サイコパス

2009・11・19

 この本は読みにくい。なんせアルファベットの略語が多くて、何度索引を見て読みなおしたか。眼窩前頭前皮質を知りたい人にはお勧め。飽きる位出てくる。サイコパス、精神病質または反社会性人格障害。疾患ではないらしい。しかしこの本を読んでわかった事は、今まで本人の体質(適切な表現かな?)と環境が働いて、反社会性人格障害になるらしいとされたが、そうでもないらしい。

 眼窩前頭前皮質、扁桃体の損傷を受けた場合の関与もある。おちゃんがショックなのは出産時合併症を伴って生まれた乳児は将来行為障害、非行に繋がりやすいと言う。特に社会心理的要因が重なった時リスクが高くなるらしい。出産時合併症とは、低酸素、かんし分娩、妊娠中毒症で、脳損傷をおこしやすい環境因子となると言う(おこしやすいのである、なるとは言ってない、ごくごく当たり前の環境であればそうでもないらしい)。出産時合併症を経験したくはないが、悪阻、妊娠中毒症は程度の差はあれ、妊婦の多くは経験する。ストレスを避けるようにと言うが、精神的にも、肉体的にも妊娠中はしんどい。ここいら辺が原因でもあると、妊娠するのが怖い。丈夫な赤ちゃんを産みたい、難産はしたくない。異常分娩はしたくない。神のみぞ知ると言う感じ。

 つまり脳の器質損傷・障害である、しかしこれは誰のせいではない。一つの不幸である。しかし育児環境、家庭環境、広く言えば社会環境も劣悪であれば、もう一段リスクが上がる。しかしこれもサイコパス本人のせいかなと考えると、親を含めた大人の責任、たとえば虐待とか、ネグレクト。おちゃん的に考えれば、サイコパスは二重の意味で、不幸な星のもとに生まれ、不幸を背負って持って生まれたことになる。

 環境ストレスも脳の発達に影響を与える。脳のシステムに障害をおこす。環境とは、家庭環境、育児環境を含めた成育環境と考えれば、諺「氏より育ち」か?眼窩前頭皮質の発達は2,3歳までと考えれば諺「三つ子の魂百までも」か?「教えて?子供の反抗期」、「サイコパス」を読むと楽観主義ではいられないと感じる。

 ある程度育ててしまうと、後戻りが効かない、子育てにはやり直しがきかないである。異常な反抗ではない限り、子供のあるがままの姿に期待するしかない。しかし、あるがままを見ると言う事は非常に難しい。親が子供のあるがままを見る事は相当の辛抱である。ついつい言ってしまうのが親、手を出してしまうのも親。親も子供の頃は逆らってきたが、親になると逆らう子供に意見する。不思議な現象が代々続く。

 今まで子育てに関する本を読んだが、どこか楽観主義的な本もあった(きれいごとである)。しかし現実はそう簡単なものではない。子供の頃のトラウマを生涯ある程度引きずるものである。そのトラウマがマイナスに作用するか、本人しか分からない。トラウマは持ってる本人しか分からない。結論、極端な子育ては(事の善し悪しは別にして)、子育てしてる本人は気がつかない。気になってるうちはまだ良いにかもしれない。気にし過ぎるのもダメ、気にしさな過ぎるのもダメ、ほどほどが良い、ほどほども難しい。

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ボランティア井戸端会議

2009・11・15

 昨日文化センターで弘前カウンセリング研究会、ボランティア井戸端会議に出る。思った以上に参加者が多くて、うれしかった。参加してくれた皆様、ありがとうございます。しかし想像以上に、カウンセリングに興味を持ってる人が多くて、驚いた。そしてみなさん、考えていたよりも大変なものだと思ったと思います。

 ハローワークに行っても相談員が分かってくれないと言うのは、相談員は気がついてるか、気が付いていないな分からないけど、上から目線である。指導、助言なのである。それをするのはコンサルタントなのである。どうしようもないのが来たら、いろいろ言いたいかもしれないが、それなりの理由があって、どうしようもなく見えるのである。

 ハローワークあたりに、メンタル系の相談員置くと言うがやめた方が良い。ハロワはそんな場所ではない。あんな騒々しい場所で出来るか。そんなことより既存の相談機関をうまく利用できるように、交通整理する方が先だ。相談はしたいがどうすればいいか分からない人がどれだけいるか。おちゃんもある相談があって電話で聞いたら、担当が違うと言われた。ならばどことか関連を教えてほしいと思った。しかし聞く方自体がよく分からないから、何を聞いていいかよくわからないのだ。そんな交通整理をしてくれるところがあればなーと。

 タウンページを見てごらん、相談機関の多い事、しかしである。どうすればいいのか、相談しようと決心したが、」うまく利用する術がよく分からない、理解されていないのが現実の様な気がする。またハロワの話になるが、掲示物を良く見ていないという個人的な原因もある(おちゃんはハロワに行って掲示物を良く見て、フリーダイヤルで労働相談に乗ってくれるところを見つけてどれだけ助かったか)、逆におちゃんはどこで見つけたと聞かれた。ハロワの掲示物だよ、掲示物みなよと言ったけど。

 カウンセリングと言えば難しいような気がする。しかし日常の会話でも結構カウンセリングみたいなことしてる。親しい人に話を聞いてもらう事。誰も何でもしゃべる人に話さないだろう。それと同じ事である。理屈でいけば難しい。しかしやってみればそう難しい知識が必要なものではない。何より大事な事は、あるがままを見て、感じて、聴く。しかしクライアントは必ずしもあるがままではない、非あるがままの部分もある。話さない自由、見せたくない自由である。

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教えて!子供の反抗期

2009・11・10

 「三つ子の魂百までも」である。もう子供を育て上げた(ある程度育て上げた人は少々ショックかもしれない)、おちゃんもショックである。しかし脳の発達から現実を語っているから受け入れるしかない。現実に起こってる事が事実であるという言葉は説得力がある。

 今の親は子供が反抗することを恐れ、子供に対して厳しすぎたり、甘すぎる。子供は反抗するのが当たり前。その当たり前のことが今の親にとって恐怖となっている。しかし正常な反抗と異常な反抗があること、親としてはそれを知る必要がある。現代のキレやすくなった子供の根っこがどのあたりにあるのか、歴史的に検証している。子供中心主義、ゆとり教育等。

 正常な反抗は心配ないが、異常な反抗の原因として脳の前頭前野の障害、特に眼窩前頭皮質の重要性破興味深い。眼窩前頭前皮質がき弱性を示すと反社会的行動を示すと言う(性格異常、衝動抑制障害、行為障害、学習障害)。しかも眼窩前頭皮質の発達は2歳から3歳くらいまでで(臨界期)、人間としての基本システムが出来上がると言う。ならばどうすればいいか。一番良くないのが虐待、ストレスホルモンによって、眼窩前頭皮質の発達が阻害されると言う。十分な愛情(充足欲求型の愛情だけでなく、自己抑制型愛情も)。ここでおちゃんはハッと思った、果たしてボヘミアンをどうやって育ててきただろうと。たぶん充足欲求型に近い、自己抑制は自信がない。著者の考えは自我の発達を基本とする欧米型である。しかし「甘え」が心底しみついた日本人は自然甘やかしてしまう、自己抑制とは難しいと思う。

 つまり、自己抑制と充足欲求型の中間で子育てができれば良い、どちらかにぶれながら。昔の親はそれがうまくできたが、現代は厳しすぎるか。甘すぎるかのどっちかである。結論、眼窩前頭前皮質の臨界期を考えれば、「三つ子の魂百までも」は本当だろう。子育てとは親子で壁にぶつかりながら行う作業であると考える。綱引きでもあるが、子供が大きくなるほど、親は子供に引きずられる。そのピークが思春期である、この時言う事はお子さんの成長力に期待しましょうである。ありのままを見るである(正常な反抗であるとみた場合)。著者はこの辺りを懐疑的に見てる。つまり、年齢が増すほど、まともに戻すには時間の手間がかかるから。

 ありのままを見ることは丸投げではない、見守りである、そして何より忍耐力である親の。子供に忍耐力をつけるなら、親も忍耐力が必要か。親が我慢できないから、厳しくしたり、甘やかすということか(親自身が安心したいのだ)

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景気後退貧乏料理13  イカ様

2009・11・6

イカ一杯を使って、漬物、酒の肴を作る。

 ★キャベツとイカの漬物

 ●材料

イカ一杯(漬物は胴を使う) キャベツ中玉1/2個 生姜(チューブ入りでも良い) 人参少々

作り方

①イカは足、耳をとり胴だけゆでる、イカの皮は剥くが、適当に向くだけでも良い。1㎝幅に切る。要は食べやすい大きさに切ればいい。輪切りのままだと食べにくいかもしれない

②キャベツ、ニンジンは千切り、ポリ袋に入れて、塩を入れて揉む。しんなりしたら、イカ、生姜、酢を入れる。重しをかけて一晩置く。次の日は食べられるが、一晩置いた漬物は冷蔵庫に入れる。

 おちゃんの味付けは適当である、しかし浅漬けはだいたい味の感覚は知っていると思うから、分量は書かない。

 ★イカと大根のゴロ煮

●材料

イカの耳、足、内臓(ゴロと言う)、大根1/4本

作り方

①大根は厚さ5mmのイチョウ切り、耳は1㎝、足は一本に切る。

②鍋に大根を入れ水はヒタヒタに入れて、大根に火が通ったら、そば汁を入れる。濃さは4倍くらいが良い。イカもいれて10分くらい煮る。

③内臓も入れる。内臓は袋から箸でしごいて出すと良い。一煮立ちさせる。

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「甘え」の構造]

2009・11・4

 初版昭和46年、著者は今年亡くなった。たぶん今後も多くの人に読まれると感じた。38年前に書かれた本であるが、今の時代背景と変わらない、もともと日本は甘えを許す、受け入れる国なので、今も昔も変わらないのかもしれない。学生運動も甘えの一つかなと考えれば、いたずらに社会を混乱させただけで、何も残らなかった。一体なんだったのだろう。ただ社会に対して不満をぶつけただけで、要求が通らないのが分かると止める、まるで駄々子である。校内暴力の影響はまだどこに残っている、まだどこかで起こっている、こちらの方が傷が大きい人格が完成された大学生と違い、まだ人格完成の途上の中学生だからその傷がいえないまま成人した人もいる。、いろいろな原因もあるだろうがこれも甘えが原因かもしれない。

 心理、精神を表現する日本語には「甘え」と言う意味が多く含まれている。その言葉一つ一つに精神、心理的意味を発見した労作であるし、われわれが日常意識することもなく使っている言葉に、こんな意味があるのかと改めて感じた。読んでいると精神科医が書いた本と言うより、国語学者が書いた感じがする。門外漢とは言いながらよくぞここまで、丁寧に調べ解説しているなと驚く。

 しかしこの本を読むとき、多少精神、心理の知識もないと戸惑うかなと思ったが、各章の終わりの部分に解説がある。読み進んでいくうちに感じたのは日本人の感覚の中に十分甘えたい、甘えさせるものがあり、十分甘えることができなかったものが後年精神疾患になりやすいという指摘はなるほどと思った。また内と外、本音と建て前と言う日本人独特の思考も、身内に甘いが、他者には厳しいという指摘もなるほどと感じた。しかしこれが存在するから、簡単に甘えを許す、受け入れると言う事にはならない。バランスが取れている。笑ったのは家族では日常の挨拶はしないが外では挨拶をする、家族では甘えがあるからしないが、外面で外では挨拶をするなるほどと思った。おちゃんもボヘミアンには内と外を使い分けろと言ってるが。

 欧米では、自律、自我、自由の社会である。甘えと言う事が許されない(だから、個の自律性、自由が重要視される)と言う訳ではないが、甘えに相当する言葉が少ないらしい。甘えとは依存であるが、病的にならない程度では日本では許される。しかし欧米では良く思われないから、甘えたいという心理状態になった時、人は苦しむらしい。著者が留学中に治療者と患者の治療の様子を観察した時、治療者のそっけない態度にびっくりしたという。これはおちゃん的考えかもしれないが、同じ治療者でも欧米では症状を良く見、分析、原因、診断である。しかし日本の場合どうしても(DNAでもう甘えがしみ込んでる民族)、患者の現象でとらえるつもりでも心の中に介入してしまうから素っ気ないと感じるのかなと思う。

 甘えと自立・自由のバランスで生きていければ良いが難しい。欧米では個として生きていくことが要求され、すがることは好まれないから、すがりたい時は苦しむ。日本では自立して、自由に生きなさいと言われればどうしていいか悩む。アー難しい。しかし甘えと言う現象をここまで追求すると(良い悪いは別として)、悪ものではない、逆にうまく利用するかと思う。また日本人の特性なんだから、何でもかんでも自立、自我と強制することもない。

 結論、内と外、本音と建前の使い分けが一番。ハッキリ、クッキリ区別するのは良いけど角が立つ。これって結構苦しい。やたらセンテンスが長い文章で、ちょっと苦しいけどいい本です。

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広報弘前

2009.11.3

 とうとう載りました。広報弘前11月1日号。ボランティア井戸端会議に弘前カウンセリング研究会出ます。一人でも弘前カウンセリング研究会の存在が知られること、それが一番の願いです。自分でもカウンセリングを経験するまでは、相談すること、話すこといろいろ躊躇したが、こういう事を話していいのか、まだ話すほどでもないとか、話すということをためらう事があった。

 大方の人はこのような悩みを持っている、なかなか決める事が出来ない。決めるのは本人だが、話すこと、話さないことも自由である、しかし経験から言うと思いきって話す事がどれだけ大事なことか、いろいろな悩みを持っている人がどれだけいるか、悩みを持っているのは自分だけではないという事。

 往々にして悩みを持っていて、愚痴る人、仕方がないと言う人は自分だけという思い込み、話しても解決にならないと考えている。そうでしょうか?人は誰でも悩みがある、あって当たり前、ごく自然に友人、家族、知人、同僚に話を聞いてもらっている、話を聞いているのだ。泣く、笑う、怒る、自然に腹の中に溜まっている事を発散させている。ただ内容がはばかれる物、身の回りの人には話したくない事にカウンセリングという手段を使うだけである。自分で何でも解決できる人はいらない。しかしどうしようもない時だってあるのだ。

 まだまだカウンセリングとは特別なものと感じてる人、カウンセリングを受けていると言えば特別視される。おちゃんもそうだった。どうしようもない悩みを抱えてる、どこかおかしいとか、そんな周りの目を気にしても自分のためには成らない。悩んでるのは自分だから、悩んでる自分に対して、自分が悩んでいる、悪循環である。

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大作家”ろくでなし”列伝

2009・10・28

 題名が面白いんで買ったが、ギャフン面白くねー。嵐山孝三郎の「追悼の達人」の様な物と期待していたが?裏切られた。列伝と言うより、作家の文章を引用しながら(おちゃんに言わせると引用が多すぎる)、単なる履歴で終わってしまっている。これだったら全集でも読んで、最後の年譜を読めばいい。

 ろくでなしという題名の割には、ろくでなし的内容を感じさせない。あまりにも文章が淡々と進んでいるので、カックン、過激な文章表現ではないので、ろくでなしと言う感じをつかめない(おちゃんの頭がわるいのか)。あまりにも平板すぎて、立体感がなさ過ぎて、田んぼの中をただ歩いたという感じの読後感。

 唯一過激な表現?川端康成の項、川端康成は舞妓を20人呼んで、何もさせずに舞妓の顔をじっと眺めたという。舞妓二人を並べて対比するように、著者は舞妓たちにとって屈辱だという、レイプされた方がまだましだと書いている。著者は川端康成の無神経さ、図太さを言うが、おちゃんに言わせるとレイプされる方がまだましだろうという表現は許されるだろうかと思う。無神経すぎる。映画「祇園姉妹」、「祇園囃子」の時代だったらこの表現でも良いかもしれないが、その映画から50年以上もたってる、おかしくない?川端康成はリアルタイムで「祇園姉妹」、「祇園囃子」の世界だから、お金を出せば何しても良いと言う感覚あったかもしれないけど。現代人が書く文章ではない。

 載っている作家

ドストエフスキー、川端康成、バルザック、志賀直哉、ゲーテ、ディケンズ、高浜虚子、チェホフ、島崎藤村、ヘミングウェイ、深沢七郎、スタンダール、徳田秋声、D・H  ・ロレンス永井荷風、ヘンリー・ミラー、色川武大、スコット・フィッツジェラルド、金子光春、レイモンド・チャンドラー、梅崎春生、ヘンリー・ジェイムズ、三島由紀夫。

 志賀直哉のキレまくりは笑ってしまった。機嫌を損ねまいと家族が緊張したのはごくろうさまである。永井荷風は日記で弟子の事を罵っているが、荷風は弟子と思っていたのだろうか?荷風が弟子を持つとは考え難い。弟子が勝手に思ってるだけかなと思う。荷風は終生森鴎外を敬愛し続けたが、荷風が日記で弟子を罵ったことを知った鴎外の遺児はどう思っただろうか? >

 

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新型インフルエンザ はなぜ恐ろしいか

2009・10・24

 この本の初版は2009・9・10である。一読の感想。インフルエンザの恐ろしさもあるが各国の国益のからんでいるという事。たとえばフェーズの発表、国益が絡んでること。フェーズ4と言って発表されても本当にそうなのか、もしかしたらフェーズ5かもしれない、レベルが危険域に近くなると、物流、人的移動、経済が混乱したり、国際的に大きな問題になる場合政治的な思惑が働く時もある。また感染国に指定されると経済的不利益になるので、自国内で感染が起きていても報告しない例もあると。

 またインフルエンザワクチンが現段階で一番有効である。しかしワクチン接種は日本の場合強制ではなく任意、副反応が怖いと言って接種を拒んだ場合、もし感染率が上がる兆候が出たとき、感染者を少なくしなければならない時、拒否されたらどうするか。二番目目はタミフル、リレンザ、これも副反応の問題である。拒否されたらどうしようもない。しかし何もしないわけにはいかない。もし副反応を恐れていた人が新型インフルエンザだったら。

 また新型インフルエンザはウィルス性肺炎を起こす可能性がたかい。季節性のインフルエンザに比べて、新型はウィルスは肺で増殖する力が強い。感染の拡大にしても拡大の様子をモニタリングしなければならない。実態は感染が拡大するにつれて見えてくると言う。死亡のリスクにしても乳幼児が多い。もっと衝撃を受けたのは、若い人がインフルエンザで1000人死亡するのと、高齢者が10000人死亡する場合のインパクトである。新型の場合若い人が重症化している、その事がインフルエンザワクチンの優先順位にも反映されているかなと勘繰りたくなる。しかし国の将来と言う事を考えると無べなるかなとも感じる。

 ICUは使えるのか(重篤な場合は、手術を延期してインフルエンザの患者が優先する、メキシコではそんな事例がある)、人工呼吸器は足りてるのか、現場のスタッフは足りてるのか。産科、小児科の数が減っている日本で、もし妊産婦、乳幼児が重篤化した場合どのようにするのか。今の日本の医療の問題が深く関わってくる。もし日本で感染が拡大すた場合、今の医療の問題が足を引っ張りはしないか?

 インフルエンザその物のの怖さよりも、治療環境、医療環境、国際環境が怖いともった。、国レベルの経済格差による患者の増加、死亡増加、これは如何ともし難いと思った。

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どんとこい貧困

009・10・21

 今日の読売新聞を読んでいたら、ユニクロの会長兼社長の柳井正氏記事が出ていた。柳井氏から聞いたという記事で書かれていたから、柳井氏が直接話したのか、記者が感じ取ったのか定かではないが、「安定を求めれば衰退に向かう」、という一文があった。気になった。この対極にあるのが「どんとこい高貧困」の中の、「今まで活力あっての安心だったが、これからは安心あっての活力」と言う一文である。しかしこの一文は経済財政諮問会議の文書から出たことになっている。

 ここに経営者の考えと労働者と言うか勤労者の違いが出ている。昭和元録、一億中流化の時代は終わった、ちょっと我慢して頑張れば報われる時代は終わった(人はエンドレスの我慢できない)、現代は先に何が起こるか分からない。だから安心、安定があればどうにかこうにか、働いて暮らせるだろうし、何があってもどんとこいである。勤労者という立場に立てば。しかし経営者が安定何ぞ求めたら、そこで止まってしまう、経営は常に競争、止まることは許されない。止まったら衰退である。

 しかし昨今は企業が生き残るために、どれだけの勤労者がボロボロになったかを考えると安定を求めることは当たり前のような気がする。ぼちぼちでんなーと言う感覚も大事な気がする。しかしほどほどの競争も必要である。なぜか既得権益考えるようになるから(逆に衰退へと向かう)。マー安定成長と言う事かな、少々無責任な発言でもあるが。

 枕が長くなった。「どんとこい貧困」は大人から中高生まで読んでほしい、少なくともこれから社会に向かう人には。湯浅氏は貧困問題を社会問題として捉えているから、今貧困でいる人たちのありのままを話してる。だからありのまま読めばいい、しかし他人事ではなく、いつ自分がそうなるかもしれない(リストラ、倒産、自分の責任ではない)、ならば国は面倒見てくれるか、残念ながら思ったほど見てくれません。元々この国は自助努力、家庭内福祉が好きで、福利厚生は企業にお任せだったから、そしてこんなどえれー時代なんて来るとは考えていないから、セフティーネットも元からボロボロ。湯浅さんはそこのとこを何とかしなくてはと考えている。

 頑張り世代は甘やかしとか、自己責任とか言うけど、湯浅さんはいろんな人と話した経験から分かりますけどねと、やんわりかわして今の貧困問題を書いてます。いろんな意見があっていいという事でいろんな意見にこたえる形で文章は進んでいきます。それと湯浅さんがよく言う「溜め」という考え方(理解の仕方)も「反貧困」の本よりも多く書かれています。「溜め」の多い人は今まで自助努力、家庭内福祉で何とかなったけれど、「溜め」の少ない人はどうしようもなくあがいて落ちるんです。落ちていくんです。おちゃんは昭和30年、40年の家族関係の本を意識して読んでるけど、結局「溜」めの少ない人はいつの時代でもどうしようもないところまで行ってしまう。戦前も同じ。国もセーフティーネットを強くしなければいけないけど、個人としても「溜」めをつく手いけるようにしないとね。

 

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リハビリテーションという幻想

2009・10・19

 ミスター整骨院から面白いからと言われ借りたが、まず題名で思い切り笑った。著者があのカリスマ理学療法士三好春樹氏である。三好春樹氏から幻想と言う言葉が発せられた驚き、あんたいったい何なのよである。だから腹を抱えて笑った。ミスター整骨院から三好春樹氏なる人を知ったが、ミスター整骨院は三好春樹氏の考え方から、現在距離を置いているらしい。

 一読の感想は現在のリハについての、三好春樹氏と高口光子氏のため口である。しかし理論、理念先行の現状のリハにあっては「生活即リハビリ」という考え方は正しいと思うし、それでなければならないと思う。何のためのリハか、目的もなくリハをすることは老人に難行苦行を強いるばかりで、空念仏ではあるまいか。自立した生活を送るためならば、もっと生活者の目線でと考える。ここら辺はリハ自体が医療という側面があるから、生活者の目線が足りないのかもしれない。

 介護の現場では医療の現場ではありえないことも起こるらしい、おちゃんにとってはびっくりした。歩けない老人が歩いたり(その逆もある、本人が歩けないと思い込んでるだけの時もある)、一読して感じた事は、医療の現場が介護の現場を知らないなと感じた。それとともにおちゃんが1番に来るのは医療、2番が介護という考え方を変えさせたことである。医療と介護は一体のものであると思うし、それが理想ではないかと考える。

 確かに歩けなくなるのは介護する側、される側にとって一番の問題である(歩けるだけでトイレ介助、入浴介助の手間が数段違う)。最低限自分の身の回りで出来ることは重要である。それでリハに励むが、ある程度自立(最低限身の回りができるようになる)とりハはやらない。家の中で好きなように動く、しかし家族にすれば歩けなくなれば困るから、リハを促す。しかし当の老人はリハに興味を示さない。家族は寝たきりになるという恐怖感からそうなってほしくないからリハを促す。何を隠そう今のおちゃんがこの心境である。婆っちゃは先生の前では「はい、はい」とリハの話を聞いても家では全然やらない。婆っちゃ曰く動いてます。現実はばっちゃのほうが正しいのかもしれない。おちゃんがリハの幻想に取りつかれていたと、この本で気づいた。

 逆に三好、高口両氏が死ぬ時は死ぬ、リハが効果がある人、ない人があるという開き直りに近い感覚が良い。老いとは自然に心身が低下していく、それが自然の摂理であろう。ところがアンチエイジングなど自然に逆らう事をしてる。年をとる事は罪なのか、手間がかかることは罪なのかと思わせんばかりにアンチエイジングに走っている。おかしくないか?廃用症候群になってもリハするの?ここまで考えさしてくれた本だから、ため口と書いたがいい本なんだ。介護、医療、リハを斜め目線で見た本音で語った面白い本である。

 「リハビリ即生活」と言う言葉から、柴田学園の創立者柴田やすを思い出した。「教育即生活」である。何となく柴田安の理念が分かった気がする。

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