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2010年7月

夏の日

2010・7・19

 バッチヤの妹が来た、一年ぶりである。ボヘミアンはお小遣いをもらう。気分は夏休み、ボヘミアンは出かける、ちゃんと二人だが別々にごろゴロ、定年を迎えたらこんなもんだろう。バッチヤは頭の回転が良いようで、何年か前にしまった場所を覚えていた。見当識障害が出てきたが、生活に障害はない、やはり体調によって意識低下のレベルの上下はある。やはりデーサービスは行くべきである。そして人との交流は最後まで持たねば、訪問する、訪問してもらうである。

 この頃戦前、戦後すぐの映画をみる。「浪速エレジー」、「祇園の姉妹」、「赤線地帯」、「宗像姉妹」。昔の女優は美人で品があり、娼婦、令夫人、令嬢、ものの見事にこなす、どんな蓮っ葉な役をしてもどこか品があり、凛とした美しさ、毅然とした潔さがあって、見ていてスカッとする。台詞にしても迫力と言うか、メリハリがはっきりしていてぼやけた感じがしない、声に凄味があると言うか。まー今の女優では岩下志摩、鈴木京香、あたりだろうか。似てるとすれば。

 しかしびっくりこいたのは「浪速エレジー」、「祇園の姉妹」に主演した山田五十鈴である。「細雪」の妙子のモデルではないだろうかと思った。この2作品でも山田五十鈴演じる女性の性格、生き様が妙子そっくりである。この2作品は昭和11年、谷崎潤一郎が「細雪」を書く以前の作品であり、谷崎自身映画好きである。これはおちゃんの勘繰りであるが、谷崎はこの映画を見て後、妙子のモデルをこの2作品から得たのではないかと思う。谷崎の理想の女性は雪子である、おとなしそうな顔して、おなかの中で何を考えてるわからへん、でも自分を意思を通す性格(おちゃんにすれば大嫌いな性格)。小説の中の妙子には最後隠れるようにして家を出る。風呂敷一つ、金品はないようである。

 しかし戦後まもなく映画化された「細雪」では高峰秀子演ずる妙子は、家を出る時母親からの形見の指輪を姉幸子からもらって出ていく。しかしこれも高峰秀子の愛らしさだから可能なストーリー展開である。これが山田五十鈴演ずる妙子だと「そんなもん頼まれてもいらん」、物すごい迫力になる、母親の形見を貰って隠れる様に出ると言うイメージではない。「浪速エレジー」の最後家を出るシーンは結構すごい。

 「細雪」の中では妙子は末っ子で一番背が低い、逆に雪子が一番背が高い、山田五十鈴は背があの時代にしては非常に高い、そして典型的な日本美人である(浮世絵から出たような)。雪子のイメージは山田五十鈴の容姿に求め、しかし迫力ありすぎる性格は妙子にしたのでは(背を低いという設定に可憐なイメージを出す)。

 「赤線地帯」は売春防止法施工直前の吉原を描いた作品で非常によく出ているし、キャストとも豪華である。かなり蓮っ葉な少々頭の緩い、計算高い、底辺を生きる女の逞しさを演じているが、品の良い女性はいない。しかしどこかで体を売っても魂は売らぬと言うと言う、娼婦の気高さが出てる、品の良い作品である。

参観日

2010・7・8

 7月7日は一中の参観日。学校へ行ったら校内各教室に七夕飾り、保育所や小学校じゃあるまいしと思いつつ、結構いいじゃんと言う思いもあった。

 授業参観が始まったが、どの子も体が大きくなっただけで小学校の時と同じ、顔を見ると顔つきが変に代わっていない、順調に育ってるなと感じた。小学校の時が廊下を走ったり参観日でも教室の中を歩いたり、勝手にしゃべっていた子どもたちも整然と授業を受けている。これが育ちであり、教育の効果と思って帰ってきた。

 夕方のラジオのニュースで川口淳一郎氏が弘前市民栄誉賞を受賞すると言う。同窓としてはうれしい感じ、斎藤春香さんから二人目、小学校、中学校では春香さんが川口氏の後輩になる。ところでNHK青森放送局のホームページで川口氏の「青森から宇宙へ」を読んでいたら、こんな文章があった、「中学2年くらいだったかもしれません、先生もやはり歴史的な出来事だという実感があったのでしょう。生徒が講堂に集められて、アポロの月面着陸の生中継を見ました。それが、今でも鮮やかに記憶に残っています」である。

 この記憶はおちゃんもはっきり覚えてる。1969年7月20日の午後、暑い日であった。担任が授業中バタバタ来て体育館に行けと言う、授業を中断して体育館に集まってテレビを見た。ステージにテレビをあげたか高い台に上げたか定かではないが、見上げながら見た記憶がある。

 画面の中は白黒(今はモノクロと言うが)、画面半分は着陸船イーグルの下半分(画面左半分)、右半分は月面と真っ暗な宇宙空間。聞こえるのは同時通訳の声と「ピィー、ピィー」という音だけ。おちゃんは同時通訳の西山千氏の声の良さ、歯切れの良さ、流暢な英語に良いなと思った。それから連日連夜、宇宙中継でアポロ漬け、地球へ帰還した時は感動物。カプセルが海上に着水、アメリカ空軍のヘリコが上空でバタバタホバーリングして、ヘリコからカプセルに要員が下りてきてカプセルを開ける。ヘリコに宇宙飛行士を乗せて空母に向かう。

 これ以降アメリカは次々にアポロを打ち上げるが、後年立花隆氏「宇宙からの帰還」を読んでヒーローだと思っていた宇宙飛行士が精神的にかなり病んだという事実。しかしヒーローを演じると言う苦悩があっただろう。頂点を極めた人だけが経験する物なのだろうか?しかしよく見てみると科学の頂点を極めた人は、精神世界的な大事にするようだ。

 西洋文明は身体と精神を明確の分けようとしたが、明確に分ける事は出来ない。しかし東洋の文明は繋がっているという解釈。これは河合隼雄が言ってるし、どうしても明確に分けようとするから困難が生じる。確かに結果はこうなるとデータ上出たとしても、現実の結果は神のみぞ知る。神頼みと言う考えも理解できる気がする。現場を知れば知るほど、正確をきそうと思えば思うほど、何が起こるか分からない、しかし期待通りの結果を出したいという奇跡を願えば願うほど、神にすがりたいという気持ちになるのでは?

 現実の科学の世でもこうなのだから、人の身体、精神では何が起こるか分からないのである。その事を免疫学者の多田富雄は「心の声を聴く」の河合隼雄の対談集で語っている。この世にある物目に見える物、見えない物、分割しようと思っても分割できないのである。繋がっているのである。

 七夕、宇宙から青森、一中の参観日、弘前市民栄誉賞、なんとなくどこかで繋がる。

 

老いはこうして作られる

2010・7・4

 今週は月曜日まで余裕なし。選挙の公報を撒く、レギュラーのチラシと込みでは無理、で昨日、今日とまく。整骨院に行く暇もナシ、足が痛い、正座できない。

 「老いはこうして作られる」ははっきり言って文章が読みにくい。著者は語り口調で文章化すれば良いのかなと感じて書いたのだろうか。しかし語り口調は読むと言う事になれば、読み難い。内容が良い分もったいない。

 注目すべきは老人とのコミニュケーションを取りにくいのは、身体の老化による低下が原因にあると言う。我々は身体の老化と言えば、単に身体活動それも上肢、下肢に注目してしまう。しかし身体全体という観点から言えば顔面の筋肉の老化も入る。この顔面の筋力低下が、表情が乏しいとか、何を考えてるか分からないと言う事になる。

 しかし身体の老化、次に知性という順序で老化が始まる事を考えれば、単に顔面の筋力が低下しただけで、知性の方は保たれているから、我々は外見だけで判断できない。ノンバーバルコミニュケーションの限界を感じる。情動も含めて考えれば、最後まで人は思考するので、単に外見だけで判断できない。

 また離れた場所からバーを見てまたげるかどうかを判断させると、やはり高齢になると自分はまたげると思っても実際は出来ない確率が高くなる。

 いくつかの実験結果から導き出されたデータに基づいて、老化について書かれてる。我々としては見た目、思い込みで老人を見てる事に気づかされる。

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