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2008年3月

後期高齢者医療保険制度.その他

2008.3.31

 読む本がたまりすぎて今日は本の紹介はありません。弘前は「いしゃさまの町」、そのいしゃさまが後期高齢者医療保険制度撤廃。弘前医師会は「医療機関への自由なアクセスを阻害し、医療現場に祖疹、祖療を強要する」から反対。広域連合は保険証を返還、市町村は返還しなくても良いと、対象者は混乱している。うちの親も返すべきか、返さざるべきか、ハムレットの心境らしい。(ネタ元、陸奥新報東奥日報)。絶対混乱おきると思っていたら案の定。

 実際複数の医療機関にかかっている高齢者を、主治医一人で管理するのは酷過ぎる、情報の共有がうまくいけばそれで良い思うが。親が介護保険のサービスを受けていて思うのは、どれだけ医者が患者の情報を持っているのか、あくまでも私の感だが十分ではないと感じる。介護保険の更新のときに必要な書類を出しているのに、改めて問診表がきたときは患者の情報がうまく伝わってないと感じたのである。ケアマネージャーの調査表と主治医の意見書があるのに。また医療の現場、介護の現場は混乱する。今までの老人保険のままで良いと思うけど。

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永井荷風

2008.3.28

 今日の讀賣新聞を読んでいたら永井荷風の事が出ていた。何で今荷風なの?って感じ。記事の題は「荷風の生き方に共感」となっている。家風は独身生活を満喫した、老いの準備をキチンとし、お一人様の老後の公達として共感されているらしい。

 荷風は2度結婚している。大正元年1月本郷湯島材木商斉藤政吉の娘米、翌年2月離婚。大正3年8月市川左団次夫婦の媒酌で金子ヤイと結婚、翌年2月離婚。(講談社日本現代文学全集第33巻永井荷風集年譜より)、荷風の嫌いな女性は学問があって、嫉妬深い女性、「西瓜」と言う随筆に書いていた記憶がある。岩波文庫のような気がする。     終生尊敬していた人は森鴎外。私が荷風の本を読んだ限り、荷風が独身を貫いたのは世俗を嫌い本当の意味での個人主義、自由人であったからだと考える。そしてきちんと自己責任を取れたからだろう。(なかなか出来る事ではない、現代だから共感できるが戦前の社会を考えると変人だろう。最も小説家は世俗の感覚からかなりずれていたらしい)。

1 あめりか物語

 小説と言って良いのか分からないが非常に面白い。私は時代の記録物語とし読んだが。「牧場の道」、「長髪」、アメリカにいる日本人の様子、荷風はアメリカの夜の世界も探索している、「夜の女」、「雪のやどり」。またアメリカに住んでいる日本人の事も書いているが覚めた目で。「6月の夜の夢」では西洋の女性が好きと書いてあり、結婚を恐れると書いてある。恋はしたいが成就したくないと。荷風の考え、人となりを知る資料としても良い。明治に書かれた小説は荷風自身若いせいか、人を批判的に書いたものが多いが私はこの時代の荷風が好きである。

2 昭和ヂオラマ館

 大変面白くて、楽しくて、ヂオラマが好きな人、とにかく細かいものを作る人にはたまらない。すごいな、こうやって作るんだ、感心する。もー飽きずに眺めて、勝手に物語を作って遊んでいる、そんな自分にあきれるがそれだけ楽しい本。荷風先生が出ているヂオラマはもう映画の世界。昭和の子供たちが遊んでいるヂオラマは「たけしくん はい」の世界。ヂオラマの世界はストーリーがある、見る人によっていろんなストーリーがある。だから楽しい。字のない絵本も読む人によっていろんなストーリーがある。似ている、黙ってみているだけで良い。

 

後期高齢者医療保険制度

2008.3.27

 4月から後期高齢者医療保険制度が始まる。去年の秋あたりからこの言葉を聞いていたがはっきり分からなかった。新聞の折り込み広告として後期高齢者医療保険のチラシが入ってきたが、保険制度の説明があるだけで、今までの老人保健との違い、医療の中はどのように変わるのか説明が具体的な説明が無かった。後期高齢者の保険証を見たが、キャッシュカードの大きさ、ぺらぺらの紙みたいな厚さ、注意書きに紛失しないように。絶対紛失する。保険証の形は都道府県によって異なるらしいが、カード型は老人に優しくない。

1高齢者の心理

 この本は高齢者の心理の変化を大変分かりやすく書いてあり、介護者の心理も少しではあるが書いてある。高齢者の心理の入門書としては読みやすく、性格、知能、など幅広く書かれている。初めての方はこの本を読んでから、老人に関する専門書を読んだ方が老人に対しての理解が深まると感じる。

2わかりやすい新成年後見制度

 この制度は介護保険制度が導入されるときに民法が改正され出来た制度。なぜこの本を薦めるかというと、後期高齢者医療保険制度など、老人を取り巻く環境の変化、介護保険などの申請のとき、キーパーソンになるべき親族がいない人のためにある、任意後見人制度を知ってもらいたいから。任意後見人は老人が元気な時に、老人自身の健康問題で自分自身の事が困難になったとき、本人の代理人として動いてくれる人を、あらかじめ決めておく制度。ますますお一人様の老後が増える中、あらかじめ代理人を決めておくことは大事だと思う。現実に一人暮らしの老人に介護保険のサービスを始めようとしても、キーパーソンがいないので後手に回った事例もある。

 法文も多いので読みにくい部分もあるが質問形式で書かれているので良いと思う。

言葉の海

2008.3.23

 完全に春。公園の桜の木が離れて見るとボーっと見える。あと1ヶ月もしないでさくらまつり。ブログを見たら「言葉の海」 書評があった。この本を読んだのはもう20年以上前のこと。労作ではあるが地味な本だったせいか書評では結構が、一般受けしなかった記憶がある。

 何がすごいかと言うと事典に書ける執念がすごい。「言海」、「大言海」、この国語辞典は大槻磐渓、大槻文彦と親子2代で完成となり、「大言海」の編纂者である大槻文彦は完成を見ることなく死んだ。だから後編の編纂は遺族の手で行われた。「大言海」は全6巻でそのうち1巻が索引。何巻目までが大槻文彦本人の手で編集されたか忘れたが、大野晋が大槻本人の手になる部分と、遺族の手になる部分の違いを指摘した記事を読んだ事がある。「言葉の海」を読んでから何年もたち、手元に本も無く書くのは無責任だが、大槻文彦から祖父大槻玄沢までの家計を遡っていく過程は、森鴎外「渋江抽斎」に通づるものがある。

 「大言海」で「ピアノ」とひいたとき、「ピアノ」の形を細かく表現してあった。「大言海」は絵が一切ないので文章で表現するしかない。その表現には参った。辞書はまさに言葉の海。いい題名の本である。辞書はいかに労作であるか、一読する価値があると思う。

 

要介護

2008.3.21

 この本を読んでまず感じた事は、自分も親もこうなりたくない、こうしたくない。介護支援の中の大変難しい事例を集めた本である。この本は事例毎に要介護度が書かれているので、介護度を理解するうえでひとつの目安になる。一般的に要介護度3になれば在宅は無理、この本で改めて感じた。事例として出てくる家庭の共通点は社会との交流はあまりない。人は年を取れば病を持つ、しかし社会とかかわりが少なくなると体の病より、精神の病がひどくなり介護度を上げている気がする。生活環境ひどさも介護度を上げているようだ。環境を改善するだけでも介護度は下げられる気もするが、それがいかにむずかしいか、取り組む姿には頭が下がる。身体のケアより、心のケアに重きが置かれて書かれている。

 社会との交流がないのは、蚕が繭の中にいるようなもの、支援者スタッフはその繭を少しづつ丁寧に剥ぎ取り、支援の手を差し伸べる。家族はいても誰も介護保険のキーパーソンにはなれない。家族の一人一人が問題を持っている。このキーパーソンがないとスムーズに介護支援は運ばない。介護支援というより家族支援である。そして自分の将来を考えたとき、子供には何もしなくて良いから、キーパーソンはちゃんとやって欲しいと感じた。

春彼岸

2008.3.20

 今日は春のお彼岸。朝食後、彼岸団子をいただく。午後からはふきのとうの味噌和えでも作るか。ようやくこの津軽にも春が来たという感じ。公園の桜の枝切も終わった。朝NHKのラジオを聴いていたら「命の対話」である。 録音ではあるが嵐山孝三郎氏が出ていた。氏のおじい様が「死んだら仏間の仏壇に入る」と氏の小さいときおっしゃったそうだ。なるほどいい表現だ。だから死んでもいつも見ていると言う感じか。

 「追悼の達人」これは非常の面白い、私が感じたのは小説家と言うとまじめ、特に戦前の作家は精錬潔白、真面目というイメージだが。ところがどれも破天荒で、現代だったら生活破綻者かもしれないと感じたし。今の時代だったらマスコミに追い回されるだろう。

 鈴木三重吉が酒癖が悪いのは驚く、」赤い鳥」の創刊者、児童文学、実物はその真逆。川端康成が「葬儀の名人」、島崎藤村が文壇から嫌われていた事、後世の人は大小説家と言うイメージ、静かに仏壇に収まるイメージ。しかしこの本を読むと、仏壇に静かに入っているだろうかと考える。違う、黙って入っていない、仏壇から出てくるかもしれない。「追悼の達人」を読んでから、この本の納めらている作家の小説を読むと、あんたも大変だったねと言いたくなる

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キンダーブック

2008.3.18

 キンダーブックが100年して絵や童話の代表作を出版したもの。自分自身幼稚園ので読んだものは、たぶん講談社の絵本だった気がする。しかし母の実家に行ったときはキンダーブックだった。祖母が子供たちが読んだキンダーブックを残していた、表紙が破けたのか新しく表紙を付け直した物もあった。戦前の版である。私の記憶が正しければ横長の本と縦長の両方があった。表紙を付け直したほうは横長のものである。多分横長のほうが古く、母の兄である伯父たちが読んでいたので破れたのだろう。

 記憶を手繰り寄せていけば、戦前の児童書と戦後の児童書の違いは色にある。多分紙の質にもある。戦後の多くは紙がつるつるしている。(昭和30年代くらいから)しかし戦前の児童書は紙がザラザラ、サラサラである。インクの違いもあるだろうが、戦後の色使いに比べて色全体が柔らかく、作者の線の表現も戦後の作品に比べて、柔らかい。たまに戦前の絵を今の印刷で表現しても硬いと言う感じがする。戦前のキンダーブックを読んできたせいか戦後のパステルな色は硬い感じがする。

 私がキンダーブックで何を学んだかと言えば、児童書は写真より絵である事。キンダーブックばかり読んでいたせいか、小学校に入ってから図鑑を読んだとき写真が多くてうんざりした。写真はどうしてもチラツキが多く見にくい、絵のほうが見やすいから記憶に残る。今でも頭に残る映像は絵である。感動すると言うか子供にすごいと感じさせるのは絵のほうだろう。図鑑も最初は戦前のばかり読んだせいもある。

 子供が小さいときは図鑑から読ませた、字が読めなくても楽しい。写真の載っている図鑑ではなく、絵だけの図鑑。私が児童書を選ぶ基準は絵にある。色使いはやさしいもの。キンダーブックを読んで鳥の絵を見たとき、あまりのリアルさに鳥嫌いになった。戦前のキンダーブックは、お金持ちの子が幼稚園に行くのでその子達の家庭を対象にしているせいか、生活のレベルが高い家庭の絵が多い。ハイキング、ピクニック、海水浴、戦後は普通でも戦前はごく限られた人だけ。

 でも戦前の子供向けの本はかたかな、横書きの表記は今と逆だから、「いろいろ」を「ろいろい」と読んでいた。子供心に戦前と戦後の文化の違いのギャップを感じた。p>

ぬりえ

2008.3.17

 最近「おとなのぬりえ」がちょっとした流行。本屋のコーナーや、文具売り場にコーナーがある。しかし女性はやはり「きいちのぬりえ」、良家の子女タイプで、でも何でもお手伝いする女の子。おとなにすれば理想の子供であり、子供にすれば女の子の着たいもの、欲しいもの全部持っているちょっとうらやましい存在。適度に女の子の欲望、憧れをくすぐる。絵を見ながらいいなー、こんな生活したい、こんな家の子だったらとか。なんて私の小さいときの想像の世界だが。

 昭和30年代、子供のお小遣いが5円、10円。10円貰ったときは「きいちのぬりえ」を買ってきてぬりえを見ながら想像の世界に浸った。色を塗るのがもったいなくて集めてばかり、と言うより線から色がはみ出るから絵がもったいなくて、塗らなかった。12色の色鉛筆がほとんどの時代だから、色が足りないせいもある。24色の色鉛筆は昭和40年代になってから持った。小学校卒業するまで結構集めた。

 最近集めた「きいちのぬりえ」を探したがとうとう見つからなかった。しかし不思議な世界である。女の子の年齢は小学校の低学年くらい、でもやっている事は一端の大人。大人の理想の子供と、子供があこがれる女の子、でも実際ありえない、でもありえないから良いのかも

おせちのおしょうがつ

2008.3.17

 すごく楽しい本。ひなまつりの絵本を検索してたとき見つけた。小さい画像を見たときイラストだと思っていたが、実物を見たらフエルトで表現されたもの。フエルトで作品作るとき参考になるなと変なほう考えたり。伊達巻には参った。ふわふわした感じがよく出ている。

 えびを作るときは一つ一つのパーツを作るのが大変だったなと考えたり。重箱の自動車と言う発想は面白い。でもレンコンさんがタイヤで、顔を書いてもらえないのはかわいそうだな。結構活躍したのに。小学5年の息子もニタニタ笑いながら「おもしぇな!」

寝台急行「銀河」

2008.3.15

 まだ寝台急行があるとは知らなかった。寝台特急はあるのは知っているが。特急と急行はどちらが乗り心地がいいかと言えば、特急だろうか。昔大阪に行くとき寝台急行名前は忘れたが、大阪に着いたらグッタリ、やっぱり特急にしたほうがいいなと感じた。しかしだんだん旅が味気ないものになる、目的地に早く着けばいいと言うものではない。その途中の経過が楽しいものである。昼間の特急「白鳥」も良かった。ずっと続く日本海、お天気のいい時はエンエン続くので良い。又秋の山形県に入ったときは黒の屋根瓦、柿の木の風景はなんと味わい深いことか。

 新幹線も良いがのんびりとした旅のために寝台車は残して欲しい。これからの関西は良いな、旅に行きたくなった。

介護保険・要介護・要支援

2008.3.14

 身内で介護保険を使っている人がいる。今回の更新で、要介護1から要支援2になった。よく考えてみると要介護1とは微妙な物である。要介護から要支援になると使えるサービスも少なくなる。身体機能は特に改善された訳ではないが、自立度が高くなったために要介護から支援になったのかなと一人で感じている。要介護1だと更新の時どちらになるかでかなり違ってくる。1ヶ月に使う利用料金も少なくなるので、欲しいサービスは自腹を切るしかない。経済的に苦しい人は大変である。確かに介護度が上がれば利用料金も多くなり大変だが、自腹を切るのも大変。

 今回の更新で初めて知ったのは、要介護の場合、利用者からケアマネジャー、ケアマネージャーから事業者と言う順序で、お互いの連絡を取り合う、必ずケアマネージャーを通すのが、要支援の場合利用者と事業者の直接の連絡になるとは、初めて知った。使いたいサービスも事業所によって扱って無かったりで、サービスの内容によっては事業所を変えなければならない。介護保険では利用者本位と言いながら、事業者本位と思う事が多い。出来れば同じ事業所でサービスを受けたいと思うが、現実はなかなかそうならないらしい。

 介護者はどなたもニコニコと優しい、しかし心の中では大変なストレスを抱えている人もある。何でも言ってください、使えるサービスはどんどん使ってくださいと言うが、介護者で悩みがある人の話を聞く度、そんなわがままはいえないのである。介護者が泣きながら苦しい現状を聞くことがあるので、ニコニコした顔を見るのが辛くなる。

ワークライフバランス社会保障事典

2008.3.14

 国会中継を聞いている。誰でも願う事はワークライフバランス、しかし現実には有休は取りづらい環境、残業が多い、子育てのための環境。しかし子育ての環境に関しては昔に比べてよくなった。子供が出来てても働く事でき、延長保育も出来る、ただ個別にはいろいろ問題があるが環境面では整っててきたと感じる。

 私は41歳で子供を生んで、保育所に預けて働いたが、同じ年の友人たちは延長保育、児童手当、出産育児一時金等がまだ不十分なときに子供を出産しているのでうらやましいと言われた。しかし女性が働くのが当たり前になって、子育てとのバランスを考えるとまだ不十分。働く現場では法律遵守と言うわけではない、私が考えるに経済状態が悪い時代が長く続きすぎたためか、経営者は働けるだけありがたく思えと言わんばかりに、残業させるでも残業代不払い、有給休暇を要求すればいい顔しない、その時代に慣れすぎたようだ。交代要員もギリギリ、ワークライフバランスが取れていない。

 ワークライフバランスが取れなくなったとき、仕事を辞めなくてはならない時、個人ではどうしようもなくなった時、公的機関にすがるほうが良い。しかしそのシステムを知っている人はそんなにいないだろう。この本は今この国で受けられる公的サービスがすべて載っている。他に市町村独自のサービスもある。近年は法整備のほうが早いので、現実の方が対応するのが遅いような気がする。だから国民はイライラするが。平成18年度版の帯には「ライフサイクルに沿ってコンパクトに解説」と書いてある。いろいろな社会保障システムは知っていて損はない。

ゴールドブレンド

2008.3.13

 ゴールドブレンドのコマーシャルが懐かしい。あの頃は高校生で丁度「狐狸庵」シリーズがよく読まれていた時期で、ユーモア作家と言うイメージがありあんな渋いとこあるのかと意外な感じがした。結構シリーズがあって面白いコマーシャルだった。唐沢寿幸氏も遠藤周作と並んでいるのが何の違和感も無く、自然で良い。

 遠藤周作はユーモア作家、文士劇で人を笑わせる人と言うイメージがあった、しかしクリスチャンで、純文学の作家とは知らなかった。「おばかさん」、「私が棄てた女」、を呼んだとき、そこまで犠牲になって自分はどうなるのと主人公の善良さに腹が立ち、その善良さを利用する人たちに腹が立ち、だったら自分はそこまで出来るのかと、自分自身のエゴと言うものが問われた気分になった。短編も読んだが人の持っている善と悪、特に自分自身持っている悪に部分を抉り出すようで、怖くなり読まなくなった。読後はいつも自分で自分は何だと問われる気がする。

メタボ

2008.3.12

 昨日は少し寒かった。今日は春のようだ。岩木山がきれいである。昨日の自分の昼食。豆パン、マーガリンが挿んであると麦茶。腹が減ってしょうがなかった、久々菓子パンも食べたかった。しかし頭の中はトランス脂肪酸、炭水化物の取りすぎというワードが飛ぶ。あんた栄養のこと言ってんじゃないの?なんていう内なる自分。でも我慢できない、とうとう食べた。まったりした久々の味、マーガリンがまったりしてなんともいえない。ほとんどマーガリンは口にしない。バターばかりである。

 昨日はほとんど体を動かしていないから、メタボまっしぐらの食事。今年のキーワードはメタボだろう。体に消費され無かった糖質、脂肪が付く。その原因が生活習慣、そして生活習慣病。その前が成人病で、40歳を過ぎたら健康に気をつけて成人病を予防。なんてこともあったが、生活全体が楽になりすぎて年齢に関係なく、昔成人病といわれる病気が発症する時代に。

 カロリーが低い食事が良いように言われているが、私はそこの所を気をつけないといけないと思っている。ただ単にカロリーを下げるよりも体を動かすほうが大事だと考える。自分で食べ過ぎてるなと自覚している人は節制したほうが良いけど、それ以外健康診断で異常が無ければ、きちんと時間通り3食、食べて運動したほうがいい気がする。

 私は何が怖いかというと偏食である。心の病気になり。意欲も気力も低下し、ただ命を繫ぐためにしか食べないためにやせた人。ダイエットしたのは良いがカロリーを下げる事だけに目が行き過ぎて、あれだめこれだめで、激やせとうとう食べられ無くなり生理も止まった人。もともと少し太っていたが、栄養の勉強をしてるうちにいろいろ詳しくなりすぎ(カロリーに)じゃ少しやせて見ようかが、激やせになったのである。本人に言わせると食べられなくなったと言うし、少し涼しくなる寒いと言う、顔色が悪くなる、動けなくなる。はたで見ていても怖かった。健康的にやせてください。

やこうらっしゃ

2008.3.10

 不思議な本である。絵だけ、それでもなんとなく心が温まる本だ。何度見ても飽きない、そのつど自分の頭の中でストーリーが作られる。昔の汽車は暖房が効きすぎたものである。本の中で赤ちゃんが泣く絵を見ていたら思い出した。ヌクヌクと暑い汽車の中から出たとき、外のひんやりした風が気持ちいい。狭い空間から解放されたという、寝台車から出たときの独特の感じが伝わってくる。自分も汽車に乗っている気持ちになる。頭が疲れたとき手にする本だ私は。

 夜行の寝台特急に乗った最後は27年前、東北新幹線が開通する1年前、新幹線が日本国中つながるようになってから、忙しくなった気がする。移動時間が短くなった分旅行の中身が濃くなりすぎて疲れを感じるようになった。</p> p>

 白鳥も運行距離が短くなって、食堂車も無くなり、車窓を見ながらの食事も出来なくなった。駅弁の忙しなさとは違うものである。p>p>

食べることの心理学

 2008.3.10

 今日は朝からポカポカ、雪片づけ2回、コートなしでママチャリで買い物。何度かダイエット、肥満について書いてきた。偏食はいけないとか、バランスの良い食事とか、頭に良い食事とか。でもどっちを優先的に考えればいいの?と迷うと思う。最終兵器としてこの本をお勧めしたい。

 心理学の立場から書かれているので栄養面では深く掘り下げていないがかなりの良書だと思う。なぜ食べないのか、なぜ食べるのか、なぜやせたいのか、肥満するのか、その事が体、特に心理的に及ぼす影響が分かりやすく書かれている。変わっていく食卓の風景、その変化が及ぼす影響。私は栄養を考える前に先にこの本読んで食べる事とはどんなものであるか考えて欲しいと思う。特に子供の偏食、好き嫌いで悩んでいる人にはいいと思う。食事については兎角栄養の事が話されるが、単純に食べる事から始まって、それから栄養、食事と考えてもいいと思う。

 良い食事を作るためには一日30品目、施設給食なら可能だが普通の家庭ではどうだろう。共稼ぎだったら?ちょっと難しいですね。私が実践している事は、子供は絶対孤食はさせない。大人が食べてしまっていたらそばにいてやる。三度、三度きちんと食べる。作る時間がないときはスーパーの惣菜でもいい、コンビニのお弁当でもいい。とにかく一緒に食べる。私は栄養よりも心理的なことを大事にするので。いくら体にいい物を作っても孤食をさせては何にもならない。

 揚げ物は原則しません。おやつとか外でいろいろ食べていると、自然に油脂類を摂取していると考えるので。子供は好き嫌いが多いのですが、調理の仕方を工夫すると食べてくれるので、それに成長に従って好みも変わるので、そのうち食べるようになるはずです。極端な偏食に場合は、なぜそのようになったか、その背景を考える事が大事です。健康上問題があって食べられないもの、制限されるものがある人は別にして、栄養のことはあんまり深刻にならず、心がけるだけでも違うと思います。

 食べる事が楽しいと思えば自然なんでも食べます。作る事が楽しくなります。食べる事が楽しいと思わなければ、ただ命をつなぐだけの食事になります。偏食です。でも1年中そうとはいきません。なんでもありです。在り来たりですが、三度の食事をきちんと、好き嫌いなく、嫌いなときは少し工夫をして、それでもだめなら少し待ちましょう。 p>

名物

2008.3.9

 今日は少々寒い。まだ百沢スキー場のライトがついているからまだ本当の春ではない。個人的には百沢スキー場のライトが消えたら本当の春だと思う。

 昨日テレビで「いい旅夢気分SP心に染みる冬の絶景」を見ていたら、田中健氏親子が八甲田、五所川原、弘前に来ていた。ご母堂のお元気な姿はとても85歳には見えない。この気候の厳しい時期、ご高齢に関わらず、八甲田、百沢、五所川原の移動かなりきついなと個人的に思った。かなりの移動距離、まして雪道なので相当しんどかったただろう。しかし地元にいながら我が家から歩いて数分のところにある、郷土料理屋「炉辺」が意外と安いこと、百沢のホテルがしゃれた料理を出すかとは全然知らなかった。灯台下暗しである。

 青森県の話題の名物として南部の「せんべい汁」、黒石の「スープ焼きそば」、最初は「せんべい汁」がブレイクしていると思ってたら、この頃は「スープ焼きそば」の気がする。津軽では「津軽せんべい」つまりせんべいとして食べるくらいで「せんべい汁」はいまいち。

 でも南部では「南部せんべい」というせんべいとは別に汁物に入れるせんべいがある。南部は津軽に比べてやや粉食文化かなと感じる。個人的に感じるのは(あくまでも個人的な感覚)、「南部せんべい」は「津軽せんべい」よりゴマの量が多い。創作のせんべいの種類が多い。その他のお菓子でも、津軽は餅菓子の類が多い、南部は饅頭の類が多い。

 黒石の「スープ焼きそば」はそばつゆとソースの合体が許せないので食べない(ソース味が本当にだめ)。けなす訳ではないが太麺も苦手。しかし黒石では昔から焼きそばは太麺。細麺の焼きそばはピンと来ないと黒石の人はいう。しかし私はやはり「三忠食堂」の細麺のラーメンがいい。黒石と弘前は車で20分かかるか、かからない距離なのに食べ物に対するこだわりがかなり違う。

 昨日八戸の親戚からお菓子が送られてきた。その名も「八戸美人」パイ饅頭である。今全国的に話題の美人市議が八戸いる。あらためて南部は饅頭文化だと感じた。八戸の昔からの名物は「つるこ饅頭」。たしか「かもめ饅頭」もあった気もする。

 

心の仕事

 カウンセリングの勉強をして見たいと思ってインターネットで検索してみた。一口にカウンセリング、相談員の仕事といっても、心をケアするという根っこは同じでも種類が多い事。似ているようでどこか違う、どう違うか分からない。そんなときこの本と出会った。

 心の仕事の種類、養成期間、現状がよく整理されていて、この本を読んで興味のある分野を絞り込んでから検索したほうが良いと感じた。検索しても学会、協会とどこがどう違うのか分からなくなってくるので、この本を読んでから検索したほうが分かりやすいと思う。</p>

ダイエットする?

 2008.3.8

 やっと春らしくなった。風が柔らかく、肌にあたると気持ちが良い。お天気も朝からはれて、少し風が強いが、1週間前の冬の天気がうそのようだ。昨日からママチャリで、少しは体重を落とせるな。冬で体に付いた脂肪を落とすか。

 この本は肥満に対して深く掘り下げて書いてある。なぜ肥満するのか、健康的な痩せ方、運動をしてやせるためにはダイエットをしている事を意識しないといけないという。、そうだろう、体を動かした分、食べたくなる、それで食べたらいつまでたっても体重は減らない。そして痩せ方も十人十色。

 著者が言うにはBMIが30以上では健康上やせた方が良い、しかし25以上でも危険因子が2つ以上あればやせたほうが良いという。ちなみに理想のBMIは22である。「脳によく効く栄養学」の著者も、極端なダイエットはよくない、もっと体のことを考え栄養のバランスの良い食事をしながら、運動をして痩せなさいと言うことである。

 根本は偏食はしない事。偏食と運動不足による肥満。偏食によって栄養不足になりがちなダイエット。まずは偏食しないことが大事、そして腹八分目か。</p>

Lなぜ甘いものを食べるか?

 2008・3・7

 「デスノート」を映画で見たとき一番驚いたのは、Lがつぎつぎに甘い物を食べる事。見ているうちに胃がもたれてきた。松山ケンイチ君も大変だったろうなと思う。何であんなに食べるのかどういう設定でと不思議に思っていた。そのなぞを解いたのが「脳によく効く栄養学」。あくまでも私がこの本を読んでそうだろうなと感じただけであるが。

 人間の脳は一日に摂取するカロリーの約20%をブドウ糖という形で消費する。脳のエネルギー源はブドウ糖である。それ以外にも体を使うときにはエネルギー源としてブドウ糖が使われる。著者は運動をしてダイエットをと提唱している。ただ単に炭水化物、脂質を敵視しない、バランスよく食べる事。太るからあれはだめ、これは良いから多めに食べる、偏食はよくない。本人の考えでは良いかもしれないが、体のためにはよくない。下手なダイエットをして心理的に変調をきたすのは、単に心理的なものではなく偏った栄養バランスである。

 話をLに戻そう。小説「Lチェンジザワールド」ではLの「甘いものリスト」が出てくるからもともと甘いものが好きらしい。「疲れた体には糖分が必要です。」とか、ネットカフェでパソコンを酷使するシーンでは砂糖を異様なくらい摂取。イベント会場で真希と走っているとき、Lがばてるとき、「脳細胞が甘い物を要求をしているんです。」頭脳を酷使するLは常に多くの糖質を必要とする。Lは普通の人間の何倍も頭を使うから、何倍も糖質が必要となる。なんて勝手に考えてる、私だが。

 それも複合糖質ではなく、すぐエネルギーに変わる単純糖質が多い。常にエネルギーが必要なのだ。だからこの小説の著者は栄養に対する知識が豊富だと感じる。食事の基本は好き嫌いなく、三度三度きちんと食べる。細かい事を考える前に、キチン食べよう。p>p>p></p>

読書

2008.3.6

 一体いつ位から本を読み始めたのか、多分3歳か4歳くらいかな。最初は絵本、講談社の絵本戦前の本が多かったから、乃木対象、赤穂浪士、桃太郎。その後は漫画、リボン、少女、マーガレット、セブンティーン。気が付けばもう老眼で、ちらつく色、光が苦手になった。

 本の栞は読書するとき大事なのに、すぐ無くしてしまう、だからそこいらの紙切れを挿んでしまう、色気がない。叔母にもらった本に挿む金属製の栞のようなものを貰って、何年か使っていたが又無くしてしまった。

 昔は観光地のお土産屋に、観光写真の栞が売っていた。今もあるのかな?そういえば電車の中でも本を読んでいる人が、以前に比べて少なくなった気がする。 p>読書に便利なユニークグッズ特集;

 私の読む本は地味系。本を処分するときに、古本屋さんに来てもらうが難しいと言われる。売れにくい本で、全集物は特に売れないらしい。でも無理に買ってもらった事がある。置き場所がなくなるので仕方なく売るが、本を出すときはすごく悲しい。一度読んだ本を又眺めるのが好き、だが部屋が狭くなるから処分する、読んだ本全部残せたらいいんだけど。でも年のせいか以前のように一気に読むのが面倒。ポチポチ読みである。

ブログを初めて

2008・3・4

 ブログを始めて今日で2週間になる。始めるまで2,3ヶ月くらい決心が付かなかった。しかし始めてみると見ると楽しい。どういう内容だったら長く続くか、アフィリエイトは本当にお金になるか、いろいろ考えた。他で仕事が出来るならその方が良いに決まっている。しかしこの2年間仕事を探してみたが採用されず、アルバイトも50歳を過ぎるとなかなかない。そのうち親の介護が始まり、ますます働く条件が狭められ、その中で何が出来るか、年に関係なく出来るもの、だったら好きな本の事を書こう。続くかもしれない。それで決心。

 しかしあまりにも簡単に始められるという言葉がネット上に氾濫している。良識のあるサイトもある。簡単にお金が欲しくて、アフィリエイトを始める人はその簡単と言う言葉に惹かれるだろう。私も惹かれそうになった。しかし冷静になってよく考えてみると簡単に出来る仕事なんてない。お金が欲しい気持ちは分かるが、その気持ちを少し抑えて、コツコツ始めていくのが一番の早道である、欲が冷静さを失わせる。p>

 いつまで続くか、どのように変わっていくか自分で自分の変わりようが楽しみである。p></p>

戦前の少年犯罪

 この本を読んだとき戦前これだけ少年犯罪が多く、どれも現在の少年犯罪より猟奇的なものが多いのにびっくりした。著者は古い新聞を丹念に読みデータベース化している。現代の少年犯罪は現代と言う特別なものではない、過去にも同じような事件が数多くあり、今まで語られないだけであると言う。昔は今の時代と違って子供にとって良い時代、大人は今の人と違って立派だったと言う、都合のいい事に騙されてはいけないという。戦前は国が貧しく、人身売買、暗いと言うイメージがある。しかし国民は貧しくとも心豊かで、純朴、地域のまとまりは良くと、良いこと尽くめと言うイメージがあった。一部、経済的に豊かな人たちは「細雪」の世界、女性は華宵が描くごとくものばかりと思っていた。それが根底からひっくり返り、逆に良くここまで見過ごせたもんだとあきれる。もう少し早く問題解決していたら、ここまでひどくはなるまいと感じる事例もある。しかしこれは現代人の発想。なぜ少年犯罪が無かったように思われているか著者は、一部地域でしか取り上げなかった事、時代が戦争に向かう中で少年犯罪より、戦況に関する報道が多くなった事をあげている。

仮に取り上げたとしても、一億総力戦で戦いに挑む事が国民に求められている時代だから、検閲に引っかかって載らないだろう。昔に甘く、現代に厳しい、でも今も昔も人間あんまり賢くなってないから、似たような事件が起きるのかもしれない。p>p>

華宵のおしゃれ教室

 なんと言っていいのだろうか。怪しい美しさ、退廃的な色気、うつろな瞳、アールヌーボー、大正ロマン、現代では絶対表現される事はないタイプの女性。華宵の理想とする女性なのだろうか、求める女性のレベルはかなり高いらしい。だからたぶん理想の女性かもしれない、華宵好みである。私には谷崎好みの女性に見えなくもない。「細雪」の中で女性の持ち物、着物の柄などの表現が細かく、多い。谷崎自身、女性の身に付ける物を見るのが好きだったらしい。「細雪」が華宵の挿絵で描かれた本があれば(ありえないが)、究極の「細雪」かもしれない。

 読み方はいろいろある、私はある時代の風俗としてみる、華宵によって描かれたスタイルを取り込む事ができた女性はほんの一握り、多くは本を眺めてため息をついた事だろう。今でも十分ため息はつけるだけの魅力のある絵だ。初心な世間知らず、なんとなく支えたくなる、静かなイメージの女性が多く表現されているが本当に多かったのだろうかp>。p>

細雪

2008.3.4

 「細雪」は小説の中で一番好きな作品。もう36年間飽きもせず折に触れ読んでいる。最初に読んだのが高校1年のときで、なかなか理解しがたいところもあったが、四姉妹の生き様が面白く一気に読んだ記憶がある。特に盛り上がる場面はない。ただ四姉妹の四女妙子がトラブルメーカーでハラハラさせられながらも(自立していく女性、しかし回りは理解しがたい行動に見えるらしい)、三女雪子のお見合いと未婚の妹たちに起こる事柄と四季折々の行事を絡ませた、家庭小説。長女鶴子はあまり登場しない、次女幸子の目を通して二人の妹が描かれている。だから雪子と、妙子の描き方は細かい。

 没落した旧家の姉妹の物語と書いてある解説もあるが、私は当人たちはその事はあまり頭にはないような気がする。本来は本家にいるべき妹たちが分家の幸子の家にいて、本家を気にしながらも妹たちの行く末を心配して孤軍奮闘幸子に力点を置いて書かれたものだと解釈している。時代的には70年位前だが、決して古さは感じない。今だって妙子のように結婚する前に妊娠されたら騒動だ。私はこの作品に妙子と言う女性がいるから時代を超えて読み次がれていると感じる。もし妙子がいなければ一時代前の古い小説になっていたかも

機能不全家族

2008.3.4

 家庭はうまく機能しているのか、うまく機能していないのか、それは誰にも分からない。しかし現代はいろいろな場面で、精神疾患について語られている。この本は「機能不全家族」と題しているが、現在話題になっている精神疾患について分かりやすく書いてある。ほとんど網羅していると感じる。特に第2章の人生の転機をどうすごすかはいろいろな年代の人を理解する上で非常に良い。文章も分かりやすく、丁寧に書かれているので、心理学、現在話題になっている精神疾患の入門書としては良いと思う。

さっちゃんのまほうのて

2008.3.1

 「さっちゃんのまほうのて」を読んだときの気持ちは心がドスンと衝かれた。子供ってなんて残酷なんだろうと。「てのないおかあさんてへんだもん」、でも意地悪で行ったわけではない。そのままを言っただけ。さっちゃんはそれまで自分の手の事を気にした事はないけど、その一言で自分が他の子と違うんだと気付く。さっちゃんが「さちこのてどうしてないの」とお母さんに聞く。そのときのお母さんの気持ちを想像すると胸が詰まる。

 「しょうがくせいになったらさっちゃんのゆびはえてくるの?」そう思うさっちゃんの考えは分かる。「さちこのてはしょうがくせいになっても、いまのままよ」と話すお母さんはどれだけ辛いだろう。でもそれを聞くさっちゃんはもっと、もっと、大人の想像を超えた辛さだ。

 親の気持ち、さっちゃんの気持ちが童話という短い中にぎゅーっと詰まっている。

 

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