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2008年5月

そんなことって、ある?

2008・5・30

 私の好きな西村繁男さんが絵を描き、奥田継夫さんの文です。今まで西村繁男さんの本は文のない本ばかり紹介してきましたが、今回は文の付いた本です。多分日曜日でしょう。家族がマラソン、途中でぼく以外はみんなスーパーマーケット、立ち話で、最後まで走らなかった。僕が神社に着いたとき、桜が満開、僕のやったーと言う気持ち、走りきった、爽快感が、絵と文章とマッチしていてこの本の一番の山のような気がします。

 途中しか走らないぼく以外は、そのまま家に向かって走ったから最後まで走って一番になったぼくはビリ。そんなことって、ある?わかるよな。せっかく真面目に走ったのに文句言いたくなるよな。ましておじいちゃんが「またみんなではしろう」なんて、また次も今日みたいなら嫌だよなーって感じました。

 日本中が西村繁男さんの書く絵のような家族だったらいいなと思う時が度々あります。西村繁男さんの絵には音を感じます。絵を見ているだけで話し声、物音、、生活の音を感じます。日本のどこにでもある、今いる自分が住んでいる所に似ていると感じる風景がすごく良いです。今回の本は画像がないので残念です。懐かしがり屋の大人が読むと良いかもしれません。

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吉兆・細雪

20085・29

 吉兆が廃業した。去年、吉兆が起こした食品偽装事件を起こしたとき、何処かで聞いた言葉だな思ったら谷崎潤一郎の小説「細雪」に出てくる。この事は今日のいくつかのブログにも書かれている。しかし大概は映画の「細雪」のせりふで吉兆と言う言葉が出てくる点の指摘が多い。映画は1980年、当時は吉兆が和食の世界ではトップだったから何度か出てきたのかなと考える。

 小説の方は、雪子の見合いの席の場面に吉兆が使われる(下巻)。時代としては昭和14年、わずか10年経たずしてグルメの谷崎潤一郎の目に留まったのだろう。いや谷崎松子夫人の目に止まったのかもしれない。「細雪」は松子夫人とその姉妹がモデルとされており、谷崎潤一郎が「細雪」執筆中も上方文化、言葉の使い方、着物などの細かい部分は松子夫人の協力があったからだと言う。今になって読み返してみるとグルメの谷崎潤一郎らしく、小説の中とはいえ、田舎くさい味はいや、いくらこった料理でも鮮度の良くない料理は食べたくない、何気ないものでいいから鮮度のいいものを食べたい。これは小説の中で次女幸子に言わせている。特に四女妙子が鯖寿司にあたって一騒動起こる場面では「いっつも料理屋のご飯ばかり食べ歩くさかいに、そんなことなるねん」と手厳しい。

 また雪子の見合いの場面の吉兆に戻るが、貞之助に「失礼ながら、私はここの家へはめったにきた事はないんですが、今日はなかなか品数が出ますな、」、「どうも昨今は、酒も料理もだんだん窮屈になってきましたが、ここの家はいつもこんなにご馳走が出るんでしょうか」と言わせる。多分貞之助は谷崎自身だと思う。なぜかと言えば、「細雪」は貞之助の目を通して四姉妹の様子が描かれているし、男性が結婚する女性に求める条件として、手足のきれいな人、谷崎の小説には女性の手足に触れたものがいくつかある。多分谷崎自身手足のきれいな女性が好みなのだろう。実際着物を着た女性の肉体の部分は足首、手首しか見えない。ほっそりしていれば色気は感じるが、太ければ色気は感じない、女でも色気を感じないから、男だったらなおさらだと思う。

 ひとつの小説として読むのもいいが、当時のデパート、レストラン、料亭が実名で出てくる。銀座の資生堂、高島屋、三越、、神戸のオリエンタルホテル、、横浜のグランドホテル、奈良ホテル、心斎橋播半など。当時の時代を追体験するようにして読むのも面白い。

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本を選ぶこと・本を買うこと

2008・5・25

 本を買う時はこの頃は新聞の書評、広告を見る。だいたい感で自分に合っているか分かる。当たり外れはまずない。そして本屋に電話をして配達してもらう。弘前は昔から本屋から配達してもらう。だいたいどこの本屋もそうだった。本屋で本を買うことはあるが出来ないときは配達してもらう。だから紀ノ国屋が出店するときの条件は、配本しない事が条件だったような記憶がある。本を読む人口が少なくなってから本屋もだんだん少なくなって、よく行った本屋もなくなり、買い物のついでに本屋による楽しみもなくなった。本屋の方でも売れる本ばかり置くようになったから,本選びの楽しみもなくなり、ブラリ本屋によって新しい本はあるかなと言う発見の楽しみもない。

 そしてインターネットで本を買えるようになってますます本屋は少なくなり、自分の手にとって本をぱらぱら見て決めるなんて事はなくなった。書評を参考にして本を選ぶことになるから一発勝負みたいな感じがある。書評は粗筋が書かれるときもあるし様々だが、最終的には感想文みたいな物だとこの頃は考えるようになった。読者は書評によって本を選ぶ、この人の書く書評は間違いないといって選ぶかもしれない。しかし期待に反して面白くないとき、ごめんなさいである。私は自分で読んだ本でいい経験をしたなと感じたとき、同じような経験をしている人もあるだろうと想定して書くときもある。心理、料理、介護、絵本なんでも。

 はっきり行ってインターネットでは知識は付かないと思う。誰に聞いても知識は本でなければ付かないと言う。情報の収集の為にはインターネットいいけど。本は読むと言う言葉を使う。しかしインターネットは読むとは誰も言わないだろう。

大阪船場祖母の味

2008・5・23

 久々に極上の仕上がりの本にあった感じがします。献立の分類ごとに描かれている絵には温かみと優しさがあります。また料理の写真と下の料理の解説文がお互いの分をわきまえて、お互い支えあっているような気がします。写真に外枠をつけたことにより、写真が散漫にならぬようピシッと収まり、料理を際立たせている気がします。

 今の料理の本はごちゃごちゃしており、お互いの自己主張が多すぎる見にくい本が多いです。これでもかと言うくらい、ぎゅうぎゅう中身を詰め込んだ本が多い中、この本のように余裕のある作り方の料理の本があっても良いと思います。

 料理を見たとき祖母が良く作ってくれた料理が多く懐かしくなりました。こんにゃくのピリ辛煮、お揚げの甘煮、高野豆腐の旨煮、グリーンピースの卵とじ、だし巻き卵、若竹汁,水菜鍋、かやくご飯、ぜんざいなど。祖母は船場生まれで昭和14年に弘前に来ていますから、本に載っている料理は本当の昔からある関西の家庭料理でしょう。油揚げはお揚げさん、豆はお豆さんと言っていました。弘前に来たときは関西の食材がないので、大変だったようです。水菜(よくハリハリと言っていました)、ぶり、はまち、ゆりねなど。水菜鍋は水菜がなかったので、よくほうれん草を使っていました。若竹汁は澄まし汁仕立てで作るものと思っていたのですが、弘前ではたけのこの味噌汁と言って、たけのことわかめの味噌仕立てです。絶品はなんといってもだしまき卵です。これは母も叔母も作りません。と言うより作れないんです。普通の玉子焼きはどうしてもぱさぱさになり、おいしくないです。だしまき卵はやわらかくてフワーッとしてます。それをカンテキ(七輪)の上で火加減を見ながら作るんです。子供だったので何も感じることなく見ていましたが、今考えてみると火加減が大変なのに良く出来るなと感心します。

 そんな祖母の味で慣れていたせいか、弘前の味には馴染めません。玉子焼き、赤飯(甘納豆を使う)、海苔巻き、茶碗蒸し、たっぷり砂糖を入れるので甘くて食べられません。最近はさすが甘みを抑えていますが。県外出身の人も甘納豆を使った赤飯だけは食べられないと言います。

 どれも身近にある食材で作る料理ですが、このごろ作ってないな思う懐かしい料理ばかりです。日本人の体にあった体に優しい、外国風の料理も良いですが、体にあったおいしい料理を作りたい人にはぴったりの料理の本です。タイトルが「日本のおかず」ピッタリです。 それで早速だしまき卵を作ってみました。おいしかった。ただ本で書いてある分量だとなれない人は焼きにくいかもしれないと感じました。5CC位まで控えてもいいかもしれない。5CC以上控えるとぱさぱさになるかも。それとお揚げの甘煮、高野豆腐の旨煮、気が付けば祖母の作ってくれた運動会、遠足のお弁当になっていました。足りないのは蕗の煮付けだけ。今度また作ろう、蕗の煮付けも加えて。

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食品安全モニター会議

 2008・5・22

 食品安全委員会のモニター会議で仙台まで行ってきた。日帰り、きつい何もしたくない感じ。バスの中で見た岩手山すごいな、布団かぶった牛みたい。仙台に何度か行ったがいつも日帰りでしんどい。行ってみてびっくりした。東北6件29名中青森県は3人、食品製造に携わった人誰もいない。県南からは0である。県南の食品に関して、私は津軽の物よりおいしいものが多い。だから評価としては自分の中では高く評価している。栄養士の活動も津軽より活動している気がする(ホームページを見る限り)。仙台も栄養士の活動が盛んなところである。以前就職の面接に行ったとき仙台ならいくらでもあるのにと言われたことがある。

 とにかく、格差を感じて帰ってきた。山形は食品製造のパートさん二人。食品表示について積極的に活動、衛生面、学習していてその知識を仕事に役立てている。食育の面で指導的立場にいる人、秋田から参加した人は食品関係に勤務されたらしく、現在の食品加工の現状を憂いていた。みんなすごくて、勉強していて帰りたくなった。だったら何でお前は参加したんだって言われるから言うけど、モニターに興味があって、地元の食の現場の知識の貧困さにあきれてるわけ(そういう現場もあると言うだけで全部を批判していません)。この事言ったら秋田から来た人笑っていたけど。これからはコンプライアンスだから法務実務3級取ったけど。よく考えてみたら、自分の資格まともに書くと絶対仕事は見つからないなと思う(周りからも嫌がられるだけだって言われる)。これから必要と思う資格とか、勉強をしても青森県にいる限りまともに評価されないと感じるわけ。いらない物知ってるとか、とにかく逆に足を引っ張られる感じ。キャリアカウンセラーが言ってたけど、経営者は部下が自分より物を覚えていることは嫌がる傾向にあるという指摘は、当たっているな。

 食品安全委員会では、食品はリスクが避けられない(全く0はあり得ない)、だからリスク評価を行いより安全な基準の設定、マスコミ報道の少々偏った、一部だけ取り上げセンセーショナルにするとか、はっきり言わないけど嫌なんだとね。分かる。(昨日の食品安全委員会で配布されたレジメ一部抜粋。)

 リスクと付き合う

1.食品を含めどんなものにもリスクがある。

2。リスクのとらえ方は人によって差がある

3.リスクを知り、妥当な判断をするためには努力が必要。

a科学的知識を身につける努力

bメディアの情報の正確性を見分ける努力、事実と意見、編集の有無、キャスターのイメージ

c情報を批判的に読み取る努力、あらゆる情報を一度批判的に考える

 ちょっと違和感感じたり、変だなと思うかも知んないけど、1と3は抑えてほしい。それでaの力を付けてほしいわけ。今回の四川大地震でこれからの中国食品、日本にどう影響するか考えれば分かると思うけど。何でもかで、文句言ったり、危険とか思わずに、冷静に考えてほしいわけ。で食品安全委員会では日本ほど安全な食品を確保している国はないと。クレームつけるときも1とaあたり抑えておくと対応違うと思う。

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読み聞かせ

2008.5.15

 今日でブログを始めてちょうど3ヶ月、最初の2ヶ月は毎日更新なので辛いが慣れてみると結構楽しい。このごろは1週間に2,3回の更新だから楽になった。夜は毎日ボヘミアンにせがまれて読み聞かせである。小学生が一人で読むのは少しめんどい「Lチェンジザワールド」、子供に読み聞かせる場合、対象年齢は関係ないと思う。少し難しい内容でも読み聞かせでは理解できる。小学校の低学年のとき、小泉夜雲「怪談」、夏目漱石「坊ちゃん」、それなりに理解していたようである。だから本に対象年齢を決めることは余り好きではない。読みたい本を読めば良い。漫画、童話、絵本、大人も子供も読みたい本を読めば良い。当たり前の話だが。本を読むのが嫌いだったり(読むのが嫌いなだけで本は嫌いではないらしい)、寝かせつけるとき、読み聞かせは有効である。将来本好きになるかどうかは分からないが、親子の楽しみとして出来るならやってほしい。

ハローワーク

2008.5.14

 ハローワークとは不思議な空間である。今週ハローワークに行ったら知り合い3人に会った。以前は仕事があり働いていた、しかし仕事がなくなりただの失業者になると、以前持っていた張り、力、緊張感もない。上司もただの人、同じ立場で仕事を探す。過去がどうであろうと、ただの失業者、上下関係もない、当たり前といえば当たり前だが。しかし以前の上司に会ってつい気を使ってしまう、おかしなもんである。ハローワークという空間にいて、その場所にいる人を見るとどんな過去があるのだろう。仕事では指導的立場にいた人、面接官の経験のある人、今度は逆の立場になる、どんな気持ちだろう。みんな同じ立場にありながら、みんなどこかで過去を引きずっているかもしれない。何で自分がここにいるのかきちんと仕事してきてなんで首になるんだ、また転職してしまった、倒産した私のせいじゃない。そう考えるといろんな人の思いが漂っている。そして思いは早くこの空間から出たい。それだけは共通項。

 「親より稼ぐネオニート」を読んだとき感想、こんな生き方もありだよなと思いました。大方は仕事を探してもなかなか決まらない、マイペースで生きてみたい、とにかく何らかの理由で家から出たくない、そんな若者は何で稼いだのがネットビジネスです。ネットビジネスで自己実現。それが今はネットで稼げるなんて事になっているけど。彼らは努力して稼げる用になった、単純にネットをやれば稼げるなんて物ではないはずです。そこにはあきらめない、こつこつとやり続ける根気です。ネットとの相性も良かったのかもしれない。何でも楽しくなければ続かない、楽しいから苦しくないでしょう。家と職場を往復するだけが仕事ではない、それを親は無職の子供に強いる、高じれば自殺か親殺しなんて本の腰巻に書いてますが。(極端すぎるし他にも原因があると思うのですが)著者は親世代に対して、新しい生き方を認めなさい、既成の概念にとらわれるなと。ほどほど暮らせる手段を持っているなら勤務形態にこだわらない事、親の価値観を子供に押し付けるなと。私も自分の好きなことを犠牲にする生き方好きじゃないんです。ライフアンドワークバランスなんです。

 ところがここじゃ生活のためにどれだけへばって仕事をしてるか、自分が壊れる手前まで働く、果たしてこれで良いのか疑問です。親のすねをかじってと言うより、親が子供の仕事が見つかるまで子供の生活を見ると言うおろかな行為をしなくて良い。親が死ぬに死ねないと言う状況を作らない事になる、この新しい生き方良いと思いますけど。

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理解

2008.5.9

 1週間アルバイトに行ってきました。もうなんと言って良いやら現場がめちゃくちゃ、次から次と人が来ては辞めていく、原因は現場を取り仕切るおばさんにあります。人柄は悪い人ではない、かなりに苦労はしただろうと思われます。皆このおばさんには困っています。しかしこのおばさんが現場からいなくなれば、仕事に甚大なる穴が開きます。おばさんに変っていただくしかないなと思いました。そんな事を考えながら仕事をしてきたのですが、おばさんが今のままで変らずにいれば、今の悪い状態がずっと続くでしょう。私が考えたおばさんに対する処方箋。

1.情報はみんなで共有すること

2.自分だけで仕事をしていると考えない

3.人はみな感覚が違う、自分の思うようにならないからといって怒らない。

4.人を一方的な見方をしない、人は多面体

5.みんなの意見も聞くこと、案外が良い考えが出ることもある

 人はそんな根性の悪い人もいなければ、そんな根性の良い人もいないと思います。お互いの考え方、感覚の違いを認め、それに対してお互いにどこまで折り合いがつけられるかです。違うからといって切り捨てないことです。つまりお互い意識はしていないけれど、どこかで接点があればいい訳です。そこから気持ちの交流が生まれます。気持ちの交流がないとギクシャクした、気まずい気持ちになります。

 ここ数年仕事場で理解できない人を、どのようにすれば理解できるようになるか考えてえてきました。しかし理解できないことは、無理して理解することはない、しかしいつか理解できるようになる。そんな事を教えてくれたのがこの本です。カウンセリングの現場の事例をあげて、格闘するカウンセラーとクライアント、必ずしもカウンセラーとクライアントがうまく噛み合うわけではない、しかしそのカウンセリングは失敗というわけではない。何らかの変化,気付きがあること、そんな事を教えてくれる本です。

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もったいない?

2008.5.8

 昨日からのニュース、船場吉兆でお客が箸を付けていなう料理を使いまわした。よくやるなと思う、戦後すぐの物のない時代ならいざ知らず、これだけ物余りで、食がうるさい時代に、考えられない。もったいない、コスト削減、そこから使いまわし。食の世界では紙一重のところがある。家庭料理、家庭の食事では許されろことでも第三者(お客様)に対しては絶対許されないこと。

1.コスト削減、食品リサイクル(良いですね、もったいない精神)

2.賞味期限過ぎてる、でもまだいける。(1の精神でいきましょう。)

3.今のところ問題なし、大丈夫、いきましょう。

 たいていこんな具合でどんどん泥沼に入り込んでいくと思う。消費期限、賞味期限の偽造、産地偽造、不当表示、期限切れ食材の使用。慣れの発生で問題意識、危機意識がなくなる。

 ところが問題が発生すると

1.現場が勝手にやっています。私(経営者)の知らぬことです。

2.パート、社員がやっています。もったいなくてやってしまいました。

3.内部告発

 問題が発生すれば責任は末端の責任ではなく、経営者の責任になること。パート、社員だけに責任を転嫁してもだめ。責任は逃れられない。内部告発は、恨まれる人事、恨まれる雇用をするからである。時流に乗って、コスト削減、もったいない、リサイクルと安易に考えないこと。

 確かにコスト削減、もったいないは大事なことである。時代の流れでもある。しかし安易に乗ってはいけない、諸刃の刃になる可能性も十分あるから。

 

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