最後のクレイジー犬塚弘
2013・7・21
今日は準決勝、聖愛と山田、さてどちらが勝つか?でもまさか、聖愛が光星に勝つとは、また南が負けたとはいえ山田と対戦して6点も入れた、強くなったと思う。「南は特徴がないのが特徴中ですね」と言われたりする。可もなく不可もなく。校風?なんだっけ?でも卒業生が言う、周りが言うのは、ボヤーっとして、欲もない、競争心がない。マイペース型が多い。
弘高も14年ぶりの準決勝、もし甲子園に行くとすれば昭和46年の春の大会以来かな?しかし 弘高の野球部はある意味モンスター、練習場は遠い、いつも見るが土淵川を歩いてるかは知ってる。チャリンコは見ない。中央も遠いがグーグーとチャリンコデ練習場まで走っていく。また進学校であるから、そこそこの成績もとらないといけないし、私立と違って成績で手とり足とりはない。校風が自主独立、自分の事は自分でやれ。
その点聖愛は優しい、さすが元は女子高であるし、キリスト教である。練習場も近い。歩いてすぐ。聖愛も弘高も歴史は130年前後の伝統校である。聖愛はもともと旧制の女学校で、戦後中等部を置いた。大体中等部から入学するのは、お嬢様である。で、一時中等部がなくなったが、中高一貫教育でまた復活。
また枕が長くなったが、おちゃんにすれば「シャボン玉ホリディー」の時の疑問が解けた感じがするし、芸歴の長い人ばかりだが、当時はプロフィールが外に出ることもなければご本人も話すなんて事がなかった。今みたいに芸能人が自分で自分の事は話す事はなかったし、そんな番組もなかった気がする。まして映画、テレビの裏話は皆無ではなかったか。出たとしても数年後、つまり年単位の時間である、今のようにすぐネタバレはなかった。
放送は昭和36年だと思う(おちゃん幼稚園、年長)、すぐハマった。ダンス、歌、コント。なぜか子供でも面白かった、。後にジャニーズの原型となるスリーファンキーズが出ていた。歌って、踊れる男の子のグループで、アンチャン風。それまではダーク・ダックス、ボニ―・ジャックス、デューク・エイせスなど、オッサン系しかなかった。
いまだにこの番組から出た歌のナンバーは歌い継がれてるし、この番組で育った人たちは現役第1線である。当時はコメディアン、喜劇役者と思っていたが、今この本を読んでるとすごい経歴、また基礎をきっちり学んでいる、またもともとが音楽家志望であり、後付けで喜劇、コメディー、本格的演技が付き、ピンでも音楽家、役者でイケる人ばかり。
今ではすごいなーという芸能人もこのころは若手であり、不思議な縁で互いが成長し、触発し、一流の芸能人になっていく過程が分かる。芸能人の人生ドラマとしても読める。ト社は家で息子の役でコントもよく演じたと言うが(学生服、学生帽の姿の記憶がある)、また泥棒もよくやっていた(頬かぶり、唐草の風呂敷を背負った)
年末は毎年「赤穂浪士」をやっていた。大石内蔵助は誰が演じたか忘れたが、吉良上野介は玉川一郎が演じていた記憶がある。なんて自分の思い出ばかり書いてるが。たしか18世中村勘三朗が小学生で勘九朗の時、シャボン玉に出ていた記憶がある。背広を着て。後で何かの本で、植木等が大好きとあった。イスにちょこんと座っていたような記憶がある。
昭和41,42年になるとNHKで夕方6時から「サンダーバード」が入るから(おまけに2話一緒に放送するから、シャボン玉をまたぐから困る)、急いでチャンネルを変えて見ていた。しかしこれは子供の事情である。おとなのこの時代の事情が書いてある。
親分肌で、個性の強いハナ肇、他のメンバーの間に挟まれて苦労した事、しかし遅れて来た男植木等の存在がなければ、続いていただろうかと思わせるところもある。植木は大人であると何度も書かれている。
とにかく凄いグループである。今まで語られるkとのなかったクレイジの歴史である。
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