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乱読のセレディピティー

2017・4・18

 題名『乱読』まではいいがその次の横文字が凡人には嫌味、「乱読のすすめ」とか「乱読いいね』がいいのだが。マー英文学者だからマーいいか。

乱読賛成、専門バカになるな賛成、食わず嫌いはやめなさい賛成。本読みの本読みたる楽しみは雑食的読書。好きな分野はある、しかし飽きる時がある、飽きたら飽きたで良い、別なものを読めばいい、最後まで読むのはよろしくない、1冊の本を最後まで読まねばならぬはよろしくない、ホ~なるほど。

 最近おちゃんはあまりの乱読、本途中丸投げがあるのでこれでいいのかと深く反省してた。本は買うが読まないで幾星霜。

ボーズが「この本全部あんた読んだのか?」、ギクッ、「三分の二は読んだが後は読んでない、で何年もたった」、「フーン」と不信な顔をされた、そりゃそうだろ、統一感がない、読書傾向がつかめない、どーせあんたはただ買ってんだろって顔をされた。

しかし本の買い過ぎ(金もない癖に)、読書は遅々として進まず、まるで虫食い的読書、これでいいのかと真面目に悩んでいたが。この本を読んだら、雑食的、虫食い的でいいのだ、乱読でいい。乱読の良さを進めてるので安心した。

 古典となるのは読者がいるからだ、納得。どんな大家の書いた本と手読者がいなければ残らない、その点ドナルド・キーンは偉い私の本は売れないと、面白いと思うのだが好みの問題か。

 本は身銭を切って読むべし、その通り。読めばと勧められた本はいいかしてくれる、自分で買ってみようかと決められる。本を買う時レビューを読む。無駄な金は使いたくない。しかし読みたくもない本をもらってもねー。

 型にはまった読書はある、しかし正しい読書とか間違った読書はない、勝手に好きなように読めばいい。出来れば風のように読む、ウーン、ある程度スピードを持ってか。読んで判然としない本は読むのをやめた方がいい、別なものを読んでしばらくして読めば意外と何であれだけ難儀したのかと不思議なくらいスルスルと読めたりする。

みかづき

2017・4・8

 また3か月も更新してない。癖だなーと思う。「みかづき」結構話題になってるが、まず特徴、著者は昭和43年生まれ、うーん「みかづき」は昭和36年から始まる、時代感が伝わってこない、アーこんな時代ですかッて感じ。これは阿南アサ「水曜日の凱歌」でも感じた、時代の臭いが感じない。しかし著者が生まれる前の時代に、時代の臭いを求めるのが酷と言う物か?

 しかし「みかづき」の場合著者が生まれた後の時代は一気に時代臭がぷんぷん、筆の運びが違う、イキイキしてる、面白い。だから生まれる前の時代、生まれた後の時代の筆遣いの違い、著者の時代感覚がリアルになる感覚が伝わる気がする。

 著者が中学校に入った頃は英語の内容が、その前に比べて少なくなった世代であり、筆記体も学習しなくなった世代と記憶する。教育内容のレベルが下がり始めた時期だ。

 学校では塾に行くなと言われた時代もあり、学力テスト、ゆとり教育、学校完全二日制、口裂け女(時代的に著者はこの頃は小学校だ)、おちゃん的にはリアルタイムであり、学校完全二日制のスタートはバカが多い、学習意欲が低い子供が増えて問題になってる時期にスタートするのは、もっとバカを作るのかと腹が立った。案の定ますます学力が下がりゆとり教育は見直しとなった。ほら見たこっちゃないだ。

 主人公千明の夫吾郎は昭和12年か13年生まれとすると戦後教育の小学校の一番最初の世代、千明は学制の切替をもろ受けた世代である。五郎に比べて戦前の教育を長く受けた分戦後教育の余りの違いをもろ受け、コロコロ変わる学制で不信を持つ。吾郎は戦前の教育を受けてない分、戦後教育に特に批判はない。ここらあたりがこの夫婦の後に溝になる部分か。

 この小説の根底はどの子にも等しく教育をである。経済格差で学力格差を作ってはイケない、底上げをする、それを親子3代で追求していく゚、解決する。子供の学力にあったところからスタートし、学力をつける。後半部分は経済的な問題で学力不振児、シングルマザーの問題と時代、話題、問題を拾っている。

 いつの時代も教育は大事である、食べることと同じくらい大事。どの時代を通しても一番大事であり、丁寧にやることは学習の意欲を伸ばす、学力の低い子の底上げである。

あらしのよるの

2017・1・3

あけおめ、ことよろ
良く考えれば12月は更新してない、まー3年半ぶりで更新したものんだからと自己弁護
雪も降った、雪片づけ、だいたい次の日雪が降ると天気予報で言えば、早よ寝て、早よ起きる、夏より忙しい。夏も冬並みに動けばいいが、ついつい伸ばして秋になりアー動けばよかったと後悔。家の整理をしてない自分を責めてモー3年

ところで先日NHKテレビ「シブ五時」で中村獅童氏が歌舞伎になった「あらしのよるに」の解説をして、獅童氏演じるガブがメイを食おうか食うまいかの葛藤してるシーンを見て、すごいなと思った、ものすごい心の葛藤のシーンである、これは「あるはれたひに」の中のシーンである。

昔獅童氏がEテレで「あらしのよるに」の読み聞かせをしていた時から、この童話はいいなと思っていたが、まさか歌舞伎になるとはものすごい衝撃である、まして童話で、新作歌舞伎も最近はものすごく今までの概念を取っ払う作品が多いが、童話までかいと思うとともに進化だ

「あるはれたひに」
ガブはメイを食べたい、しかし友達だからダメ。その葛藤がすごい、読み手によっていろいろ解釈、しかし我慢がいかにしんどいか教えてくれる。しかしオオカミが良い(人がいいと言う意味)ガブは中々メイをガブリとはいかない、結局最後までメイを食べずにメイト山を降りる

「ひとりぼっちのガブ」
「あらしのよるに」の番外編と言う位置づけ?ガブは強いがオオカミが良い(人がいいと言う意味)、だから友達とどちらが強いか戦っても、手心を加えて負けて孤立する、一人になる

一人の辛さ、泣かせるね、伝わってくる。やっぱりオオカミの良いガブはある時、獲物がたくさんある場所を見つけ仲間に知らせようとする、仲間のところまで悪戦苦闘。仲間のとこへ、友達に知らせるが、その友達に手柄を取られた。本来ならガブがヒーローなのに、また一人、ガブはモーいやだって思っちゃう、ここがまたグッときちゃう

ガブはまた一人で月を見るけど、そこへお母さんが来てそっと抱きしめる。ガブは一人じゃない、お母さんがずっと見守ってくれる、今もこれからも。

読み手によっていろいろ考えさせてくれる童話だ、大人も子供も、人は一人でも生きていけないし、どこかで見てくれる人がいる事は以下に大事かを考えました、

欧米社会の集団妄想とカルト症候群

2016・11・23

 とにかく分厚い本、いつも新聞の広告を読んで買う。ここ数年本屋へは行ってない、注文は電話、まー当たりはずれなし、まー本選びは自信がある。

然し見た途端、読めるかな?しかし読みました。去年の暮れからかかって年を越した。

 読後感は歴史は繰り返す、社会が混乱し、集団、個人の行動の指針となるべきものがなくなった時、崩れた時社会は混乱する。宗教戦争、革命、人類が繰り返した多くの戦争、紛争

今まさに世界史的規模の大転換期にある時、それをどのように乗り切るか、どの様に処すべきかの指針を与えてくれる。世界史の出来事を見るに付け、あほだからこーなった、過去のことだといろいろ理由付けするが、そーだろか?社会が混乱すれば傍観者では済まされない、いつの間にかその中にいる。自分は巻き込まれないと脳天気になっておれない、何故なら

われわれの心、頭の中に狂気を生む種、残酷、狂信者になって行動してしまうものがある。それを歴史の事件から精神・心理の立場から考察した本。

 社会が混乱すると混乱を鎮めようとカリスマが登場、カリスマがカリスマであるうちはいいがメッキが剥がれるとボコボコ。カリスマがカリスマでいるうちは盲信し、狂気に走る。カリスマは自分の地位を利用してしたい放題(裸の王様)、なんでも出来るという万能感、誇大妄想。大衆がなんか変と気づく、カリスマボコボコ、また社会騒乱、やっと安定

社会に不満。不平、不安が広がると原因を探したくなる。スケープゴード、人柱。すべての災いはこいつだと言わんばかりに虐殺、リンチ、差別、排除。そして社会的、歴史的な固定された差別になる。

 小は学校でのいじめ、大はヒトラー、宗教戦争、KKK、十字軍、イスラム国。人の心にある、不平、不満、不安である。そこにカリスマ的に煽るものがあれば、煽られてしまう。不安、不平、不満と言う実体のない、漠としたもの、特に不安は実体はないから特に恐怖感が強い。人とは哀れなもので何としても不安の実体がほしい、それがスケープゴードであり人柱である。不安の実体化?

 またこの本を読んでるわきで、エマヌエル・トッドの本を読んだが、今のフランスで極右を支持してる地域は、ヒトラーがフランスを占領した時、特に支持が強い地域である、愕然とした。19世紀の後半マリア信仰が起こった地域と重なる。山間地帯である。山間地帯?津山三十人殺し?特有の排他心理、特有の濃すぎる人間関係、外部情報との隔絶、近親憎悪、デマが起こりやすい特徴がある。簡単に言えば、伝説、風評、実態がない漠としたもの。

 だからどーした?早く本論を言えだろう。つまり歴史的大事件を関係ないではすまされぬ、何故なら我々誰もが歴史的大転換の時、社会の混乱状態に置いてはおない事をしてしまう、心理、心がある。それを知ってほしい。プラス生まれた土地の文化、風習、歴史などが絡み合って一個の人を作っている。

人間は人間が思うほど賢くない、思うよりあほである、歴史に学んでほしい、それだけ。

温故知新、歴委は繰り返す、災害は忘れたころにやってくる

もう親を捨てるしかない

2016・11・13

 「親を捨てるしかない」と読んではいけないと考える。「もう、親を。捨てるしかない」と読む方が著者の苦悩と言うか、今この国の閉塞感、現代の虚しさ、空虚感、見せかけの親切、つなぎたくもない絆、感動の強制、すべて本質を付いていない世の中、本質をつきたくない、怖いのだ。見たくない。が、しかし、それでいいのか?ちょっと考えてと言う思いが伝わって来た。

 突いたらすべての素が出て、収拾が付かなくなる。縮む社会、福祉、経済、世間、家族。その縮んだ空間を誰が埋めるのか?そんな空間埋める余裕がないヨ、誰かやるだろ?その誰もいないんだよ

困りごとが多い、増える。しかし対策は?財源は?必死こいて生きてるんだよ、人のこと考えてられないヨ。なんて世の中で自分の家族だけで必死なのに、親の面倒は見るのは当たり前、当然と言う風潮、やるのは分かってる。

やりますよ、伝統的家族型福祉、日本型社会福祉、国は在宅型介護(家族介護)を推進。その果てが介護殺人、介護離職、介護離婚。飛んでも美学が家族を追いつめる、それも昔からある中味のないただの無責任な世間の声。

世の中は変化してる(当たり前、変化のない社会はありえない)、それを延々と古い家族型をやっている、その先に待っているのが家族共倒れ、悲劇的な事件、事故。それに著者は待ったをかけた、今のやり方をやっていれば、悲劇、不幸になる。考え方を切り替えなさい、つまり一人、一人、自分で出来る事を線引き、安易に子を頼らない、子も出来る事だけする

 まず始めが世帯分離(精神的親棄て)、心理学でいう精神的親殺し、精神的子殺し、これが成功すると親と子の関係が上下の関係ではなく、対等な個人として親子関係が機能し円滑に家族関係が進む。親の家庭、子供の家庭と独立した考え、子供が親が困ったからといって安易に手を出さない、自分が困ってればそっちが先、余裕があれば別だけど。親家族、子の家族がくっついて、「ただいま大変ですよ家庭、家族」は使える制度を使って何とか乗り切ってほしい。しかし悲劇的な事件、事故を防ぐには、独立した親家庭、子供の過程をやっていく、考え気概。

情緒的昔方の家庭観にオサラバ、バイバイ

自己責任

2016.10.29(土)

 何でもかんでも自己責任、そうだろうか?自己責任押し付けのの無責任であると思う。

自己支持自己決定があって本当の自己責任である、自己支持自己決定は生まれてすぐから、数か月から、死ぬ一瞬まである。

 赤ちゃんは母親またはそれに準ずる大人には抱っこされて、安心する、泣やむ。4か月あたりで人見知りをする、もう少し大きくなると好き、嫌いがはっきりする。親が大人が良い人何だけどと思っても、嫌は嫌である。

 認知症でも、どれだけ認知症が進んでも、嫌な人には介護されたくない、抵抗する、介護経験のある人、介護職にあった人は言う。選ぶ能力も最後まである。感覚、感情も鋭敏になる。十把一絡げもわかる、だからだましもごまかしも効かない。

認知症の人に喜び、楽しみを与えるだまし、ごまかしならいいが、忘れる、分からないということを逆手にとってのだまし、ごまかしはわかる。見破る。悪意を含んだ物だ。

自己指示(自分で選択)自己決定(自分で決める)この作業は日々行ってる、ただ意識しないだけだ、ほとんどが責任と言う物が伴わないだけで(意識がない)

物によっては責任が伴うものであれば、責任の所在を考えるだろう、だからどこまで自己の責任が取れるのか考える責任を取るとすればその範囲で、自己責任の範囲でそれが自己責任だ。

現代の何でもかんでもの自己責任は、ボヘミアンに言わせると『因果応報』、私に言わせると「自業自得」も入ってるから、入ってしまうから、使う言葉としてはご注意を

細雪

2016・10・27(木)

 また昭和が遠くなった、三笠宮が逝去、息子三人を男盛りの年齢でなくした時は親としてどんな心境だったろう。自分は歴代皇族で(明治以後)一番の長寿、複雑だなと思う。

ネットとブログはバカと閑人と言うが全くである、介護、子育てから解放され、自分の時間はこうなんだと落ちつくまで、書く気も起こらない。いくら時間があっても心の整理が付かないうちは無理、何をするにしても。

ところで最近はまってる物がある、東京大衆歌謡楽団の高島三兄弟、毎日ユーチューブでの追っかけ、ジェロ以来。最初見た時はびっくり、全くのモボ、歌唱法が戦前、しかし不思議な声だ癒しがある、で毎日見てるうちに「細雪」の主人公四姉妹の夫、恋人のイメージにぴったり重なる。

 長男孝太郎氏、三男龍三郎氏は長女鶴子の夫辰夫、二女幸子の夫貞之助のイメージ次男裕次郎氏は四女妙子の恋人奥畑の啓ぼん、板倉、三女雪子の夫になる御牧のイメージ原作を読んでくれればわかると思う。「細雪」はいろいろな視点から読めば、風俗、家庭、昭和の都会の上流家庭、その時代の女性の心模様といろいろな発見がある。

何度も読んだ、だからボヘミァンに死んだら棺桶に入れてくれと言ったが、親が死んだ時棺桶に本を入れていいかと葬儀屋に聞いたら「ダメです、まー本をバラバラにすれば別ですが」、親が好きな童謡だ、せめて本だけでもと。だから本はバラバラにした、しんどかった

「本はマーいいとしても千羽鶴はダメですよ、そのままの形で焼けますから」、崩れないってことか?棺桶に何でも入れないが、昔に比べて制約が多い、事前のリサーチが大事

横道にそれた、「谷崎潤一郎対談集【藝能編】」では、「細雪」は大谷崎も大変な入れ込みようで(作品として)、映画化、舞台化、放送劇に対しては注文があり、谷崎が想像する映像的イメージなど語られており、「細雪」を補足する良い文献だと思う

この対談集の面白さは後年大女優、大作家、大俳優も新人であり、大谷崎のいろいろな批評があって興味深い、しかし大女優は新人でも大谷崎の前でも臆することなく、自分の考えをしっかりいう、媚びないのがいい。谷崎の映画に対する考え、戦前戦後の映画の世界も垣間見えて面白い

ブログ開始

2016・10・26(火)

モー3年以上、ブログ更新してない、その間の変化ボヘミァンが専門学校入学、母親が死んだ、まー家族の変化、人生の変化、ブログ更新してないなーと気にしつつ、とうとう更新しなくなった、そして今日からまた再開

 今日の本は佐藤愛子著「90歳何がめでたい」、歳を取ることがどれだけ大変か、つくづくしみじみ分かってきた、ページを繰るたびにアーそーだよな、ウンウンの連続。60歳の前半でこーだあと10年したらもっとだよなと思いながら。

 無理して文明の利器にすがる必要はない、自分に必要なものでいい、身体が動かない、それがどーした、年を取れば当たり前、アンチエイジンぐ?あほか、それだけでストレスだ。

若返る?細胞レベルで老化してる、細胞が若返るかと毒づく自分がいる、アー年取った、とうとう頭も老化現象か?佐藤愛子現象か?

 好奇心の固まりだ、愛子女史はそして92歳だ、私はまだ61歳、まだ踏ん張れる、まだまだだ、しかし老化はしている。

知り合いに勧めたら「ア( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、面白い」、バカと思った、老化していく風景読み取れんのか >

最後のクレイジー犬塚弘

2013・7・21

 今日は準決勝、聖愛と山田、さてどちらが勝つか?でもまさか、聖愛が光星に勝つとは、また南が負けたとはいえ山田と対戦して6点も入れた、強くなったと思う。「南は特徴がないのが特徴中ですね」と言われたりする。可もなく不可もなく。校風?なんだっけ?でも卒業生が言う、周りが言うのは、ボヤーっとして、欲もない、競争心がない。マイペース型が多い。

弘高も14年ぶりの準決勝、もし甲子園に行くとすれば昭和46年の春の大会以来かな?しかし 弘高の野球部はある意味モンスター、練習場は遠い、いつも見るが土淵川を歩いてるかは知ってる。チャリンコは見ない。中央も遠いがグーグーとチャリンコデ練習場まで走っていく。また進学校であるから、そこそこの成績もとらないといけないし、私立と違って成績で手とり足とりはない。校風が自主独立、自分の事は自分でやれ。

その点聖愛は優しい、さすが元は女子高であるし、キリスト教である。練習場も近い。歩いてすぐ。聖愛も弘高も歴史は130年前後の伝統校である。聖愛はもともと旧制の女学校で、戦後中等部を置いた。大体中等部から入学するのは、お嬢様である。で、一時中等部がなくなったが、中高一貫教育でまた復活。

 また枕が長くなったが、おちゃんにすれば「シャボン玉ホリディー」の時の疑問が解けた感じがするし、芸歴の長い人ばかりだが、当時はプロフィールが外に出ることもなければご本人も話すなんて事がなかった。今みたいに芸能人が自分で自分の事は話す事はなかったし、そんな番組もなかった気がする。まして映画、テレビの裏話は皆無ではなかったか。出たとしても数年後、つまり年単位の時間である、今のようにすぐネタバレはなかった。

 放送は昭和36年だと思う(おちゃん幼稚園、年長)、すぐハマった。ダンス、歌、コント。なぜか子供でも面白かった、。後にジャニーズの原型となるスリーファンキーズが出ていた。歌って、踊れる男の子のグループで、アンチャン風。それまではダーク・ダックス、ボニ―・ジャックス、デューク・エイせスなど、オッサン系しかなかった。

いまだにこの番組から出た歌のナンバーは歌い継がれてるし、この番組で育った人たちは現役第1線である。当時はコメディアン、喜劇役者と思っていたが、今この本を読んでるとすごい経歴、また基礎をきっちり学んでいる、またもともとが音楽家志望であり、後付けで喜劇、コメディー、本格的演技が付き、ピンでも音楽家、役者でイケる人ばかり。

今ではすごいなーという芸能人もこのころは若手であり、不思議な縁で互いが成長し、触発し、一流の芸能人になっていく過程が分かる。芸能人の人生ドラマとしても読める。ト社は家で息子の役でコントもよく演じたと言うが(学生服、学生帽の姿の記憶がある)、また泥棒もよくやっていた(頬かぶり、唐草の風呂敷を背負った)

年末は毎年「赤穂浪士」をやっていた。大石内蔵助は誰が演じたか忘れたが、吉良上野介は玉川一郎が演じていた記憶がある。なんて自分の思い出ばかり書いてるが。たしか18世中村勘三朗が小学生で勘九朗の時、シャボン玉に出ていた記憶がある。背広を着て。後で何かの本で、植木等が大好きとあった。イスにちょこんと座っていたような記憶がある。

 昭和41,42年になるとNHKで夕方6時から「サンダーバード」が入るから(おまけに2話一緒に放送するから、シャボン玉をまたぐから困る)、急いでチャンネルを変えて見ていた。しかしこれは子供の事情である。おとなのこの時代の事情が書いてある。

親分肌で、個性の強いハナ肇、他のメンバーの間に挟まれて苦労した事、しかし遅れて来た男植木等の存在がなければ、続いていただろうかと思わせるところもある。植木は大人であると何度も書かれている。

とにかく凄いグループである。今まで語られるkとのなかったクレイジの歴史である。

昭和の爆笑喜劇

2013・7・20

 このシリーズは全50巻全部買うわけにはいかないが、適当に選んで見ている。ネーちゃんに見せたら、「笑いの壺、分かんない――――」、そうだよな「シャボン玉ホリディー」が終わってから生まれてるものな。分かるわけないか。

今になって良くよく考えてみると、ませたガキだったと思う、シャボン玉が放送されたのは昭和36年(幼稚園だった)で、クレイジーキャッツは面白いと感じ、その2年くらい後のドリフは面白くないと思った

まーこれはいまだにそうだ。でもクレイジーに出てくるドリフの演技は、ドリフのこの時代のドリフ単独のコントより面白い。後年のドリフのコントに繋がる物を感じさせる。

☆「ニッポン無責任時代」

植木等の登場の仕方は「釣りバカ日誌」の浜ちゃんそっくりでびっくり。第1作と言うだけあって、今見るとそう笑わせるシーンは少ないが、クスリと笑うシーンが多いし、今の時代の中味のないセリフに比べて、大いに考えさせる、中身のあるセリフが多い。また労働組合をつくるシーン、「まるで戦争に良く見たい」というところがある。戦後27年、まだまだ戦争は過去ではないと言う時代と感じた。今年は戦後68年、歴史になった。

今の時代だと、平均は決して無責任な男ではない。逆に職場にとってはムードメーカーとして必要な人材かもしれない。

☆「クレージーの黄金作戦」

この辺りになると現代の笑いに近くなり、スピード、テンポもアップしてくる。植木等、ハナ肇、谷啓の三人の偶然一緒になり珍道中は次作品「クレージーメキシコ大作線」に繋がり、まるで「三人吉三」を思わせる。加山雄三が若い、今年75か76歳だと思うが、よく考えてみたらほとんど鬼籍に入って、この映画で行けば生存者みたいな感じ。しかし糞尿処理の陳情の後、ランチにカレーライス。今だったら不快な思いをさせると言って、カットだろ。

まだまだ規制の緩い、自由に表現できる時代。今は逆にあまりにも気を遣いすぎて自主規制してしまう、面白みのない時代。表に出せない分裏に出るから、陰湿。良くも悪くも大らかである。園まりが可愛い、こんなに可愛いと思っていなかった。まだおちゃんは子供だ宝熟女というイメージだった。浜美枝も可愛い、この時代の浜美枝は他の映画でもすごくかわいくて可憐である。しかし結婚して、一段落してからは、ウーン気取った感じで、いやだなー。谷啓の演技はこのころから「釣りバカ日誌」と変わらない不思議な感じ。

最後の方でミュージカル風になるのは、この時代の映画の特徴でもあるし、「シャボン玉ホリディー」自体、ミュージカル的なところがあった。圧巻でもあるし、この時代のスターの芸の広さでもある。歌って、踊って、コント、演技は当たり前の時代。今のように分類というか、細かくはない。

☆「クレイジーのメキシコ大作戦」

この辺りからアイドルとい時代が始まる、ジャニーズが出る。歌って、踊る男の子のグループ。タイガース。クレージー自体の笑いも早くなるし、笑いも今風の間髪いれずに次から次と早くなり始める。しかし時代を感じさせる言葉も出る「夜這」、今はほとんど死語だろ。また耐久消費財も増えてくる、第1作の植木等の下宿の部屋はほとんど必要な物だけ、ところがこの映画では、掘立小屋に住んでるのに、持ってる物はすごい。

「なんとかなる、「なんとかなる」というセリフの数も多い。なんとかなった時代。がんばれば、それなりの報いとは報酬はあった。確実に。だから頑張ることができた。後半のミュージカル風のシーンも良い。ジュリーも初々しくって良い。

意外な収穫は桜井センリの演ずる、小悪党風の日系人の役、これが実に良い。この人悪役演じればすごく良かったかもしれない。惜しい。

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