2009.3.27
3月3日からバッチャの身体、精神のレベルが下がり、入院退院、在宅一日、また入院、その間にボヘミアンの卒業式、卒業式の前日ちゃんインフルエンザ。おちゃんはあちこち駆け巡り、卒業式に出られない?卒業式の実行委員できない?代理を立てて卒業祝賀会の挨拶してもらおうか?
3/3 骨粗鬆症の痛みでる、自力歩行困難
3/4前の日より機能低下、社会福祉士と連絡取りながら、策を練る
3/9
福祉器具のレンタル、3点追加(トイレ手摺、4点杖、ベッド手摺、捕まり立ち様の手摺)、ポータブルトイレ購入
3/10
市から介護判定員、痴呆の疑いあり、これまで家族は特に気にもせず、問題なし。
3/11
便秘のみ薬、座薬、効かずとうとう浣腸、出るまで2時間、親子でヘトヘト
3/12
通院から入院に代わる、ヘルパーにおんぶされて通院、この1週間自力歩行せずはって歩く、体力限界。廃様症候群状態、この一週間で身体機能精神レベル下がった。一週間でほぼ全介助状態
3/13
卒業式、入学式のため、入院少し延ばしてほしいと要望、快諾を得る、3月20日のヘルパーはキャンセル。睡眠剤は投与しないという。所見では自力歩行可能。
3/14
妄想、幻覚、幻聴が入る、おかしい。看護士に何かあったら連絡してほしいと言う。顔の痙攣、手の震え、昨日より多くなる。午後幻覚激しいので病室変更の連絡。(今まで抑えていた妄想出現した、無くなっていたと思っていたら、封印してただけ)。夜また病院から電話、安定剤を注射しても効かず、身体拘束をした、興奮してる、なだめてほしい。ちゃんと行く。拘束される理由に納得せず怒っていた。落ち着かせるために看護士し謝って、バッチャなだめて寝てもらう。夜間の看護体制の人不足は聞いていたが、あまりの少なさに驚く。身体拘束やむなし、きれい事ではない、現実は現実、同意書に署名、入院案内にもやむ終えない場合は身体拘束もありとあった。自力歩行したと言う、転倒されると困るので拘束したという。
3月15日
昨日と打って変わって元気、昨日の夜の記憶なし、テンション高いと記憶が飛ぶらしい。自分で入院したくせに、看護士が乱暴と言う。ここは施設じゃない、看護でいっぱい細かいとこまで見てられない、看護士の不足感じる。それより痴呆が感染してもっとひどくなると言う不安感じる。
3月16日
身体拘束をしなければならない患者はこれ以上置けない、身体面より今は精神面の治療が優先、3月20日まで待ってくれないか、ダメと言われる。夜間せん妄が出た時点でリスを使ったらしい。睡眠薬使わないですよねと聞いたらリスを使ったと言う。精神科の受診を勧めるがこれほど難しいものは無い。どうすればいいか聞いた、退院したら家に帰らずすぐ精神科に行く、家に帰れば困難になるから。なるほど。入院する方向で紹介状書くと言う。長くいても痴呆が進む可能性もある、身体の機能も下がっている、長くいても良い事はないと昨日から感じてる。その足で精神科のある病院に予約を社会福祉士から入れてもらう。最悪の場合を想定する。社会福祉士も入院を視野に入れて進める。ちゃん病院による、バッチャ退院を喜んでると言う、しかし退院の理由話す、騙してる様で心苦しい。かわいそうな気もするが、大概かわいそうだからで、介護地獄にはまる、現実は奇麗事ではいかない。
3月17日
自分で入院を希望したのに不満を言う、分かるが看護士が不足してるので細かく見てくれない。仕方ない。このに当たりも妄想で看護士に悪口言われたとか、あれされた、これされたと話していた。自分はベッドにいるのに場所は廊下とか完全に妄想。しかし妄想は作り話ではない、どこかで真実がある、必ず繋がる部分はある、慎重に聞く、いつまでもおいて置けないと感じる。妄想を馬鹿にしてはいけない、取り込まれないよう十分注意は要する。
3月18日
身体精神面最悪、八甲田山(従姉妹)と一緒に車に乗せ精神科のある病院へ。帰りたがる悪い気がする、ここで負けたら共倒れ。だんだん精神面がひどくなる、車椅子もしんどいらしい。診察、医者曰く、精神薬の大量投与、精神科の医者じゃないから量分からないんだよ。アルツハイマー、在宅で大丈夫。在宅?事情を言って入院を頼む。明日だったら良い。カウンセリング研究会に会員で同じような経験のある人から、だめ元で頼めばなんとかなると聞いたから、助かった。夕方には薬が抜けるから、後は大丈夫。夜は大丈夫でしょうか?大丈夫だと言う。薬が抜けてきたせいか、身体、精神のレベルが上がってきた、家に帰ると自力歩行できる、頭もさえてきたが幻覚が出てきた、しかし困るほどではない。薬のせいだと話すと納得。記憶は飛ぶが心配したほどではない。夜は一緒にいたほうがいいか迷う。ボヘミアンは一人で寝てもらう。ボヘミアンは真実納得できないらしい。一緒にいるというが夜間せん妄は見せたくない。バッチャを説得するという。そしたらチャン、インフルになった、仕事途中で抜け病院に行ったらインフルと分かった。夜間せん妄らしい、手が震えてきた、顔つきが変わった。ボヘミアン説得、悪いのは薬のせい、安心しろとか。多少の心配はあったが大丈夫な気がした、ベッドで寝るように行って一人にした。
3月19日
昨日と同じ格好でパジャマ着ないままでお漏らし。夜中から自力歩行できなくなったらしい。すぐ下だけでも交換、しかし疲れてるせいか立とうとしても立てない、何回かチャレンジしかし疲れるばかりですぐ座ってしまう。体位交換しようとしても体が思う様に動かない。30分以上かけてどうにか交換。その間も疲れてるせいか寝込んでしまう。もう在宅は出来ないと感じた。ボヘミアンは全部一人で朝ごはん食べて全部一人やって学校へ。八甲田山と病院へ行くつもりが今の身体状態では無理と判断福祉車両を頼むが、明日は祭日なのでどこも予約でいっぱい。社会福祉士へ電話、女二人なら運べますという。どうにか運んで病院。バッチャ施設は行きたくないと言う。介護福祉士が退院後どうすると聞くから、入所希望、施設が見つからない間は在宅でもいいが、やはり入所希望。医者も精神は何とかなるが身体は何とも言えないと言う。リハもするが気休め程度。
3月20日
卒業式、ちゃんインフルのため欠席。実行委員として親として出られる。泣かないつもりが少しないた。自分のときは泣かないが、親になるとここまで大きくなったと感じて自然に泣ける。途中でカメラの調子がおかしくなった。バッテリー切れ早速写真館へ直行電池交換。結局最後までバタバタ、ボヘミアンの写真役員のお母さんに写してもらう。ビデオもお願いした。
バッチャは入院だが集団生活を嫌って施設を嫌っていたが、案外いいらしく施設と大差は無いので、施設は行くかもしれない。人生最後の場所としては快適という。思い切ってやってみるもんだ。しかし在宅一日が今は良かったと思う。在宅の限界を知った、バッチャも在宅はダメだと感じたみたいだ。下着の交換のときもう限界とおちゃんはバッチャに言った。何よりの力は、社会福祉士に細かく変化する様態を伝え、社会福祉士はよく相談に乗ってくれ積極的に介入してくれたこと、介護の経験者の話、元ヘルパーの友人の意見(老人の精神面、心理面について間近で見るものとして)、役員のお母さんたちの理解。入院するまではほとんど出ないから電話掛け捲り、しかし自分でも良く潰れなかったと思う。ヘルパー2級をとっておいて良かった。
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