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2009年4月

親の「ボケ」に気づいたら

2009・4・27

 昨日バッチャ退院、早速喧嘩、つくづく親子だと思う。今日はケアマネ、通所リハの担当者が来る。バッチャの自力歩行の距離の長さにみんな驚く。たぶん前に出した状態より良くなったので驚いたのだろう。しかしミスター整骨院の話では良くなったと思うのは間違いで、見掛けの状態だと言う。いづれ介護度の段階は上がっていくだろう。安心は出来ないって事だろう。

 「親の「ボケ」に気づいたら」おちゃんが今まで読んだ介護関係の本で一番いい本です。ぜひ読んでほしい、介護をしてる家族はどうか分からないが、今、介護保険の申請に悩んでる人、ちょっと介護保険を勉強してみよか、打ってつけの本。

 非常に読み易い文章表現も魅力ですが、架空の家族のアルツハイマーの発症の始まりから、終末期まで書かれており、進行の段階に応じた解説は大変ためになります。介護保険の申請から始まってるのでいろいろな本を捜して読むより、この本を読んだほうがいいと思います。それからいろいろな本を読んだ方がいいです。またエピソードとして載っている事例は非常に参考になります。ほとんど無駄がない本なのでぜひ一読を。

 介護をどうしたらより楽のできるかは、情報をどれだけ集められるか、痴呆と言う物に対してきちんと向き合う事から始まると思います。また本書では早い段階のショートステイを勧めていますが、なるほど思います。在宅介護を楽にする人はショートステイを旨く利用しています。在宅での介護者はショートステイを利用することで休息するのですから旨く利用するべきだし、弘前あたりでも土、日の通所があるのでこれを利用しない手はないです。半日楽できるだけでもかなり違います。おちゃんがヘルパーの資格を取った頃は、通所はほとんど月曜日から金曜日。ショートステイのベッドも確保が難しいと聞いていましたが、今はどこもショートステイを売りにしてるので、入所は難しいので在宅とショートを両方利用してるみたいです。入所は待機が長いのでショートで乗り切るしかない、ショートをしながら待機のようです。

 何のかんのと言っても、介護保険はいい制度です。旨く利用すべきです。原則は在宅ですが、入所するか、在宅にするかは家族に委ねられるべきで、何が何でも在宅に持っていく方法はどうかと思います。著者もそういう考えです。在宅の辛さは介護技術ではありません、精神的な辛さです、その辛さを分け合う者がいるだけで違います。人のネットワークです。著者の言うとおり在宅の経験者の話が一番参考になります。おちゃんも今回のバッチャの介護は、在宅経験者の話が一番参考になりました。

 在宅は先の見えないトンネルと言います。まだ在宅を始めたばかりなので何とも言えないのですが、良い時もあれば、悪い時もある、天気予報みたいな物じゃないかと思います。ミスター整骨院(リハ専門の介護職も担当、おちゃんの介護の師匠で、おちゃんは夫婦で患者でもある)に言わせると甘いと言われるが。しかし脳血管性の痴呆の方が攻撃性が強いとは知りませんでした。この本にも書かれてる事例にもあるように、予想していたよりすんなり受け入れてくれるときがあります。心配した事があほみたいと思う場面にも遭遇するときもあるので、心配するよりは実行した方が良い時もあります。心配しすぎて時期を逃したかな思うけど、案外よい方に向かったり、やってみないと分からないですね。

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バッチャ退院

2009.4.25

 昨日バッチャ退院のカンファレンス、ケアマネ、社会福祉士、精神保健衛生士、介護士、ドクター、思った以上の回復。自力歩行のスピード、去年より速くなった。いまだに便に固執するので心配と言ったら、ドクター暇だから、薬に依存する投薬管理は自分がしたがる、それは暇だから。早い話が暇だから碌なことを考えない。老人の場合は環境の不適応が夜間せん妄、妄想などの書状を呈する。しかし刺激が極端に少ないと身体機能、精神機能は衰えるので、適度は刺激が必要となる。デーケア、デーサービス。大概は何で自分がと抵抗するのは聞いたが、時間とともに慣れてくる。あれこれ心配はあるが心配したとこで何の解決にはならない、とにかく出せ、出せば出した分の得はある。

 年齢に関係なく引きこもりの状態は良くない、とにかく動け、精神障害で入院した人、精神科医も取りあえず動け、動けない上体で無理に動く必要もないが、動けるとこまで動く。逆に動けない状態で無理して動く、動き過ぎも良くないわけでバランス感覚である。しかし人間は絶えず進化してるので基本はやっぱり動くこと。疲れてボーっとしてるのと、する事がなくてボーっとしてるのは意味が違う。何かする事がないかと捜す頭を持たねばならない事。

 今後も何だかんだと抵抗するのは分かりきってるが、本人主体でここまで来て混乱を起こした。もう二度と御免という気持ちがある、もうバッチャの抵抗運動は認めないが、本人の頭の中では抵抗運動を考えてるかもしれない。しかし多勢に無勢である。おちゃんには見方が大勢いるわけで、おちゃんは連合軍としてバッチャと戦う。バッチャには白旗を揚げてもらう。これくらいの気構えがないと、抵抗する、自分の思うとおりにしようとする老人とは戦えない。

 中途半端な同情、やさしさがあるから、本人主体の変な介護になると思う(経験上)。現在の状態を維持して行こうと言う気持ち(状態が良くなればいい事であるが)、家族、本人も介護疲れ、苦労をしたくないと気持ちがあれば、最初の苦労はあるが長い目で見ればいいほうへ向かう。まだいいとか、本人もその気が無いとかでズルズル延ばすのは状態が悪くなるだけ。悪くなれば介護の手間、金銭的な物も多くなる。

 在宅は外部の人の力を借りるので、ある程度家庭の中を開放すると言う、しても良いと言う考え、一人で抱え来まない、悩んだら相談、介護保険制度を旨く利用する。大事なことは支える家族が潰れない方法を選ぶこと、家族が潰れたら終わり。

 バッチャの頑固さは、社会福祉士があまりの頑固さで泣いた(ハリセンボンの結核にならない方の元気印)で積極的介入する方が泣くくらいの頑固であった。しかし自分はこうしてられないと言う気持ちと、周りの支えでよくなったと思う。悩むより実行、行動である。

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良い人

2009・4・24

 昨日清水由貴子さんが介護疲れで自殺。今日は草薙剛君が裸で、公然猥褻で逮捕。イメージ的に二人とも良い人、誰にでも好かれる、多少の不満も我慢して柔らかく対応すると言うイメージ。疲れてたんだろうなと思う。きっと良い人と言う仮面をはずせなくて、限界点に来たような気がする、本当の自分を出すことが難しいかったのかなとも思う。

 本人の性格もあるだろうが、生き辛いと感じたときは無理をしない、無理に無理を重ねても良くない。ちょっと生き抜き、心に貯まった事を聞いてもらおう、なんて知ったかぶりみたいなことを言うが、良い人でいる事は辛かっただろうな。何故良い人でいる事は辛いんだろう、回りから良い人と言う枠をかぶせられると、その枠を破ろうとすれば楽だったろうと思うが、枠を敗れなかった、破ると言う勇気を出すことが怖かった。かも知れない。

  人は誰でも良い人と言われたい、良い子になりたいと思う、しかしそんなイメージを定着するとどうだろう、疲れてしまう、がんばってちょうだいと言われると、自分ががんばらないと思ってしまう。それがいいのかなと思う。自分らしく生きていない、心では自分らしく生きてるつもりでも、体が悲鳴を上げている。剛君が裸になったとき、本当の自分になりたいと言う表現の様な気がする。きちんと着ていた物が畳まれていたのは、剛君のきちんとしてるイメージらしいなと思った。

 清水由貴子さんは、どうしてもがんばりすぎるタイプに見えた、どんな時でも自分ががんばらないといけないと言うイメージがあった。見てる方が疲れる。本人だったらどれだけ疲れていただろうか。介護はエンドレスである、しかし育児と違って相談することはできる機関はたくさんあるし、相談した分形になって返って来る、家族の介護は感情が入り込んで、他人を介護するように割り切れるものではない。だから悩んで当然、他人が介護するなら良い人でいる事出来る、しかし家族は良い人になれない。友人が言った、他人を介護してるほうがずっと楽、家族を介護するほうが大変、分かる。

 ステレオタイプ思考、きわめて常識的な考え、人に自分の考えが正しいと言う人は聞きたくない、理解できないだろう。自分が自分らしく生きる、生き辛いと思ったときは、わがままではない、そこでふと止まることは間違っていない、逆に止まらないことが怖い。無理に無理を重ねる事が良くない。おちゃんは良い人でいる事は止めた、ボヘミアンの友達のお母さんには鬼婆ですと言っておく。逆に非常に楽である。

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天使と悪魔の真理

20094・21

  近所のコンビニで見つけて読んだ。読んでるうちに日テレで放送してた「木曜スペシャル」を思い出したり、高校3年あたりからブームになり始めたノストラダムスの大予言、UFO、超常現象を思い出した。キリスト教に対立する、イルミナティーが世界を混乱に陥れ、世界史的な事件を起こしてるという。歴史はイルミナティーに支配されているという解釈である。漫画の部分は面白いと思うが、解説のページがオドロオドロしてインチキ臭い。

 まー時々外国のボランティアの団体ではっきりしないものがある。そんなものを思い出したり、そんなものはフリーメイソン見たいな物かなと勝手に想像したり、真実こんな物があったら恐ろしいなとか、イルミナティーの十字軍のエルサレム奪還の際に巡礼者を守るために組織された「テンプル騎士団」と言うが、スポンサーはユダヤ人。しかしもっと遡って、世界の流浪の民となった所に起源を持ってきて、ユダヤ人の怨念と言う考え方もある。金融業はユダヤ人が発展させたもの。ヨーロッパ中に広がったユダヤ人は異教徒として差別された。だからユダヤ人とイルミナティを結び付けてもいいなと読みながら考えてしまった。

 世界史もこんな切り口があったのかと思って読むなら世界史の勉強になるかな。

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人格障害かもしれない

2009・4・15

 人格障害とは周りの困ったさんと理解したほうがいいかな。人格障害に関して丁寧に書かれている、理解すると言うよりこの様な事を言うのだと感じた。人格障害は精神疾患の範疇に入らないのは意外だと思った。しかし困ったさんで入る分には構わないが、周りの人を巻き込む場合はやはり精神科医の出番だろう。しかしどうして連れて行くのかと考えてしまった、痴呆の場合はだまくらかすという手もあるが。

 「精神科医は腹の中で何を考えているか」の作者も、「人格障害かもしれない」の作者もDSMに関しては懐疑的である。おちゃんもそう思う。確かに便利だが頼りすぎないのが肝要。表に表れた症状だけで判断されたら大変である。問診、行動、トータルで診断されるべきだと思っていたが、少なくともDSMに関して懐疑的であることは名医だなと思う。カウンセリングを重んじてるなと思う。何分も患者と向き合うことが医者には無理な現状を思うと、医者は診察に専念すべきであり、後細かいとこはカウンセリングで埋めても良いとこの頃思う。

 話はそれたが精神科としては精神病は統合失調症指し、A群人格障害は統合失調症の診断基準を満たさない、B群、C群人格障害は人格の歪み、逸脱、統合失調症ではないと言う。結論人格障害は精神疾患ではない。対症療法として薬は使うが、カウンセリングである(詳しくは本書で)。しかし本人は拒めばそれまで、困ったさんは周りを取り込んでゆく。境界性人格障害は精神科医でも取り込んでしまい場合もある、だから周りの人は大変。ボロボロになるまで付き合うか、見限るかである、悲しいと思う。

 読んでる時こんな時はこんな症状出るよなとか想像したり、自分でも思い当たるふしもあるが、一般的に視野が狭くなった状態(精神状態)で症状が出やすいなと感じる。ものすごい恋愛してるとか、子育てに熱中しすぎるとか、精神が何かに集中してる状態、周りが見えない、周りを理解できない、思考停状態、日常生活では多々ある。しかしすぐ普通の行動に戻るから問題ない訳で。しかし精神状態を理解できなくもない(想像してください)。

 精神、心理系の本を読みすぎたせいか、頭が疲れた。

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景気後退貧乏料理8炒飯の素

2009・4・11

 炒飯の素は調味料としても結構いける。野菜炒めも水っぽくならない気がする。あじはうまい。

●ベーコンのもやし炒め

★材料

もやし1袋   ハーフベーコン1袋    炒飯の素1袋

★作り方

1 ベーコン細切り、フライパンに入れ油分が出たらもやしを入れて炒める。

2 炒飯の素を入れる。

にらを入れても良い。炒飯の上に目玉焼きを乗せて潰しながら食べるのもおいしい。

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精神科医は腹のそこで何を考えているのか

2009・4・8

 笑ってしまうところもあれば、悲しくなるような、うんそーだよなと共感するところもある。著者の正直な気持ち、考え、懺悔録様な気がする。著者は自分のことをシニカルという、でもそんなところがなければ精神科医としてやっていけないんじゃないかと思う。読後感は著者の言わんとすることを、理解できればいくらかでも生き易くなるなと感じた。

 著者は精神科医の立場として言ってるが、おちゃん的には、医者全般結局は腹の底同じじゃないかって。「他人には検診を勧めても、自分が受けるのは断固とし嫌がる医者」は大いにそう感じた(脳ドッグの関してだが検診全体に言えると思う)。自分で進んでいくなら分かるが勧められていくもんじゃない。もし最悪の結果が出たとき、勧められていったときあなたならどうする?病気が完治すると言い切ることはハムレット的心境、100%は有り得ない、患者は100%を期待する(完治するのはあるが精神疾患に関しては有り得ないわけで、他の疾患に関しても同じ事が言える)。

 医者も結局人である以上、大いに悩むわけでもし医者に「あなたは癌でね、私は言いたくないんですよ。でも今は告知する時代だしね、治る確率は半々でね。私はうそ付きたくないし、でもあなたの気持ちを考えると言わない方がいい気もするし。大いに悩みながら話してるんですよ」なんて言われたらどうする?うそも方便で真実をぼかすか、馬鹿正直に真実を言うか。医者は悩む。こんなときはもううそを良くないとか、真実を言うべきという、一般論で済まない訳で。逆に一般論て物は邪魔になるわけで。

 書いてる自分でも分けが分からなくなってきた。病気(特に精神疾患)は患者本人、家族、本人の将来とにかく人生全般に関わるので、結果オーライのためには奇麗事を言ってられない、最終的にはほどほどの距離感をとりつつ、しかし冷たくはないのだが、そう思われるかもしれないと(様々な葛藤がありつつ)、とにかく複雑な心理を書いてる。医者と患者の微妙な駆け引き。自分の精神をコントロールしつつ。つつと書くのは心理状態が、変化してるわけで(医者も患者も)。

 ステレオタイプの医療に関する正論とか、真実を告知するべきという考えをお持ちの方読まないほうが良い。腹が立つだけである。マー、おちゃんに言わせると度量が狭いという方。清濁合わせを持つ、白黒はっきり付けない考え方を持ってる方は良いけど。マーイ一カという方なら理解できるだろう。この本読んで得したことは、医者も悩みながら説明してるわけで、患者も特に精神科医に対しては家族は人間観察をする余裕があれば良いと思う。赤ひげ的先生は期待しないほうが得かもしれない。

 ならばどうするんだと言えば、精神科、神経科に対して偏見を持たず受診する。他科の医者から精神科の受診を勧められたら、すぐ行きなさい。受診の第1歩から始まるので早く。どうして連れ出すか、勧めた医者に聞いてください。それでも駄目ならインターネットで検索しまくる。どうしても駄目から家族が先の言って症状を話す。諦めないこと、諦めの思考停止は破滅のスパイラル。同情、中途半端な優しさ、まだ良いは分かりますよね。家族、家庭を潰す潰さないはこれにかかってます。

 青森県の場合は病院その物が少ないこともあるので、病院の評判をあまり気にせず受診することですね。患者さんによって良いと言う人、駄目という人も歩けど選択の余地がないので受診優先で言ったら思います。病そのものはメンタル的に落ち込むので、本当はメンタル的なサポートも必要なんですけど、そんな診療体制はまだまだですが必要性は叫ばれています。その本も今読んでますが、今後書きます。

 アーシンド

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AOMORI IN NATIVE TSUGARU

2009・4・7

 このごろふと思う。津軽人は本当に黙して語らず、裏で言う。本音を言わない、依存的、長い物に巻かれろ。自分の過去を振り返ると、短大、仕事場、PTA活動、ご近所づきあい、いろいろな地域の方と交流したが、どの方も積極的であった。またはっきり物を言うし、間違った事は言ってない。しかしよく考えてみると、はっきり物事をいう方ばかりがおちゃんの周りに集まっただけではない。津軽人が余りにはっきり言わな過ぎるのである。誰かが言ってくれるだろうとか、誰かが指示してくれるだろうとか、あまりにも他者依存である。ならばリーダーに従うかといえばNOである。陰でこそこそである。それを知らずにドンドン仕切って事を進めるととんでもない目に合う。強力なリーダーシップも嫌う、どこかで評価してやらないと津軽弁で言う「根性曲がり」をおこす。出る杭は徹底して打ち、同じレベルまで下げられてしまう。

 この辺の指摘は司馬遼太郎の『北のまほろば」に書いてある。鋭い。弘前出身の軍人一戸兵衛も帰るときは軍服ではなく,羽織、はかま。末は博士か大臣かの時代に、おらがくにさの出世した人をただの小市民にしてしまう感覚が分からない。個人的意見過ぎることを承知の上で書くと、何故破滅型の太宰治、葛西善三をいまだに賞賛するか分かる。要するに自分たちと同レベル、まだこの人たちより自分たちはマシという感覚である。何故もっと早くから陸喝南を評価しなかったのか。また石坂洋二郎を過去の人にしてしまうのか。単に流行作家ではないと思う。戦後の日本に明るさを生み、日活の青春路線の映画にも貢献した。特に吉永小百合様の映画に。

 同郷の人はコテンコテンにする割に外部の力には案外弱い。足を引っ張る。津軽弁で言う「足ふっぱり」。今はそう感じなくなったが、他者との距離感を旨く取れない。人にも因るが平気で人の懐に入ってくる、あれよあれよという間に。ちょっと困るといえば怒って手のひらを返す。なんか共依存的。人情はあるんだけど、微妙な距離感へたくそ。だったらお前はどうなんだと言われれば、距離感のとり方がへたくそである。何でもかんでも聞くから、聞き過ぎるという事を依存的と言われればそうかもしれない。山形県の人が「秋田、岩手で通じる常識が青森では通じない」何となく分かる。にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 青森情報へ
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介護

2009・4・5

 良い本です。自分で読む本はいつもいいと書く、良い本だから書くので、勧めたくなるから書く、読んでみないと分からない。介護の現状が分かります、腰巻はかなり過激です、「長生きはするなということなのか」、しかし介護崩壊は進みつつあることはこの本で分かった。国が進めている介護予防はあまり効果は上げていない。しかし将来を考えてみると必要なことである。介護本番を迎えると思った以上にお金がかかる、精神的な負担もすごい。それを考えると、介護予防は重要である、しかし今のところ遅々として進んでない、2006年スタートだから仕方がない気がする、成果を急ぎすぎる気がする、もう少し様子を見てもいい気がする。今の高齢者には間に合わなくても、現在の重篤な高齢者、介護地獄を見て来た世代はなりたくないと思うので、介護予防には積極的になるだろう。今は遅々として進まないが火を消したくないと感じた。

 障害者年金で暮らしてる人が国民年金を貰うようになると、介護保険に切り替わるときに介護保険の認定度と障害者の認程度では差があり、結果として軽くなることの矛盾。「改正介護保険法」では利用者、介護職従事者に負担を強いることになった。おちゃんがヘルパー2級を取ったときに比べて介護度の基準が厳しくなった、身体よりも精神に重点が移ったから。実際身体よりも精神のほうが家族には負担を強いるもの。しかし身体の介護は楽だという事ではない。ある看護士の話だと現在要介護5、寝たきり状態は手間が掛からないので逆に介護度が低くなるという話もある。実際ヘルパーの経験者、介護家族の話を聞くと楽だという。直接聞いてるから事実だろう。

 コムスンの事件もあって介護保険事業は本来市町村の事業であるはずなのに、国の関与が大きくなってきてる事、事業者に対する連座制が正しいかとか。介護に関しての連座制はおちゃんは単純に正しいと思っていたが、この本でおかしいなと感じた。不正を行ったものが罰せられるだけでいい、真面目に仕事をしてる人までわりを食う事はない。それでなくても介護に従事する者が少ないのに、連座制で職を失ったり、介護難民を作ってはならない。

 介護保険制度はいろいろ問題があるが良い物であるし、今後介護予防が進み重篤な高齢者が減るようになればいいと思う。しかし長生きすればいずれ重篤になるだろうが、今より利用しやすい制度になれば良い。重篤な場合施設を利用できる(待機しないで)ようになれば。介護保険は在宅を基本としてる、しかし在宅には限界がある、在宅化を進める野はいいがやはり施設を利用できるようにしないと、なんでも在宅というのは問題である。国は何を考えてるのだろう。確かに在宅で暮らしたいのは分かるが限界がある(経済的に施設入所は無理なので、仕方なく在宅の場合もある)、家族介護の負担を考えると施設も重要である。国はいまだに日本的福祉、家族の負担を期待してるのか考えてしまう。

一律の介護サービスではなく利用者にあったサービス、介護保険は利用者がサービスを選択できる、利用者本位、自己決定が本来の姿であった、しかし現実は利用者不便、事業者本位のサービス(最もこれは介護度は低い場合で、結局はキーパーソンが選択するが)。介護従事者の待遇はもっと改善されるべきでもう8年前から、介護従事者には仕事に見合った報酬をという意見もあった。また介護従事者のメンタル的な支援、相談も充実しなければと、想像以上のストレスがたまる職種でもある。崇高な理念とか、人に奉仕するとか言うがそんな奇麗事ではない、生の人間とのぶつかり合いである、それで就労環境が悪ければ誰が仕事をするだろうか。超高齢化がやってくるのにもたもたしてられない。自分自身介護地獄のスパイラルに巻き込まれないようにするには、介護保険のシステムを理解し、介護予防に努めるしかない自己防衛である。

 介護保険の大きな誤りは競争原理を取りいれた事、儲けるなとは言わないが、儲けには走り過ぎないように。おちゃん的には「痴呆老人は何を見ているのか」のようなきれいきれいの文章より、「介護」のように現状を冷静に書かれた、感情を排した本が好きである。結構中身はボリュームがあって、でも読みやすい文章、来年読むより今年読む本ですね、旬のうちに読むべきです。来年だと古くなる。介護の現場は変化するので

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介護

2009.4.2

 朝から南田洋子さんの病状、夫君の長門氏の話が報道されている。長門氏はご自分の見落としを責めておられるように思うが、介護者はみな同じような経験があると思う。おちゃんもそうだった様に周りの何人かの人も自分を責めているが。しかし育児ならともかく、介護は大人を相手にする、一日一緒にいるようでも、育児のときほどの密着度はない。いくら衰えたとは言え嫌な人、一人になりたいとか、いろいろな感情がある以上、介護者も見守りが必要でもそっとさせてやりたい時もある。介護はエンドレスである以上、介護者だって一日の中でほっとしたいときもある。

 介護は自分を責めることない。精一杯しているそれで良いではないか。逆に介護者を責めるやからは極力近づけない方が一番の得策である。介護というと、排泄、着替えと身体に関わることを想像する人も多いだろう。しかし身内が一番にやるべきことは、介護保険制度を旨く利用して、介護をしてくれる人に本人の情報をきちんと伝えること。きちんと伝えるのと、伝えないではかなりの違いが出る。なぜか、家族、身内でなければ生活習慣が分からないから、生活習慣が持続されること、理解されることで格段に介護は違うと思うが。

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痴呆について

2009・4・2

 朝テレビをつけたら南田洋子さんが意識障害だという。夫君の長門裕之氏は「」私一人では出来ない、たくさんの人の支援を請けたから」大変正直である。そのとおり、一人でがんばる物ではないし、様々な人の支援を受けなければ出来ない。約3年前に認知症が発症したらしいが多分その前から発症していたと思う。チャンの母親も痴呆が入ったが今になって見るとおかしいな思う所があった。バッチャも認知が入ってるが家族は年のせいくらいと考えていたが、プロが見ると認知が入っていた。バッチャはまだ深刻な状態ではないが。

 「痴呆老人は何を見ているか」は読後感はずっしり重い感じがする、しかし痴呆、認知症のご老人を理解するうえでは良書だと思う。哲学書的な書き方、おちゃんにすれば少し奇麗事過ぎるなという感じもする。しかし良書なのである。外部観察でが(痴呆にならなければ分からないが)、成るほどと思わせ偏見、誤解への理解の糸口をつかめる様に感じた。

 生まれてすぐの赤ちゃんは精神が0の状態、しかし記憶、経験をつむことで神経、精神のネットワークをつないで行く。生まれてすぐの夜鳴きは不安の表れ、暗い所、親から離れた場所、とにかく不安と思うから泣く。しかし親との情愛の中で夜泣きはなくなる。ネットワークが作られることで安心、親との信頼を獲得していく。痴呆はこの逆で、精神、神経をつないでいるネットワークが失われていく、そこには不安がある、ストレスがある。だから問題行動として出てくる。夜間せん妄、若返り現象(現在おかれている状態に何らかのストレスを抱えているので、幸福だった時代に戻る)が起こるという具合にわかりやすく、丁寧に書かれている。夜鳴きにおちゃんも不安の一つと考えるし、メランコリック症候群というものがあり、夕方になるとぐずる赤ちゃんもいる。ご老人も夕方になると不安を訴える方もあるという。

 進行具合は個人によって違う、ゆるゆると進む方、一気に進む方、しかし我々が知らない精神世界に行く(死後の世界ではない)、著者は痴呆は病気とされる事を疑問に考えているようだ、おちゃんもそう思う、長寿という時代には避けては通れない人生の通過点かもしれない。しかし誰もそうなるわけでもないし、ならないとも言えない。生きてみないと分からない。

 しかし介護をしてる人にすればそうですかと簡単に理解は出来ないと思う。介護は育児の逆と考えればいいが、エンドレスだし、プライドとかいろいろな個人の歴史が絡んでくるので大変。しかしこの本は問題行動をおこすご老人は何らかのストレス、不安、を抱えていること、家族からのご老人に関する情報が少ないこと(介護者に情報量が少ないため適切な介護が出来ない)を上げている。夜間せん妄もストレスからというものもこの本で知った。

 ならばこの本のとおりを理解してご老人に接しても、ことごとく裏切られるだろう。伊達に長生きはしてない、人生の達人である。怒るかもしれないが認知、痴呆を逆手にとって、介護は狸と狸の化かしあいみたいなとこがある。結局は深刻になる過ぎず、冷静に現実を受け止めることが大事。入らないのは、中途半端なやさしさ、現実無視の自己犠牲的介護である。介護者は崇高な使命に燃えてるかも知れないが、崇高すぎて倒れてしまう。だからがんばらない介護(しかし難しい、ガンバラナイ、ほどほど手抜きという境地に至るまでは。おちゃんが今そう、いかにして手を抜くか、バッチャを理解しつつ、可哀想だなと言う思いとも対立しつつ)。

 何度も言います、理解するには分かりやすく、読みやすく(良書の条件備えてる)、多少崇高過ぎますが良い本です。

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