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2011年10月

からだのツボの大地図帖・脳の事典

2011・10・19

 今日は良い日であった。布団を干す、本の整理、いらない本は古本屋で処分。帰り本屋に寄る。「この前のくり喰った、喰った」とねーちゃん、今年はくりがなぜか当たり年、あちこちに配ってもまだある。2回も食ったら充分だろ。夕方借りた本返す、ついでにくり持参、2回目のくり、十分食えるだけやる。

 しかし今年は貰いものが多い。謎のマスターのサバ100匹騒動以来、りんご、なし、枝豆、茹でた枝豆、きゅうり、ミョウガである。もらいものが多い事は良いことであるが、量が半端じゃない。分けるのに一苦労であった。

 サバ100匹騒動とは、いきなり電話「大漁、貰って」、数分後ドサッとイワシの大きさのサバ、一応分けたが残り40匹つみれ、1時間以上かかった。つみれを冷凍して、次の日マスターのとこに持っていった。「おれとこね、母ちゃんと二人、少しでいいの」、100匹とるな処分を考えてくれ。

「からだのツボノ大地図帖」、「脳の事典」はすごくいい。何が良いかと言えば、

 字の大きさが読みやすい、余白がたっぷり取ってあり、読んでいる時の圧迫感がない。

 写真が非常に少なく、ほとんどイラストなので、写真のようなちらつきがない、

 内容がすごくいい。

ごちゃごちゃした体裁の本が多い中で、非常に読みやすく、説明が丁寧。

読みやすさ、説明の無駄の無さではお勧め。

「からだのツボノ大地図帖」はイラストが分かりやすく、非常に丁寧な感じの説明。

症状の種類は多いが、割とシンプルにまとめられているので、分かりやすい。

「脳の事典」も読みやすさ、説明の丁寧さでは「からだのツボノ大地図帖」と互角で良い勝負。

「脳の事典」の良さは、と言うよりは心理学、脳科学。精神医学の本を読むとき、脳の説明文を読むとき、非常に便利。

その類の本に載っている脳の解剖図は小さくて、文字がゴチャゴチャ、分かりづらく、見にくい。しかし脳のイラストが大きく書いて、字は読みやすい大きさなので、本を読むとき非常に助かる。

 また読みにくい、馴染みのない言葉にはルビが振ってある、親切。

またこれは最大の売りだと思うが、「脳の病気 メカニズム 治療法」、大方の本は文章でしか説明しないが、原因となる脳の部位、治療法など、文章で読むよりイラスト付きなので非常に分かりやすい。

 脳の高次機能についても説明されている。特に心に関する(ストレス、情動が脳の働きと関連づけて、イラストで説明する本は今まで見た事がない)、心と脳はきわめて密接な関係にあり、脳の動きを見ても心は分からない部分が多い、しかし高次機能のページはなんとなく見たなと言う感じがする。

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ミステリーの系譜

2011・10・9

 「津山三十人殺し」を読んだ後、松本清張の「ミステリーの系譜」の中にも津山事件の事を書いてあるとあったので読んでみた。

 昭和42年から昭和43年の間に週刊誌に連載されたとある。おちゃんが小学校6年から中学1年、43年前の作品となる。

 津山事件も事件当時の人に取材した部分もあり、「津山三十人殺し」に比べて立体的であり、文章も冷静であり、清張自身の考えも書かれているがあくまでも、感情的にならず、持論を淡々と述べている感じがする。

 資料と自論を述べる部分を比べると、やはり清張の方が感情移入が少ない分(冷静に分析、掘り下げが深い)、説得力があると思う。

 読む方とすれば、資料と自論を並行して書かれた場合、自論の方が感情移入が多いと文章全体がうるさい感じがする。抑制のきいた文章の方が良いと思う。

 「二人の真犯人」では清張自身が死刑制度反対なのか、それとも死刑制度はあった方が良いのか、判然としないが、少なくとも人である以上謝りはある、裁く方は誤りはなく死刑を言い渡しているのかと、疑問を投げかけている。

 司法関係者も神でない限り、誤りは、と言うより判決を言い渡す時は大いに悩む、果たしてこれでいいのかと。この考えをもう少し広げていくと、現行の死刑を言い渡す時でも、裁判官の中できっちり結論が付けられていないのではないと思う。

 裁判官は良心と法律のみに拘束される、改めて酷な仕事、孤独な作業と言わねばならない。死刑執行の書類は法務大臣が判子を押す、その心境はあまりある。

 死刑制度に話を広げ過ぎた。しかし戦前もずいぶん猟奇的事件があったものだとつくづく思う。今ほど人権と言う考えもなかったろう、やったらやり返せで、現代よりある種のすさまじさを感じる。また「ミステリーの系譜」を読む限り感情が爆発して、人を殺す傾向が多い。

 現代人は感情のコントロールが出来ないと言うが、時代は関係ない。いつの時代でも置かれた環境ではないだろうか?加害者については昔の方が、心理的に残酷な気がする。

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心にナイフをしのばせて

2011・10・2

 この本を読んで釈然としないものを感じた、果たして加害者が一方的に悪いのだろうかと言う事である。被害者家族の妹の語りの部分が多い。子の語りの部分を100%真実として考えれば、やはり加害者の一方的な物ではないような気がする。

 アマゾンでこの本に対するレビューを読んだが、加害者を責める物、著者の一方的な考えで(加害者が社会的に成功していることに対する憤り、これだけの事件を起こしておきながら、社会的に成功するという矛盾か、イコールとするならば、もっと落ち目の人生を歩む方が妥当なのか)書かれていることに対する批判。等など。

 この本に書かれていることを100%事実とすれば、被害者、加害者双方の家庭はある意味でいびつである。外見のみに注意がいき、中身の大事、子どもの事を真に考えていたのだろうかと言う事。世代的におちゃんはよく分かる、今は思春期の子供が親に逆らって当たり前とい事を多くの親は理解してる。しかし昭和40年代に思春期を過ごした者の親世代は、思春期で親に反抗することを親不幸と考える、子どもは親の言う事を聴くものと決め付ける傾向がある。戦前の修身の影響と、家族制度の影響を受けている、どんな愚かな親でも、親と言う事、親は絶対であるという考え。だから人身売買を禁止する法律があっても、娘を女郎に売ることもできた、家族の為と言う美談で。孝行とか。犯罪が犯罪にならない、本音と建前がちゃんと確立されていた。良くも悪くも。

 だから反抗はしたいが、現代のように正面切って反抗すると言う事に後ろめたさがあった。大概はぶつぶつ言いながら、反抗したり、しなかったり、子供なりに折り合いをつけていた気がする(どこかの部分で親に反抗するという後ろめたさ、しかし反抗したいと言う気持ち)。妹が多いに不満を持ちながらも、家庭が壊れず、不良にもならず、文句を言いながらもそれなりに親と暮らした、親を助けたのは子の世代だからこそ。

 今だったら、家庭が壊れてる。いや壊れた方が良いかもしれない。母親の病的なまでの苦しむ姿を、思春期良く耐えたと思う。妹は壊れるギリギリの所でよく持ちこたえた。しかし両親は死んだ息子を理想化するにつれて、妹を娘を、息子と比べることには憤りを感じる、娘の辛さを感じないのだろうか。

 妹の語りは比べられる悔しさ、娘をコントロールしようとする母親に対する怒り、何とかして自己実現をしようと思いながら、結局両親の事を考えてしまって、自分の思いを通す事のできないもどかしさ。かわいさ余って、憎さ百倍の心境。しかし最終的に母親を受け入れる、よく受けいれたと思うし、この部分(母親に対する葛藤、受け入れる過程)はよく書かれている、この部分は評価するし、この世代の心理として大いに共感できる。

 おちゃんはこの事件がどうのこうのではなく、残された妹の心理的葛藤に着目して読んだ。そして親は死んだ息子を理想化する、妹は親の前ではいい息子の兄、しかし妹の前では親に見せない兄の姿を語る。だから釈然としない、割り切れない物を感じる。

 この家族は責める気はないが、母親は大人になりきってない(この世代の母親としては普通かもしれない、逆によい妻の方だろう、夫に依存することはよい妻、良妻賢母である)、父親は父親らしく振る舞う、家庭の問題を背負いこみ、困難に耐える。弱みを見せない。どこまでも、自分を抑え、良き妻、夫を演じる。破綻を破たんと認めない。よく壊れなかったものである。なぜ壊れないか、この娘がいたからだと思う。娘が踏ん張ったと思う。

 もし一人息子だったら、父親は最後まで、この母親を受け入れる事は出来ただろうか?

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