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2009年8月

アメリカよ、美しく年をとれ

2009.8.30

 良い本である。著者がはじめてアメリカと接したのは陸軍飛行学校に入り戦闘機を(通商赤とんぼ、訓練用の飛行機)の空輸を命じられた時にグラマンと遭遇した時。それから60有余年のアメリカとの係り合いから、書かれた今後のアメリカの進むべき道をエッセイ風に、抑制のきいた文章でつづられた本である。

 アメリカを愛すればこそ抑制のきいた文章で書かれたからこそ、アメリカに対する著者の苛立ちを感じる。初版が2006年だから丁度ブッシュ政権に対する批判でもある。2008年のリーマンショック、オバマとアメリカ社会は変化してるが、著者は言うのは人口比率の中で白人が半数以下いなった場合どのようなに変化するか。しかし人種のるつぼと言われ、いろいろな事が起こりながら問題を解決しながら、、多種多様の民族、文化との共生をしてきた。だから、多文化共生を目指してる国のモデルになれrかもしれない。アメリカ風の生活様式が世界中に浸透している、自由と民主主義のこの文化こそアメリカ最大の遺産であるから、アメリカの文化の長所を広げた方が良い、、もう世界の警察であることを振る舞うことを止めるべきだという。

 アメリカは帝国を目指していたのだろうか?今の段階では言えないが後世の歴史が決めることだろう。この地上に国というものが出来てから領土が膨張し帝国が存在したが、最終的に滅びていった、オバマになってどんな変化をするのか。しかしブッシュの時代は帝国の末期的現象だった(この本でレーガンから始まったと初めて分かった)。

 しかしアメリカは開国以来、ネイティブアメリカンから領土を侵略し、スペインと戦争をしてメキシコの一部を分捕り、自由と平等という名のもとに他国に侵略した国である。世界中の国で他国から侵略されなければ、占領されたことのない国はアメリカくらいだろう。ベトナム戦争までは「世界の警察」という考えは通用しただろうが、ベトナム戦争後はどうだろう、通用しない、逆だろう批判されても歓迎されたことはない。今、アメリカの負の遺産を正面から見なければならない、日本人も自国の負の歴史を見ようとしない(どこも多くは見ようとしない、特にアメリカは)が、何でもアメリカと言うが、冷静に検証すべきである。国益というものを考えれば、自国と他国の負の歴史を知ることで、国の将来に対して示唆を与えるものと思う。

 アメリカの歴史を(負の歴史)を眺めつつ、現状を分かりやすく書いてあるので、良いと思う。今までもアメリカの負の歴史に関する本のついても書いたが、今のところこの本が一番いい。

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漱石と鴎外

2009・8・29

 漱石と鴎外どちらも近代文学を代表する文豪である。たぶんこの国がある限り文豪だろう。二人は官の人であるスタートは。漱石は教師、鴎外は軍人、また官費量学生でもある。そして作家と官の人の二足の草鞋でもある。

 「漱石の手紙」を読むと二人はお互いの名声を聞きながらも交わることはなかった。しかし漱石が病に倒れた時鴎外は軍医を派遣、漱石の葬儀のも列席、鴎外は何を感じただろうか。漱石は最終的に下野し作家になり、夏目漱石個人の人生を全うした、鴎外は軍医と作家との中で悩んだ、鴎外は死の直前森林太郎個人として死ぬことを決めた、鴎外にすれば最初で最後の精神的下野だったかもしれない。

 鴎外は己を全うした漱石に憧れたいたのかもしれぬ、しかし鴎外も死の直前己をまとうした、二人は交わることはなかったが尊敬し一目置いていたのは確かだろう。でなければ軍医を派遣することもなければ、好意を受けることもない。

 家庭にあっては漱石も鴎外もよき父である。石光真清も。この三人の作品を読むと今の父と比べたら優しすぎるのである。単純に富国強兵の時代だから厳しいとは限らない。話としては飛躍しすぎるが、この三人は明治という国を肌で感じ文化、国家を考え、富国強兵で国民をただひたすら厳しく教育、強い国になることに疑問を感じていたのではないだろうか。まず念頭にあったのは人として心やさしく生きることを望んだと思う。

 

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漱石の手紙

2009・8・26

 良い本である。絶版にしてほしくない本である。しかし明治の人の書く文体の種類の多さには、恐れ吉弥の鬼子母神である。漢文調、候文、口語文、べらんめー調と緩急自在に使い分けている。

 最近漱石の関する本は、精神疾患、男色的傾向とか、愛されぬ子とか、メンタル的なものに重きが置かれ、おちゃんのしては好きではなかった。しかしこの本は1999年に単行本としてだされているので、メンタル的傾向の本が出される少し前だろう。

 昔の本だと候文、漢文調の文体でも、読者も読めるだろうという前提で書いてあるから振り仮名がなかったので読みにくかったが、この本は読みにくい漢字には振り仮名がふってある。20年以上昔に出版された新書なんて、資料、出典として、候文、漢文調の文章が出ても読めない漢字が多く途中で投げた。読者を馬鹿にしてるか、自分の頭の良さを誇示してるのかと疑っていた(単におちゃんが頭が悪いだけなのだが)。文体自体なじみにくいが読みやすいので勝手に想像して読めばいい(おちゃん事態もはっきり内容が理解出来ない、古典の成績悪いので)。

 驚いたのは「吾輩は猫である」のモデルの猫は死ぬまで名前はなく、「ねこ、ねこ」と呼ばれていたこと。漱石を英国留学中から教師には戻らぬつもりでいた、文筆で食おうと考えていたこと。「吾輩は猫である」は何か書いてみたらと勧められて「ホトトギス」に連載したこと。

 しかし解せぬのは帰朝後教師はやらぬと言ったのに、帝国大学で講師になったことである。しかし妻鏡子に対して、留学中家庭に対する細かい指示、弟子に生活の面倒、就職の斡旋と、生活基盤の確保を大事さを説くのだから当面生活のためのと考えて講師をしたのだろう。だから朝日新聞に入社したのもわかる。帝国大学の教授と、流行作家どちらをとるか、作家をとった。俗物なら帝国大学教授をとっただろう。仮に教授になったとして二足の草鞋を履いたら、先達に小泉八雲がいるから二番煎じか。

 友人正岡子規の病状悪化の中での英国留学、弟子にお父さんになってください、留学中のホームシック、子規との友情、弟子の就職あっせん、留学の気遣い、ごくごく普通の面倒見のいいおじさんという印象を持った。それに比べて鴎外は堅い。しかたないか。

 夏目漱石、森鴎外どちらも文豪である。夏目の文豪は文豪と言う看板をテレビの上に置いて眺めてもいいが、鴎外の看板は床の間で眺めねばならない。思わぬ漱石さんに出会う事、畢竟。面白い。おちゃんの中では漱石さんになった。

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居場所作り

2009・8・24

 8月22日、8月23日はワークだった。この頃読む本はほとんど貧困に関するものばかり。住むところ、働くところ、居場所(家族、仲間話し相手と理解してほしい)がなくなれば、精神科の外来である。失業者、精神障害者、ホームレスにしても居場所づくりは大事である。この大事さは「反貧困」に湯浅さんが書いている。外来に訪れる3条件は精神科医が言ってるから、本当だろう。

 その中で弘前カウンセリング研究会は何ができるだろうか。ただお話を聞く、来談者がお話しする、その場を提供することしかできないが、しかしそこでいい。悩み、不安という荷物を少しでも軽くできたらと思う。昨日そんな話が自然と出た。しゃべり場、居場所それでいいではないか。そこで共感できるもの、各自が経験したことが誰かの力になるのであればそれでいい。

 精神疾患になった方も積極的に居場所づくりをしてる(そのような方は元気で活動的)。活動してることで精神的な辛さを忘れることが出来るという。精神障害者への雇用も精神衛生上良いという。ただ黙っていることが大変良くない。高齢者が家の中ばかりにいると痴呆が進む。話す、体を動かす、外に出ることがいかに大事か。これは失ってみないと分からないと思う。

 貧困の話から現代人は、生活の知恵、生活の技術がなくなった。貧乏になっても常に消費しなければならないという話になった。これが30年以上昔だったら、お金が厳しい時は、母親が作った服、編んだセーター、父親が電気製品の修理、大工仕事。倹約という意味もあったが。技術がないから節約出来ない、当座の間親の技術の頑張りでしのぐという事が出来なくなった。出来るのな食費を減らすか、親が食事を減らすしかできない。悲しすぎる。

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貧困

2009・8・22

 今日お勧めの本は、中高生、中高生のお子さんを持つ親、中高の学但及び大人の方々に読んでいただきたい。ぜひ読んでいただきたい。今までいろいろな貧困、労働に関する本を読んでブログで紹介してきたが、今回の本は対象年齢13歳以上、内容がコンパクトにまとめられており、現状の労働環境、雇用、労働に関する問題、今まで見えなかった、見ようとしなかった貧困について書かれている。

前に絶対貧困について書いたが、今の日本で問題になってる貧困は相対貧困にあること、ネットカフェ難民、ホームレスの問題にしても、個人の問題にしてきたが、もう個人の問題ではないこと今の日本ではいつ、だれでもがなってもおかしくない。最大の原因は個人にも問題はあるがこのお国の福祉、教育に対する予算、感覚の低さにある。また国民も一億総中流化の感覚でまだいる、その感覚から抜けてないからホームレス、ネットカフェ難民に対して偏見を持っている。多重債務者に似しても。貧困ビジネスにしても、ビジネスを起こす方も悪いが利用する方も悪いという他人感覚。しかし現状は貧困ゆえに貧困ビジネスを利用しないと生活できない矛盾である。

 子ども向けに書かれてるとは言え、リーマンショック、アメリカの金融のヨーロッパ諸国に比べての特殊性など大人も今まで知らなかったことも書かれてる。著者は貧困について子供たちに特別なものではないこと、特別な人がなるものではない、偏見を持たないこと、われわれは今の社会、現状を知ることの重要性などを説いている。また多重債務、サラ金問題を専門として弁護士活動を続けてきただけあって、安易にカードローン、サラ金ローンに手を出した時の恐ろしさも書いてある。

 まず現在の貧困問題に対して正しい知識を持ち、他人事ではない、その中で子供たちは自分の人生をどう考えるか、人生のスタートラインを切る前の子供たちには読んでほしい。親御さんも自分の子供がワーキングプアにならないという保証もないこと、個人の問題ではない、偏見を持たない正しい知識を持っていただきたい。簡単ではあるが救済機関、相談機関も巻末の載っている。

 もしおちゃんが中高の教師で学但なら課題図書にして感想文を書かせたい。社会の授業、道徳の授業に使ってもいい気がする。しかし文部科学省は良い顔しないだろう。

  

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子育て小児科医の助言

2009・8・18

 「子育て小児科医の助言」は良い本だが今、岩波書店の新書のHPを見たら重版未定になっていた。アマゾンであるが中古品。探すとすれば古本屋か図書館である。おちゃんも松田道雄の本探しはもっぱら古本屋である。

 やさしい本である、著者自身の幼い日の思い出、経験から説くので親の気持ち、子の気持ちに寄り添うように書かれている。おちゃんもボヘミアンが赤ちゃんの時何回も読んだ、親ならば子供のことで心配になることをやさしく、親を諭すように書いてある。参考になったのは離乳のところ。赤ちゃんが欲しがったら始めてよい、食べたそうな顔をする興味を持ち始めたら始め時、時期なんて限定する必要もない(早いより遅めが良い、あまり早いとアレルギーが心配、なんて情報、昭和書和31年の育児書に出てた)。ボヘミアンは一日2食から始めた。一日1食で食べてくれなくて腹をたてる位なら、2食なら1食は食べるだろうと思って2食から始めた。卒乳は自然に任せた方がいい。何歳とは限定してない。いつまでも母乳に吸いついて離れないのは心配だが、いずれ離れる、いくつとは言えないが離れる。ボヘミアンはなかなかおっぱいから離れなくて、山田先生も育児上いつまでもおっぱいにしがみついてるのは問題といったけど。周りから言われたが、ボヘミアン自体が離れないので、この本を信じて小学校までには離れるだろうと思ってたら、離れた。おっぱい小僧(ボヘミアン)の写真はたくさんあって、ボヘミアンは見たくない写真。

 赤ちゃんの発達に任せればいい、親から何カ月になったから、何歳になったからと決めるのではない。昨今は期間限定、いくつになったらアーしろ、コーしろと区切りすぎる。今ボヘミアンは思春期である、「性のめざめ」の項、父と息子の葛藤、著者も父親とすごい葛藤があった、うちの親父はひどい、他の親父と違うなんて一人合点。著者は1923年生まれ戦前の話、今の世の父と息子と変わらない。多少の葛藤は当たり前、ない方がおかしい。おねしょについても書かれてる。病院を渡り歩いてうちに自然に治ってしまうと。

 おちゃんはこの本のおかげで相当開き直って、あまりくよくよせず、ボヘミアンを育てた。確かに心配はある、しかし子の成長ととも心配はしなくなる、なぜだろうと考えても分からないが、たぶん余裕が出てくるからだろう。今の育児は重箱の隅をつつくようで、細かすぎる。もっとアバウトでいい、自然でいいと思うが。しかし今の親は両極だから、細かい方がちゃんと育児をしてると思いこみ、自然はネグレクトと勘違いするかもね。早い話が余裕がない、溜めがない。

 松田道雄の本とともに、お勧めできる本です。

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爪痕

2009・8・17

 今月は月始めから本についてばかり書いた。今は貧困に関する本が多い、結局自分の回りで何か起きると、悩み、考えてるとき本を読んで解決する癖がいつの間にかついたのかもしれない。貧困というより将来に対する不安から読んでるのかもしれない。

 8月15日高校の同期会に行ってきた。老けたな、はげ、デブ、白髪、しわ、全然変わらない奴もいる。高校のころは美人な女の子には影で「かわいいな」と言ってたのに、「相変わらずきれいですね」なんて図々しく言えるようになったやつ、「あのね、中学校のころから好きだった、初恋の人なの」なんて50歳過ぎてからこくる女、今になって言えば問題はない。しかしそれを聞いた旦那はどう思うかな、大恋愛をして結婚したのに。初恋の相手まだかっこいいし。

 どういうわけか幼稚園から高校まで一緒での奴、ボヘミアンが小学校に入学したときも父兄としてまた再開。幼稚園の時はかわいいお坊ちゃんだったのに、今はただの親父。現実と青春という過去が錯綜した。多少の懐かしさ、できるなら高校のころに戻りたいなと思った。しかし帰るとちゃんはビールを飲んでいた、ボヘミアンは遅く帰ってきてと面白くない顔をする。まーこんなものだろう。

 なんて少しセンチな気持ちで、ジェロくんの新曲「爪痕」のPVを見てたら、30年前に頭がタイムスリップ。この曲を聴いてたら懐かしいどこかで聞いたような感覚になった。因幡晃、大塚博堂を思い出した。因幡晃は女言葉で歌ったらすごくうまいし、泣かせる、実際このおちゃんでもグッと来る。大塚博堂は知らない人がほとんどだろう。しかし布施明も歌った「めぐりあい紡いで」を歌っている。おちゃんは大塚博堂のほうが好きである。コンサートにも行った。因幡晃、大塚博堂もちょうど32,3年前はラジオから流れていたし、因幡晃はヒットを飛ばしていたころである。

 ジェロくんの歌い方はどちらかと言うと因幡晃に似てる感じ、」しかし三人に共通するところは女言葉で歌えば絶品である。他の男性歌手が女言葉で歌うよりグッと来るのである。ジェロくんには昭和30年代、40年代、50年代初頭の歌がよく似合う。一番日本の歌謡曲が元気な時代、誰でも歌える曲、いつまでも忘れない曲が多かった時代である。

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反貧困

2009・8・14

 いろいろ最近の労働関係の本を読んだが、やはり貧困の問題を真剣に考え、最低限の保障、食べることができない、寝ること場所がないことは人として生きる権利を奪う。法整備とか何とか悠長なことを言ってる場合ではない。今できることは何か、誰でも現代は野宿生活に短時間で入ってしまう。今の日本では食う事だけには困らないとか、戦前のようなひどい貧困はないとか良く言われたが、貧困が見ようとしない、見えなかったから分からないだけ、自分の生活の感覚で考えるから、真の意味での貧困を理解出来なかった。逆に貧困へ落ちて行く人を自己責任という捉え方しかしてこなかった。おちゃん的に去年の暮の派遣村の光景を見たとき、易々と路上生活者に転落していくのは、個人的に様々な問題を抱えているからこうなる。故郷に帰ればいいとか、友人を一時的にでも頼ればとか考えていた。しかしこの考え方は当事者を追い詰めるだけで、安全圏にいる人間の高みの見物的発想でしかないと今は思う。現代日本の真の貧困問題を教えてもらった、この本で。

 国のセイフティーネットを強くせねばと言うが時間がかかる、ならば今できること今後すべきこと優先順位をつける、小さな声でも、人が集まれば大きなものになる、それを著者はいろいろな分野の人々と結んで、2007年に反貧困ネットワークを結んだ。 将来的には真の意味での最低限の生活の保障である。現代の日本では真の意味での最低限の生活の保障はされていない、それどころか逆になっていく、最低限の生活補償の切り崩し、母子加算の廃止とか。生活水準の切り下げ、労働条件の切り下げ、もっと苦しい人がいるという発想。しかしそれは外から見てる人間が言う事で、渦中の人間は限界に近い状態、限界を超えた状態で生活、労働をしてる。内容が少しそれるが著者は貧困の背景に五重の排除をあげている。

1 教育課程からの排除

2 企業福祉からの排除

3 家族福祉からの排除

4 公的福祉からの排除

5 自分自身からの排除 何のために生きるのか、働くのか、当たり前のことが見えない

                            (岩波新書「反貧困」から抜粋)

 教育、福祉に関する知識のある人はなんとなくわかるだろう。ただ単に何も知らず真面目に生きてる人が、この五重の排除を持ってる人が貧困から抜けることができない、最大の被害者である。この中の1個か2個の排除は何とかなる、3個以上はどうしようもない自己責任で済む問題ではない。著者は「溜め」という言葉をこの本の中でよく使う。「溜め」とはゆとり、余裕と解した方が分かりやすい。たとえば今仕事がないけど雇用保険を申請する、貯金で暮らす。一人暮らしができないので実家に行く、子供を実家で見てもらう、この溜めをどれだけ持ってるかである。当然各人の性格、考え方もおちゃん的には溜めにいれたい。余裕をもって考えられる、物事を観察し、冷静に判断する能力である。経験値も溜めである。おちゃんは著者の「溜め」という考え方に大いに共感する。おちゃんは現代日本はゆとり、余裕がないと思ってる、著者もそれを言う。また著者は居場所の提供にも力を入れている、人は繋がっているという考え、感覚が大事である、繋がってるというだけでどれだけ救われるか。孤独、孤立してるという感覚はどれだけ人を精神的に追い詰めるか。誰もが路上生活者になる時代、昔に比べてなる確率が高くなってる社会構造、そうさせようとする国、他人事ではありません。

 もしならないようにするにはと言われれば、おちゃんは社会のこと勉強して、知識武装、精神的健康に力をいれてくださいとしか言えません。自己研鑽と真の意味での自助努力、自分のためにしてください。本当に勧める本です。

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続心療内科

2009・8・10

 著者は日本にはじめて交流分析を紹介、この本の初版は昭和48年、その約10年前に九州大学医学部に心療内科を発足させた。内容文章表現は少し古いが、自律神経のアンバランスによって様々な病気を引き起こすこと、薬に頼りすぎること、薬の大量投与など、現代でも問題になっていることを30数年間から述べていた。と言うよりこの国では30数年たった今でも、現状が変わっていないのかもしれない。この点については「こうすれば病気は治る」の著者が現代において、述べていることと同じである。

 この本の内容は交流分析(エゴグラムと言った方が理解が早い)、その他精神療法、カウンセリング、自律訓練法など、今は割と馴染みのあることが述べられている。今はメンタルヘルスの重要性をだれでも理解するが30数年前は専門家、一部の人しか興味を持たなかっただろう。今はどこにでも心療内科があるが、どのようにしてでき、本来の心療内科とはどんなものだったか、知ってもらいたいからである。

 「親のボケに気づいたら」の著者も、心療内科は心理的な影響を受けやすい身体の病気と言っている、しかし現代は精神、神経科と心療内科の区別があいまいになってる、というより患者自身は同一視してる、本来は区別があった、この本を読むとそのあたりがはっきりする。メンタルヘルスという言葉が誤解を生んだのかもしれない。精神、神経という言葉を嫌がるから、メンタルヘルスなる言葉でぼかされてるが同じなのだが。

 内容は自己コントロール、交流分析、自律訓練法と多岐にわたってる、おちゃん的には内容テンコ盛りすぎる感があるが(だから逆に分かりづらい)、30年以上前の書かれた、著者のいってることは現代にも通じるので温故知新で読んでいただきたい。

 著者は心身医学の立場から宗教的治癒も否定はしていない、可能性もあるという。しかし注意点を3つあげている。(続心療内科から抜粋)にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
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1 信仰によって治る病気の多くは、神経症や機能的な身体病変と思われる。信仰を万能と考えるところに危険が伴う。

2 教祖,教会に対して強い依存状態ができる。治癒したように見えても、教会、教祖から離れることの不安が伴ない、離れることのできない状態になる。

3 信仰による治癒の実態が見落とされ、教祖に霊能があるように思い込み患者の人間的成長が妨げられ、迷信のとりこになう。

 なるほどと思う。今でも精神疾患に対する偏見は強い、時代が昇るほど偏見という色は強くなる。30年以上前はもっとだろうそれより前はもっと。だから著者の文章からは現代の精神科医が書く文章よりも、ヒューマ二ズム、啓蒙しようという空気を感じる。

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ネイティブ・アメリカン

2009・8・8

 今までのインディアンに対する知識があまりにも少なすぎた、ステレオタイプの知識しかなかった、真の意味でネイティブ・アメリカンを知る良書である。われわれの頭にあるネイティブ・アメリカンのイメージが白人によって作られたものであること。

 読んで感じた事はアメリカは他国の人種差別、人権問題、同化政策、民族問題を批判できるかである。おちゃんでなくとも感じるのは、アメリカは自分たちがすることは正義であり、他国が同じことをすると悪なのであるなと感じた。

 読み進んでいくうちの同化政策は戦前の日本が朝鮮、台湾で行った同化政策を連想させる。 第二次世界大戦で忠誠心が試される時、1830年の「インディアン強制移住法」で住み慣れた大地を追われ環境の劣悪な辺境へ追われる時、第二次世界大戦で日系人が環境劣悪の地に収容されたこと、忠誠心を示すため日系人が軍隊に志願したことに重なる。インディアンも日本人も同じモンゴロイドであるが。同じシャーマニズムの文化圏でもある。

 劣悪な環境で伝染病によりインディアンの人口が減った。移住した土地は後年核開発の最前線になったり、産業廃棄物処分場、刑務所施設になるなど迷惑施設がくる、理由はインディアンの弱い立場を利用してる。居留地は放射能に汚染。連邦政府が1890年後半一定地域での狩猟を禁止し文化的伝統を奪い、結果飢えに苦しむインディアンには食糧の配給制度、しかしこれがインディアンの連邦政府への依存体質を作り、糖尿病高い疾病率につながる。

 この作られた依存体質がインディアンを弱い立場、差別される立場に追い込んだ原因である。それが連鎖されることによって、生きること、働くこと、すべての生きて行くという意欲、気力を奪ったとおちゃんは感じた。アメリカの人種差別は黒人だけだはないことを知るために読んでほしい。

 おちゃんが読んだ日系移民民の本も載せておく、学校の歴史の時間日系移民民のことを教えているのか分からないが、日系移民民のことを知ってほしい。排日の歴史を知ってほしい。戦前の日本では大きな社会問題になった。特にこの本でなくてもいいがぜひ知ってほしい。

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1945.8.6 広島原爆投下

2009・8・6

 今日で広島に原爆が投下されてから64年。朝NHKで中継を見る、今までなんとなく気にもせず見ていたが、今年はちょっとした思いがあって見た。記憶をたどれば小学校の時からテレビで放送してた。昔は民放も放送していたが、民放のどこも放送してなかった。変われば変わるものである。全然関係ないが、子供のころから原爆ドームを見るのは嫌い、なんかおどろおどろした物を感じて嫌だった。戦争の嫌な残酷なシーンが頭をよぎる、なんか頭に響いて見たくないと思う。ボヘミアンは今教育テレビの「アンネの日記」を見てるが、おちゃんは見たくない。親が戦争を経験したせいか、いろいろ聞いてるので実体験をダイレクトに聞いてるので、息苦しいさを感じて嫌だと感じる。夏になると思いだすのは小学1年の夏休みのドリルで、「広島に原爆が落とされて17年経ちました」という文章を読んだとき、婆さまが「もうそなるんかいな」といった言葉である。婆さまの中では昭和20年8月6日はどうだったんだろう。今になって考えると他人ごとではないと感じたと思う。青森の大空襲は弘前からみたし、見えたのである。この話は何人かの人からも聞いた。大阪大空襲では高見町の家も焼けた。

 そんなわけで「破壊者のトラウマ」を買っても何年も読まなかった。主人公は二人、広島原爆投下時起床偵察機のパイロット、マンハッタン計画に参加した科学者である。戦後二人は原爆投下というトラウマに取りつかれて、精神が破壊された。イーザリー(パイロット)は人生の歯車が狂った、本来は英雄なのに(アメリカにすれば)、原爆を落としその罪悪感に取りつかれ、刑務所と精神病院を繰り返して人生を終えた。現在存命中の1945年原爆投下人のパイロットはいるか分からないが、おちゃんの記憶では投下は正しかったという記事を新聞で読んだことがある。今日の広島の式典にもアメリカは出席してない。イーザリーは罰を受けることで、罰を受けて当然だと思う。軽微な犯罪を繰り返す、しかし精神障害なので、放免されるしかしそのこと自体イーザリーを苦しめる。結局はイーザリーのように自分も悪いといって苦しむか、あれは命令だ戦争なのだと言ってひらきなおるしかないのか、そのことで精神の安定を保つしかないのかと考えてしまった。

 科学者プライム、最初は原爆を投下したことでアメリカ兵の命を救ったとプライムは思う、しかしこの意見が夫婦の対立になり、離婚、プライムがジャーナリストになるが目も出ずいろいろあって、イギリスに渡り、徹底した無神論者から今度は原理主義的なくらいの聖書に忠実な信仰者になる。科学と宗教を徹底して付き合わせる、おちゃんはこのプライムは理解しがたい、プライムは原爆開発者だったことを隠さなかったという。核兵器に取りつかれた、しかし使えば地獄、どこで使わずに平和を求めるか、そのことを考えていたとこの本から読み取った。しかし読み取っただけで、イーザリーを理解できるようにプライムは理解出来なかった。原爆投下後のトラウマではなく(地獄のような場面ではなく)、原爆を平和の抑止力として使う恐ろしさというトラウマに取りつかれたとしか感じない。

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脳がめざめる食事

2009・8・5

 今までは健康といえば体のことであり、食事も体に良いことが多かった。しかし最近は頭の健康に良い食事ということも言われ始めている。しかし頭にしても体にしても、好き嫌いなく何でも食べることが基本であり、規則正しい生活。体調が悪くなると生活のリズムは乱れるが、精神的に病むと生活のリズムはなかなか普通に戻らない、戻りにくい。逆に元に戻れない自分に対して、情けなくなる時がある。

 頭の栄養源はブドウ糖であるが、ビタミン、ミネラル、微量金属なども重要である。頭に良い食事の本は体に良い食事の本に比べて、専門用語が多いので理解しにくい、難しいなと感じる。しかし五大栄養素、炭水化物、脂肪、たんぱく、ビタミン、ミネラルという単純な分類だけでは頭の栄養を理解出来ないからかもしれない。

 マー難しい専門用語、説明の図は適当に読んでもいいから、頭にはこれだけの栄養が大事だと知ってほしい。単にバランスよく食べるだけでなく、あまり意識しない、ビタミン、ミネラルの大事さも知ってほしい。頭の栄養バランス、頭の健康を考えることは、体にとっても良いことである。スーパーの青果、水産、畜産品売り場のポップでも「栄養豊富、ビタミン、ミネラル豊富」という漠然とした表記が多いが、DHA,、EPAなんて言葉も出てくるから消費者も勉強しなくちゃと思う。最近はビタミン、ミネラルの単独の栄養だけを取り上げる傾向があるが良くない。単独接種をすることはサプリメントでは可能、しかしビタミンの過剰摂取の害もある。栄養素というものはお互いが影響し合って(適切な表現ではないが)、理想的な比率で体内で消費される。

 栄養学と、医学はますます接近する、一般向けに読まれる栄養に関する本も専門用語が出てきてもう10数年、今後昔のような単純な内容はなくなると思う。丸元淑生の栄養、食事に関する本を読んだのは14,5年前、その時は一般向けにしては難しいなと感じたが、いまは丸元淑生風の本は当たり前。その時、トランス脂肪酸、サプリメント、イチョウ葉エキスなどについて丸元淑生はすでに書いていた。いまみんな知ってるが。おちゃんもそのころはサプリメントは何か知らなかった、「頭の栄養それ何、体の栄養だけでいいじゃない」という感じだった。しかし今後を考えると頭の栄養の重要さはますます広がると思う。そして今まであまり触れられることがなかった、ビタミン、ミネラル、アミノ酸についても知らないと本当の意味での栄養バランスの大事さは理解できないだろう。というのは余りにも単独の栄養素ばかり強調されるので、それだけで良くなると錯覚させる。そう言う事はないわけで必ず、いろいろな栄養素がお互い影響し合って機能してる。

 この手の本の先駆けとして参考に丸元淑生の本も上げておく(あくまでおちゃんの考え)、病気別に、頭、身体の病気について料理、栄養について書かれているので。

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「住みにくい県」には理由がある

2009・8・4

 結構面白くて暇つぶしにはいい本。どこから読んでもいい。右側に文、左側にグラフ、ランキングが載っており、左右2ページで一括りなので、ちょっと読み出来て時間がなくても読める。都道府県のランキングを見ながら、うーん、ふんふんと思いながら、やっぱりなとか、一人で想像するには楽しい。

 青森県と沖縄県は、失業率、最低賃金の最下位を争うが(最近青森県の最低賃金は少しランキングが上がったが)、世帯収入に占める税金の割合は沖縄県が11.3%で全国で一番低い、青森県は17.1%で25位(平成20年)、冬の暖房費を考えると自由に使えるお金は青森県は少ない。ところが貯蓄率から行けば青森県は35位、沖縄県は47位(平成20年7月から9月)、青森県民は少ない収入でも貯蓄する。なんて想像してる。

 あまり比較することばかり個人の意見として書くと、猛反撃を食らうので止めておくが、基礎学力(中学3年)が定着してない生徒の割合が低いのは秋田1位、青森8位。しかし進学率(大学)は秋田35位、青森37位。1か月の世帯収入は秋田38位、青森36位。ここまでは秋田と青森は大差がない、しかし大学の収容力指数は秋田は41位、青森は28位。ランキングも下位に行くと大差はないが考えてしまう。

 最後に重要犯罪発生数(平成16年から20年の平均)、秋田2位発生数6.7、青森13位発生数8.7、犯罪検挙率(平成20年)、秋田1位55.6%、青森27位36.7%。秋田と青森の犯罪件数は大差がないが、検挙率の大きな違いはなんだろう。なんて具合に考えてしまう。読み手によって話のタネにするか、まじめに比較検討とするかとにかく面白い本には間違いない。

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久々です

2009・8・3

 先月からパソコンの調子悪くなって、とうとう新しいのに変えた。そしたら次の日モデムの調子も悪くなる。もう6年も使うとこうなるのかな。それで本ばかり読む。

 久々に小説読む「金のゆりかご」、森村誠一の「魔少年」の数倍ワルナ少年の物語、少年が仕組んだシナリオに大人がまんまと引っかかるということが最後でわかるが、それまでだれが本当の犯人なのか分からない、犯人だなと思わせて真犯人じゃないというどんでん返しがある。それが子供とわかるが少し最後の筋立てとしては、強引過ぎるきらいもある。

 しかしこの小説で不気味なのは、英才教育で自分が天才だと思うと何でもできるという万能感、、また天才だと思っていたのに伸び悩んだ挙句唯の人という心理である。天才教育はいいのだろうかと改めて考えると同時に、ゆがんだ万能感、天才からただの人に落ちていくことの怖さ(天才だったら怖いだろうが、凡人にとっては当たり前の生き方だが)、天才という万能感からは、凡人になることは非常に恐怖であるらしい。このゆがんだ万能感は昨今の国内で起きた大量殺人にも通じるものである。今の自分はこんなものではない、もっと評価されなければならない、自分が今の理解されない、報われない立場にいるのは社会のせいだという理屈である(この心理状態事態がすでに病的なものであるが)。

 しかしもっと怖いのは天才を作ることに血道をあげることである。頭が良い事は良い事であるが、知能と人格はバランスが取れていなくてはいけない。発達途上にある子供はバランスがとれないが、頭を良くすることにばかりに行き過ぎるとありだなと思う。それ自体が悲劇である。天才を作ることに情熱をあげたが、人格を作ることをおろそかにされた少年たちは悲劇である。作った方は病に倒れ後は野となれ山となれの状態から、物語は始まり、昔は天才だった主人公の苦悩、今天才の少年たちの苦悩、天才ゆえの悲劇である。

 天才、英才教育、早期教育もいいが、発達段階に応じた教育、能力に見合った教育が一番。どこがお勧めかといえば、頭でっかちの子供の怖さ、天才から唯の人になった心理状態、天才を作ることが趣味の人間に道具として教育され、天才になれなければ捨てられるという非情さである。その心理描写が巧みである。小説ではあるが、早期教育、英才教育を考える上では一読の価値がある。ただし子どもの気持ちも考えないと、ただできれば良いそれでいいという考えは極力避けるべきであり、それができなければ英才教育はやめた方がいい気がする。

 

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