もう親を捨てるしかない
2016・11・13
「親を捨てるしかない」と読んではいけないと考える。「もう、親を。捨てるしかない」と読む方が著者の苦悩と言うか、今この国の閉塞感、現代の虚しさ、空虚感、見せかけの親切、つなぎたくもない絆、感動の強制、すべて本質を付いていない世の中、本質をつきたくない、怖いのだ。見たくない。が、しかし、それでいいのか?ちょっと考えてと言う思いが伝わって来た。
突いたらすべての素が出て、収拾が付かなくなる。縮む社会、福祉、経済、世間、家族。その縮んだ空間を誰が埋めるのか?そんな空間埋める余裕がないヨ、誰かやるだろ?その誰もいないんだよ
困りごとが多い、増える。しかし対策は?財源は?必死こいて生きてるんだよ、人のこと考えてられないヨ。なんて世の中で自分の家族だけで必死なのに、親の面倒は見るのは当たり前、当然と言う風潮、やるのは分かってる。
やりますよ、伝統的家族型福祉、日本型社会福祉、国は在宅型介護(家族介護)を推進。その果てが介護殺人、介護離職、介護離婚。飛んでも美学が家族を追いつめる、それも昔からある中味のないただの無責任な世間の声。
世の中は変化してる(当たり前、変化のない社会はありえない)、それを延々と古い家族型をやっている、その先に待っているのが家族共倒れ、悲劇的な事件、事故。それに著者は待ったをかけた、今のやり方をやっていれば、悲劇、不幸になる。考え方を切り替えなさい、つまり一人、一人、自分で出来る事を線引き、安易に子を頼らない、子も出来る事だけする
まず始めが世帯分離(精神的親棄て)、心理学でいう精神的親殺し、精神的子殺し、これが成功すると親と子の関係が上下の関係ではなく、対等な個人として親子関係が機能し円滑に家族関係が進む。親の家庭、子供の家庭と独立した考え、子供が親が困ったからといって安易に手を出さない、自分が困ってればそっちが先、余裕があれば別だけど。親家族、子の家族がくっついて、「ただいま大変ですよ家庭、家族」は使える制度を使って何とか乗り切ってほしい。しかし悲劇的な事件、事故を防ぐには、独立した親家庭、子供の過程をやっていく、考え気概。
情緒的昔方の家庭観にオサラバ、バイバイ
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