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リハビリテーションという幻想

2009・10・19

 ミスター整骨院から面白いからと言われ借りたが、まず題名で思い切り笑った。著者があのカリスマ理学療法士三好春樹氏である。三好春樹氏から幻想と言う言葉が発せられた驚き、あんたいったい何なのよである。だから腹を抱えて笑った。ミスター整骨院から三好春樹氏なる人を知ったが、ミスター整骨院は三好春樹氏の考え方から、現在距離を置いているらしい。

 一読の感想は現在のリハについての、三好春樹氏と高口光子氏のため口である。しかし理論、理念先行の現状のリハにあっては「生活即リハビリ」という考え方は正しいと思うし、それでなければならないと思う。何のためのリハか、目的もなくリハをすることは老人に難行苦行を強いるばかりで、空念仏ではあるまいか。自立した生活を送るためならば、もっと生活者の目線でと考える。ここら辺はリハ自体が医療という側面があるから、生活者の目線が足りないのかもしれない。

 介護の現場では医療の現場ではありえないことも起こるらしい、おちゃんにとってはびっくりした。歩けない老人が歩いたり(その逆もある、本人が歩けないと思い込んでるだけの時もある)、一読して感じた事は、医療の現場が介護の現場を知らないなと感じた。それとともにおちゃんが1番に来るのは医療、2番が介護という考え方を変えさせたことである。医療と介護は一体のものであると思うし、それが理想ではないかと考える。

 確かに歩けなくなるのは介護する側、される側にとって一番の問題である(歩けるだけでトイレ介助、入浴介助の手間が数段違う)。最低限自分の身の回りで出来ることは重要である。それでリハに励むが、ある程度自立(最低限身の回りができるようになる)とりハはやらない。家の中で好きなように動く、しかし家族にすれば歩けなくなれば困るから、リハを促す。しかし当の老人はリハに興味を示さない。家族は寝たきりになるという恐怖感からそうなってほしくないからリハを促す。何を隠そう今のおちゃんがこの心境である。婆っちゃは先生の前では「はい、はい」とリハの話を聞いても家では全然やらない。婆っちゃ曰く動いてます。現実はばっちゃのほうが正しいのかもしれない。おちゃんがリハの幻想に取りつかれていたと、この本で気づいた。

 逆に三好、高口両氏が死ぬ時は死ぬ、リハが効果がある人、ない人があるという開き直りに近い感覚が良い。老いとは自然に心身が低下していく、それが自然の摂理であろう。ところがアンチエイジングなど自然に逆らう事をしてる。年をとる事は罪なのか、手間がかかることは罪なのかと思わせんばかりにアンチエイジングに走っている。おかしくないか?廃用症候群になってもリハするの?ここまで考えさしてくれた本だから、ため口と書いたがいい本なんだ。介護、医療、リハを斜め目線で見た本音で語った面白い本である。

 「リハビリ即生活」と言う言葉から、柴田学園の創立者柴田やすを思い出した。「教育即生活」である。何となく柴田安の理念が分かった気がする。

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