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2016年10月

自己責任

2016.10.29(土)

 何でもかんでも自己責任、そうだろうか?自己責任押し付けのの無責任であると思う。

自己支持自己決定があって本当の自己責任である、自己支持自己決定は生まれてすぐから、数か月から、死ぬ一瞬まである。

 赤ちゃんは母親またはそれに準ずる大人には抱っこされて、安心する、泣やむ。4か月あたりで人見知りをする、もう少し大きくなると好き、嫌いがはっきりする。親が大人が良い人何だけどと思っても、嫌は嫌である。

 認知症でも、どれだけ認知症が進んでも、嫌な人には介護されたくない、抵抗する、介護経験のある人、介護職にあった人は言う。選ぶ能力も最後まである。感覚、感情も鋭敏になる。十把一絡げもわかる、だからだましもごまかしも効かない。

認知症の人に喜び、楽しみを与えるだまし、ごまかしならいいが、忘れる、分からないということを逆手にとってのだまし、ごまかしはわかる。見破る。悪意を含んだ物だ。

自己指示(自分で選択)自己決定(自分で決める)この作業は日々行ってる、ただ意識しないだけだ、ほとんどが責任と言う物が伴わないだけで(意識がない)

物によっては責任が伴うものであれば、責任の所在を考えるだろう、だからどこまで自己の責任が取れるのか考える責任を取るとすればその範囲で、自己責任の範囲でそれが自己責任だ。

現代の何でもかんでもの自己責任は、ボヘミアンに言わせると『因果応報』、私に言わせると「自業自得」も入ってるから、入ってしまうから、使う言葉としてはご注意を

細雪

2016・10・27(木)

 また昭和が遠くなった、三笠宮が逝去、息子三人を男盛りの年齢でなくした時は親としてどんな心境だったろう。自分は歴代皇族で(明治以後)一番の長寿、複雑だなと思う。

ネットとブログはバカと閑人と言うが全くである、介護、子育てから解放され、自分の時間はこうなんだと落ちつくまで、書く気も起こらない。いくら時間があっても心の整理が付かないうちは無理、何をするにしても。

ところで最近はまってる物がある、東京大衆歌謡楽団の高島三兄弟、毎日ユーチューブでの追っかけ、ジェロ以来。最初見た時はびっくり、全くのモボ、歌唱法が戦前、しかし不思議な声だ癒しがある、で毎日見てるうちに「細雪」の主人公四姉妹の夫、恋人のイメージにぴったり重なる。

 長男孝太郎氏、三男龍三郎氏は長女鶴子の夫辰夫、二女幸子の夫貞之助のイメージ次男裕次郎氏は四女妙子の恋人奥畑の啓ぼん、板倉、三女雪子の夫になる御牧のイメージ原作を読んでくれればわかると思う。「細雪」はいろいろな視点から読めば、風俗、家庭、昭和の都会の上流家庭、その時代の女性の心模様といろいろな発見がある。

何度も読んだ、だからボヘミァンに死んだら棺桶に入れてくれと言ったが、親が死んだ時棺桶に本を入れていいかと葬儀屋に聞いたら「ダメです、まー本をバラバラにすれば別ですが」、親が好きな童謡だ、せめて本だけでもと。だから本はバラバラにした、しんどかった

「本はマーいいとしても千羽鶴はダメですよ、そのままの形で焼けますから」、崩れないってことか?棺桶に何でも入れないが、昔に比べて制約が多い、事前のリサーチが大事

横道にそれた、「谷崎潤一郎対談集【藝能編】」では、「細雪」は大谷崎も大変な入れ込みようで(作品として)、映画化、舞台化、放送劇に対しては注文があり、谷崎が想像する映像的イメージなど語られており、「細雪」を補足する良い文献だと思う

この対談集の面白さは後年大女優、大作家、大俳優も新人であり、大谷崎のいろいろな批評があって興味深い、しかし大女優は新人でも大谷崎の前でも臆することなく、自分の考えをしっかりいう、媚びないのがいい。谷崎の映画に対する考え、戦前戦後の映画の世界も垣間見えて面白い

ブログ開始

2016・10・26(火)

モー3年以上、ブログ更新してない、その間の変化ボヘミァンが専門学校入学、母親が死んだ、まー家族の変化、人生の変化、ブログ更新してないなーと気にしつつ、とうとう更新しなくなった、そして今日からまた再開

 今日の本は佐藤愛子著「90歳何がめでたい」、歳を取ることがどれだけ大変か、つくづくしみじみ分かってきた、ページを繰るたびにアーそーだよな、ウンウンの連続。60歳の前半でこーだあと10年したらもっとだよなと思いながら。

 無理して文明の利器にすがる必要はない、自分に必要なものでいい、身体が動かない、それがどーした、年を取れば当たり前、アンチエイジンぐ?あほか、それだけでストレスだ。

若返る?細胞レベルで老化してる、細胞が若返るかと毒づく自分がいる、アー年取った、とうとう頭も老化現象か?佐藤愛子現象か?

 好奇心の固まりだ、愛子女史はそして92歳だ、私はまだ61歳、まだ踏ん張れる、まだまだだ、しかし老化はしている。

知り合いに勧めたら「ア( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、面白い」、バカと思った、老化していく風景読み取れんのか >

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