アミノ酸についても知らないと本当の意味での栄養バランスの大事さは理解できないだろう。というのは余りにも単独の栄養素ばかり強調されるので、それだけで良くなると錯覚させる。そう言う事はないわけで必ず、いろいろな栄養素がお互い影響し合って機能してる。

 この手の本の先駆けとして参考に丸元淑生の本も上げておく(あくまでおちゃんの考え)、病気別に、頭、身体の病気について料理、栄養について書かれているので。

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こうすれば病気は治る

2009・6・30

 うーんと悩んでしまう。確かにいい本だとは思う。しかし納得が出来かねると思うところもある。まー医者だから正しいと思う、しかし何もかんも自律神経のバランスで説明されると、辻褄が合わなくなるのではと思う。紋切り型過ぎる気がする。たとえば便秘、消化機能を支配してるのは副交感神経、しかし交感神経優位になると(ストレスによって)便秘になるという、マー大概ストレスがたまると消化器系が悲鳴を上げるが、おちゃんの場合腸が長すぎるので便秘状態である。かなりいきむ。例外も書いてほしかった。解剖学的な例外も。一時期あんまり便に拘りすぎて、すごい便秘になって苦しんだこともあった。しかし気にしすぎだと思って、考えないようにしたら出た。マー今も毎日出ないが(腸が長い)、苦しまない便に拘らないから、バッチャは便に拘ったので出ない、精神科医に話したら暇だから拘る、体を動かせその通りでデーサービス、デーケアといやでも動くようになってから以前ほど便に拘らなくなった。

 しかし現在の医療は対症療法が多くなり、逆に病気を多くしてるというのはそうですねと納得。痛みに対して過剰に恐怖、不安を持つ人が多くなり薬に頼りすぎ、我慢を知らないという。確かにその通りだと感ずる、ボヘミアンでも痛みに対してはすぐ薬、それくらい我慢しろといいたくなるときもある。バッチャにしてもチャンにしてもすぐ薬である。痛みの苦しさが分からないからというが、よく観察してみると痛みをマックスまで我慢して薬を飲み助かるから、次の痛みも薬に頼ってしまう気がする。鎮痛剤は一時的に症状を抑えるだけで、解決策にはならず逆に依存性が高くなるという。

 人間の健康は自律神経のバランスを良くすればかなりの病気に対するリスクを下げることが出来るという。よく長寿の人に「長寿の秘訣は何ですか」と聞けば、「くよくよしない事」というが、たぶん自律神経のバランスを良くする事を指してるのだろうなとこの本を読んで感じた。体験的にくよくよという言葉を使ってるが、この本に添って考えると自律神経と解釈した方がいい。病も気からとか。なんてここまで書けば、この本はやはりいい本なのだ。

 人の健康は自律神経の適度なバランスによって、支えられている。ホメオスタシスか。東洋医学的な陰と陽。だから漢方、鍼灸もいいと、日本の伝統的な健康法の入浴とか、適度に奨めている。昔から洋の東西を問わずバランス感覚である。最近精神、身体に関する本を読んでみても、対症療法に関する治療法に関しては医者も懐疑的であり、多少の苦痛、困難に立ち向かう方が良い。つまり薬漬けを防いで、薬の使用は最小限に抑えるべきということ。長期服用による弊害をなくすこと。

 人間楽をするようになってから、なんでも依存する傾向が出てきた、しかしこの超ストレス社会において、楽に成るならばと手っ取り早い方法を取ってきた結果が今出てきたとおちゃんは見る。効率的に、無駄なく、確かに悪くはないが本来は徐々によい方へ向かうべきなのに、途中のプロセスを省いて行くから、楽から苦へその逆とコロコロ変わるから、進退、精神がおかしくなる。余裕がないから手っ取り早くという論も成り立つ。

 結論、この本はかなり紋切り型です。今心のバランス、健康のバランスを崩してる人は腹が立つかもしれないが、かなり本質的な部分を付いている。自律神経が崩れたとき人は健康ではなく、限りなく不健康に近づく。だから今健康でいる人は読んだ方がいい、バランスを崩すとどうなるか。バランスを取るとは、心の余裕である、これは残念ながら自分で作るしかない、出来るまで何年もかかるが性格にも因るが、無駄、失敗を恐れず、試行錯誤、その中から読み取っていくしかない。プロセスを大事に、自分を大事にする。

 人生常に100%の力を出す必要はない。しかし100%以上出すときもある、そのときに備えて余裕の貯金をした方が賢い気がする。そしてバランス感覚。

 おちゃんの性格、短気、わがまま、強引、頑固、結構偏見も強い。行動特性、物忘れ、人の話は良く聞かない。

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無差別殺人の精神分析

2009・6・24

 秋葉原無差別殺傷事件から1年経った。1年経過してからこのような形で本が出版されるとは、意外に早いと思った。ロバート・k・ケスラー元FBI心理捜査官の本を読んだときと似たような、読後感である。重大事件の場合、加害者の生育暦まで遡る、家庭環境など。そして結論が書かれるが、その内容たるや育児書のような感じである。親子関係、親の性格、親の育児態度、経済状態などから導き出され、だからこうなったであろうと言う言う推論が出される。親になる前に、ロバート・K・ケスラーの本を読んだときは、育児は単純に大事だと感じる程度、しかし親になって「無差別殺人の精神分析」を読むと怖くなる。自分の子育てが正しいのかと。

  著者は無差別・大量殺人の6要因を挙げている(アメリカの犯罪学者、レブィン、フォックスが『大量殺人の心理・社会的分析』の中より)。

1 長期にわたる欲求不満

2 他責的傾向

3 破滅的喪失

4 外部のきっかけ

5 社会的孤立

6 大量破壊のための武器の入手

 長期にわたる不満とは満たされない自分であり、今の自分を自分を自分で受け入れられず、他者に投影し、理解されない自分を他者のせいにし、自分で自分を追い込んでゆく。エリート教育を受けたのに、何故こんなつまらない仕事をするのか、自分の人生がうまくいかないのは社会のせいとか。本当の原因は自分にあるのに、それを認めようとしない、幼児が持つ万能感を大人になっても持っている、普通は成長過程で現実の自分を受け入れていく物である。理想の自分と現実の自分、自分で調整しながら折り合いをつけて、身の丈にあった自分になる。本当の自分になる。かなり荒っぽいが、これがおちゃんがこの本から分かったこと。

 著者はわが子を殺戮者にしないためにやってはいけない十か条をあげている(本文抜粋)

1 過度の期待

2 母子密着

3 過保護・過干渉

4 欲望のすべてを叶える

5 いい子・手のかからない子を放置する

6 子供の多様な人間関係を妨げる

7 『白か黒か』の二者択一的考えを教え込む

8 危険信号を見逃す

9 世間体・体裁を気にする

10 他の兄弟・姉妹と比較する

 これを見たとき愕然とした、大なり小なりどの家庭にも当てはまることばかり、怖くなった。つまり確率的に低いがどこの家庭でも起こらないという保証はないと。おチャン的には7は非常に大事、思考的にかなり狭い考え方になるので、幅を持った二者択一の考え方をした方がいい。プラス、希望は持たなくてもいいから、絶望はしない。9は度を越さない限りは認めてもいい気がする。良くも悪くも世間様、世間の目があるからある程度の抑止力にもなる。津軽弁で言えば、めぐせー事するな、風悪い事するなである。5は度を越すと8に繋がる。かなりの核心を突いてる。

 著者は精神医療の問題の中で、DSMの問題、精神科以外でもSSRIが投与されている事を挙げている。これにはおちゃんも大いに共感するところである。薬の量の調整は精神科の医者以外は出来ない事、他科から処方された薬でおかしいと感じたときは精神科を受診すべきだが、偏見があって行こうとしない、それでドンドン悪化する。おちゃんは他科で精神薬を出すことには反対である。他科で薬が出ることで精神科できちんと受診しない人、精神科に行かなくてもという考えがあるから、精神科に対する偏見がある。本来は精神的にかなり参ってる状態なのに、認めたくない、精神科に行くほどではない、行ったら終わりとか変な考えで事態を悪くしてる気がする。

 マスコミ当たりは何故こんな事件がおきるのか、心の闇というが、この本を読んで分かったこと、原因は案外身近なところにあること。ぜひ読んでいただきたい本である、親の立場で読めば怖いなと感じるのが実感である。しかし身近な問題として、きちんと捉えるべきなので、ぜひ読んでもらいたいし、分かりやすく書かれた良書である。逆に目をそらすことが問題に目をつぶることである。

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生涯発達の心理学

2009・6・3

 良い本です。初版が1990年、古いと思うか、そうでないと思うかは別として、中高年の能力、知力は衰えるものではない、人は最後まで進化するということです。おちゃん的には20年前なのでデータ的に不足もあるという感がある。内容的には、ピアジェに始まる、発達心理学的な記述が多く、中高年及び老年期の記述は添え物の感があるが、現在ほど高齢者に対する関心は高くなかった時期(介護保険制度前)、高齢者は知的に衰えるものではない、滅び行くものではない事を一般向けに書いたものとして評価したい。この時期は高齢者の社会的入院が大きな社会の問題、高齢者の在宅介護の困難さなどから、介護保険を導入するかどうか検討されていた頃かな。

 まーその頃から今を比べると、老人に対する理解、精神的ケア、心理的なものが一般にも理解されるようになったが、まだまだと言う感じ。年齢が行くにつれて身体能力、体力は落ちるが、適応能力、知的能力が落ちるかと言えばそうではない。個人差もあるが人は最後まで知的好奇心はあるし、経験として培ってきた能力は衰えない。逆にそれを用いて次のステップに行くことが若いものより長けて入る。まして長い人生、エキスパートとしてやってきた分野は高齢になっても、衰えないこと。確かに経済的には、低くなるが自由に使える時間がある。エキスパートとして生きる。しかし誰でもがエキスパートになれるわけではないが、子供を含めた人のネットワークを多く持つこと、自尊心を持つこと、意欲を持つことが充実した老後を送られる。今だったら当たり前だろうがといわれるが。

 しかしまだまだ中高年老人に対する偏見は多い。体力、適応力はない、身体能力、知的能力はないと雇用の場面でも敬遠される。しかしそうだろうか、身体能力、体力は低下はするが、知的能力はそうでもない。まして人は本能的に知識を欲するものである。老人本人はそれほど年を取ってるという感覚はない。周りが思い込ませてるだけの気がする。周りが思い込んでるだけ。常軌を逸したがんばり方をする人は別として、意外と自分の能力を知って、自立した生活してる老人がほとんどだと思う。

 結論、長い人生で養った知識、技術はそう簡単に衰えない。知的能力も培ってきた分野のものならば若い者に負けない。興味のある分野、好きな物への知的好奇心は年に関係ない。しかし常軌を逸したがんばり方はストレスになる(心身上良くない)、加齢になる部分を認めつつ年だからと決め付けないことが良いのかもしれない。

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