中村屋三代記
2013・5・12
三代記と言うが、17世勘三郎、18世勘三郎、周りの人々の話である。一番良かったのは、やはり娘波乃久里子である、やはりどこの家庭でも、娘は手厳しい、息子は優しい。
天下の17世も娘には方なし、しかし息子は優しいと言う、自分で自分の事を「私はわがままよ」というのはすごい、謙虚だと思う。まー凡人はそこには気がつかないが。
何が一番と言えば写真である。「一本刀土俵入り」の駒形茂平の17世と18世のあまりの違いである。失礼ながらお二人の人生がそのまま出ている、というより出自の違いが出ている。
駒形茂平は母親は苦労して育てられる、母親に横綱を見せてやりたい、しかし後半で渡世人になるが。17世は苦労人である、その茂平は母親の苦労を見て、父親がなく少しひねくれたのが顔に出た茂平、また渡世人なるかもしれないと予感させる。18世はどこまでも大らかである、母親は苦労をしている、その母親に横綱になった姿を見せるという希望を感じさせる。
ココで、波乃久里子の言う「弟は生まれ時から将軍なのよ」がよく分かる。また最後の歌舞伎「俊寛」は俊寛その物ではないかと思わせる。やはり歌舞伎の役者は、写真にこだわると言う事がよく分かる、というよりそれを感じさせる、なるほどと思わせる。
しかしこの2カ月近く、勘九朗(やはり勘三郎というより勘九朗時代が長いせいか、18世を勘三郎はピンとこない)読んでわかった事は、歌舞伎は常に進化している事、ところがどう言う訳かいつの間にか形だけの継承と思わせるものになっている事が分かった。
確かに様式美は分かりやすいが、世話物が神髄だと言う事は、観客の共感を呼ぶからで、いつの時代も共感を呼ぶものでなければと言う事は分かる。だからニューヨークで世話物をかけた時は、今までの様式美だけではない神髄の世話物をかけた勇気はすごい。
確かに様式美は分かりやすいが、歌舞伎の神髄の世話物を分かってもらいたいとい気持ちが理解できる。勘九朗が「歌舞伎から、世話物をはずしたらスカスカだよ」って言うのは分かる。
17世の偏食はすごい、よく体がもったものである。天ぷらそばと言ったら、楽日まで天ぷらそば。天才、我儘、褒めないでも情があると言う。ある意味モンスター今でいえば。
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