2008.8.22
映画「Always三丁目の夕日」以来昭和30年代がブームになっています。しかしこの本はりアルタイムで体験した人にとって、掛け値無しで面白いです。「法務実務検定」投げて一気に読みました。「昭和33年 (ちくま新書)
」の著者と違い「昭和三十年代の匂い」の著者は昭和32年で私と年が近いので、感覚的にすごく共感してページを繰りながら「そうそう、うんうん、分かるなー、確かそうだよ。」なんて思いながら、楽しみ、思い出に浸って読みました。
昭和30年代は一番の遊び盛りで、覚めた目で大人の社会を見るまで育っていないから単純に楽しんでいたみたいな気がします。テレビの漫画は今よりずっと多かったし、テレビも何でもありで寄席番組,舞台中継、喜劇、映画も東宝の社長シリーズと喜劇はたくさん、歌番組も多くて本当にテレビが娯楽の時代。チャンネル戦争なんて言葉もありました。
子供に見せたくない番組なんて発想はもう少し時代が後になるので、大人の昼メロも見てました。「ライオン奥様劇場」学校から帰ってくると親や婆様見ていたので、宿題しながらちらちら、子供に悪い影響与えるなんて誰も考えてないから、ご飯食べてみても注意はない、ただ目に悪いからとブラウン管にいつの間にか透明のビニール製の幕がぶら下がっていました。
著者は大阪育ちなので若干違うかなと思いましたが、読んでみたら余り差が無いので、著者が「不二家」のレストランなら、弘前は「かくは」の食堂か工藤パンのレストラン、後はデパートの屋上の遊技場、おもちゃ売り場、都会も地方も家庭の娯楽は余り差が無い。確かに量と質から大阪には叶わないけど、そこまで頭が回らないので。子供なので。しかし親と婆さまは大阪育ちなので、弘前の田舎臭さ物の無さには文句を言ってました。「エレベーター」が「かくは」に設置されたときはニュースになった記憶があって、親も婆さまも珍しくもなんとも無いとシラットした顔してた記憶があります。
なんて自分のことばかり書くことになるので止めますが、「昭和三十年代の匂い」、「くみとり便所の果たしたこと」の項を読むと現代のあまりにも清潔すぎる社会に疑問を感じる、これは多分おそらく、かなりの確立で汲み取り便所世代が感じてることだと思います。著者も言ってますが、もし何かあった時、水洗トイレが使えないときは、汲み取り便所世代は何とか対応できるが、汲み取り便所を経験してない世代は卒倒する。天変地異がおきて最低限度の生活に耐えられるのは汲み取り便所世代でしょう。昭和を知らない世代に言いたい便所の汲み取りが終わったあとの便所に行けと。それに耐えられたらすばらしい。しかし昭和30年代は汲み取りでもいい時代に入ったほうです。それ以前は、もう言わないい気絶します。家に中で用を足すくらいなら、外のほうがずっと良い。それとどこの家を訪問してもその家独特のにおいがありました。燻りくささ、水っぽい匂いとか、埃臭さとか、友人で結婚するとき「家の匂いになれねばの」と言っていた事を思い出しました。
いちいち臭いを気にしてたら生活できない、思い出の漫画、テレビ番組の名前が出てくるので楽しい。特にテレビ番組「ちびっ子ギャング」に付いて書いてる事はすごい、すごくテレビを見ていたなと感じます。提供は不二家でした。昭和30年って貧乏みたいなイメージがあるけど、確かに今に比べると物は豊富ではないけど、みんなそこそこおもちゃ持っていたし、耐久消費財は余り無かったけど、1年か2年毎に買って少しづつ増やしていって30年代最後の頃は、結構そろってました。
なんて自分の思い出もかなり書いてしまいましたが、それだけわくわくする本なんです。しかし著者の言うとおり、思い出してみればあちこち臭いだらけ、今も書いてるうちにいろんな臭いを思い出します。私が好きなのは新しい靴の臭い、靴の倉庫の臭いいいです。逆に嫌いなのは味噌の臭い、絵を描くのが好きで絵を書く紙に味噌を包んだ紙を親が持ってくるんだけど(大きくて良いんだけど)、あの臭いは嫌でした。
よく昭和30年代は子供の天国といわれますが、戦前と今に比べたらという条件をつけないと。戦前に比べたら子供は圧倒的に自由で物もそこそこ豊富で、親は戦前の教育はよくないと感じてるからうるさくない、社会全体も今ほど細かいことにうるさくなかった。現代に比べたら清潔でもないし、社会全体ももっとアバウトだしそれがいいことなのか、逆に昭和30年代の自覚の無さのつけが昭和40年代に出てきた、単純によかったとは言えない気がします。
なんて考えるのは過ぎた過去を分析するからで、この本は単純に楽しんで読む。しかし著者は相当テレビ見てますね。漫画も相当読んでる。益子かつみ「怪球Xあらわる!」が出てきたのはびっくりしました。年齢からすれば私は小学1年、著者は幼稚園、本当に読んでたのかな。ちょっと考え難い気がします。

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