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2009年6月

無差別殺人の精神分析

2009・6・24

 秋葉原無差別殺傷事件から1年経った。1年経過してからこのような形で本が出版されるとは、意外に早いと思った。ロバート・k・ケスラー元FBI心理捜査官の本を読んだときと似たような、読後感である。重大事件の場合、加害者の生育暦まで遡る、家庭環境など。そして結論が書かれるが、その内容たるや育児書のような感じである。親子関係、親の性格、親の育児態度、経済状態などから導き出され、だからこうなったであろうと言う言う推論が出される。親になる前に、ロバート・K・ケスラーの本を読んだときは、育児は単純に大事だと感じる程度、しかし親になって「無差別殺人の精神分析」を読むと怖くなる。自分の子育てが正しいのかと。

  著者は無差別・大量殺人の6要因を挙げている(アメリカの犯罪学者、レブィン、フォックスが『大量殺人の心理・社会的分析』の中より)。

1 長期にわたる欲求不満

2 他責的傾向

3 破滅的喪失

4 外部のきっかけ

5 社会的孤立

6 大量破壊のための武器の入手

 長期にわたる不満とは満たされない自分であり、今の自分を自分を自分で受け入れられず、他者に投影し、理解されない自分を他者のせいにし、自分で自分を追い込んでゆく。エリート教育を受けたのに、何故こんなつまらない仕事をするのか、自分の人生がうまくいかないのは社会のせいとか。本当の原因は自分にあるのに、それを認めようとしない、幼児が持つ万能感を大人になっても持っている、普通は成長過程で現実の自分を受け入れていく物である。理想の自分と現実の自分、自分で調整しながら折り合いをつけて、身の丈にあった自分になる。本当の自分になる。かなり荒っぽいが、これがおちゃんがこの本から分かったこと。

 著者はわが子を殺戮者にしないためにやってはいけない十か条をあげている(本文抜粋)

1 過度の期待

2 母子密着

3 過保護・過干渉

4 欲望のすべてを叶える

5 いい子・手のかからない子を放置する

6 子供の多様な人間関係を妨げる

7 『白か黒か』の二者択一的考えを教え込む

8 危険信号を見逃す

9 世間体・体裁を気にする

10 他の兄弟・姉妹と比較する

 これを見たとき愕然とした、大なり小なりどの家庭にも当てはまることばかり、怖くなった。つまり確率的に低いがどこの家庭でも起こらないという保証はないと。おチャン的には7は非常に大事、思考的にかなり狭い考え方になるので、幅を持った二者択一の考え方をした方がいい。プラス、希望は持たなくてもいいから、絶望はしない。9は度を越さない限りは認めてもいい気がする。良くも悪くも世間様、世間の目があるからある程度の抑止力にもなる。津軽弁で言えば、めぐせー事するな、風悪い事するなである。5は度を越すと8に繋がる。かなりの核心を突いてる。

 著者は精神医療の問題の中で、DSMの問題、精神科以外でもSSRIが投与されている事を挙げている。これにはおちゃんも大いに共感するところである。薬の量の調整は精神科の医者以外は出来ない事、他科から処方された薬でおかしいと感じたときは精神科を受診すべきだが、偏見があって行こうとしない、それでドンドン悪化する。おちゃんは他科で精神薬を出すことには反対である。他科で薬が出ることで精神科できちんと受診しない人、精神科に行かなくてもという考えがあるから、精神科に対する偏見がある。本来は精神的にかなり参ってる状態なのに、認めたくない、精神科に行くほどではない、行ったら終わりとか変な考えで事態を悪くしてる気がする。

 マスコミ当たりは何故こんな事件がおきるのか、心の闇というが、この本を読んで分かったこと、原因は案外身近なところにあること。ぜひ読んでいただきたい本である、親の立場で読めば怖いなと感じるのが実感である。しかし身近な問題として、きちんと捉えるべきなので、ぜひ読んでもらいたいし、分かりやすく書かれた良書である。逆に目をそらすことが問題に目をつぶることである。

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ビートたけし

2009・6・23

 久々たけちゃんの本を読む面白い。出る人全部たけちゃんによって丸裸。特に面白いのは、毛利衛さん、戸田奈津子さん、藤田紘一郎さん、岡野雅行さん。

 毛利さんでは月面着陸のとき、アームストロング船長が、船外に出たことが問題になったこと(バッチャの話だと、船長というものは船とともに責任を全うする。なるほど船外に出るのはいけない)、スペースシャトルの中は意外と臭い。

 戸田さんは、将来的に字幕スーパーの仕事は減るだろう。しかし字幕スーパーと吹き替えじゃ見方がぜんぜん違う。字幕だと全部見てやるぞーって力が入る。吹き替えだとテレビを見る感じで、見過ごしてしまう。それぞれの違いがあって良いのになと思う。

 藤田紘一郎さん体の中でサナダムシを飼ってるとは、しかしページの始めから検便の話にはまいった。昔の検便を懐かしく思ったし、藤田さんの話は今の清潔好きはいやだろうな。究極の汚いのはセックスには笑った。清潔好きが増えるとセックスは減る、今の日本はセックレスが多い、少子化は進んでる、清潔好きも多くなったなるほど。

 岡野雅行さんは、昨日{テレビタックル}を見てたら出てた。やたら威勢の良いおっさんがでてるので、もしかしてと思ったら岡野さん。本のイメージ通りおっさん。しかし婿さんを褒める、褒める、なかなか出来ないよ、偉い。しかも養子さんにしない、その微妙な距離感が良い、普通だったら養子にしてしまうけど。

 読んでるうちに汲み取り便所、昔の検便、アポロ11号の月面着陸のとき授業を中断して、体育館でテレビを見たことを思い出した。

 しかしたけちゃんは偉大だ、尊敬する人、今でもビートたけし、ツービートの時代の頃これほど偉大な人になるとは思わなかった。毒ガスシリーズを古本屋に売ったこと公開してる、今でも記憶に残ってる一説『共通一時で落ちる、共通馬鹿』。

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親子で本を売る

2009・6・17

 昨日レース編のサイトをずっと見ていたら、雄鶏社が自己破産したという。今おちゃんもレース編をしてるが、雄鶏社の昭和35年の本を使ってる。雄鶏社の古い本は大変よく出来てる、というより昭和30年代40年代の手芸の本は大変良い本がほとんどで、ネットでも結構高額で取引されてるなと思う。

 でおちゃんも古い本(レース編)がほしくてさっそく古本屋へ。親子で読まなくなった本売り、そのお金で、親は本、ボヘミアンはゲームのソフト購入。ありました雄鶏社の昭和36年版のレースの本、2冊も買った、値段は安い1冊460円、保存状態よし。古本屋の店長は、雄鶏社が自己破産したことを知らなかった。良い本出してたのにという。しかし売った本のお金ボヘミアンに取られてしまった。ボヘミアンは自分の本が高く売れると思っていたらしいが、安かったので、おちゃんのお金を狙ったのだ。

 ところでレース編の本はなかなかでないという古本屋の奥さんが話してた。、最近はレース編の本も新刊ではあまり出ない、本屋でも見ることがない。おちゃんは老後レース編でもやろうと思っていたが、近い将来を考えると良いレース編の本はなかなか出てこないかも。そこで当分古本屋通いをしてレース編の本を集めることにした。

 帰りはいつも本を買ってる本屋によって、本屋のねーちゃんと雄鶏社自己破産してさとか、古本屋でもレース編の本なかなかでないんだってよと話すと、ねーちゃん曰く最近は手芸の本自体少なくなってきてる(出版数事態)、だから古本屋に出てこないのは手放さないからだと言う。

 手芸材料店も本当に少なくなった、ほんの出版数も少なくなった、手芸を愛するものにとってはさびしい時代になった。わざわざ手作りしなくても、良いかもしれないがソレで良いのだろうか。

景気後退貧乏料理12・キムチを使いつくせい

2009・6・16

 今日はおちゃんの誕生日、54歳だ。それがどうした、ガンバルゾー、でもがんばられない時はガンバラナイ。この頃ボヘミアンがキムチを食べるので、買ってばかりで高くつくので一度で二度食べる工夫。

★キムチ増量大作戦

●材料

キムチ1パック、白菜適当、塩、出し昆布

●作り方

1 白菜は適当なざくぎり、塩を入れて、ジッパー付きの袋に入れて、もんで浅漬けを作る。

2 キムチに1の白菜の浅漬けを入れて、量を増やす。

 浅漬けの残りに、にんにくのスライスを入れて、出し昆布を入れて食べるのもうまい。すぐ食べないで、材料を入れて冷臓庫にしばらく入れておく。他にきゅうり、にら、さっと茹でたもやし、量を増やす。

★ノレソレインチキナムル

●材料

キムチ(辛味が強い方が良い)、ゆでたもやし、ゆでたにら、ゆで卵、茹でた鶏肉か豚肉少々、ゴマドレッシング、青じそドレッシング

●作り方

1 茹でた野菜、ゆで卵、茹でた肉をきれいにさらに盛り付ける。

2 1にキムチをちょこんと乗せる

3 ゴマ、青じそ好みのドレッシングをかけて食べる

 キムチは食べたあとの汁は結構残る、勿体無いので徹底的に利用しよう。

人は見た目が9割

2009.6.11

 最初この本のタイトルが気に入らなくて、素通りしてた。しかし何となく気になってとうとう買った。就職の面接に役に立つか立たないかは、分かりません。就職にと思って、読まないほうが良い。著者は、演劇、漫画と分野が広く、演技をする場合の性格の作り方、漫画を書くときの表現から、性格、感情の現れ方を書いてる。おちゃんに言わせれば、パッと見た瞬間に相手を見抜くプロ。かなり心理学的な、見方で書かれてるので、就職用と思って読んで合格と言う向きの本ではない。そうしたい人は就職用の面接の本を読んだ方が良いと思う。

 見た目が9割と信じ、外見だけを取り繕っても、所詮無駄。しぐさ、表情、声、目に映るすべてが、見た目として評価するとしたら、いくら内容の良いことを言っても、説得力を持たない。大体話す内容はたいてい忘れる、外見は印象に残る、印象に残りたいと思えば、外見に磨きをかけ、それにともなう内容を語り、その内容に即した身振りなどの表現しないといけないことになる。総合的な外見と理解した方が良い。きちんとした身だしなみ、清潔感、好感を持ってもらう態度。しかし内面で怠ってれば、いくら外見を良くしても、良い印象はでないと思う。やはり日ごろの訓練だろう。

 中身と外見が伴っていないと、チグハグな印象を与えてしまうかなとも思う、『氏より,育ち」、『掃き溜めに鶴』、どんな環境にあっても、品格、物腰の良さがあれば、評価は良いだろう。そして洗濯の行き届いたこざっぱりとした服装。たとえば興味のない話を向けられても、本人が興味のあるフリをしても相手に興味がないのが伝わる。逆に興味がある話だと、ポーズ、声のトーン、表情が変化して、あー興味があるんだなと相手に伝わる。ここまで外見かいと言う人もあるだろう。しかし著者はここまで外見としていると思う。目に見えるものすべてである。

 よく化けの皮がはがれる、ぼろが出ると言う、ホンのちょっとしたとき出る。落差がなければ良いが、落差が大きいと困る。評価が良くなれば良いが。なんてことを考えてるとビクビクして生きなくてはと考える。結論よりよき自分を自分で作り、後ろ暗いことはしないことである。自分で自分にウソは付かないことかな。

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絶対貧困

2009・6・9

 面白くて一気の読んだ、ただ胸が切なくなる。想像を絶する環境と貧困の中で生きていく、その中でも生きていこうとする、生きていこうなんて生チョロイ物ではない。今命があるから生きてる、だから生きてる、何でもやって生きていく。日本人の感覚は危ないとか、法律に触れるとか、正義じゃないとか、偽善だ、だましだと思うだろう。しかし生きるという力の前では、そんな理屈は逆に邪魔になる。

 ギリギリ状態の環境におかれて生きることは、そんな理屈は邪魔になる。理屈を捏ね回してると、死んでしまう、どうであろうと生きるというエネルギーだけになると人は、どうやっても生きル、生きるというパワーはすごい。正しいとか、正しくないとか関係ない。ただひたすら生きる、命の限り。

 だったら滅茶苦茶かというと、スラム、貧民街、その社会のルールがあってうまく機能してる。本では主に東南アジア、インド、アフリカを取材してるが、世界中のどの国でも、どの時代でも存在してるし、存在していた。いつのときも国の為政者は、スラム、貧民街を良しとせず、追い立てる、囲い込む、とにかく見えないようにしてきた。新しいところでは北京オリンピックの時の中国、ソウルオリンピックのときの韓国、明治の日本ではアジアの一等国になるべく、貧民、乞食、放浪芸人の囲い込みである。

 ただ許せないと感じたのは、ストリートチルドレンを使って、売春、物乞いをさせる、犯罪ビジネスが存在すること。この犯罪ビジネスがなくならない限りどうしようもないと思った。またゲリラ組織に兵士集めにストリートチルドレンが対象になってること。怖いのは、命が大事だとか言う理屈が通じないので、子供の兵士が一番怖いこと。簡単に人を殺すということ。しかしこのことは中国の文化大革命のときも、紅衛兵でも怖いのが10代、ポルポト時代のカンボジアでも怖いのは少年兵。おちゃん的に考えれば、思春期の子供って、二者択一の思考をしてしまうので、これが良いと言えばそこに突っ走って、知恵とか教育も中途半端だからあまり考えない、高々10何年の経験しかないから、良いと思えばどっぷりつかってしまう。おちゃんの経験から言っても、子供って残酷。というより子供時代って残酷。おちゃんの経験から言うと、中学3年くらいまでかな。中学3年まで、かえる、ニワトリの解剖平気だった。気味悪いより好奇心の方が先だった。

 非行問題にも関係するんだけど、思春期のある時期まで、きちんと教育しないと駄目、家庭環境もそこそこにしてないと。年端も行かないうちに、悪につかるとそれが当たり前だと考えるから。家庭環境が劣悪な子が非行に走ったとき、たまたま普通の子が非行に走ったとき、非行からの抜け方、その後の人生ぜんぜん違うから。

 確かに物乞いは人の同情心を引いて、それがひどければひどいほど同情を集める。同情心を利用してるからいけないとも言えない。世の中は同情する人、される人が入るから生きていられる、もしそれがなかったら、みんな死んでる。宗教じゃないけど、誰もが持ってる意識はしないけど、慈悲とか、喜捨の心があるから生と死のギリギリの際でも何とか生きてるのかなと思う。お互いを支えあうルールかな。

 正論を言う人はいるけど、それが正しいのかなと疑問に感じる。確かにこの本に書かれてる最貧困を一気になくしてしまおう言うのは分かる。大事なのは、この本の書かれてる人たちの目線で考えないと。子供だけに関して言えば、絡み合った糸みたいに複雑でどうしようもない。でも子供には未来がある。子供だけは何とかしたいなと思う。時間かかるなー。

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久々レース編

2009・6・7

 ボヘミアンのベストは卒業式までになんとか間に合わせた。しかしおちゃんのセーターはとうとう間に合わなかった。バッチャのことは一山超えたし、本も読みすぎで、頭がうに状態なので久々レース編。本の作品は二つ作ってみた。写真で言えば33ページ、35ページ、小物である。早く付く手見たくて作ってみた。出来上がりは思っていたよりゴージャス、結構使い勝手は良いだろう、持ち手つきなので物は入るが、持ち手の部分は鎖編なので、軽いものを入れたほうが良い。

 作品的には特にテクニックが高度なものはないがモチーフ自体が難しいものもある。一応初心者からもできるが、立体モチーフの場合、編図だけでは説明が足りない気がする。おちゃんも最初に立体モチーフを作ったとき、編図どおり作っても、立体的に成らずやっと作った。昔から立体モチーフに関しては編み図だけでは説明が足りないと感じてる。

 モチーフの最大の魅力は少ない量で作品が出来る、あまった糸の再利用、色、モチーフの組み合わせで個性的な作品が出来る。ドイリーは大きなモチーフであれば一枚でも良いし、小さめなら3枚、4枚組み合わせてできる。ただバッグの場合、編地で持ち手を作ると伸びてしまうので、多少高くても持ち手を手芸店で買ってつけたほうが良い。

 この本で一番気になったのは、手さげを作りまちの部分の寸法の段数が書いてないこと、ただ寸法だけ書いていても、初心者は分からないだろう。段数を数えながら、モチーフとまちの部分を編みつないでいくので、少々不親切な気がする。

 モチーフは壁掛けとか、発想法でいくらにも変化するので、初心者には打ってつけであると同時に、小さい作品ながら高度なテクニックを学べる。どうしても大作を作りたくなるが、基本テクニックだけで作っても面白くない。それなら高度なテクニックは小品から始めて、大作に挑戦した方が良い。小品でも高度なテクニックを使ったものは良いものである。またいろいろな色を組み合わせて、レース編をする時も、モチーフからはじめると、経済的。

  作品はどれも作ってすぐ使えるような作品も多い。これはすごく良い。よく作品的には良くても使いにくい、特に手さげは伸びたるするので、見た目は良くても結局使わないで終わるときもある。小品はプレゼント向きである。おちゃんも33ページ、35ページの作品はプレゼントに作った。

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生涯発達の心理学

2009・6・3

 良い本です。初版が1990年、古いと思うか、そうでないと思うかは別として、中高年の能力、知力は衰えるものではない、人は最後まで進化するということです。おちゃん的には20年前なのでデータ的に不足もあるという感がある。内容的には、ピアジェに始まる、発達心理学的な記述が多く、中高年及び老年期の記述は添え物の感があるが、現在ほど高齢者に対する関心は高くなかった時期(介護保険制度前)、高齢者は知的に衰えるものではない、滅び行くものではない事を一般向けに書いたものとして評価したい。この時期は高齢者の社会的入院が大きな社会の問題、高齢者の在宅介護の困難さなどから、介護保険を導入するかどうか検討されていた頃かな。

 まーその頃から今を比べると、老人に対する理解、精神的ケア、心理的なものが一般にも理解されるようになったが、まだまだと言う感じ。年齢が行くにつれて身体能力、体力は落ちるが、適応能力、知的能力が落ちるかと言えばそうではない。個人差もあるが人は最後まで知的好奇心はあるし、経験として培ってきた能力は衰えない。逆にそれを用いて次のステップに行くことが若いものより長けて入る。まして長い人生、エキスパートとしてやってきた分野は高齢になっても、衰えないこと。確かに経済的には、低くなるが自由に使える時間がある。エキスパートとして生きる。しかし誰でもがエキスパートになれるわけではないが、子供を含めた人のネットワークを多く持つこと、自尊心を持つこと、意欲を持つことが充実した老後を送られる。今だったら当たり前だろうがといわれるが。

 しかしまだまだ中高年老人に対する偏見は多い。体力、適応力はない、身体能力、知的能力はないと雇用の場面でも敬遠される。しかしそうだろうか、身体能力、体力は低下はするが、知的能力はそうでもない。まして人は本能的に知識を欲するものである。老人本人はそれほど年を取ってるという感覚はない。周りが思い込ませてるだけの気がする。周りが思い込んでるだけ。常軌を逸したがんばり方をする人は別として、意外と自分の能力を知って、自立した生活してる老人がほとんどだと思う。

 結論、長い人生で養った知識、技術はそう簡単に衰えない。知的能力も培ってきた分野のものならば若い者に負けない。興味のある分野、好きな物への知的好奇心は年に関係ない。しかし常軌を逸したがんばり方はストレスになる(心身上良くない)、加齢になる部分を認めつつ年だからと決め付けないことが良いのかもしれない。

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やっと見つけた

2009・6・1

 ボヘミアンと古本屋へ行ったとき偶然見つけた。松田道夫氏の本である、現在氏の本はネットで検索して著書名はでてくるが、入手は困難であるらしい。仮に入手してもほとんどただみたいな値段である(岩波新書がほとんど)。現状としては評価が高い割に、入手が困難、限られた本しか見ることが出来ない。手には入るが馬鹿みたいに安い値段で、良書がこんな値段で扱われていいのかと腹が立つ。

 おちゃんは300円で買った。1965年初版、1968年代5版である。今回読んでみて感じたことは、現在問題になってる、閉ざされ空間での母子密着型の育児、自分の子供にしか感心が行かない、他の子供は関係ないという親の考え方。保育所に預ける母親に対して、もっと医療機関がなすこと、子供が病気になったときでも、母親が心配なく働けるように、保育所と医療機関が連携すること連携するセンター構想の提唱は注目に値する。現代は当たり前だが、かなり革新的な意見だと思う。企業もそんな母親に理解を示すようにと。企業ももっと子を持つ母親に理解を持つこと。子供を保育所に預けて働く母親に理解を示すこと。企業はただ儲けるだけではいけない事。今は(昭和38,9年の時点で)、金儲け主義、消費だけに熱中してる。子供はいい教育を受けて、いいところに勤めさせると言うこと、戒めている。この時代の母は弧母1代目である。

 この辺りから孤母の問題が出始め、松田道夫氏は弧母の関係は注意して入る。松田道夫氏が指摘した問題は現在も続いており、この本の書かれた時代より悪化している。企業も最近ここ十年くらいから、育児に対して理解を示すが、現実としてはまだ不十分である。また松田道夫氏は子育てのため、母親が仕事を断念することは勿体無いことであり、子育てしやすい職場環境を作ることが良いという。45年も前から、小児科医の立場で指摘されていながら、なんら変わる事がなく最近になって改革しようしてる、この国の認識の遅さにびっくりするとともに、松田道夫氏の先見性の目にも驚く。

 保育所は単に子供を預かるだけでなく、集団保育でなければ出来ない教育をするべきで(家庭で出来る教育、保育所でなければ出来ない教育がある)、保育士ももっと誇りを持ってほしいと言う。若い人には理解できないと思うが、おちゃんが子供の頃(昭和37年頃)は、保育所は共稼ぎの子供が行くところ、共稼ぎの家庭は良く思われなかった。保育所はあまり教育しないところという印象があり、幼稚園より一段低いと言うイメージがあった。母親が家に入るのが当たり前で、親が家にいないことは変に思われた。幼稚園は教育の場であり、保育園は単に保育の場であるというイメージ。保育時間が長いこともイメージとしてよくなかったらしい。今とは全く逆で、幼稚園も保育時間を長くしてるし、保育所もいつの時点か分からないが、教育に力を入れるようになる。現在は幼稚園も保育園の差があるのは、夏休み、冬休みあるかないだけ。しかしこれも幼稚園が拘りすぎると幼稚園は存続していかない時代である。

 おチャン的には、昭和30年代は今言うほど良い時代ではない、今の子供と変わらないと感じた。おちゃんがまだ幼稚園か、小学校の低学年なので分からないだけ。おちゃん的には空き地なんかは結構あった気もするが、松田道夫氏に言わせると空き地は少ないという(ここら辺が世代の違いか)。この本が書かれた時代は政府の方針は幼児の教育は家庭でという方針で、集団保育と家庭保育の違いを子供に経験させるべきであるという、松田道夫氏にすれば、集団保育の後退を危惧したのかもしれない。また女性も子供だけに関わってしまうと身勝手子育てになるし(子育てにおける孤立、悩みの発生)、女性も社会に出て働いた方が良いから、女性を家庭に引き戻すことは良くない。

 今だったら、政府の方針はお金がほしいから女性に働いてもらわないと困るから、女性の保育の為にいろいろな施策を講じてる。早い話が、金儲けの手段として、教育方針をころころ帰ることに松田道夫氏は怒ってるのである。45年以上も前に書かれた本であるが、現代でも十分通用する内容である。しかし45年経った今もあまり変わっていないこの国の遅さにはあきれ返る。

 松田道夫氏は男尊女卑というこの国独特の思考に対して呆れてるわけで、今だに男尊女卑がまかり通ってる。国の方針をもっと子供、女性、老人寄りにするには、男尊女卑の政治家は引退してもらうしかない。しかし思想信条の自由があるから、男尊女卑の意見のある方は堂々と述べれば良い。当選したいからと、うそを言ってはいけない。

 できれば再版してもらいたい本、是非にと願うしだいである。

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