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仏の効用

2008・8・13

 今日はお盆、人が死ぬと生きている人間に思わぬ変化を生じさせるものである。去年姑、私の父が死んだ。姑が生きていたときはだんなは自分の兄を蛇蝎のごとく嫌い、実家に言っても二人顔を合わさず、姑は余りの中の悪さにいつも心配していた。私もこれで姑が死んだらだんなの実家に行くことはないなと思っていた。ところが姑が死んだ途端、急に仲直りし去年今年も実家に言ってきた。おまけに今年はご飯まで食べてきた。姑が生きていたときは考えられないことである。兄弟二人笑いながら話をしている様子を見ていると、この17年間お互いいがみ合って、もっと早く仲直りすればいいのにと思った。しかし兄弟にしか分からないことかもしれない。

 父親とは40年以上会っていない、弟とは会っているが、死んでも教えに来ないなと思っていたら、教えに来た(弟と会っていることは父親は知らない)。何せフーテンのトラみたいな弟だから、携帯電話にも出ないし、突然現れて要件だけ済ますと帰る。1年か2年に一度顔を出す奴である。「姉の心弟知らず、心配だから連絡しろ」と説教されるのが嫌だから表れない気がする。ボヘミアンは風みたいだと言う「さっと現れて、気が付けばいないから」良い例えである。こんな奴だから教えもしないし、別れて40年以上の父親のことはどうでもいいという感じがしていた。

 ところが死んだと教えに来た。その死は淡々としたものであり、涙も出ない。とうとう死んだかと言う感じ。その時からしばらくしつこいハエが出る。半月ほど続いただろうか。母親に父親が死んだことは教えないで、しつこいハエが出ることを話すと、母のところにも出るという。中村勘三郎の話を思い出した。先代の勘三郎が死んだらハエになってやると話したと言う。そしたら本当にハエになって出てきたという。まさかと思うが季節外れだし、「親父、化けやがったな」と思った、しかし娘のところに出るのは分かるが、何も別れた女房のところに現れることはないと思う。

 それから私の中で父に対する嫌なものがなくなり、幼い時の父とのことを思い出すようになった。記憶は余りないが。死んだことを母に話すと、いつも散々悪く言っていたのが急に言わなくなり、夫婦でいたときを話し出した。こっちとしては開いた口が塞がらない。だったら何で離婚した。恨むなら死んでも恨めと思う(その方が良い)。犠牲になったのは子供だろうが、急に腹が立ってきた。

 昨日母が新盆だと言う。「誰の?」と聞いたら父のことだ。馬鹿じゃないかと思う反面、死んだら許せるのかと考えたりする。線香を上げるという勝手にしろと言う気がしたが、そんな私も父の写真を出した。(お盆の間の期間限定)

 急に姑の言葉を思い出した、「死んで待ったものいつまでも恨んでもしょうねべさ」

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