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2009年11月

サイコパス

2009・11・19

 この本は読みにくい。なんせアルファベットの略語が多くて、何度索引を見て読みなおしたか。眼窩前頭前皮質を知りたい人にはお勧め。飽きる位出てくる。サイコパス、精神病質または反社会性人格障害。疾患ではないらしい。しかしこの本を読んでわかった事は、今まで本人の体質(適切な表現かな?)と環境が働いて、反社会性人格障害になるらしいとされたが、そうでもないらしい。

 眼窩前頭前皮質、扁桃体の損傷を受けた場合の関与もある。おちゃんがショックなのは出産時合併症を伴って生まれた乳児は将来行為障害、非行に繋がりやすいと言う。特に社会心理的要因が重なった時リスクが高くなるらしい。出産時合併症とは、低酸素、かんし分娩、妊娠中毒症で、脳損傷をおこしやすい環境因子となると言う(おこしやすいのである、なるとは言ってない、ごくごく当たり前の環境であればそうでもないらしい)。出産時合併症を経験したくはないが、悪阻、妊娠中毒症は程度の差はあれ、妊婦の多くは経験する。ストレスを避けるようにと言うが、精神的にも、肉体的にも妊娠中はしんどい。ここいら辺が原因でもあると、妊娠するのが怖い。丈夫な赤ちゃんを産みたい、難産はしたくない。異常分娩はしたくない。神のみぞ知ると言う感じ。

 つまり脳の器質損傷・障害である、しかしこれは誰のせいではない。一つの不幸である。しかし育児環境、家庭環境、広く言えば社会環境も劣悪であれば、もう一段リスクが上がる。しかしこれもサイコパス本人のせいかなと考えると、親を含めた大人の責任、たとえば虐待とか、ネグレクト。おちゃん的に考えれば、サイコパスは二重の意味で、不幸な星のもとに生まれ、不幸を背負って持って生まれたことになる。

 環境ストレスも脳の発達に影響を与える。脳のシステムに障害をおこす。環境とは、家庭環境、育児環境を含めた成育環境と考えれば、諺「氏より育ち」か?眼窩前頭皮質の発達は2,3歳までと考えれば諺「三つ子の魂百までも」か?「教えて?子供の反抗期」、「サイコパス」を読むと楽観主義ではいられないと感じる。

 ある程度育ててしまうと、後戻りが効かない、子育てにはやり直しがきかないである。異常な反抗ではない限り、子供のあるがままの姿に期待するしかない。しかし、あるがままを見ると言う事は非常に難しい。親が子供のあるがままを見る事は相当の辛抱である。ついつい言ってしまうのが親、手を出してしまうのも親。親も子供の頃は逆らってきたが、親になると逆らう子供に意見する。不思議な現象が代々続く。

 今まで子育てに関する本を読んだが、どこか楽観主義的な本もあった(きれいごとである)。しかし現実はそう簡単なものではない。子供の頃のトラウマを生涯ある程度引きずるものである。そのトラウマがマイナスに作用するか、本人しか分からない。トラウマは持ってる本人しか分からない。結論、極端な子育ては(事の善し悪しは別にして)、子育てしてる本人は気がつかない。気になってるうちはまだ良いにかもしれない。気にし過ぎるのもダメ、気にしさな過ぎるのもダメ、ほどほどが良い、ほどほども難しい。

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ボランティア井戸端会議

2009・11・15

 昨日文化センターで弘前カウンセリング研究会、ボランティア井戸端会議に出る。思った以上に参加者が多くて、うれしかった。参加してくれた皆様、ありがとうございます。しかし想像以上に、カウンセリングに興味を持ってる人が多くて、驚いた。そしてみなさん、考えていたよりも大変なものだと思ったと思います。

 ハローワークに行っても相談員が分かってくれないと言うのは、相談員は気がついてるか、気が付いていないな分からないけど、上から目線である。指導、助言なのである。それをするのはコンサルタントなのである。どうしようもないのが来たら、いろいろ言いたいかもしれないが、それなりの理由があって、どうしようもなく見えるのである。

 ハローワークあたりに、メンタル系の相談員置くと言うがやめた方が良い。ハロワはそんな場所ではない。あんな騒々しい場所で出来るか。そんなことより既存の相談機関をうまく利用できるように、交通整理する方が先だ。相談はしたいがどうすればいいか分からない人がどれだけいるか。おちゃんもある相談があって電話で聞いたら、担当が違うと言われた。ならばどことか関連を教えてほしいと思った。しかし聞く方自体がよく分からないから、何を聞いていいかよくわからないのだ。そんな交通整理をしてくれるところがあればなーと。

 タウンページを見てごらん、相談機関の多い事、しかしである。どうすればいいのか、相談しようと決心したが、」うまく利用する術がよく分からない、理解されていないのが現実の様な気がする。またハロワの話になるが、掲示物を良く見ていないという個人的な原因もある(おちゃんはハロワに行って掲示物を良く見て、フリーダイヤルで労働相談に乗ってくれるところを見つけてどれだけ助かったか)、逆におちゃんはどこで見つけたと聞かれた。ハロワの掲示物だよ、掲示物みなよと言ったけど。

 カウンセリングと言えば難しいような気がする。しかし日常の会話でも結構カウンセリングみたいなことしてる。親しい人に話を聞いてもらう事。誰も何でもしゃべる人に話さないだろう。それと同じ事である。理屈でいけば難しい。しかしやってみればそう難しい知識が必要なものではない。何より大事な事は、あるがままを見て、感じて、聴く。しかしクライアントは必ずしもあるがままではない、非あるがままの部分もある。話さない自由、見せたくない自由である。

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教えて!子供の反抗期

2009・11・10

 「三つ子の魂百までも」である。もう子供を育て上げた(ある程度育て上げた人は少々ショックかもしれない)、おちゃんもショックである。しかし脳の発達から現実を語っているから受け入れるしかない。現実に起こってる事が事実であるという言葉は説得力がある。

 今の親は子供が反抗することを恐れ、子供に対して厳しすぎたり、甘すぎる。子供は反抗するのが当たり前。その当たり前のことが今の親にとって恐怖となっている。しかし正常な反抗と異常な反抗があること、親としてはそれを知る必要がある。現代のキレやすくなった子供の根っこがどのあたりにあるのか、歴史的に検証している。子供中心主義、ゆとり教育等。

 正常な反抗は心配ないが、異常な反抗の原因として脳の前頭前野の障害、特に眼窩前頭皮質の重要性破興味深い。眼窩前頭前皮質がき弱性を示すと反社会的行動を示すと言う(性格異常、衝動抑制障害、行為障害、学習障害)。しかも眼窩前頭皮質の発達は2歳から3歳くらいまでで(臨界期)、人間としての基本システムが出来上がると言う。ならばどうすればいいか。一番良くないのが虐待、ストレスホルモンによって、眼窩前頭皮質の発達が阻害されると言う。十分な愛情(充足欲求型の愛情だけでなく、自己抑制型愛情も)。ここでおちゃんはハッと思った、果たしてボヘミアンをどうやって育ててきただろうと。たぶん充足欲求型に近い、自己抑制は自信がない。著者の考えは自我の発達を基本とする欧米型である。しかし「甘え」が心底しみついた日本人は自然甘やかしてしまう、自己抑制とは難しいと思う。

 つまり、自己抑制と充足欲求型の中間で子育てができれば良い、どちらかにぶれながら。昔の親はそれがうまくできたが、現代は厳しすぎるか。甘すぎるかのどっちかである。結論、眼窩前頭前皮質の臨界期を考えれば、「三つ子の魂百までも」は本当だろう。子育てとは親子で壁にぶつかりながら行う作業であると考える。綱引きでもあるが、子供が大きくなるほど、親は子供に引きずられる。そのピークが思春期である、この時言う事はお子さんの成長力に期待しましょうである。ありのままを見るである(正常な反抗であるとみた場合)。著者はこの辺りを懐疑的に見てる。つまり、年齢が増すほど、まともに戻すには時間の手間がかかるから。

 ありのままを見ることは丸投げではない、見守りである、そして何より忍耐力である親の。子供に忍耐力をつけるなら、親も忍耐力が必要か。親が我慢できないから、厳しくしたり、甘やかすということか(親自身が安心したいのだ)

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景気後退貧乏料理13  イカ様

2009・11・6

イカ一杯を使って、漬物、酒の肴を作る。

 ★キャベツとイカの漬物

 ●材料

イカ一杯(漬物は胴を使う) キャベツ中玉1/2個 生姜(チューブ入りでも良い) 人参少々

作り方

①イカは足、耳をとり胴だけゆでる、イカの皮は剥くが、適当に向くだけでも良い。1㎝幅に切る。要は食べやすい大きさに切ればいい。輪切りのままだと食べにくいかもしれない

②キャベツ、ニンジンは千切り、ポリ袋に入れて、塩を入れて揉む。しんなりしたら、イカ、生姜、酢を入れる。重しをかけて一晩置く。次の日は食べられるが、一晩置いた漬物は冷蔵庫に入れる。

 おちゃんの味付けは適当である、しかし浅漬けはだいたい味の感覚は知っていると思うから、分量は書かない。

 ★イカと大根のゴロ煮

●材料

イカの耳、足、内臓(ゴロと言う)、大根1/4本

作り方

①大根は厚さ5mmのイチョウ切り、耳は1㎝、足は一本に切る。

②鍋に大根を入れ水はヒタヒタに入れて、大根に火が通ったら、そば汁を入れる。濃さは4倍くらいが良い。イカもいれて10分くらい煮る。

③内臓も入れる。内臓は袋から箸でしごいて出すと良い。一煮立ちさせる。

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「甘え」の構造]

2009・11・4

 初版昭和46年、著者は今年亡くなった。たぶん今後も多くの人に読まれると感じた。38年前に書かれた本であるが、今の時代背景と変わらない、もともと日本は甘えを許す、受け入れる国なので、今も昔も変わらないのかもしれない。学生運動も甘えの一つかなと考えれば、いたずらに社会を混乱させただけで、何も残らなかった。一体なんだったのだろう。ただ社会に対して不満をぶつけただけで、要求が通らないのが分かると止める、まるで駄々子である。校内暴力の影響はまだどこに残っている、まだどこかで起こっている、こちらの方が傷が大きい人格が完成された大学生と違い、まだ人格完成の途上の中学生だからその傷がいえないまま成人した人もいる。、いろいろな原因もあるだろうがこれも甘えが原因かもしれない。

 心理、精神を表現する日本語には「甘え」と言う意味が多く含まれている。その言葉一つ一つに精神、心理的意味を発見した労作であるし、われわれが日常意識することもなく使っている言葉に、こんな意味があるのかと改めて感じた。読んでいると精神科医が書いた本と言うより、国語学者が書いた感じがする。門外漢とは言いながらよくぞここまで、丁寧に調べ解説しているなと驚く。

 しかしこの本を読むとき、多少精神、心理の知識もないと戸惑うかなと思ったが、各章の終わりの部分に解説がある。読み進んでいくうちに感じたのは日本人の感覚の中に十分甘えたい、甘えさせるものがあり、十分甘えることができなかったものが後年精神疾患になりやすいという指摘はなるほどと思った。また内と外、本音と建て前と言う日本人独特の思考も、身内に甘いが、他者には厳しいという指摘もなるほどと感じた。しかしこれが存在するから、簡単に甘えを許す、受け入れると言う事にはならない。バランスが取れている。笑ったのは家族では日常の挨拶はしないが外では挨拶をする、家族では甘えがあるからしないが、外面で外では挨拶をするなるほどと思った。おちゃんもボヘミアンには内と外を使い分けろと言ってるが。

 欧米では、自律、自我、自由の社会である。甘えと言う事が許されない(だから、個の自律性、自由が重要視される)と言う訳ではないが、甘えに相当する言葉が少ないらしい。甘えとは依存であるが、病的にならない程度では日本では許される。しかし欧米では良く思われないから、甘えたいという心理状態になった時、人は苦しむらしい。著者が留学中に治療者と患者の治療の様子を観察した時、治療者のそっけない態度にびっくりしたという。これはおちゃん的考えかもしれないが、同じ治療者でも欧米では症状を良く見、分析、原因、診断である。しかし日本の場合どうしても(DNAでもう甘えがしみ込んでる民族)、患者の現象でとらえるつもりでも心の中に介入してしまうから素っ気ないと感じるのかなと思う。

 甘えと自立・自由のバランスで生きていければ良いが難しい。欧米では個として生きていくことが要求され、すがることは好まれないから、すがりたい時は苦しむ。日本では自立して、自由に生きなさいと言われればどうしていいか悩む。アー難しい。しかし甘えと言う現象をここまで追求すると(良い悪いは別として)、悪ものではない、逆にうまく利用するかと思う。また日本人の特性なんだから、何でもかんでも自立、自我と強制することもない。

 結論、内と外、本音と建前の使い分けが一番。ハッキリ、クッキリ区別するのは良いけど角が立つ。これって結構苦しい。やたらセンテンスが長い文章で、ちょっと苦しいけどいい本です。

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広報弘前

2009.11.3

 とうとう載りました。広報弘前11月1日号。ボランティア井戸端会議に弘前カウンセリング研究会出ます。一人でも弘前カウンセリング研究会の存在が知られること、それが一番の願いです。自分でもカウンセリングを経験するまでは、相談すること、話すこといろいろ躊躇したが、こういう事を話していいのか、まだ話すほどでもないとか、話すということをためらう事があった。

 大方の人はこのような悩みを持っている、なかなか決める事が出来ない。決めるのは本人だが、話すこと、話さないことも自由である、しかし経験から言うと思いきって話す事がどれだけ大事なことか、いろいろな悩みを持っている人がどれだけいるか、悩みを持っているのは自分だけではないという事。

 往々にして悩みを持っていて、愚痴る人、仕方がないと言う人は自分だけという思い込み、話しても解決にならないと考えている。そうでしょうか?人は誰でも悩みがある、あって当たり前、ごく自然に友人、家族、知人、同僚に話を聞いてもらっている、話を聞いているのだ。泣く、笑う、怒る、自然に腹の中に溜まっている事を発散させている。ただ内容がはばかれる物、身の回りの人には話したくない事にカウンセリングという手段を使うだけである。自分で何でも解決できる人はいらない。しかしどうしようもない時だってあるのだ。

 まだまだカウンセリングとは特別なものと感じてる人、カウンセリングを受けていると言えば特別視される。おちゃんもそうだった。どうしようもない悩みを抱えてる、どこかおかしいとか、そんな周りの目を気にしても自分のためには成らない。悩んでるのは自分だから、悩んでる自分に対して、自分が悩んでいる、悪循環である。

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