PR

好きなリンク先

最近のトラックバック

クリスマス打ち上げ花火ブログパーツ

出産祝いならギッフィーベビー

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月

草を刈る娘

2013・4・11

 『草を刈る娘』は小説を読んだ事はある、しかし映画があるとは。作者は弘前出身石坂洋二郎。おちゃんは石坂洋二郎が添え物みたいに評価されるのが(弘前において)頭にくる。戦後映画界、小説において多大なる功績があるながら、なぜ評価しないのか。太宰治ばかりで。整骨院も同じ考え方である。最近になってやっと陸褐南ガ再評価、この点は司馬遼太郎が『北のまほろば』で書いてある。人の成功を喜ばない、不幸を喜ぶ、津軽の足ひぱりだ。

 なぜ買ったか、吉永小百合なんてどうでもいいし、日活の青春路線なんて、路線の最後の頃で小学校の低学年興味もないし、分かんない。ただ昭和35,6年ころのだけの風景を見たいから。まー、画面一面岩木山をバックにした位置から見た白神山脈のパノラマ。エンディングの風景は馬車に枯れ草を積んだ隊列が国吉、鳥井野の方面に降りていく(多分)。圧巻。

よくこれだけの馬車を集めた、津軽弁で「ただでねがったべの」、その馬車が懐かしい、枯れ草を積んだ馬車は見た事はないが、昭和の40年代初期は市内でも馬車に良く、砂、砂利を積んで歩いていた。軽トラ変わりだ。当然馬糞も落ちていた。中身はどうでもいい、ひたすら懐古趣味になりたくて買った。風景は素晴らしい、これは勧める。

昭和36年公開だから、昭和35年にロケをしたと考える。そしたら突然おちゃんの記憶は昭和35年にワープした。昭和35年は目屋ダムができ、どういうわけか、叔父と叔母に連れられてバスに揺られて目屋ダム見学と岩木山神社に行った。団体様だったと思う。朝早く起こされていった記憶がある。弘前から目屋ダム、国吉に入って岩木山神社で弘前に戻る。多分。

小百合さまと映画で夫婦役をした、坂東三津五郎、竹中直人は同じ年だから、35年当時は5歳で、日活の青春路線は無縁である、ただの看板ポスターを見てきれいなねーちゃんだなと見て(小百合さまを)、昔はポスターの脇に小さく写真の人物の名前が書いてあった、「アーこのねーちゃんは吉永小百合か」と記憶しただろう。女子高校生と5歳児では大人と子供である。渡辺謙はもと小さい赤ちゃんである。

この時期18世勘三郎はよく少女雑誌に出ていた。なぜか初舞台が桃太郎は知っている、多分少女雑誌『りぼん』で見た。昭和33,34年に初舞台だから、35年か36年に33年、34年の雑誌を読んだのだろう。ベビーギャングは18世と記憶に合った、、怪傑ゾロみたいなマスクをして、ピストルを持った男の子で、写真と吹き出しで構成された写真を漫画仕立てにした読み物であった。

ただ最近まで、気憶に残ってるだけで、分からなかった。そしたら映画「あっちゃんのベビーギャング」という映画で会うと分かった。答えが出た。18世イコール天才子役というイメージがある。確かシャボン玉ホリデーにも出ていた気がする、18世がスーツ姿で植木等と出ていたイスにちょこんと座って。おちゃんは幼稚園児の癖にクレージーキャッツが好きで、シャボン玉ホリーデーは毎週欠かさず見ていた。いまだにあのギャグを超えるものはないと思う。昭和36年から47年までほとんどみた。

映画のレビューを書くのがとんでもない方へ行ったが、中身はどうでもいい。元々日活の全盛時代の始まりから終わりはほんとの子供だから。しかし日活で一時代を気付いた女優、男優はすごい、いまだにビッグな雰囲気がある。

しかし昔は漫画の吹き出しにも漢字にはルビが振ってあり、映画の看板、ポスターには写真の人物の名前が小さく書かれていた。カナさえ読めれば、ガキでも大人の知識を仕入れられた。銭湯には必ず映画のポスターがあったし、問屋からは招待券として映画のチケットをもらった。小学校に行く途中には良くでかい映画の看板があった。よく眺めた。見ない癖に来た感じをしたものである。映画館の前に行けばスチール写真も貼ってあるから、あれはあれで面白かった。

映画の帰りはなぜかラーメン屋による。分からない、意味が。デパートは子供のパラダイス、ランチ食って、おもちゃを買って、月に一度だが。屋上で、ゲーム、乗り物。バス停の前にはパン屋があったからホットドッグを買った、電車の時は肉屋によって肉団子、うまかった。待ってる間も結構飽きなかった。欲しければ買ってくれた。弘前は地方都市ではあるが狭いので、生活するには不便を感じた事がなかった。今の方が不便、バスの便数は減る、スーパーは郊外、昔はあちこちに映画館、専門店、あったのに。病院もあったし、不便な時代になった。

諸々の本

2013・4・6

 なぜ諸々というか、常に3冊以上を同時進行、ハマれば他をストップして読んでるから。特にたいした意味はない。最近はというよりここ1週間は、18世中村勘三郎を本を読んでる。とにかく面白い、落語見たである。内容は「勘九朗日記『か』の字」と重複するが、本によって内容が変化したりというより詳しくなったりで、それなりの面白さはある。

ほとんど、いや全部一人が足りだから落語の本を読んでるみたいだが、ご本人の語り口が落語見たいだから、目の前にいるみたいなもので、汗をかきながら、体全体で話してる感じが伝わる。しぐさ、光景がありありと浮かぶのである。

 何でと思うかもしれないが、全然関係ないけど、カウンセリングの逐語訳をしてるうちに身に付いた感覚からだと思う。

逐語訳とは、カウンセリングをした内容ほとんどそのまま文章におこす、15分くらいで数時間かかるが、「アー」、「ウ―」、「フンフン」と、とにかくなるべく可能な限り文章にして、もう一度その文章を読みなおす。自分で、自分の話した事を文章にして読みなおして、その時の感情、気持ちとか心の中の変化をもう一度再現する。

で、その後、この聴き方はよくない、アーここで言葉をくりかえらしてるから主題、つまりカウンセリングの中の核になる部分とか、フンフンが多くなってるから核心部分に入ってるとか、注視してるとか、グループでセッションするわけ。こんな事を繰り返してると不思議なもので、言葉の感覚、文章を読んでも文章から、息遣い、心理的なものが逐語訳を覚える前と違って、寄り鮮明に感じるわけ。

 ただ読むと言う感じではなく、体で感じて読むって感じ。だから18世の話してる姿がリアルに目に浮かぶわけ。まー楽屋に入って話を聞いてる感じかな。場所もいろいろ変えて話してるから、その場の雰囲気、飲んでる物、食べてる雰囲気も伝わるのよ。

『ネー、ネ―聞いて、聴いて』とか、「分かる?分かるでしょう、ネー分かるよね」と叩き揉む話し方、話したくて、話したくてたまらない感じとか、人柄というか、せっかちの話好きというか、人格全部が伝わるのよ。それもまた話とは別の魅力になってるんだけど。

何か18世を人占めしてる感じかな。

昔は一人語りとか、対談集なんて好きな方ではなかったけど、逐語訳を始めてからは違うね、話しての感覚とか、心理状態をおぼろげだけど感じるようになったので、面白い。

キーンさんの「私の本は売れません」とか言ってるのも、本当に売れないよねって呟いてしまった。本当に売れなくて、売れなくて、彼は困ってるって感じた。その後分かった、キーンさんは本当にお金の困った時期があって、奨学金とか、何とか基金とか、いろいろ利用したみたい。

話はもともと面白い人だから、内容も面白いけど、息遣いを感じて欲しいね。ビンビン感じるよ。歌舞伎は演出家がないから、アドリブあり、自分なりの演ずる役柄の心理を考えるとか。楽屋話もありで。役の解釈の違いが親子であるとか。

なんてアマゾンのリンクを貼ろうとしたらないの、どうしよう

まー本の題名だけ「勘九朗ひとりがたり」、「勘九朗とはずがたり」

諸々の本

2013・4・4

『非差別の食卓』以来、上原善弘氏の本にハマった感じ。文章は抑制が聞いており、バランスが取れている。また視点と言うか、氏の相手との距離感が、超えることもなく、離れることもないので、ほどよい距離感を感じる。読んでいて圧迫感がない。淡々と進行していく過程は良い。

☆聖路加病院訪問看護科

訪問看護とは何ぞや、訪問看護の看護師のドキュメントであると感じた。親も2年半、訪問看護のサービスを受けた。略して訪看。日本で一番歴史のある聖路加病院の訪問看護、しかし戦前から訪問看護があるのは知らなかった。介護保険以前からあるとはなんとなく知っていたが、戦前からあるのは驚いた。

 訪問看護はとても良いサービスであるとは実感するし、できれば要介護になりドクターから了解が出れば利用した方がいい。家族を精神的に支えてくれるようになり、ドクター任せでいるよりはずっと精神的に楽になる。何よりも相談ができるようになるので、心強い。特に体調の急変が起きた時は、すぐ救急車より訪看の指示の方がいい時がある。一見すごい状態に見えても、案外大した事がない時もあるので、またその逆もあるので、いつも訪問してる、看護士に一報を入れることが大事である。あわてて救急車を呼んでも、くたびれ損のくたびれ儲けなんて事もある。

 訪問看護を知るためには良い本であり、家族も訪看の気持ちを理解するために良い。家族の前で、介護サービスをする時は病棟とは違い相当緊張すると言う。改めてやはりと思った、いや感じた。おちゃんとしては介護サービスを、看護士、ヘルパーがしてる時は原則家族はいない方がいいと思う。口には出さないが、はっきり言うと邪魔なのである。家族の目があってやりにくいし、家族が変に口を出すと集中できない、緊張する。

 おちゃんは原則、訪問系の介護サービスの時は見ない、任せる。ヘルパーも家族の目があるとやりにくいし、こっちはやり難いよねって聞くから、ハイと答えてくれるので、立場を理解してくれてると感じるので、そうなればこっちのものである。意外とうまく付き合っていける。まー自分を理解する前に相手を理解するって事は、最初の段階でやっておけば後は楽。家族が出来ない事をしてくれるのだから、その分の心使いはした方がいい。

 在宅における介護サービスはお互いの信頼関係である。これをなくして良いサービスにはならない。ある意味お互いの人間性も問われる。しかしチェックは怠るべきではない、あればクレームを言えば良い。上司に。

 聖路加の訪問看護はトップレベルにあるにしても、訪問看護は激務であり、いくら忙しく、疲れていても、それを見せないようにし、病棟に勤務してる時より緊張を強いられてる事は全ての訪問看護に携わる看護師には共通するだろう。その看護師に対する作者のまなざしは優しく、温かい。だから同行も出来たのではと想像する。外部の人を家に入れる事を嫌い、訪問系のサービスを嫌う家族もある、まして全く関係のない人の同行はもっと難しい。それが可能にしたのは作者の人徳だろう。

 あくまでも訪看の立場で観察し、感じ、書いてあると感じたが、だからと言って訪看の方に偏ってるわけでもない。作者目線、感じも書いてあるが、だからと言って自分の意見がうるさいとは感じない。控えめである。相手の立場目線の文章、自分目線の文章の量のバランスが良い。しかし訪看の移動が自転車とは驚いた。結構荷物が多いのに。重いし。

またマネージャーの押川さんの人生も中々である。面白い。いつかは辞めるつもりが続いてる、他のスタッフもそうらしい。これはこれで良いのでは。在宅か施設か病院か、答えは出ない、出るものではない。作者も押川も、自分の家族の時は迷う、看取った後はこれで良かったのかと。

 訪問看護とは何ぞや、在宅介護、在宅での看取り、訪問看護を取り巻く状況。絶対読んでほしい。

☆異形の日本人

うーん、期待倒れです。これで大宅惣一賞ですかって感じ。『聖路加病院訪問看護科』の出来が良いせいか、ウーンて言う感じ。

 ターザン姉妹は学問的興味から始まり、途中でプライバシーとか、人権とかいろいろありで中途半端で幕引き。その事件を追ったもののやはりモヤモヤで終わってる。限界なのだと思う。しかし学問的興味で、ここまでやるかとその時代の人権の無さに驚く。

 後はその時話題になった事件のその後を追う形で書かれた物だが、真相をその当事者に聞くと言うものである。そこには生きていくと言う、型にハマらない生き方、世間はいろいろ言うがどうなんだと言う強さみたいなものを感じた。

それと坂田三吉をかきたいのか、桂春男児かきたいのかよく分からない。

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

PR2

2022年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ