PR

好きなリンク先

最近のトラックバック

クリスマス打ち上げ花火ブログパーツ

出産祝いならギッフィーベビー

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月

謹賀新年合掌造り

2010・1・1

 謹賀新年合掌造り、まだ新年になっていないが一応。ところで今紅白を聞きながらでございます。去年から紅白を10何年ぶりに聞いてます。もちろんジェロ君が出るから。しかし今年も「海雪」、歌い方去年と全然違って余裕です。良いですね。「君恋し」という永遠の名曲がございますが、二山貞一さんが歌ってる感じは楽譜通り丁寧、藤山一郎さんはこの恋に破れたがまた希望をと言う感じ、フランク永井さんは耐える大人の男と言う感じ、ジェロ君の歌い方はメッセージ性が強いせいか、歴代の中で一番詩の内容と歌い方があってる感じ。

 ところでアリスがチャンピオンを歌いましたが、武道館でのコンサートを思う出しました。チンペイさんは全然アリスの頃と声が変わってませんね。きんちゃんが老けたのは少々ガックリ。「遠くで汽笛を」を聞きたいですね。それと「バイバイバイ」最もアリスらしい曲だなと思います。明日アリスのテープを探そう。

 おちゃんは昭和45年から48年までの紅白を録音してたんですけど、ボヘミアンが小さい時テープを引っ張り出して、今は中途半端で残ってます。最近昭和50年代のラジオ番組を録音したテープを聞いてますが、やはり良いですね。単にナツメロではなく、音域、店舗が歌いやすい、覚えやすい曲が多い。しかし昭和50年代の曲と言っても、歌いやすさ、音域からいえば昭和50年代より昔の曲に比べれば、テンポは速いのでどの世代でも歌えるという曲ではないと思います。

 つまり特定の世代でしか聞かない、歌いたい曲しかヒットしないのではと思います。今後も特定の層しか聞かない曲が増えるでしょう。世代を超えて歌える曲は今現在歌い継がれた曲しか残らない気がします。もう世代を超えて歌える歌はニューミュージックで最後のような気がします。あくまでおちゃんの予想ですが。

 そん中でジェロ君が出てきたことは重要です。歌謡曲と言う言葉があった時代の曲を巧みに歌いいずれ消えていくであろうと言う曲に命を吹き込んだと思います。多分若手の歌手で歌謡曲と言うものを歌謡曲として歌える歌手はジェロ君しかいないと思います。だから世代を超えて愛されるのではと思います。演歌は消えそうな中で、ジェロ君でまた盛り返してますがベタな演歌は消えると思う。ベタな演歌の歌唱法では飽きられると思う。歌謡曲と言う言葉しかなかった時代は、今は演歌と分類される歌手でも特に演歌という分類にこだわらず、ジャズ、民謡、ポップス、何でも歌っていたし巧みに歌い分けていました。

 典型が見空ひばりです。演歌、ジャズ、クラシック、ポップス、民謡。確かに見空ひばりは天才ですが、ジャンルにこだわらないという点ではどの歌手も同じようだった記憶があります。ジェロ君は演歌を歌いますが、詩の内容はかなり拘っている気がします。もし拘ってるとすればすごいと思う。日本語の理解力、解釈の仕方がすごい、やはり天才です。

 しかしエイちゃんが出たのはびっくり、「時間よ止まれ」すごくよかった。昔ヒットした時「ザベストテン」に絶対出なかったもん。そのエイちゃんが出たんだよ。でもアリス、エイちゃん還暦。ウーンてきちゃう。だからますます演歌は遠くなるわけ。高齢者は演歌、民謡の時代は終わる。ビートルズ、忌吉郎、拓郎、ロック、ポップス、ニューミュージック、フォーク、ソウル、ディスコなのよ。カラっとた演歌、メッセージ性、見せる、踊る演歌は残るだろうが、ベタな演歌は残らない。

新日本朝鮮戦争

20009・12・30

 やっときました第3部。今回は前作に比べて新型インフルエンザについての記述が少ないが、様々な伏線が張られて次回作が楽しみである。しかし伏線がかなり張られてるので、1冊で最終章を迎えるのは尻すぼみになるかもしれないなと言う不安もある。

 新型インフルエンザは手を加えられ毒性が高まり、北朝鮮に撒かれたものらしい、北朝鮮内のクーデターも金正日死亡後兄弟の確執として描かれてきたが、誰かが仕組んだものらしい、それに兄弟の確執が利用されているらしい。

 前作では拉致された日本人については書かれていなかったが、自衛隊の特殊部隊が200人以上の拉致された日本人を救出する作戦が始まる。また国連では日本が常任理事国になり国連軍として参戦する。今はまだ日本は非常任理事国であるがいずれ常任理事国になれば、と考えると現実味を感じるし、戦争放棄は分かるがどこまで戦争放棄を貫かれるかと考えると日本国内では戦争放棄と言う考え方を理解しても、諸外国では理解されるか、自衛隊と言っても外国から見れば軍隊である。

 話は横道にそれるが、戦争放棄の理念は素晴らしいが、戦後戦争放棄を宣言したがそれに代わる世界平和に関して日本は具体的に目に見える形で貢献してきただろうか?日米安保ただ乗り論(かなり古いたとえであるが)でアメリカの言う通りのままで、目に見える形で貢献せず、だから戦争放棄を正しく理解されてこなかったと思う。努力不足である。またこの60年その努力をせずともこの国は平和だった(平和ボケ)。一応戦争放棄を宣言したから良いと長年考えてきたが、最近はそう問屋がおろさない傾向である。おちゃんとしては戦争放棄と言うものを考えたとき、なんて中途半端な、どのようにでも解釈できるような、できないような言葉を作ったと感じる。しかしこの言葉ができた時はもう二度と戦争はしないと言う熱い思いが込められていた。深い反省がある。しかし現実の世界では戦争がある。たまたま日本だけ戦争という災難から逃れただけである。今後も続くのだろうか?

 北朝鮮の後継者として金正男を支持するという日本政府の選択は現実味を感じる。しかし人間とは適当なものである、第1部、第2部を読んだ時は新型インフルエンザが流行気に入るかどうか、ワクチン、タミフル、リレンザと大流行を仮定して大騒ぎの状態の中で読んだ。しかし10月の末から流行気に入った時、流行はしたが思ったほどひどくはなかった。おちゃんとしては予想したほど事態はひどくならなかったと少し安心したせいか、今はインフルエンザの脅威を忘れた多自分が怖い。

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
にほんブログ村 

雑感

2009・12・22

 読む本は貯まる一方、借りた本、買った本読めるのだろうか?本を読む気がこの頃しないなぜだろう。12月19日は送別会、ボヘミアンと行く。小学校の時のPTAの役員の親子が引っ越しするので。親子での参加。どの子も大きくなった、ガキは全員野郎ばかり、親は母親ばかり、小学校の入学式の頃を思い出す。

 テレビドラマ「仁」終わった、書き込みを見ると第二部を期待する声がある。その通りと思う。「坂の上の雲」2週連続見てない。このような硬派のドラマが少ないのは良くない。もっと放送してほしい。おちゃんもボヘミアンも好きである。この二つのドラマはおちゃんの回りでも話題になってる。ほとんどハマりまくり。昔のドラマ、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」、「時間ですよ」本当のドタバタを見たい。

 この一週間寒かった、やっとお日様が出る。昨日まではストーブを二つ使う。今は一つ。年内いっぱいチャリンコで用を足せると思ったら、いきなりドカンと雪が降って雪かき、体の芯まで冷える。しかし頭に来るのは市の立て札、「水路に雪を捨てないでください」、だったら除排雪に来い、毎年家の町内は町会長を通さないと除排雪に来ない。そばに川が流れていれば除排雪が来るまで待つ馬鹿はない。捨てるだろうが。原理主義者的に待つ人もいるかもしれないが雪まみれである。

 お節はどうしようかと、結局コンビニでオードブルを注文、魚屋さんにお刺身、結構食べてるおかずと保存のきくものを作ることにした。たたきごぼう、伊達巻、氷頭なます、豚の角煮くらい。紅白はジェロの出るとこだけ見る。ボヘミアンも見る。

 チャンが初詣はどうすると言うから、ボヘミアンが旅順要塞並みにチャンと間に心理的要塞を構築してるので、たぶんボヘミアン抜きだろうと話す。チャンが白兵戦を試みても無理、ボヘミアンが無血開城をするまで待つしかない。おちゃんはさしずめ露探である。そして二重スパイである。どうも頭が日露戦争状態。

 いつもの本屋のねーちゃんも「坂の上の雲」にはまって司馬遼太郎を読みたいと言う。おちゃんはエッセイを読めば、それとも対談集とか。司馬遼太郎の小説は読まないがエッセイも良い。人となり、考え方が分かるから、その後に小説に入ってもいい。あまりにも作品が多いのでどれを読んでいいのな分からない。松本清張は?と言うから、松本清張はどれも面白いし、読み易いからいいよと。しかし本屋からどの本良いのと聞かれるとは。

 最後、今日は冬至、ゆず湯に入ろう、ボヘミアンの友達のお母さんからゆずをいただく。かぼちゃはチャンの友達からもらう。これが旨い。本当のクリカボチャで、昨日、今日と連ちゃんで食べてる。

 なぜ本が読めないか分かった。虫食い状態みたいに本を読むから。次から次中途半端で完読してない。完読するほどの本に出会ってない。感動するページまで読み切ってないから。本当はパソコンのお絵描きにはまってるので読んでない。

変な給食

2009・12・15

  二三日前の読売新聞の本の広告で読みたい本があった。しかし忘れた。そしたらテレビで「ワイドスクランブル」で出た。「変な給食」、アーこれと思いだして早速注文。実際今の給食変だよ。ボヘミアンが小学校の頃、給食の献立の組み合わせが悪くて、おなかの具合が悪くなる事があった。毎月の献立持ってくるけど、変な組み合わせが結構あった。牛乳がつくのにプリン、ケーキ、焼きそば、ラーメン。牛乳をつけるからおかしくなる。40年以上昔なら分かるが、今結構カロリーとってるし、牛乳は腹が張るので小学校の給食に入らない気がする。お茶で良いと思う。

 弘前は中学校で給食として牛乳が出る、しかし来年から中学校も完全給食になる。しかし学校給食で牛乳がなくなる事は、牧畜農家、牛乳販売業者を苦しませることになる。だからおやつとして、中休み、帰りの会でおやつとして出したらいい。デザートのプリンも要らない、ゼリーでたくさん。単なる数字合わせでゴチャゴチャつけるな。

 悲しい事に献立を作るときは栄養摂取量という魔物に取りつかれる。どうしても数字合わせをしてしまう。数字を上げるためカロリーの高い食品、食材を選ぶ。しかし現代はもう十分カロリーはとれている。家に帰ってからのおやつもスナック菓子、ドリンク、おにぎり、パンと結構カロリーの高い物を食べて食事である。もう数合わせはやめて、質を高める、変な組み合わせはやめた方が良い。センスのいい献立にしたらいい。なーんてボヘミアンが小学校の時感じてたら、「変な給食」の著者も数字合わせも原因と言う。全くその通りです。

 ボヘミアンは家でめったに牛乳飲まない。1リットルの牛乳は半分投げてしまう。だからこの頃は500ミリリットルか飲みきりサイズの牛乳しか買わない。メーカーに言いたい、明治乳業みたいに780ミリリットルサイズの牛乳出して。また780ミリリットルの牛乳置いてるスパーもあれば、置いてないスーパーもある。それに今のガキは賞味期限にうるさいし、結局投げるのである。もったいない。食品のエコを考えるなら、大容量サイズは要らない。

異常性愛の精神医学

2009・12・8

 かなり精神科医の本を読んだ、多少なりとも感じたのは他科の医者に比べたら批判が多い。どれを支持したら良いのだろうと悩む。マー今言えることはたくさん読んで、自分なりの評価を下し多数決ではないが、共通項を支持することであるなと感じる。

 一読面白い。しかし女性が強くなり、男性が弱くなった今、異常な性犯罪は起こる確率が高くなる可能性がある事を感じた。弱くなった男性は自分より弱い立場の人に矛先を向ける。また強くなった女性に矛先を向けるとき、残虐な行為に及ぶこと(かわいさ余って憎さ百倍か)。

 性情報に関してはどうしてあんなに暴力的なものが多いのかと呆れてしまう。しかし脳の仕組みからいえば、性ホルモンの中枢、性行動の中枢、攻撃性の中枢葉脳の比較的狭い部分に隣接(大雑把過ぎるが)、一つの中枢が刺激されると他の二つの中枢も刺激されるらしい。男はそれで性欲が高まるかもしれないが、女にとっては堪ったものではない。女はこういうものだと思い込んで挑まれたら堪らない。

 ところでオスはもともと攻撃的であり、オスがメスを征服するという形で性交がある。男は力強くなくてはいけない。しかし現代において男は強くなくてもいい、強さをさほど必要とされなくなった。と著者は言うが大変面白いと思う。 逆に強い事を誇る男は要らないし、自慢にもならない。いかに女と調和していくかを求められる。強い男も要らないが、弱い男も要らない。おちゃん的に言うと強い男は浮き、弱い男は沈んでる。著者は現代の男性が弱くなったのは、戦中戦後の厳しい社会で育ち母親の愛情を十分に享受できなかった。甘えの通用する母性的な社会が様変わりして甘を許さない社会になったと著者は言う。、少なくとも成人した男性の女性に対する甘えは許さないという社会に変化した。

 また母子密着で弱い子供が増えた原因かもしれない。しかしオスとしての本能を持ったままで、女と対峙した時弱いと言うのであればオスとしての本能を発揮できない。それが積もり積もって性的な犯罪に繋がるとすれば、被害を被った女は堪ったもんじゃない。昔は男だからと許された部分もあった、遊郭、浮気、家庭での居場所、父親としての権限。妻は夫を立てるとか。しかし今は遊郭もない、浮気も許されない。男女平等、夫婦平等だから、夫、男は立てる価値があれば立てるが、なければ無視される。

 犯罪心理の本を読んで多く書かれているのは思う事は、情性の欠如があり、特に早期の母子関係であると言う。母親から愛情、安心を受け取り十分甘えると言う事。これが希薄であれば情性が欠如する。三つ子の魂百までもである。著者も生後8カ月までは母親が育てることが望ましいと言う。

 確かに現代は男にとって生きにくい時代である。この本も神話などから異常性愛と思われる話を載せている。今も昔も異常な事件はあった、多くは女が犠牲となる形で。性差を別として、今後男女の差が縮まりほとんど互角になった時、男としての能力を発揮できない男はどうなるだろう。

 

日露戦争ブーム?

2009・12・1

 今日から師走、早いような気もするしそうでもない気がする。当分の間日露戦争がブームになりそうである。おちゃんはもう20年以上前から興味があった。と言うより子供の時、婆さまに読んでもらった絵本が戦前版講談社の子供の絵本、「乃木大将」である。記憶をたどると多分二百三高地、日本海大回線、水師営の会見とか、他は乃木希典は小さい頃弱虫と言う事が書かれていた記憶がある。そのせいか乃木希典に対して良いイメージがない。

 おちゃんにはいまだに解けない疑問がある。手元に大正15年の版で有宏社「通俗国民の日本史」の中に水師営の会見で日本側の通訳官、河津、鎌田と言う2名の出身地である。この名字は青森県にもあるが、九州、四国にもある。河津という名字は静岡にもある。おおざっぱに言うと西日本か、東日本どちらかか分かればいい。もし東日本と言う事になれば、大いにおちゃんの興味が沸くところである。

 また石光真清の「城下の人」、「廣野の花」、「望郷の歌」、「誰のために」に出てくる、青森県出身Sである。たぶん笹森儀助だと思う。この事をミスター整骨院に話したら「うんだな、ほとんど笹森儀助だべ」、ミスター整骨院もかなりの歴史好きである。仮名にでもすればいいのになぜわざわざイニシャルにしたのか?公表するつもりもなく書かれたのであるから、実名で書いてもいいはず。

 ここでおちゃん的発想、笹森儀助は冒険家と言ってカラフト、、台湾、東アジア、琉球と大旅行をしてるが、本当はスパイ的な使命を帯びていたのではと思う。馬族だって明石元九郎が後ろにいるし、日蓮宗の布教もスパイ的な行動もある。とにかく日本が大陸を目指した時点で、大陸浪人もそうだが、外地の日本人の中では有名無名の間諜がいたはずである。明治のインテリを冷めた目で描いた作家は、永井荷風だろう。それも明治期に書かれた作品である。

 明治と言う時代を深く見つめた作家は夏目漱石、私人と公人との間で揺れたのは森鴎外、明治と言う時代を成金的、野暮とい見方を押したのは永井荷風。この3人の共通項は留学したことである。明治と言う時代日本は何も知らないことから始まった、外国の知識を貪欲に吸収した、生で外国に文化に触れた。これがある意味明治の強さである。しかし日清、日露の戦争で勝ったことで、奢れる事になり、唯我独尊となりその後のある意味での不幸が始まった気がする。 

 

>

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

PR2

2022年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ