自己責任
2016.10.29(土)
何でもかんでも自己責任、そうだろうか?自己責任押し付けのの無責任であると思う。
自己支持自己決定があって本当の自己責任である、自己支持自己決定は生まれてすぐから、数か月から、死ぬ一瞬まである。
赤ちゃんは母親またはそれに準ずる大人には抱っこされて、安心する、泣やむ。4か月あたりで人見知りをする、もう少し大きくなると好き、嫌いがはっきりする。親が大人が良い人何だけどと思っても、嫌は嫌である。
認知症でも、どれだけ認知症が進んでも、嫌な人には介護されたくない、抵抗する、介護経験のある人、介護職にあった人は言う。選ぶ能力も最後まである。感覚、感情も鋭敏になる。十把一絡げもわかる、だからだましもごまかしも効かない。
認知症の人に喜び、楽しみを与えるだまし、ごまかしならいいが、忘れる、分からないということを逆手にとってのだまし、ごまかしはわかる。見破る。悪意を含んだ物だ。
自己指示(自分で選択)自己決定(自分で決める)この作業は日々行ってる、ただ意識しないだけだ、ほとんどが責任と言う物が伴わないだけで(意識がない)
物によっては責任が伴うものであれば、責任の所在を考えるだろう、だからどこまで自己の責任が取れるのか考える責任を取るとすればその範囲で、自己責任の範囲でそれが自己責任だ。
現代の何でもかんでもの自己責任は、ボヘミアンに言わせると『因果応報』、私に言わせると「自業自得」も入ってるから、入ってしまうから、使う言葉としてはご注意を
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