2010・3・22
先月から小学校の頃からの漫画にはまる。54歳で感動はしないだろうと思っていたらとんでもない、感動した。小学校の頃と似たような、似てないような不思議な感動である。読後感は希望を持てると言う感覚、しかし時代はちょうど高度成長の頃だから、よほどの偏屈でない限りそれなりに希望を持てた時代である。今になって思い出してみれば。
今日紹介するのは「レモンとさくらんぼ」(昭和41年)、「はるかなる風と光」(昭和48年)。「レモンとさくらんぼ」連載の頃は小学5年で内容が大人過ぎてあまり読まなかった記憶がある。高校生の学園ものなので共感する部分はない。しかしこの時代は日曜夜8時は青春学園ドラマが全盛だ、「週刊マーガレット」は日本テレビの青春ドラマと連動して小説仕立てで連載していた。今読んでみると高校生にしては大人過ぎるなと感じる、健康的過ぎる、良い子過ぎる、清潔すぎる。理想形過ぎると思う。しかし言うべきことははっきり言う、反抗する時は反抗するが筋が通っている。自分の考えを大人の前にはっきり提示する、今のように何を考えてるか分からないという設定ではない。大人は理解できるところは理解するが、理解出来ない所は出来ないとはっきり言う。多分この事は戦後教育を受けた世代は分かると思う。戦前の教育を受けた親と戦後教育を受けた子供とは価値観が違う。その分対立点は明確。今は親も戦後派だから明確な対立点はない。
絵を見てるとダイヤル式の電話、着物姿の母親、高校生が車を運転する(高校で自動車免許を取得すれば卒業前でも運転できた、だから高校のとき車で来ていた奴もいた昭和48年の話、当然バイク通学もあった)、小学校の時病気で学校を休んだ子が数年遅れて小学校を入りし、高校では少し年上になる子は昔いた。今の若い人は驚くだろう。しかし西谷祥子の作品はメンタル的に病的は部分を抱えてる子、悩みが大きい子がよく登場する、その原因、分析は的確であり、友人、大人の理解の仕方、接し方も的確である。
今の高校生とおちゃんが高校生の時の違いはやはりSEXである。妊娠した子もあるがいまほどSEX は日常的ではない特別な物、大概は無縁である。今はSEXは手を出せばできると言う感じ。恋愛は結構あったが大概は高校卒業で終わる。しかし学園生活がメリハリがあり楽しい、確かに漫画の世界で理想形かもしれないが、おちゃんの現実の高校生活も楽しかった。もし戻れるなら高校生に戻りたい、高校の友人は誰もが楽しかったと言う。高校とは楽しいものであると思う。しかし現実今の社会では家の経済状況で高校を止める子も多い。昔なら非行で辞める、時代は変わったものである、学校生活最後の高校、一番楽しい生涯の友ができる高校時代、辞めざるを得ないこれでいいのだろうか。「レモンとさくらんぼ」を読み終わった時ふと感じた。中学は変化が激しいので楽しいとは言えなかったが、高校少し大人になった分余裕が出たせいか楽しめた、悩みもあったが輝いていた(理想、希望を描いた時は、しかし現実を考えた時は悩んだ)。
「レモンとさくらんぼ」と一緒に乗っている漫画「リンゴの並木道」(昭和40年)はびっくりした。小学校を卒業するまで「週刊マーガレット」を毎週購読したが西谷祥子の作品で唯一最後まで読んだ作品。感動した分内容はしっかり記憶してた。うれしー。内容的にはほかの作品に比べて深刻身がない分楽しめ(おちゃん小学4年)。思春期の少年少女の葛藤や、身分の上下によるいじめ、ありきたりの内容であるが美しい絵でまとめられた良い作品。ここでも乙女心少々理想形であるが、共感できるようにうまく描かれてる。しかし「リンゴの並木道」で初めて西谷祥子の絵を見た時、少女が愛らしく書かれていたそれで虜になった。わたなべまさ子は貴族的過ぎる、水野英子は冷たい、牧美也子は大人過ぎる、しかし西谷祥子は愛らしく等身大の少女として親しみを持てた。
「はるかなる風と光」(昭和48年)、この作品は連載で読んでいない大人になって文庫で読んだがストーリー、スケールの大きさ、波乱万丈さでは「ベェルサイユの薔薇」を超えると思う。一人の少女がナポレオンと指しで話す、もう漫画と言うより映画的ストーリー「パイレーツオブカリビィアン」の世界である。希望を持て、夢を持てである(バックボーンにあるのは)。他に美内すずえの作品を読んだがスケールの大きさでは群を抜いてる気がする。忘れたが印象として。「はるかなる風と光」は読むとぐんぐんとその世界に引っ張り込まれる、単に歴史漫画と言うより娯楽性の高い作品である。面白いぞ。
今まで何作品か少女マンガを紹介してきたが、根底にあるのは希望と夢である、昭和30年代後半から50年代前半までは頑張った分それなりの報いがあった。しかし今はどうだろうか、「不幸な国の幸福論」でも絶望、挫折の向こうに希望がある、悩むこと考えることも必要である、ただ嘆いてばかりいても始まらない。河合隼雄も八方塞がりの時意外と道は開けるという。ただ今この時を何とかして乗り越えようと思った時、心底真剣に思い行動した時は開けると言う。高校入試がそうである、ギリギリの子が合格する時、どうしても入りたいと思った時、そして頑張った時合格したりする。考え方としては余裕は大事である(無いよりはあった方が良い、無い方が困る)、しかし真に行動を起こすは精いっぱいやる。悔いがないように。出来ないとか言うけど、もっと広い意味で出来ると言う事を考えた時、出来るものは必ずあると思う。今を乗り切ればなんとかなるとか、その程度良ければ、あまり型にハマらないようにすれば。型にはまろうとするから動けないこともある。

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